湖に潜むもの
湖側に転移した天明。いつの間にか最初の三倍以上に増えている触手は、明確な殺意を持って天明を追い詰めようとする。
「『御門結界』」
空から怪物を見下ろす天明は自身を守るように複雑な結界を展開した。その瞬間に到達し、結界をガリガリと削り取る触手の鎌。
「なッ!?」
しかし、その結界は一秒と経たずに破壊された。怪物はここに賭け、己の神力の全てを投じて結界を破壊したのだ。鎌の生えた触手は中で呪文を唱えていた天明の首を転移するよりも先に刈り取った。
「『御厳、速日。神血熔剣』」
空の上から、巨大なマグマのような剣が燃えながら降って来る。それをより上空から見下ろすのは、首を刈り取られた筈の天明だ。
「学習し、耐性を持つ怪物の相手をする上で最も大事なことは一つ」
神性を帯びた巨剣が、卵を殻の無い天辺から貫いた。卵は潰れるように粉々に割れ、その亀裂から炎を噴き出させて完全に溶け落ちた。
「初見殺しだ!」
幻術によって自らを死んだように見せかけた天明は、卵のような怪物に完全に勝利した。満足気な笑みを浮かべる天明は、突き刺さった剣によって蒸発し続ける湖を見下ろす。
「さて……残るは、大本だな?」
怪物達がやって来ている先を見つけた天明は、湖の中に飛び込んだ。
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その怪物は、イギリスに潜んでいた。湖を通じての転移が可能な怪物はイギリスからアメリカへと侵攻をかけていたのだ。
「ぬっふふ……いやぁ、弱いねぇ?」
その怪物は、州二つを壊滅させ、そして今挑みかかってきたイギリスの討伐隊すらも叩き潰そうとしていた。
「ほーら、届いてすらいないよ? やる気なくしちゃったかなぁ?」
それは、宙を舞う巨大なナメクジ。背から金属の棘をびっしりと生やしている。名はグラーキ、アンデッドを生み出して支配する邪神の一柱だ。
相対するはハンターや魔術士、軍人等からなる混成部隊。イングランド南西部に位置するグロスタシャ―周辺から急遽結成された討伐隊だ。
「ちっくしょう……もう、体が動かねぇ」
「け、剣聖は……アーサー様は来ないのか!?」
「……剣聖は甚大な被害が出るまで動かないという噂を聞いたことがある」
集まった討伐隊は、グラーキのフィールドである湖の周りで戦わされる中で、少しずつ戦力を失っていく。
「そろそろ、追加と行こうかなぁ? ぬふふっ!」
「不味い……また湖から湧いて出るぞ!」
「『悲しみを溶かす涙は、斬り裂く青き刃となれ』」
湖から大量のゾンビ達が這い上がり、討伐隊へと向かって行く。現れ続けるそれらは、数の限りなど無いようにも見える。
「『悲哀の涙刃』」
「ぬっふふ、残念!」
青いローブを纏った魔術士の放った渾身の一撃。青い水の刃は宙に浮かんでいたグラーキを追尾して斬り裂こうとするが、グラーキは湖の中に沈むと、どこかへと消え去った。標的を失った刃は湖に溶けて消えてしまう。
「全ての湖を行き来出来る僕に、魔術なんて当てられる訳無いじゃんか~? ホント、雑魚いね~?」
「ッ、アイツ……!」
グラーキの権能に翻弄され、青いローブの女は杖を強く握り締めて睨む。その足元が泥のように沈み、膝辺りまで浸かったかと思えばコンクリートのように硬くなる。
「不味い、動けない……」
魔術士は杖に魔力を籠め、先端で思い切り叩いて固まった地面を砕く。しかし、その時には既に味方は後ろまで下がっており、魔術士はゾンビ達に囲まれてしまっていた。
「ッ、数が……」
魔術士は杖を胸の前で立てて祈るように魔力を流し、杖に取り付けられた青い宝珠に額を当てた。
「『流水球』」
彼女を覆うように水流が発生し、それは球体の形を取った。障壁としての役割を持つそれは、彼女に襲い掛かろうとしたゾンビ達をその水流によって吹き飛ばす。
「これで、耐えれ……ッ!?」
現れた巨大なゾンビがその大腕を振り下ろすと、流水の球体は一撃で弾け飛んだ。彼女は即座に杖を構え、斜め下から振り上げるようにしながら呪文を唱える。
「『水流の杖』」
杖を覆うように水流が流れ、それは拡張されて二メートル程の巨大な水の杖となった。袈裟懸けに振り上げられるそれは、幾つもの死体が集まって出来た巨大なゾンビを一撃で吹き飛ばした。
「取り敢えず、皆のとこに……ぁれ」
周囲を見回す魔術士。しかし、残酷にもそこに広がっていた光景は……一人残らず、グラーキのゾンビに変えられた討伐隊の姿だった。
「ぬっふふ、気付いちゃったぁ? キミ、一人しか居ないよォ~?」
「……嘘」
魔術士は絶望したように膝を突き、空白と化した思考の中に現実を逃避する言葉だけを浮かばせた。
「そんな、訳……だって、セカンドクラスのメンバーが何人も居たのに」
イギリスではハンターも魔術士も大本では一つの組織の中で管理される。それらは部門別にランク分けされるが、セカンドクラスはその名の通り上から二番目を意味する階級だ。
当然、そこには国の中でも精鋭が集まっており、そう簡単にやられるような面子では無い筈だ。いや、筈だった。
「ぬっふふ、馬鹿だなぁ……二番目なんかで、神に勝てる訳無いじゃぁないか~?」
「ッ!」
グラーキが宙を泳ぐように魔術士に近寄り、三本の茎状組織の先端に付いた目が一斉にぎょろりと魔術士を見る。
「絶望したぁ~? 今、どんな気持ちィ~? まぁ、そんな訳でさぁ……死んで、この僕の奴隷になれよぉ~?」
背中を覆っている金属の棘の一つが触手のように伸びて、動けもしない魔術士の首筋に迫る。
「――――いやぁ、参ったな!」
触手が斬り落とされ、魔術士の前に一人の男が立ち現れる。
「まさか、九割九分九厘手遅れの状況とは……兵は神速を貴ぶとは言うが、中々身に染みるな!」
「こっちこそ、まさかだよ……まさか、ヘーアを下して来るなんてさぁ!」
グラーキの背から生える金属の棘達が、天明を刺し殺そうと触手のように伸びる。