偽物の英雄
棍棒で地面を叩き付けるヘラクレス。すると、まるで地震でも起きたかというような強い揺れが発生した。
「ッ、動くのは愚策……ですかね」
戯典の能力によって閉鎖空間と化しているからか、その衝撃は外に漏れることは無く、揺れは空間全体に伝わっている。
「残念だが……」
揺れる世界の中、地面に根を張るように立って刀を構える咲良。どこから棍棒を振り下ろされても対処できる防御の姿勢だ。
「そっちじゃないんだ」
しかし、ヘラクレスは構える咲良から距離を離すように飛び退き、その手に大きな弓を呼び出した。
「この角度、避けるなよ?」
「ッ!」
咲良の後ろには塀の隅に固まった俺達が居る。その矢を避ければ誰かが犠牲になるかも知れない。
「決断しろ。迷う暇は無いぞ」
その強弓から、どす黒い毒の塗られた矢が放たれた。
「桜狩り」
舞い落ちる花弁を拾い上げるように優しく刀を振り上げた咲良。すると、毒の塗られた矢は真っ二つに斬り裂かれ、勢いを失ったようにその場に落ちた。毒の飛沫も散ることなく、咲良は無傷で矢を処理し、揺れも収まった頃と駆けだそうとして……
「ッ!」
「残念、二段構えだ」
続けて放たれていた二本目の矢に気付いた。
「くッ!」
それでも何とか矢を叩き落す咲良だが、飛び散った毒が咲良の刀を持つ腕に付着し、更に投擲された鉄の鎌が眼前まで迫る。
「これで、俺の勝ちだ」
投擲された鎌をギリギリで弾くも、その衝撃と筋肉まで溶かし始めている毒によって、振り下ろされる棍棒まで対処することは出来ない。後ろに避けても、横に避けても間に合わない。全て射程内だ。
「ここです」
「なッ!?」
しかし、唯一の安全地帯……咲良は逆にヘラクレスへと迫り、その懐まで潜り込んだ。棍棒は空振り、擦れ違い様にヘラクレスの脇腹が斬り裂かれる。
「朝桜」
「ぐッ」
振り上げられる刀がヘラクレスの背を斬り裂き、血しぶきを上げる。
「夜桜」
「ぐぅッ!?」
振り向きながら棍棒を振り上げるヘラクレスだが、振り下ろされた刀によってその腕を斬り落とされる。
「徒桜」
何とか抵抗しようと残った左腕を伸ばすヘラクレスだが、咲良はそれをすらりと躱し、姿勢の低くなったヘラクレスの首を一振りで刎ね飛ばした。
「み、ごと……」
中を舞うヘラクレスの首がそれだけを呟き、地面に転がった。
「……失敗しましたね」
咲良は自身の右腕を見る。矢に塗られていた毒液は咲良の肌を溶かし、腕の骨まで露出させている。血はだらだらと垂れ、今にも崩れてしまいそうだ。
『ふふ、ハハハハッ! いやぁ、まさか英雄まで倒されるとはな……だが、一切問題はない』
咲良の体が、腕から地面に零れた血が赤く光る。
「ッ、これは……ッ!?」
『『愛憎劇』』
咲良の目から、光が消えた。
『私の前で血を見せたんだ……それはつまり、君も役者の一人であると認めたようなものだろう?』
笑いを堪えたような声で話す戯典。つまり、洗脳だろう。条件は出血か?
『ほら、八重咲良……憎いだろう? 守られるだけの有象無象共が、憎い筈だ』
「……」
咲良の目が、明らかにこちらを向く。
「憎、い……」
「これ、もしかして俺か?」
咲良が、一歩ずつ近付いて来る。抜き身の刀を引き摺るようにして。
「少し、くらい……手伝ってくれても……良い、でしょう……ッ!」
「あぁ、もしかしなくても俺だな」
虚ろな目が俺を睨みつけ、刀が振り上げられた。その腕は闘気によって修復されている。
「ッ、お客様、下がっていて下さいッ! 私達で何とか相手をします!」
刀を構えたこの屋敷の家人らしき者達が俺と咲良の間に入る。
「邪魔、です」
「ぐッ、咲良様……ッ!」
咲良が刀を一振りすると、彼らの構える刀が全て叩き落され、次の一振りで全員が気絶した。
「やっぱり、気付かれてたんだな」
「当たり、前……です……憎、い……ッ!」
剣舞の後にこちらを見た時はもしやと思ったが、観ていたのを見られていたんだろう。
「自分は一般人、みたいな……顔して、守られてる、のが……憎、いッ!!」
振り下ろされる刀が、ステラの腕によって防がれる。
「マスターへの手出しは許しません」
ステラに続き、メイアとカラスも前に出る。
「一級だか何だか知らないけど、随分簡単に洗脳されちゃうのね?」
「カァ、好都合じゃねぇか。列車の時みたいに、また無かったことに出来るぜ?」
まぁ、マスターとか何とか公言した時点で記憶を弄るのは確定だな。
「この結界、外から中の様子は伝わらないみたいだな」
俺は屋敷内に存在する全てのカメラに意識を集中させ、破壊した。
『馬鹿な、今度はそう簡単には壊されないようにした筈だぞ……』
「やはり、そのくらいの力はあるようですね……ッ!」
落ち込む戯典とは反対に、咲良は更に憎悪を増大させたように俺を睨みつけた。
「『桜人』」
咲良の体から魔力が溢れ、闘気と混じり合って綺麗な桜色のオーラを形成していく。
「私はずっと、心の底では期待していたんです……ステラ様にメイア様は勿論、私の剣を見抜けた貴方も、いつかは手を貸してくれるだろう、と」
「すまん、一級ならぶっちゃけ何とかなるだろうと思ってた」
咲良は怒りを込めて俺を睨んだ。