ニャルラトホテプ
限界を迎えたように、アザトースを閉じ込めていた異次元空間が崩壊する。一瞬にして宇宙の一部となったその場所で、俺は息を吐き出した。
「終わったな」
『うん。勝ったね』
凄まじい敵だったが、聖剣の力を以ってすれば苦戦することは無かった。
「悪い、結局またアンタに頼ることになった」
『あはは、良いんだよ別に。逆に、僕を起こさずに世界が滅びるなんてことが起きたら、その時は僕も怒るけどね』
俺の千倍は優しい心を持ってるんだろうな、こいつは。
「アンタが許しても、俺が納得出来ない。そうだな……日本に帰ったら、鍛え直すことにする」
『気にしなくて良いんだけどなぁ……勇は優しいね』
「アンタには遠く及ばないがな」
『あはは、僕は皆が楽しそうに笑ってたり、幸せにしてるのが好きなだけだよ』
それが優しさってもんじゃないのか。そうじゃないなら、本当の意味の優しさなんて何処にも存在出来ない。
「――――老日勇、ありがとう」
姿を現したのは、人間離れしている程に美しい女。ニャルラトホテプだ。
「本当にありがとう。君のお陰で、私は救われた……本当に、ありがとう」
「別に良い。何度も言ったが、俺の為にやったことだからな」
零れる涙。それが本当か嘘かは俺の目を持っても見抜けない。
「それでも、私が君を巻き込み、こうしてアザトースと戦うように仕向けたのは事実だ。礼をさせてくれ、老日勇……何でもしよう。君が望むことを」
『あはは、世界の半分でも貰ったらどうかな?』
俺は聖剣をこつんと叩いた。
「感謝は受け取るが、礼は要らん」
「何でも用意するよ。君の望むものを」
ニャルラトホテプの言葉に、俺は首を振った。
「要らん」
ニャルラトホテプは一瞬考える素振りを見せた後に、視線を戻した。
「私は間接的にとは言え、沢山の人を殺したよ」
微笑みと共にニャルラトホテプは言った。
「償う必要があるとは思わないか?」
「それを決めるのは俺じゃない」
死んだ奴に聞いて決めれば良い。冗談でも無く、こいつならそれくらいは出来るだろう。
「……取り付く島も無いとはこのことだね」
「出来る限りアンタと関わりたくないってのが俺の本音だ」
永遠にアザトースの子守をさせられてたってのは同情できる話だが、それはそれとしてこいつは確実に厄介だ。礼も償いも受け取りたくない。
「くふふ、酷いなぁ……私は、君にこんなにも尽くしたいと思っていると言うのに」
「俺を本気で思うなら、感謝の念だけに留めといてくれ」
俺の言葉に、ニャルラトホテプは一瞬溜めた息を吐いた。
「……分かったよ。そう言われてしまえば、私も引くしかないね」
「悪いな。諦めてくれ」
ニャルラトホテプは意外にも素直に頷いた。
「代わりに、偶に会いに行くさ。友として訪ねるくらいは良いだろう?」
「友になった覚えは無いが……まぁ、極稀にならな」
しょっちゅうこいつが家に来たら流石に落ち着かない。一年に一回くらいのペースなら俺も耐えられるだろう。
『もし償いたかったら、同じだけの人を助けることだね。月並みなやり方だけど、それが一番だと僕は思う』
「……君は?」
突如聞こえて来た声に、ニャルラトホテプは面食らったような顔をした。
『ん、僕は聖剣に憑いてる魂みたいなもんだよ。勇とは一心同体、苦楽を共にしてきた仲だね』
「こいつは元勇者だ。というか、初代勇者だな」
「中々、奇妙な存在のようだね……」
ニャルラトホテプはしげしげと聖剣を観察した後、背筋を伸ばした。
「分かったよ。君が望むなら、そうするとしよう」
「俺が望んだわけじゃないが」
「くふふ、君達は一心同体なんだろう? その片割れが望んだことは、君が望んだことと同じじゃないのかな?」
「一心同体はこいつが勝手に言ってるだけだ。だが、まぁ……償わないよりは、償った方が良いかもな」
邪神としての精神と魂を持つこいつは、根本的な思想が人間とは違う。それは話していてひしひしと伝わってくるところだ。だが、こいつが反省するにしろしないにしろ、この世の誰かが救われるというならばその方が良いだろう。
「さて、そろそろ俺は地球に帰るぞ」
「あぁ、もうお別れか……残念だが、分かったよ。私が送ってあげよう」
俺は頷き、聖剣を見た。
「じゃあ、ウィル。今度はもう起こさない」
『あはは、死ぬまでに一回は起こして欲しいな。その時くらいは話しておきたいし』
そうだな。死ぬ時に隣に居るのがウィルっていうのは、しっくりくる。