アトゥ
折れた巨木に稲妻が突き刺さり、全身に電撃が走る。
「くッ、これ、は……」
制御を失ったように不規則に動く黄金の巻き枝。カラスは不敵な笑みを浮かべ、アトゥに指先を向けた。
「もう逃がさねぇ」
アトゥが根を張る地面に影が溶け込み、漆黒に染まり、そこから溢れ出した影がアトゥを覆い尽くした。
「『闇蝕呑影』」
「ッ、そんな力――――」
折れた巨木を覆い尽くした影は、そのままアトゥを呑み込んで消し去った。
「カァ、切り札ってのは最後の最後まで隠しとくもんだぜ?」
ショゴスを相手にこの技を使っていなかったカラスは、より厄介なニャルラトホテプを確実に仕留められるこの瞬間をただ待っていたのだ。
「さて、後は……」
漆黒の龍とメイアが施設から引き離すように戦っているショゴス。カラスがそちらに顔を向け、歩き出そうとした瞬間……天から光の柱が立ち、巨大な肉体を持つショゴスを呑み込んだ。
「何だ、終わりかよ」
光の柱は念入りに何度も降り注ぎ、やがてショゴスを消滅させた。実のところ、何体ものショゴスの集合体であった特別個体のそれだが、不死身の如き生命力にも限度はあったらしい。
「凄いじゃない。アレ、一人で倒したの?」
消し飛ばされたショゴスの跡をボーっと見ていたカラスの隣にメイアが現れ、カラスの顔を覗き込んだ。
「倒すだけの難易度なら、あの怪物よりは低かったと思うぜ? それこそ、メイアでもステラでも倒せてた可能性はあったしな」
「そうかしら? しぶとい奴を殺すのが一番得意なのは貴方でしょう?」
「まぁ、代わりに一番しぶといのはオマエだろ?」
カラスは笑い、ステラの待つ施設の方へ歩いて行った。
♦
身長八メートル近い巨躯。四肢が触手のようになった人型。但し頭は無く、短い首には二メートルを超える巨大な開いたままの真っ赤な歯の無い口がある。
「――!」
その口から人の耳では聞き取れない叫び声が放たれると、それだけで周囲のビルは崩壊し、乗り捨てられたままの自動車は爆発した。
「ぁ、ぁあ……ァああ……!」
その声を聞いた一人の男は無傷だが、狂った様子で地面に顔を伏せる。そこに一歩ずつ、邪神の巨躯が近付いて来る。
「見ぃつけた」
黒い短髪の少女、瑠奈が空から現れ、都市を破壊しながら進んでいるその神格を見下ろした。瑠奈は迷うことなく、その男に向けて手を翳し、転移によって避難させた。
「――――!」
目の前の餌が消えたことでその神格も少女に気付き、空を見上げて狂気の叫び声を放った。
「ふふ、そんな衝撃波程度で倒せると思った?」
瑠奈は挑発するように笑い、自身を覆う球状の障壁を輝かせた。
「ソ、ウカ……!」
「あ、喋れはするんだ」
神格は八メートル近い図体からは想像も出来ない挙動で跳躍し、触手のようになっている腕を瑠奈に打ち付ける。
「ッ、流石に邪神ってだけはあるよね……!」
障壁は一撃で破壊され、瑠奈は転移によって少し離れた場所まで逃れる。
「ミエテ、イル」
「わっ!?」
空間に穴を開けて現れた邪神。瑠奈は牽制するように輝く星の矢を放つが、邪神が腕を薙ぎ払うだけで掻き消されてしまう。
「思ったより、やばいかも……!」
人命救助を優先した結果、黒き海を展開出来ていない瑠奈は逃げ回ることしか出来ずにいた。
「一旦、遠くまで離れるしかないかな……」
瑠奈は転移魔術によって更に遠く、数キロ先のビルの中まで逃れ、ほっと息を吐いた。
「ニガスト、オモウカ?」
背後から振り下ろされた触手を瑠奈は咄嗟に避け、振り返りながら冷や汗を垂らす。
「び、びっくりした……心臓、止まっちゃうかと思ったよ」
瑠奈は息を整えながらも、冷静に焦っていた。数キロ先まで転移しても見失うことなく追跡してくる探知能力と移動能力に、数百メートルを容易に跳躍する身体能力、そして邪神としてその身に満ちた神力。
黒き海を展開出来ていない状態で勝つのは到底不可能として……詠唱出来る余裕があるのか、瑠奈は思考を巡らせ……そして聞くことの出来ない叫び声がビルを木っ端微塵に破壊した。
「ッ!」
「シネ」
空中に放り出された瑠奈だが、老日より譲り受けた重力を操る黒天の指輪によって自身の体を空中でも高速で操作し、振るわれた触手を回避した。
「取り敢えず、逃げないと……!」
瑠奈は転移によってどこかのストリートの上に降り立つが、直ぐに邪神も追いかけて来る。
「ニゲツヅケル、ナラ……カンケイノナイモノカラ、コロス」
「ッ!」
民間人を人質に取った邪神に、瑠奈は言葉を失った。ただ力があるだけでは無く、邪悪で小賢しい知恵を持ち合わせているのが、彼らの非常に厄介で不愉快な所だ。
「サァ、ドウスル?」
迷う瑠奈に、触手が振り下ろされた。
「――――お前、何を呆けているんですか」
瑠奈を押し潰す筈だったその触手を、妖力を帯びた薙刀が受け止めていた。