深淵へ
ニャルラトホテプは頷いた後、更に話を続ける。
「とはいえ、これは本当に取りたくない手段だ。アザトースが目を覚ませば、この地球どころか宇宙そのものが脅かされることになる。そのまま別の世界に現れて、全てを無に帰す可能性だってある訳だ。そうなれば、もう混沌はどこにもない。私の存在すら消えてなくなっているかも知れない」
ニャルラトホテプは言葉を区切ると、力を抜くようにふっと穏やかな雰囲気を出して続ける。
「……それに、私にも大事な友の一人や二人は居る。彼女達が消えてしまうのは、流石に忍びないよ」
こいつの話のどこまでが本当なのかは分からないが、大本の目的に関しては信憑性がある。アザトースを眠らせているのはニャルラトホテプだという話は、文献にもあったからだ。
「だから、老日勇……君が、私を救ってくれないかな?」
「……そういう話になってくるのか」
今のところ、単純な道筋が一つ立ってはいるな。
「君は、凄いよ。私もね、少し興奮しているんだ。君は間違いなく、今まで地球に現れたどの英雄よりも強い。マイノグーラをあの世界の中で倒して、シュブ=ニグラスも退ける……それも、単身で」
少しずつ、ニャルラトホテプの口調が速くなる。
「凄いよ、凄いんだこれは。人でありながら、本気も出さずに邪神を圧倒できる存在なんて……私は他に見たことが無い!」
ヒートアップしたようにまくし立てるニャルラトホテプ。
「異世界を救った勇者ッ、邪神を殺した勇者だ! 君は! だからッ、君ならアザトースにも勝てるかも知れないッ! この世界の神々の代わりに、君が殺してくれ! 邪神の王をッ!」
ニャルラトホテプは息を整えると、両手を広げて俺を見た。
「お願いだ、老日勇……どうか、私を救ってくれよ」
選択の時だな。
「……言っとくが、俺はアンタを救う訳じゃない」
俺は一歩、ニャルラトホテプへと近付いた。
「地球を存続させて、俺が日本で暮らす為に……つまり、仕方なくだ」
一歩、また一歩。ニャルラトホテプは何も言わずにこちらを見ている。
「仕方なく、その邪神を……俺が殺してやる」
ニャルラトホテプに手を伸ばすと、後ろから暴風が吹きあがった。
「ッ、無理だッ!!」
「頼むから、黙っていてくれ」
ニャルラトホテプへと飛び掛かったハスターの姿が、ねじ切れるように消滅した。
「ありがとう、老日勇」
黒い影は俺の手を取り、あの日見た深淵へと誘った。
♦
アブホース。それは、無尽蔵に仔を産み出しては喰らい、また産み出し続ける穢れた永久機関のような邪神だ。
アメリカの各地に開いた次元の穴の中から、その仔達が溢れ出していく。
「師匠……どうする?」
「ふむ」
濁流の如く溢れ出した不定形な灰色の怪物達。黒き海によってその入り口である次元の穴を塞いだ瑠奈は、自らの師であるアステラスに問いかけた。
「一体一体は大した強さも無いようだな」
既に溢れ出していた怪物達は、アステラスの夜の中で虹色の星々に蹂躙されて消えていく。
『こちら、復帰しました。ステラです』
状況を確かめていた段階の二人に、怜悧そうな声が届く。
『現状を報告します。ルルイエに現れたシュブ=ニグラスと同格程度と見られる神性、アブホースが出現しました。現在は別次元に潜みながら眷属たる落とし子をアメリカ各地に開かれたゲートから放流しています。その数はとめどなく、濁流のようにアメリカに広がり続けています。そのスピードから考えるに、根本的な原因を解決する……つまり、各地に開いた次元の穴を全て塞ぐか、別次元へと乗り込んでアブホースを倒すしかありません』
黙ってステラの報告を聞いていた二人は、顔を合わせて頷いた。
『了解。吾輩はいつでも突入可能である』
『瑠奈も!』
『吾もゲートは見つけたぞ』
『玉藻様! 私も突入の際は御一緒致します!』
『拙者は他の神性と交戦中でござる。アブホースの落とし子にも囲まれておるでござる故、暫し手は離せんでござる』
『俺も行けるぞ! やっと面倒な敵を滅却したところだ! ……いや、よく考えればまだゲートとやらを見つけていないな!』
『僕も行けるよ。ただ、手の空いてる人が一人は残っておいた方が良いかもね』
『そうか。そういうことならば俺が残ろう! 広範囲を守るということならば、実際俺が一番向いているだろう!』
元々のメンバーである八人の中で老日のみは何も答えなかったが、誰も心配する者は居なかった。
『私達も修復した砲台を用いてアメリカ全体を支援します。私達と天明さんは連携してことに当たりましょう』
『了解だ。大抵のことは俺に任せておけ!』
『取り敢えず、ゲートの向こう側の様子は僕が先に入って調べるよ。入っても即死しなそうなら皆も一斉に入って来て欲しい』
『了解じゃ』
『はーい!』
外なる神々との戦いは、更に激化しようとしていた。