呪い対策
殆どただ整地されただけの舞台の中心、向かい合うのはおかっぱの少女と若い男だ。若いと言っても子供のような年齢では無く、丁度成人した程度だ。
「よぉ……示出家の化け物」
「ふふ、不思議な呼び名ね。示出家のって言ったって……もう、あの家には私しか居ないのに」
「ッ」
少女の雰囲気に、男は圧倒されたように息を呑んだ。少女の名は示出杏、男の名は三支忠孝。半妖の少女と、彼女について老日に警告をした男だ。
「……お前の力は知っている。呪術だろう」
「えぇ、確かに得意よ」
呪術もまた霊術と同じく、陰陽道を主に構成する要素の一つだ。だが、呪術を主体とする陰陽師というのは少ない。それは、近年の陰陽師にとって呪術が忌避される風潮があるからだ。
「その対策はしてきている……この意味が、分かるか?」
それと同時に、呪術というのはそれ単体の対策が容易でもあるからだ。殆ど人に向けて使う為の力でありながら、陰陽道の発展と共に呪いへの対策というのは容易化していった。
呪いと言うのは不意を打てれば有効だが、そうでなければ極めて強力な呪いを用意しなければ呪術の対策を超えることは出来ない。
「ふふ、全然分からないわ」
「ッ! そうかよ。だったら、試してみるか?」
男はそのまま、直ぐに後ろの印まで下がった。少女もにこにこと笑みを浮かべながら後ろまで下がる。
「西! 三支忠孝! 東! 示出杏!」
向かい合い、合図を待つ二人。対策はしてきたと豪語する忠孝はその表情に緊張が走っており、反対に杏には緊張の一欠片も見えない。
「両者、用意……はじめッ!」
合図が下されると同時に式符を放り投げる忠孝。そのまま即座に印を結び、口を開いた。
「『我転呪凌陣』」
忠孝の背後に、その背を覆うようにして霊力の陣が現れる。緩やかに回転し続けるそれは、呪いを吸い込み自らの力に変える術だ。
「ふふ、それが用意してきた自慢の切り札かしら?」
「その余裕がいつまで持つか見物だな」
陣の展開を終えた忠孝はにやりと笑みを見せ、更に式符を三枚取り出した。
「少し、試してみようかしら」
式符を持つ忠孝に向けて、どす黒い小さな球体が放たれる。野球ボール程も無いそれは、忠孝に近付くと回転する陣に吸引されてしまう。
「ははッ、どうだ見たことか! この俺の術がッ、お前の呪力を呑み込んだぞ!」
「本当ね。凄いわ」
昂ったように言う忠孝を、杏は白々しい口振りで褒めて見せた。
「このまま蹂躙してやろう……!」
忠孝は手に握っていた式符を放り投げた。
「『式神召喚』『雲母水母』」
白い結晶で出来た巨大なクラゲのような物があらわれ、ふわりふわりと宙を舞う。
「『馬風狼』『油火』」
続けて馬のように高い脚を持つ大型の狼と、浮遊する炎が現れた。
「行くぞ」
「ふふ」
呪いを吸う為か先陣を切って杏の方へと走る忠孝。その様子を見て杏はくすりと笑い、手をぶらりと地面に垂らした。
「貴方に吸い切れるかしら……私の、呪い」
迫る忠孝。その手に握られていた式符が剣へと姿を変え、杏に向けて振り下ろされる。
「あは」
垂れていた杏の腕が凄まじい勢いで動き、剣を握る忠孝の腕を掴んだ。
「ッ!」
「ほら、受け止めて見せて……男なら甲斐性を見せないとでしょう?」
杏はもう片方の腕で忠孝の首を掴み上げ、そこから呪力を流し始めた。
「ぐッ、や、やめ……ッ」
忠孝の背後の陣が高速で回転する。その速度は時間が経つ毎に増していき、そして悲鳴を上げるような高音が陣から響き始める。
「ふふっ」
「がァァァッ!?」
遂に、流され続ける呪いに堪え兼ねた陣が音を立てて砕け、術が崩壊したことにより忠孝へと直に呪いが流れ込み始めた。
「オォオオオオオン!!」
「っと」
しかし、それと同時に飛び込んで来た馬のような脚を持つ狼の突撃を避ける為に、杏は忠孝の首から手を離すことになった。
「ぐッ、がはッ、ハァ、ハァ……ッ!」
忠孝に直接呪いが入り込んだのは一瞬だけだ。だが、それでも忠孝は膝を突き、血を吐きながらその苦痛と戦うことになった。
駆け巡る血が端から腐食していくような、臓腑が内側からかき回されるような、不快感。そして、それは精神まで侵食し、言葉では表しようのない苦痛に忠孝は悶えることしか出来ない。
「勘違いしているようだけど」
杏を囲む三体の式神。杏は微笑み、その手に……爪だけに、黒い呪力を通わせた。
「例え呪いが通じなくとも、私は貴方程度に負けることは無いわ」
狼が飛び掛かり、クラゲが硬い触手を伸ばし、炎が膨れ上がって襲い掛かる。しかし、既に杏の姿はそこにない。
狼の首が落ち、クラゲが真っ黒に染まって崩れ落ち、炎も同じく黒く消えた。
「どう? まだ苦しみたいかしら?」
式神達を一瞬で片付けた後、ストッとその場に立った杏は黒い爪を忠孝に突きつけて微笑んだ。
「ぃ、ぃや……降参……させて、くれ……頼む……」
「残念だけど、私にそれを断る権利は無いわ」
杏は忠孝に背を向け、審判の方を向いた。
「ッ、勝者! 示出杏ッ!」
焦ったように告げた審判。そこに勝敗が決し、地面に伏していた忠孝の姿は元の無傷へと戻った。だが、その身に刻まれた恐怖と苦痛まで忘れることは出来ずに居た。