勝負と見下ろす者
いつもと変わらない表情のままで試合を見ていた干炉の下に、得意げな顔をした男が一人やってきた。
「干炉、久し振りだな」
「……」
男の名は土御門善也。陰陽師の中で最も大きな権力を握る土御門家の嫡子である彼を相手に無視を決め込める人間は中々数少ないだろう。
「なぁ、聞こえてるか?」
「……」
尚も無視を続ける干炉に、直人は苦笑いしながら肩を叩いた。
「返事くらいしてやりなさい」
「……僕は言ったよね。下の名前で呼ぶなって」
「いや、でも、直人さんが居る前だから苗字で呼ぶとアレかなって」
「だったら、さん付けで呼んでくれるかな? 呼び捨てする理由は無いよね? 土御門さん」
睨み付ける干炉に怯んだような声を上げる善也。干炉は向けていた視線を直ぐに戻す。
「そ、それでさ、さっきの試合どうだった? 俺の弟子、中々やるだろ?」
「態々来たかと思ったら……自慢?」
「い、いや、お前の弟子も強かったから、楽しみだなぁって……ほら、どっちが勝つか、気になるだろ?」
善也の笑みに暗い感情が混ざるのを見て、干炉は溜息を吐いた。
「興味ない」
「なんだよ。まぁでも、確かに陽能はめっちゃ強いからな……」
ニヤニヤと笑いながら頷く善也。干炉は不快そうな表情で睨み付けた。
「何を勘違いしてるか知らないけど、勇が負ける訳無いじゃん」
「へぇ……そんなに強いのか? 勇って奴はさ」
「君よりね」
「ッ、面白いこと言うなぁ……じゃあ、ここは一つ賭けと行かないか?」
自分が望んだ通りの展開になっていることに満足しつつも、やっぱり老日に対する苛立ちが沸いている善也。その様子を、直人はただ若いなぁという様子で見ている。
「嫌だけど」
「何だよ、ビビってんのか? その、勇って奴が陽能に勝つ自信があるんだろ? だったら、断る理由も無い筈だけどな」
「めんどくさ……」
魂胆が見え透いている善也に、心底うんざりした様子で溜息を吐く蘆屋。しかし、同時に彼女のプライドは許さなかった。目の前の敵がにやけ面のままで自分の席に帰っていくことが。
「で、条件は?」
「負けた方が、勝った方の良いことを何でも一つ聞くって奴だよ。良くあるだろ?」
「良くある? 僕はそんな賭けしたことないけど……ま、良いよ」
仕方なしという態度を取りながらも、蘆屋は内心で笑みを浮かべていた。これを利用すれば、こいつが自分に絡んで来るのを辞めさせられるかも知れない。
「術でも契約しよう」
「良いな。そうしよう」
笑う善也と干炉。こうして見れば単なる友人にしか見えないんだが、と直人はまた苦笑を漏らした。
「少し良いかな? 流石に互いの家に大きな迷惑がかかるような命令は禁止させて貰うよ」
「分かってます。飽くまで、個人間での話なら良いですよね?」
「僕だって、秘術を盗んでやろうなんては思ってないよ。ただ、一つ丁度良い個人的な命令を思いついたってだけ」
善也と干炉。二人は視線を合わせ、ニヤリと笑う。
「言っとくけど、勝つのは俺だよ」
「あはは、僕の弟子が負ける訳ないじゃん!」
勝利を確信したように笑う二人。その様子を見て、直人は困ったように笑っていた。
♦
もう十試合に近付いた頃、宙を舞い舞台を見下ろす見えない鳥を一人の陰陽師が見つけた。それはこの大会の運営側である、白装束を着た男だ。実力としては中の上、こそこそと試合を覗き見る鳥を追い払うには申し分無い程の力を持っている筈だった。
「……あれ」
男は空を見上げながら眉を顰めた。それは、自慢の式神が空中で撃退されたからだ。
「どうしたものか」
男は長い息を吐き出し、それから所謂上司のところへと向かった。
上司を探すのは運営側で繋がっている無線のような術を利用することで簡単に終わった。上司は観客席の下に作られた特別な部屋の中に居り、賓客もそこに居るらしい。
「入ってよろしいですか」
扉を叩くと、少ししてから返事が返ってきた。
「失礼します」
そこに居られる賓客の存在を知っている男はいつもよりも丁寧に扉を開け、丁寧に部屋に入り、ついでに片膝を突いた。
「立て。要件を聞かせろ」
「はっ」
男は立ち上がりながらも、ちらりと豪華な椅子に座る者の姿を見た。他にも立場を持っていそうな者は居たが、視線はそこに吸い寄せられた。
「ッ」
男は思わず息を呑み、咄嗟に視線を逸らした。そこには、神々しさすら感じる程に美しい女が座っていた。あの椅子が無くとも、自分はきっとその女が賓客であると分かっていただろうと男は思った。
「どうした、要件を言え」
「それが……」
男は女や他の客、その護衛達には聞こえないよう、上司にだけ聞こえる声で伝えた。
「なるほどな。確かに、禁じられている行為と断じられる者では無いが、それが誰のモノであるかも分からぬ以上、放っておく訳にもいかぬな」
「はい。それに、私の式神も倒されました」
「……何? お前のと言うと、あの鴉か」
こくりと男は肯定する。
「アレが負けたのか。しかも、隠密特化の式神相手に」
「如何にもその通りです」
ふむ、と上司は……倉橋功春は頷いた。
「私が対処しよう」
「すみません、お願いします……」
挨拶だけを済ませて部屋をそそくさと去って行った功春に、これでどうにかなったと一息吐いて男も部屋を去った。