文辻陽能
ピンク色の霊力体を持つ蝶々は、瞬きするごとに増えて行き、驚異的な速度で白龍の周囲を覆い尽くした。
「なるほど、存外に厄介な……」
その存在を一瞬で天式により理解した白龍は、蝶々の排除より老日を障壁で囲むことを優先した。まるで自ら王を閉じ込めているように見える不敬から避けていた手段だが、そうも言っていられない事情があった。
「群れ全体で、個と言う訳か」
その蝶々は同時に浴びた脅威を、その被害を一つの個体に押し付けることが出来る。つまり、どれだけ大規模な技で攻撃しようと、無尽蔵に増え続ける蝶の一匹しか死なないという訳だ。
「しかし、この我を相手にするには軟弱千万……」
蝶々は白龍へと触れようとするも膨大な霊力に阻まれて近付けず、また老日を襲おうにも障壁に防がれてしまっていた。
だが、数だけは増えて鬱陶しい上に、霊力を利用されるのが気に障った白龍はその蝶々の術の構造を把握し、その本質を捉えた。
「『疾消解理』」
サラサラと、白龍に近い者から崩れるように消えていく蝶々。その崩壊は近くに居る別の蝶へと伝播していき、やがて全滅した。
「『絶刀首断妖刃』」
「ほう」
そんな白龍の頭上に、巨大な黒紫色の刃が現れる。ギロチンの如く白龍の首目掛けて落ちるそれを、白龍は体をうねらせて避ける。
「『解解壊壊』」
それと同時に、老日の眼前まで移動した陽能は老日を守る障壁に触れた。蝶々によって解析されていた障壁は、用意していた術によって砕かれた。だが、目の前の男は表情一つ変えることは無い。
「『陽王光尽電衝』」
そこに、雷電を纏う収束した陽光のレーザーが放たれた。陽能の姿が転移によって消えると、老日の体が光線に呑み込まれそうになる。
「『反龍鏡』」
しかし、老日の目の前に現れた龍が輪になったような鏡がその光線を跳ね返してしまう。陽王は攻撃を止め、その場から退いて返ってきた光線を回避する。
「『八百万枝分かれ、炎螺の木』」
陽能が式符を投げると、戦場の中に巨大な炎の木が立つ。幹も枝も、全てが螺旋を描くように捻じれているその木から、枝が伸びては無数に枝分かれしていき、老日へと迫る。
更に、障壁が解かれたのを見て氷柱の陣も再び起動し、無数の氷柱を絶え間なく老日へと送り始めた。
「舐めるなよ。この我を相手に数で攻めようとは……笑止千万!」
白龍が咆哮を上げた。すると、霊力がビリビリと結界内に広がっていき、炎の枝と氷柱とを触れただけで破壊していく。
「『金煌葬剣』」
「『糸天紫焔』」
だが、その霊力の波動すらも突き破って陽王が駆け抜け、老日へとその黄金剣を振り下ろす。
更に、背後から現れた楊心がその爪から硬く燃える紫の糸を放ち、老日の首筋を貫こうとする。
「ッ!!」
「速い……ッ!?」
だが、さっきまで咆哮を上げていた筈の白龍は一瞬にしてその巨大な図体を動かし、黄金の剣と燃える紫糸を防いだ。
「ククッ、これでもまだ本気を出してはおらんぞ?」
「『暴水』」
老日の頭上に陣が開き、そこから大量の水が溢れ出す。白龍は咄嗟に風を吹かせ、水を全て吹き飛ばす。
「『無間・煉劫剣』」
「『妖炎連狐』」
数え切れぬほどに迫る炎の剣に、無数の炎狐の群れ。そこに氷柱の群れと炎の枝とが押し寄せて、老日の視界は最早それだけで埋め尽くされる勢いだった。
「いい加減、鬱陶しいぞ」
だが、白龍は押し寄せるそれらを見てただ呆れたような、苛立ったような、失望と怒りの滲む声を上げた。
「――――『白龍結界』」
白龍と老日を丸ごと呑み込むような巨大な白い結界が展開された。その結界内にあった無数の剣や枝やは、一瞬にして無かったことになったかのように消え去った。
「ッ、この力は……」
陽能は唇を噛み締めるような思いだった。遂に、使ってきた。恐れていた力を、白龍が。
「神の」
そう口にした瞬間、冷たい風が吹き抜けた。まるで世界が凍り付いたかのように全ては動きを止め、陽能は握っていた太陽の剣すらも冷たさの余り手放しかけた。
「我が望むは、勇士だ。小細工を働かせるのも、良いだろう。だが、延々と我が取りこぼすことを期待して、小さな剣やらを飛ばし続けるのは……勇士ではない」
吹き抜ける風は、神力だ。解放された神力の一部が波動となり、陽能達の身を貫いて、更にはこの戦場を覆う結界まで解こうとしている。
「最後の機会だ。残るはお前のみ。頼れる者は何もない……その剣で、我を斬って見せよ」
陽能はそこで漸く思考を取り戻し、周囲を確認した。陽王も、楊心も、動きを止めている。念話も通じない。
「誓って、防ぐことも避けることもせん。我が鱗を斬り裂き、この首を落とせば……龍の試練を乗り越えたと認めてやろう」
「……認めて貰うと、どうなるんです」
陽能の言葉に、龍は嗤った。
「一生困らぬほどの金と、龍を超えた名誉を」
「どっちにも、興味はないかな。今、僕が求めているのは、この場での勝利……それ、のみだ」
陽能は今も尚浴びせられる霊力の混じる神力で、思い出した。いや、思い至った。
「今でもその神の力がどういう原理で得られたとか、そういうのは分からないし……どうやって、こんな龍が作れたのかも分からないけど」
陽能の目が、老日を見る。白龍は眉を顰め、老日を結界と同じような外見の障壁で守った。
「僕の中にある力は、分かった」
陽能の体から霊力が溢れ、そして収束していく。確かに、どれだけ術を作って策を弄しようと勝てないという事実は理解した。だが、手札はまだ残っていた。陽能自身も忘れていた、手札が。
「――――」
陽能が何かを呟き、駆け出した。見下ろす龍の足元を抜けて、陽能は老日の前に辿り着く。そして……
「また、お参りに行くよ」
神力の滲んだ刀が、老日を囲む障壁を斬り裂いた。
「待て小僧ッ!!」
まさか障壁を破られるとは思っていなかった白龍は焦りながらもその背に爪を伸ばす。だが、陽能はそちらに視線を向けることも無く、老日へと刀を振るった。
「悪いんだが」
陽能の背を、白龍の爪が貫く。その後、陽能の刀が老日に届く。しかし、その刃は……
「は、ははッ……ごふッ」
老日が式符から取り出した剣によって、あっさりと受け止められていた。
「笑うしか、ない……な……あ、は……」
白龍の爪が引き抜かれ、陽能は胸に開いた大穴から血を流しながら膝を突く。
「今度……気が向いたら、教えて……くれ……」
息絶えそうになりながらも吐き出される言葉に、老日は目を細めて陽能を見る。
「その龍の、秘密でも……剣の、使い方……でも……」
「まぁ、そうだな……」
俯きかけていた陽能の目が、老日を見る。
「気が向いたらな」
「は」
ここに来て突き放すような言葉に、陽能は思わず笑みを漏らしたかと思えば……遂に、息絶えていた。