触手
壁に叩き付けられ、口から血が零れる。身体中を無数の呪いや毒が蝕もうとしているのが分かる。
「戦闘術式、展開」
俺は立ちあがり、ニャルラトホテプを見た。そこに居たのは、胸の部分にさっきまでの顔が埋め込まれているピンク色の肉人形。腕は長い触手になり、足は太く筋肉質で、頭は無い。
「あぁ、難しいな。今のが悟られずに不意を付けるギリギリの攻撃だったんだが、流石に威力が足りなかったか」
「流石、人間じゃないだけはあるな」
敵意も殺意も、俺を攻撃しようとする動きも視線も、何も察知できなかった。油断して居たのは事実だが、正面から向かい合ってる中で殴られるとはな。
「さて、一応戦ってみようか」
ニャルラトホテプは両腕の触手を振り上げ、空中でうねらせてから鞭のように振るう。俺はそれを剣で斬り裂き、そのまま懐まで距離を詰めた。
「ふむ」
ニャルラトホテプの体が真っ二つに斬り裂かれ、胸に埋め込まれた顔が僅かに頷く。
「再生を無効にしてもダメか」
「私は土の邪神だからね。その本質は形成、再生でも何でも無く、まるで粘土でもこね直すように体を作り直しているだけさ」
あっさりと元の姿を取り戻すニャルラトホテプ。確かに面倒だが、さっきから殺されるような気が全くしない。
「そして、作り直すことが出来るということは……作り変えることも出来るという訳さ」
ニャルラトホテプの体が更なる異形へと変貌する。触手が更に太く成長し、その数が四つに増える。回避を捨て、攻撃に特化した姿になったと言うべきか。
「さぁ、君の力をもっと見せてくれよ。老日勇」
地面が突然泥のように硬さを失い、足が沈む。そこに襲い掛かる触手を斬り裂き、魔力によって泥化した地面の上に立つ。
「君は結界を張ってここから出られなくしたようだが……」
ゴゴゴと施設全体が揺れる。壁や地面がぐにゃりと歪み、形を変えて巨大な無数の触手となって俺を囲みこんでいく。
「ここは当然、私のホームグラウンドだよ」
光り輝く青い線が走る銀色の壁、魔力の通うそれは元よりニャルラトホテプの武器として使われることも想定されていたのだろう。
「ふぅむ、直接作用させるような魔術は効きそうにも無いが……」
「なるほどな」
四方八方から振るわれるのは、壁が変形した銀の触手。そこに走る青い線は魔術紋の役割を果たし、単なる質量武器では済まない威力を発揮するようになっている。
「当たらない方が良さそうだ」
「ふふ、眼が良いねぇ」
銀の触手は全て回避し、肉の触手は斬り裂いて進む。機動力を失った今のニャルラトホテプに刃を当てるのは難しくない。
「どうだ?」
聖なる光を放つ刃がニャルラトホテプを斬り裂く。しかし、怪物は一瞬で元の姿を取り戻す。
「さぁ、どうする? どう攻略する? 弱点は何か分かるかな?」
胸に張り付けられた顔が楽しそうに笑みを浮かべる。
「決まってる」
銀の触手の薙ぎ払いを回避する為に後ろに跳び、再び離れた距離。俺は最短ルートを計算しつつ、視界のあらゆる場所で蠢く触手の挙動に注目した。
「肉体を形成して復活するなら……」
駆け出した俺は矢継ぎ早に振るわれる触手を斬り裂き、回避し、剣先を怪物の胸辺りに向けた。
「魂を斬れば良い」
俺の剣が淡く透き通り、青い光を放つ。その刃は真っ直ぐにニャルラトホテプの胴を、張り付けられた顔面を貫いた。
「ふ、む……結局、良くは……分からなかったな」
瞬間、ニャルラトホテプの体から暗く濁った色の光が溢れる。それは神力だ。
「ッ!」
自爆のように放たれた神力の波動は背理の城塞を突破し、俺の肉体を焼き焦がした。皮膚は溶け落ち、肉が爛れる。
「……これだけ、か?」
お世辞にも多いとは言えない量の神力。俺は肉体を再生させ、地面に溶けたニャルラトホテプの死体を見下ろした。
これで終わりだとは到底思えない程、邪神はあっさりと死んだ。だが、確かに魂は破壊した。復活するなんてことは、無い筈だ。
「神力の気配を感じてきたでござるが、大丈夫でござるか?」
隣に現れた忍者に、俺はピンク色の液状化した死体を指差した。
「ニャルラトホテプと交戦した。魂を破壊して殺しはした。したんだが……話に聞いていたような、地球の神々に抗えるような力を持っていたようには思えなかった」
「……承知」
忍者も考えるように目を細めて頷いた。
「そういえば、神力とか知ってたんだな」
「当然でござろう。神と通じる巫女と話すこともあるんでござるよ」
まぁ、考えてみれば当然なんだが……最初に神力を使った時の様子から知らないだろうと思ってたんだが、アレは封印の内側の様子を感知出来なかっただけか。
「逆に老日殿は何で知っているんでござるか」
聞いてきたか。
「何となくだ」
「全く答えになっていないでござる」
そりゃ、全く答える気は無いからな。
「やぁ、中に居る奴らは皆処理できたと思うけど、どうかな?」
「あぁ、恐らく全滅だな」
「完璧でござるな」
そこで瓢はピンク色の液溜まりを見つけ、嫌そうな顔をする。
「もしかしてだけど、これ……」
「ニャルラトホテプの死体だ。魂を破壊したらこれが残った」
「一応、消しといた方が良いと思うでござるよ」
回収するとか言い出さないのは流石だな。こういうのは下手に持ち帰って調べるより、完全に消し去ってしまう方が良い。
「やっぱり、老日君なら勝てるよね。僕でも何とか出来るような相手だったし」
「……その割には、随分警戒してたみたいだが」
俺が言うと、瓢は難しそうな顔をした。
「んー、何て言うのかな。僕はニャルラトホテプという邪神自体は最大限に警戒してるけど、個体全てにビビってる訳じゃない」
「……こいつは、本体じゃなかったってことか?」
瓢は淡然と頷いた。