式神と刃
現れた武者。黒っぽい鎧が体の殆どを覆い、黒い布が手や関節、顔を隠し、頭には笠をかぶっている。
「アンタはもう出さないのか? 式神」
「……『式神召喚』」
少し迷った末に、碧は式符を一枚取り出した。
「『砕渦』」
現れたのは、水の体を持つ角の大きなサイだ。だが、一目で分かる。アレは、霊力の巡りが不安定だ。一言で言えば、失敗作だろう。
「本当は見せたくなかったんですけど……でも、恥をかいてでも全部使って戦うべきですよね」
確かにアレは陰陽師から見れば不格好なものだが、それでも性能自体がそこまで悪いものでは無い。突然おかしな挙動をし始める可能性もゼロでは無いからリスクを考えるなら召喚しないのも実際アリではある。
だが、俺を相手にして勝率を少しでも上げるならそのリスクを鑑みても召喚するべきだろう。
「それで、残り一体もその類か?」
「いえ、違います。いや、違わないとも言えないかもですけど……」
碧は言葉を濁すと、さっさと刀を構えた。続きを話す気は無いらしい。まぁ、敵だからな。話して不利になる情報なら話さない方が吉だ。
「行きます」
碧の体から水流が溢れ、式符が数枚宙を舞う。
「『三尺秋水』『行雲流水』『水流鎖』」
水流が刀身を覆い、碧の皮膚を薄っすらと覆い、そして水流の鎖が俺の式神へと伸びた。
「シッ」
式神が刀を抜き去り、伸びる水流を斬り裂いて根本まで真っ二つにした。
「『清流霊屠』」
更に、そこへ駆け寄る碧の抜き放った式符から津波のような勢いの水流が溢れ出る。
「『十錬鉄打』!」
「シィィィィッ!!」
迫る津波と共に刀を振り上げる碧と、躍りかかる蛟。景武者はそれを冷静に捉え、刀を握り……
「シッ」
津波の如き水流を、一太刀で真っ二つに斬り裂いた。そのまま、奥まで突き抜けていく斬撃。
「ハァアアアアアッ!!」
だが、津波の背後から迫る碧は無傷だ。咄嗟に蛟が身を挺し、津波の後ろまで貫通した斬撃を防いだからだ。
振り下ろされる刀を景武者は見上げ、自分も刀を振り上げようとするが、間に合わない。碧の刀が武者の鎧を斬り裂いた。
「ッ、まだッ!」
斬られても倒れない式神に、碧はもう一度斬りかかる。この距離、この速度なら反応しきれない筈だと判断し……そして、碧の刀はあっさりと景武者の刀に受け流された。
「既に、見切った」
何食わぬ顔で人の言葉を話し、そう告げる景武者に碧は目を見開き、そして振り上げられた刀を見上げた。
「『水連弾』」
咄嗟に発動した術は、小さな数発の水弾は景武者の体に直撃するが、一切の傷を与えられなかった。
「既に、適応した」
「なッ」
そう、景武者の能力は適応だ。あの結界を解析して得た術を流用し、作り上げた式神。時間は少なかったので基本的なスペックはそこまでだが、能力だけなら中々に難攻不落だろう。
「御免」
武者の刀が、振り下ろされる。
「ギ、ィィィッ!」
「ぬ」
碧と武者の間に飛び込んで来たのは水の体を持つサイ。その大きな角を景武者の刀にぶつけ、防ごうとする。
「無為よ」
「ィィ、ッ……!」
だが、景武者の刀は一瞬だけ動きを止められただけでそのままサイの角を斬り裂き、首まで落としてしまった。その間に後ろに跳び退いていた碧は、何故か落ち着いたような様子で一枚の式符を懐から取り出した。
「『式神召喚』」
碧は最後の一枚である式神の式符を景武者へと突きつけるように出した。
「『水龍』」
式符から凄まじい勢いで水が溢れ出し、その水流は空中に巻き上げられて巨大な龍の形を成す。
「従って、水龍……」
その龍は、じろりと値踏みするように碧を見下ろす。対する碧は、既に多量の霊力を消費して最早動くことすら難しい程だろう。
「目の前の全てを、呑み込んで」
碧の言葉に、龍は笑ったように吐息を漏らす。
「グォォ」
龍の視線が、碧から俺達の方へと移った。そして、宙を舞いながら龍はこちらへと襲い掛かる。
「――――グォォォォォォッ!!」
それは正に激流。恐らくだが、今の碧では到底扱い切れないような式神。本来のポテンシャルではこの会場を丸ごと呑み込んでしまえるような、神に近い格を持つ存在。
「景武者」
だが、目の前に迫る今の水龍は碧の霊力によって使役される程度の存在。そして、その霊力も術自体も既に俺は見抜いている。俺の天式と接続された今の景武者ならば、あの激流すらも捉えることが出来る筈だ。
「御意」
迫る龍を目の前に、刀を鞘に納めたまま顔を伏せる景武者。
「グォォ――――」
「――――御免」
景武者の刀が鞘から抜かれる勢いのままに振り上げられる。その斬撃によって剥き出しの龍の牙は頭ごと斬り裂かれる。
そして、そこから流れるように両手で握られた刀が振り下ろされる。初撃によって頭を裂かれ、そして体全体に綻びが生じていた水の龍を、二の太刀が完全に斬り裂いた。
「グ、ォォ……」
地面に落ち、その身をただの水のようにぶちまけながら会場を水浸しにした後、龍は一滴も残さずに消滅した。
「そ、んな……伝承の水龍が、斬られた……?」
「一つアドバイスしておく」
俺は碧の方へと歩み寄り、その途中で景武者から刀を受け取った。
「アンタはもっと剣の才能を磨いた方が良い。色々考えすぎて、逆に鈍ってる部分があるからな。術を上手く使うことよりも、先ずはそっちだ」
俺は刀を碧の首筋に突きつけた。だが、碧が動こうとしている気配は無い。
「そうすれば、あの水龍よりは強くなれるぞ。少なくともな」
「本当、ですか……? 私が、水龍より……」
この自信の無さも勿体無いな。
「本当だ。最初の一撃が一番良かったからな。あの気迫と自信があれば、もっと強くなれる」
ハッキリ言って、一番焦ったのはあそこだ。初めからああすると決めていた故の、無心の一撃。アレは良かった。まだ若過ぎるくらいだからな。将来は御日に並ぶような良い剣士になれるだろう。
「……分かりました」
すくっと碧は姿勢を正し、刀を正眼に構える。俺も数歩離れ、刀を構えた。
「信じます。そして、今日を糧に精進させて貰います」
碧は残り少ない霊力を漲らせ、闘気と共に体に巡らせる。一秒だけ目を閉じた後、息を吐き出して碧は俺を見た。
「『掠水蓮』」
碧は俺の横を通り抜けるようにして刀を振るい、脇腹を斬り裂こうとした。だが、俺はその狙いを見抜いて刀で防いでいた。
「ぐっ……」
俺の背後で碧が崩れるように横に倒れた。擦れ違い様に峰打ちしていたからだ。
「悪くなかった」
俺はそう言い、ふと刀を見ると……その刀身には、一筋の傷が入っていた。
「……悪くない」
若い剣士の、若しくは陰陽師の将来を思い、俺は心中で笑みを浮かべた。




