不意を打て
地面を擦り抜け、奇妙な感覚と共に地上に現れる。そこは意外にもビルが立ち並ぶ都会だった。
「どこなんだ?」
「横浜だよ」
横浜か。潜伏するには人気が多すぎる気がするが……いや、人が多い方が寧ろ紛れやすいのか? 田舎だと逆に目立つよな。
「……いつの間に着替えたんだアンタ」
そういえばと忍者の方を見ると、そこにはさっきまでとは体格すら違うガタイの良いオッサンが立っていた。
「このくらい余裕だ。言っとくが、顔も本物じゃないぜ?」
「何なら、声まで違うな」
違和感が凄いが、俺の目でも見破れないということは幻術ではなく変装の類いっぽいな。
「こっちだよ」
「そもそも、アンタは何で場所を知ってるんだ?」
俺が聞くと、瓢はニヤリと笑った。
「秘密」
「ウザいな」
瓢はちょっと傷付いたような顔をして、すたすたと灰色のビルに向かって行った。海岸近くに立つそのビルは、一見何の変哲もないように見えた。
「ここだよ」
瓢は目を細め、ビルに手を当てた。そして、俺達にもう片方の手を伸ばす。
「普通に人通りもあるが、大丈夫なのか?」
「うん、気付かれないことは僕の得意技の一つだからね」
「んだよ。だったら、変装する必要も無かったじゃねえか」
忍者と共に瓢の手に触れる。次の瞬間、俺達は壁に吸い込まれ……ビルの内側に入り込んでいた。
「何だ、この場所?」
「地下だよ。色々やってるっぽいね」
銀色の廊下には、光り輝く青い線が無数に走っており、魔力を高速で伝達しているのが分かる。
「ふむ、拠点としての機能は十分以上にありそうでござるな」
いつの間にか元の姿に戻っていた忍者は腕を組み、周囲を観察している。
「む」
忍者が眉を顰めた。俺達は全員その場から飛び退き、地面や壁に斬撃痕が発生したのを見る。
「気付かれたな」
「急ぐでござるよ」
「そうだね、逃げられても面倒だ」
忍者がどろんと何処かに消え、瓢が地面に消えた。取り残された俺は微妙な雰囲気に浸りつつ、どうするべきか考えた。
「こっちに気付いたのに態々仕掛けて来たってことは、逃げる可能性は低そうだが……」
あるとしても、大事な奴だけ逃がしているって可能性くらいだ。
「取り敢えず、結界だな」
俺はその場に座り込み、ビル全体を覆う結界を張ることにした。
「…………良し」
念入りに結界を張り、立ち上がったところで悪寒が背筋をなぞった。
「――――いやぁ、困るね」
出たな。
「アンタ、目的は何なんだ?」
「ふふ、そうがっつかないでくれ。せっかちな男は嫌われるよ?」
絶世の美女とでも言うべき容貌。しかし、俺には全く以って魅力的には見えない。その身の内側から漂う邪悪が見え透いているからだ。
「先ずは私の話を聞いてくれないかな?」
「……」
時間稼ぎか? だが、こうしている間にも忍者や瓢が天能連の奴らを倒せては居る筈だ。それに、結界がある以上は逃げることも難しい。結界に干渉されているような気配も今のところはない。
「探るような目だね。全く、心外だよ……私はただ、話をするのが好きなだけさ。人間とコミュニケーションを取るのは、とても楽しい」
まるで敵意の無いような笑みを浮かべ、両手を開いて見せる女。
「先ず、君も知っての通り……私は邪神。千の無貌、ニャルラトホテプ。外なる神の一柱さ」
「そうか」
俺は虚空から剣を引き抜いた。
「おっと、まだ早いだろう。まだ自己紹介しかしていないのだが?」
「あぁ、続きを話して良いぞ」
俺は魔術を唱え、更に範囲の狭い結界を展開した。これでビルの中を自由に動き回ることも難しくなっただろう。
「……酷い奴だね、君は」
溜息を吐き、女は項垂れる。
「さて、始めに……君は、この世界を窮屈に思ったことは無いかい?」
「何の話だ?」
突然の問いかけに、俺は眉を顰める。
「花房華凛を倒した君の戦い振りは見させて貰ったよ。君に並び立てる者など殆ど居ないだろう? 君は圧倒的な強者だ。それなのに、この社会に縛られている。下らない秩序に縛られている……そうだろう」
女は僅かに苛立ったような表情で言う。
「私はね、人類が好きだ。社会という仕組みも嫌いではない。だが、強すぎる秩序が混沌を介在させないのはつまらない、そう思っているんだ」
「……そうか」
どうやら、分かって来たな。
「どうかな? 君も自分より弱い者が構成し、完璧を気取っている生意気な秩序を壊したいとは思わないかな? 好きなように、自由に生きたいとは思わないかな?」
俺は答えることなく、無言で剣を向けた。
「ふむ、そうか……だったら、こういうのはどうかな? 君は好敵手も何も居ないんだろう? それだけ強くとも、全力を振るう機会が無いのは勿体ないことだ。だから、私が強敵を用意してあげよう。君が協力してくれるなら、私としてもありがたい」
「悪いが」
俺はニャルラトホテプを睨み付ける。
「俺はその秩序を作る側の人間だ」
「やはりそうか」
冷たい目で睨み返すニャルラトホテプを、俺は一太刀で斬り伏せた。
「残念だ。ダメ元の説得ではあったが、それくらいの価値と未知を君は持っていたからね……だが、仕方ない」
真っ二つになったニャルラトホテプの姿がブレると、一瞬で元の姿に戻る。
「降参したら許してくれるかな? ほら、私のような美女が君の奴隷になってあげるよ?」
「悪いが、許す気は――――」
ニャルラトホテプの姿がかき消える。背後から振り下ろされたピンク色の触手を受け、俺は吹き飛ばされた。