シュブ=ニグラス
あちこちに目や口などの器官が付いている、生物的な黒い雲……ルルイエの上空を殆ど埋め尽くすそれは、シュブ=ニグラスだ。本体の攻撃性は低いが、代わりに大量の仔を産み出して戦わせることが出来る。
「先ず、これから試すか」
「仔山羊共は任せておけ」
老日は指先をシュブ=ニグラスに向け、そこに押し寄せて来る黒い怪物達を風が吹き飛ばした。
「『肉体の否定、精神の否定、魂の否定』」
『魔術かな? 何をしてくるのかな?』
どこか楽し気に言うシュブ=ニグラス。老日は返事代わりに、魔術を完成させた。
「『存在の破壊』」
シュブ=ニグラスの肉体、精神。そして魂に干渉する魔術が発動するが、シュブ=ニグラスは特に堪えた様子も無い。
「……察してはいたが、こういうのじゃ死なないよな」
老日は溜息を吐き、剣を持ち上げた。
「直接行くか」
老日の姿が消え、シュブ=ニグラスの上に現れる。
『うわっ、いきなり――――ッ!』
老日はシュブ=ニグラスの上に立ち、剣を振るった。発生した斬撃は一瞬にしてシュブ=ニグラスの黒い体に巨大な傷痕を付け、凄まじい熱量と闘気によって赤い熱気を立ち昇らせた。
『い、いった……』
「闘気、魔力、神力。全部試してやる」
老日はシュブ=ニグラスの背を踏みつけて跳躍し、空中で剣を振るい続ける。
『うぎゃッ!? いだッ、いだだだだッ!!?』
一秒間に数千発の斬撃が放たれ、それらは全てがシュブ=ニグラスの体に巨大な傷を付ける。
「神力で付けた傷は治せない、か」
『そもそも、何で人間が神力なんて使えるの!?』
殆どの傷は一瞬にして治っていくが、神力を混ぜた斬撃だけは治りが遅い。
『もう、怒ったからねッ!!』
シュブ=ニグラスの背が蠢き、翅の生えた人型の怪物が無数に生み出されていく。猫背で腕が鎌になったそれは、カマキリと人を混ぜたようだが、その姿は殆ど漆黒に染まっている。
「想像より速いな」
それらは音速を超えて飛行し、老日に迫り鎌を振り回す。老日はその鎌を必要最低限の動作で避けながら、全体を見回した。
「とは言え、足りないな」
生み出され続ける数万体の蟷螂人間、老日は一度それらを掃除するべく剣を振るった。
「『無閃』」
一度の斬撃が、数万体の蟷螂人間達を一匹残らず消し飛ばした。
『えぇ……なにそれ』
「『神のみぞ知る、神の御業』」
老日は直ぐに詠唱を始め、更に上へと昇っていく。
「『現れるは祝福の門。魔を清めし聖別の門』」
『あっ、逃がさないよ!』
老日を囲むように黒い箱が現れるが、輝く斬撃がそれを破壊し、老日は中から現れる。
「『我らは門の中を知らず、門の先に触れず』」
『むぅ、これはどうかな!』
シュブ=ニグラスの体のあちこちが大きく盛り上がり、何体もの巨大な黒い竜が空に向けて飛び立って行く。
「『ただ、門の中に水を一滴零すのみ』」
『ほら、止まってッ!!』
シュブ=ニグラスの全身からグロテスクな漆黒の腕が伸び、竜と共に老日に向かって行く。しかし老日はどこまでも空に逃れ、遂に魔術を完成させた。
「『神転門』」
老日の頭上、大気圏よりも上のその場所に巨大な金色の門が開いた。下向きに開いた円形のゲートは美しく装飾され、神聖な光を放っている。
老日はその門に軽く手で触れると、神力を流し込んだ。
「コイツは、実戦じゃあんまり使えない類なんだがな」
老日は上昇を止め、殆ど宇宙と言えるその場所で迫り来る竜と黒い腕に向かって剣を振るった。斬撃は真っ直ぐに向かってくるそれらに確かに命中する。
「竜の方はタフだな」
腕は数が多いだけで簡単に消し飛ばされたが、竜達は体に傷を負いつつもまだ老日に向かって行く。
「『空凌剣』」
老日が剣を振るうと、その刃が消え、竜の首元に現れて斬り落とし、直後に別の竜の首元に現れて斬り落とし……老日は離れた場所から、直接全ての竜の首を斬り落とした。
「片付いたな」
老日は空を見下ろし、巨大な門の下で再度魔術を唱え始めた。
「『夜天の果て、煌めき輝く龍の群れ』」
それは、ニオス・コルガイとの戦闘でも使用した魔術。
「『星々を砕き、宙の火に焼べる』」
宇宙の果てが、キラリと光る。押し寄せるような轟音が響く。
「『最後の煌めき、流れる輝き』」
あの時よりも強力な詠唱。より込められた魔力。
「『龍星群』」
宇宙の彼方から、黒い岩石のような体の巨大な龍が群れを成して現れた。
「落ちろ」
それらは黄金の門を通り、全身に黄金色の輝きを帯びてから大気圏に突入し、炎を纏ってキラキラと輝いて落ちていく。
『な、何これッ!? こんなの、人間の魔術じゃ……!?』
龍達は巨大なシュブ=ニグラスの体に直撃し、隕石のような爆発を巻き起こす。神転門によって神力と神聖さを帯びたそれらによって付けられた傷はシュブ=ニグラスでも即座に治すことは出来ない。
『がッ、ぐふッ、うォッ!? し、死ぬッ、死んじゃうってッ!!』
龍の群れは、ルルイエを覆い尽くす程に巨大なシュブ=ニグラスの体をどんどんと削り取り、吹き飛ばしていく。見る見るうちにシュブ=ニグラスはボロボロになり、その体積が減っていく。
『ぐぉッ!? や、やべっ! た、退散ッ、退散しま~すッ!』
十秒と経たずに体の半分以上を削り取られたシュブ=ニグラス。残った肉体が突如開いた次元の穴に吸い込まれるようにして消え去った。門にして鍵と似た雰囲気のあるその穴は直ぐに閉まったが、最後の瞬間にそこから巨大な目玉が見えた。
「……勝ったってことで、良いよな?」
老日は転移によってハスターの隣に降り立ち、そう尋ねた。