産み落とす者
老日は空に浮かび上がった巨大な闇を見上げ、どこか呆れたように目を細めた。
「こいつは……どうなるんだ?」
『決まっているッ、お前を殺すのだッ!!』
空に浮かぶ闇が蠢き、そこから大量の地獄の猟犬達が絶え間なく産み落とされていく。
「何と言うか、気持ち悪いな」
老日は下を向いていた剣を僅かに持ち上げ、産み落とされては直ぐに地面まで転移する狼達を睨み付けた。
『さぁ、どうするのかしら? このまま食い尽くされて終わり?』
「まぁ、そうだな……大体、この空間の把握も終わった所だ」
老日を囲む狼達、四方八方から飛び掛かるそれらを老日は目を向けることすら無く躱していく。
「つまるところ、アンタの殺し方も把握した訳だ」
『ッ!』
老日の体から、魔力が薄く広がっていく。光の如き速度で行き渡っていく魔力は、無限にも思えるような闇の世界を一瞬にして埋め尽くした。
「空に浮かぶ闇はダミーだ。見せかけでしかない。アンタの本当の所在は……この世界そのものだ」
『気付いたならば、取り繕う必要も無いなッッ!!!』
老日の居る場所、その空間そのものが裏返るように口の中に呑まれた。
「もう遅い」
球状の異次元的な口に光り輝く斬撃が発生し、そこから老日が現れる。
「『闇払いの光』」
『や、やめッ!?』
闇の世界全体に拡散した魔力を回路代わりに、光が埋め尽くす。
『ァアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!?』
一部分も残すことなく闇を塗り潰した光。どこにも存在することが出来なくなったマイノグーラは、闇の世界と共に消滅した。
「こういう、攻略法があるタイプの敵は楽で良いな」
こんな攻略は膨大な魔力を持つ老日でなければ不可能なゴリ押しでしかないが、光と共に元の世界に帰っていく老日にそれを伝える者は居ない。
「……さて」
老日はルルイエに降り立ち、周囲を見渡した。そこにはボロボロになったハスターとその眷属達、そして大量のニャルラトホテプの化身達の死体、それらを貪り、ハスター達を取り囲む樹木のような怪物達。最後に、それらを見下ろす凄まじい巨大さの黒い雲が浮かんでいた。
『あははっ、流石は私の夫だね! 化身でここまで耐えるなんて凄い!』
「断じて夫になった覚えは無い……!」
その黒い雲はぱっと見ただけでは端も見えない程に巨大で、良く見れば生物的で脈動する肉塊のようだ。
『えぇ? 私の仔とこんなに遊んでくれてるのに?』
「殺しを遊びと言い張る趣味は無い」
その黒い雲から、ボトボトと怪物達が産み落とされた。地上に居るものと同じそれらは、樹木のような黒い体で、蹄の生えた足で歩く巨大な生物だ。
「クトゥルフ神話の女神はこういうタイプしか居ないのか?」
狼を大量に産み落としていたマイノグーラを想起した老日は、若干引いたように言う。それに気付いたハスターは凄まじい勢いで振り返った。
「ッ、老日勇……帰って来たか!」
「随分、嬉しそうだな」
ハスターは風となって消え、俺の前に現れた。
「元はと言えば、お前達の願いでここまで戦っているんだぞ俺はッ! 本来はクトゥルフを倒して終わりだった筈のところを……いや、今更そんなことは良い。既に俺達は限界が近い。化身を消費するだけの俺は兎も角、イタクァやロイガー達は本体だ。ここで死なせる訳にもいかない」
『いやいや、イタクァちゃん達を殺す気は無いよ?』
今も樹木のような怪物達と戦っているイタクァ達を見て、ハスターは黒い雲を睨み付けた。
「何を言っている? 今も戦っているようにしか見えんぞ?」
『あはは、だって君が大事にしてるその仔達は私とハスター君の間に生まれた子供でしょ? コテンパンに虐めちゃいはするけど、殺したりはしないよ~?』
「ッ! 黙れッ、シュブ=ニグラス! 俺はまだあの時の屈辱を忘れては居ない! それに、子は殺さないと言うのであればこの仔山羊共を無駄死にさせているのはどういうつもりだ?」
『別に、私の手で殺してる訳じゃないし……それに、この子達はイタクァちゃん達と違って恋愛対象外だし?』
大量に産み落とされている樹木のような怪物……仔山羊と呼ばれたそれはシュブ=ニグラスにとっては大した興味も無い存在であるらしい。
『それと……そろそろ、そこの子の話聞いても良い!? 凄い、私の生殖センサーがびんびん来ちゃってるよッ!』
「普通にセクハラだろ」
老日は黒い雲を睨み付け、吐き捨てた。
『まぁまぁ、そう言わずに……ほら、この手を掴んで? 上まで連れてって上げるよ? 天にも昇る気分的な意味でね!?』
黒い雲は蠢き、無数の目や生物的な器官が無造作に取り付けられたグロテスクな腕を老日に向けて垂らす。
「やかましいな、こいつ……倒して良いんだよな?」
「あぁ、頼むから滅してくれ。アイツは死ぬ程タフだが、大した攻撃能力は無い。代わりに、大量の子供を生み出すだけだ」
なるほどな、と老日は一つ頷いた。
「雑魚が増えるだけなら大した問題は無いな。そいつらは逃がしても良い」
「頼むぞ」
ハスターは頷き、風と共に眷属達を帰した。老日はシュブ=ニグラスを観察するように見上げた。
「……デカいな」
『でしょ? 結局、男も女も大きい方が好きだからさッ!』
老日は端の見えないシュブ=ニグラスの全体像を把握し、眉を顰めた。その大きさは1000kmを超えており、ルルイエの空を覆い尽くす程の大きさだ。
「まぁ、行けるか」
『ほぉ~、自信ありって感じ? でも、それは私だって同じだよ! 君となら絶対強い仔を産んで見せるから!』
「悪いが、俺は体の五十パーセントくらいは人型じゃないと受け入れられないんだ」
『あ、人型ならオッケーってことね!?』
老日の前に垂らされていたグロテスクな腕の先端が膨れ上がり、その腕に繋がったまま可憐な少女に変化した。
「言い忘れていたが、価値観の違う奴もNGだ」
老日は腕にぶらさがったまま微笑んでいた少女を斬り裂き、地面にぶちまけられた黒い肉塊を冷たく見下ろした。