白痴の魔王
意識を肉体に戻し、俺は周囲を見回した。どうやら完全に守られていたらしい。
「さて」
ニャルラトホテプがこちらに微笑んで消える。邪神は未だに数百体と控えている。アザトースが何もしない以上、こいつらから片付けるのが得策だろう。
「『夜天の果て、煌めき輝く龍の群れ』」
「『星々を砕き、宙の火に焼べる』」
「『最後の煌めき、流れる輝き』」
宙を舞う武器達に触手の迎撃を任せ、俺は詠唱に集中する。
「『波立つ雲を突き破り、燃ゆる炎が空を焼く』」
「『焦げる大地、溶ける世界で手を合わせ』」
神力を消費しながらも触手を捌いている中、三方向から巨大な光線が迫る。俺は転移によってその場から逃れた。
「『願い事は、何もかも無くすこと』」
神転門を通さない以上、邪神相手にどれだけの効果があるかは分からないが……
「『龍星群』」
こいつらはシュブ・ニグラスよりは脆そうだからな。何とかなるだろう。
「落ちろ」
彼方から、黒い岩石のような体の龍が群れを成して現れる。完全発動のこの魔術は、単純な威力では地球どころか太陽系全てを食い散らかせるだろう。
「食らい尽くせ」
一体一体が月のように大きいそれらは、千体近い群れで邪神達に襲い掛かる。次々と砕かれて行く龍達だが、その半分程は邪神に食らいついている。
「『風の流れ、熱の在るまま、流動する影の如く』」
龍達に絡まれ、俺に構う暇が無くなった邪神達。俺は神殺しの剣を鞘に納め、宇宙を踏みしめて居合のように構えた。
「『時の影』」
この広大な異次元空間に存在する邪神達の全てを捉えた俺は、鞘から剣を抜き放つ。軌跡のように黒い影が後を追う。
「『空凌剣』」
振るわれる刃が柄を残して消え去るが、俺は構わず剣を振り抜いた。後を追う影からも、刃は消える。
「半分か」
邪神の半分が、神殺しの力によって消滅した。消えた刃は、一瞬だけ邪神の元に直接現れてその体を斬り裂いていたのだ。影も同じように別の邪神を斬り裂き、一振りで邪神の半数が消し飛んだ。
「もう一回だな」
俺は剣を鞘に納め直し、残った邪神達を捉え……
「ッ」
突如、全てが消し飛んだ。
「――――不快、だ」
咄嗟に神力で障壁を作り上げた俺以外の、全ての邪神が、黒い龍達も全て、消し飛んだ。
「騒々しい……だけの……役立たず共め……」
唸るように言葉を囀るアザトース。そこで俺は理解した。こいつは、さっきまで起きてなど居なかったのだ。ただ、微睡んでいただけ。
「貴様も……不快、だ」
無数の目が、俺を見る。
「そうだ……全て、消し飛ばし……無に帰してやる」
感じる神力。それは、さっきまで相対していた邪神達の比では無い。文字通り、足元にも及んでいない。
「この、穢れた世界をな」
クトゥルフを倒した時は正直、この程度かと思っていたが……
「……無理だな、これは」
神力の障壁を解除すると同時に、破滅の力が俺を呑み込んだ。
♦
アザトースから溢れる破滅の力は、私には大した効果を発揮しない。私は唯一、アザトースにより直接生み出された自我のある神性だからだ。
「駄目、だったね」
切り札を隠しているような雰囲気はあったけれど、それが切られることも無く、老日勇は破滅の力に呑み込まれ……消えた。
「肉体も、精神も、魂も……消えちゃったね」
完全消滅、だ。もう、復活の見込みも無いだろう。
「残念……あぁ、どうしようかな」
私の賭けは失敗したらしい。きっと、今からアザトースが全てを滅ぼすだろう。この白痴の神は、私が老日勇の手を引いていたことも知らず、私を連れて虚無の中で眠るだろう。そうしていつか、私も滅されるだろう。
「く、ふふ……終わり、か……」
全てが、虚無に消える。アザトースは、いつか自分自身をも消し去るだろう。アザトースを封印する為の異次元空間が綻んでいくのを見て、私は諦観の笑みを浮かべ……
「――――悪い、ウィル」
混沌の宇宙の中心に、銀色の刃が突き刺さった。
「世界の危機らしい」
何の装飾も無い無骨な銀の剣、それを手に取った男は……老日勇だった。