忌み子
振るわれる爪を掻い潜り、杏へと伸ばした手。しかし、それが触れる寸前で杏の姿がその場から消えた。
「ふふ、便利でしょう?」
いつの間にか提灯の下に立っていた杏。あの提灯は転移能力を持っている厄介な式神だ。それ自体は分かっていたが、想像以上の発動速度だ。
「それは良いが、そろそろコイツを無視されるのも困るな」
そう言って、俺は式符を一枚取り出して景武者に貼り付けた。
「『霊力崇上』」
景武者の体から青白い霊力が立ち昇っていく。増幅された霊力が全身に満ち、その動きが爆発的に向上した。
「とんでもないわね」
立ち昇る霊力を冷静に見極め、杏は呟いた。言ってしまえば、これは単なるゴリ押しだ。膨大な霊力に耐えられる器に、膨大な霊力を突っ込むという、それだけだ。
「良いわ。貴方の思惑通り、その鎧を倒してあげる」
「景武者だ」
一応もう一回名前を教えておくと、杏はくすりとだけ笑った。
「『呪尖弾』」
景武者に向けられた小さな手の平から、小さな黒い球体が放たれる。呪力によって作られたそれに貫かれれば傷口は膿み、肉は腐り、骨は崩れていくだろう。
「遅い」
景武者はそれを冷静に見切り、刀で斬り裂いた。しかし、あの提灯と共に景武者の背後に杏の姿が現れる。
「『呪冥抱擁』」
振り返ろうとする景武者の両腕を杏が掴み、その体を近付ける。掴まれた腕から、体の触れた部分から、呪力が、呪いが伝わって景武者の体をぐずぐずに崩してしまおうとする。
「無為だ」
天式と接続状態になった景武者は、解析済みの呪術の情報を自身の術式に取り込み、完全に無力化した。
「……みたいね」
密着状態の杏の腹部を膝で蹴り付けようとした景武者だが、杏の姿は提灯と共に消える。
「呪いが効かないなんて、酷いわ」
そう口にする杏だが、赤く塗られた口元は笑っている。
「でも、安心して。呪いだけが私の強さじゃない……その鎧を壊してしまえば、それも証明できるかしら?」
杏の体から霊力と呪力が溢れ、空中で絡み合い、一つの形を成す。それは、刀だ。
「さぁ、切り結びましょう?」
「良かろう」
提灯の光が揺れ、杏の姿が景武者の前に現れる。足元を抉るように斬り上げる杏、景武者はそれを自身の刃で逸らしながら横に避け、お互いに振り上げた形となった刀をぶつけ合った。
「ぬぅッ!」
「ッ、これだと少し脆いわね……!」
鍔迫り合う二つの刃、景武者が全身の力を込めて杏に迫ると、杏の刀にピシリと罅が入った。
「ふんッ!」
「食らっておきなさい」
景武者が全力を込めて刀を押し付けると、杏の刀が砕ける。だが、それと同時に杏の姿は消え、砕けた刃は破片手榴弾のように周囲一帯に爆散した。
「あら、殆ど無傷」
「この体を賜った以上、当然のこと」
鋭い呪力と霊力の欠片に襲われた筈の景武者だが、その体に傷は無い。正確には傷はついていたのだが、たった一瞬で再生してしまった。
「だったら、もっと上等な……とっておきを見せてあげるわ」
杏の手に、一枚の式符が握られている。天式による解析で、既にその正体は分かっている。
「『式神召喚』」
するりと抜け落ちていく式符。その代わりに、杏の手に別の物が握られる。
「『正夜』」
それは、黒紫色の刀身と漆黒の柄を持つ刀。刃から反射する光は月明かりのように美しく、正に妖刀と言えるような美しさと切れ味を秘めているのが分かる。
「これは村正よ。うちの蔵に眠っていたの。とっても寂しそうだから、私の式神にしてあげたわ」
杏が言うと、妖刀は喜びを表すかのようにわなわなと震えて見せた。錯覚でも何でも無く、魂が宿る刃だと言うことだろう。
「『霊呪刻摩』」
そして、杏は血に濡れた刃を拭うように取り出した式符を刃に押し付ける。すると、妖刀の気配が強まり、その刃は更に強く光を照り返すようになった。
「三体一だけど、構わないわよね?」
「聞くまでも、無し」
杏の準備が終わるのを待っていた景武者は、刀を構えて杏を正眼に捉えた。
「ぬッ!」
杏の姿がかき消える。提灯による転移。だが、天式による解析で転移前から転移位置は察知出来ている。右へと一歩体をずらしながら左を向き、刀を振り下ろす景武者。
「ッ、危ないわね……!」
「ふんぬッ!」
ギリギリでその刃を避けた杏に、景武者は逃がすまいと刀を振るう。だが、今度は冷静に攻撃を捉えた杏はその刀に妖刀を合わせ、上手く刃を逸らした。
「剣の腕は、中々」
「使用人にしつこく教えられたもの。それに、私も刀は嫌いじゃないわ」
逸らされた刃をくるりと回して横から叩き付けるように振るう景武者。杏は上体だけを後ろに逸らして回避し、体を前に戻す勢いに乗せて妖刀を袈裟懸けに振り下ろす。だが、景武者はそれを予測していたかのように刀を合わせて防いだ。
「だって、呪い殺すより斬り殺す方が気持ちいいもの。悪霊も、魔物も、きっと……人間も」
「そうでもないぞ」
戦いに集中していて聞こえないだろうが、一応伝えておいた。俺の知る限り、気持ち良く人間を斬り殺せることなんて無い。
「ほら、いつまで余裕で居られるかしらね? 貴方は所詮、機械と同じよ。限界を超えられた時、超えなきゃならない時、きっと耐えられないわ!」
「ぬッ!」
目にも留まらぬような斬り合い。その半妖の力と呪いによる強化で刃を捉える杏と、自身の術式と天式の解析によって相手の刃を予測する景武者。先手を取るのは景武者だが、身体性能で上を行くのは杏だ。
「『縛霊断』」
振り下ろされる杏の刀。位置的に避けることは叶わず、刃で受けるしかない。だが、その妖刀に巻き付いたような霊力。アレに触れれば即座に景武者の刀は霊力によって縛り付けられてしまうだろう。
「ぐぅッ!」
「ふふ、出たわね。ぐぅの音が」
この距離、刃が触れる寸前で発動された陰陽術。適応は間に合わない。だが、刀で受けるしかない景武者は仕方なく刀で受け止めた。
即座に杏の刀が纏っていた霊力が鎖となり、景武者の刀を縛り付けた。




