グランド・ホテル
俺は蟹味噌を食らい、その勢いで白飯をかき込んだ。
「蟹味噌……初めて食ったな」
こんな味なのか。滅茶苦茶美味いな。
「カァ! うめぇ! うめぇ!」
「はい、おかわり注ぎますね~」
語彙力を失って食らい続けるカラスのお椀に、給仕の女が微笑みながらおかわりを入れる。
「流石に高級料理と言った感じですね」
「えぇ、偶には和食も悪くないわね」
和気藹々とした雰囲気の中、俺の目が一人の給仕を捉える。
「……飯、食ってからで良いか」
虚ろな器、肉の人形、何食わぬ顔でお盆を持って歩く男には、魂が入っていなかった。
「カァ、どうした?」
「まぁ、後で分かるだろ。今は食っとけ」
分かったぜ、と元気よく答えるカラス。見たところ、毒の類いはどの皿にも入っていない。気を付けていれば誰かが殺されるのは阻止できるだろう。
ただ、列車内で起きた話とは少し違うな。カメラの類いは見えず、あの給仕以外に偽物の人間は居ない。それに、まだ監禁状態にもなっていないな。
「失礼いたします。飲み物は如何いたしますか?」
ステラの背後に立ったのは、さっきの男だ。空になったステラのグラスを見て尋ねている。
「ん、何でも良いですよ。でも、どうせならお酒が良いですね」
「承知致しました」
去って行く給仕の男。ステラは気付いた様子も無い。
「……まぁ、良いか」
どうせ、ステラなら毒を飲まされても無意味だからな。
それから直ぐに給仕の男が現れ、酒の入った小さなグラスをステラの目の前に置いた。
「こちら、日本酒です」
「日本酒……ですか」
空のグラスを持ち、去って行く男。ステラは首を傾げたが、それでもグラスを手に取り、口に近付けて……眉を顰めた。
「む、これは毒ですね」
良かった。流石にそこまで警戒心が欠けてはいなかったか。
「マスター、またですよ」
「あぁ、知ってる。さっきの男以外には今のところ敵は居ないな」
ステラは溜息を吐き、グラスを傾けた。
「意外と悪くないですね。酸味が強く、風味は損なわれていますが、味としては嫌いじゃないです」
「毒って意外と美味かったりするからな」
不味いだけの奴は不味いだけだが、毒キノコとかは美味かったりするんだよな。
暫くすると、さっきの男がまたステラの背後に近寄って来た。懐には包丁が隠されているのが分かる。
「頃合いか」
止めようと思い、立とうとした瞬間、その男の腕が掴まれた。
「少し、裏で話があります」
八重咲良だ。男はそれでも焦る様子は無く、反対の手で包丁を懐から取り出した。
「そうですか」
咲良の手が男の首元に触れる。すると、男はバタリと地面に倒れて包丁を取り落とす。
「完全に同じ、か」
アレで気絶するってことは、見せかけの構造ではなく、きちんと人間の肉体として動いているということだ。人間と同じ構造をしているということは、単純に弱点にもなり得る。
「皆様、お楽しみのところ失礼致します」
咲良は気絶した男を他の使用人に任せると、仕方なしと言った様子で壇上に上がった。
♦
男は、ブツ切れたモニターを睨みつけていた。
「何故、こうなる……態々、金属を腐食させる毒を飲ませたというのに……ノーリアクションなど」
苛立ちを隠す様子も無く、男は前の席を蹴りつけた。
「しかも、一級の八重咲良が居るなど……最悪の不運だ」
男は舌打ちし、モニターを操作する。すると、上空から桜屋敷が映し出される。
「『グランド・ホテル』」
桜屋敷に一瞬波紋のようなものが走った。
「黒幕は……地下にでも隠しておけば良いか」
そう言って、男はパチリと指を鳴らした。これだけで、この屋敷は脱出不可の密室と化したのだ。
「異常な機械女に、一級のハンター……幾度も困難に見舞われたが、それでも私に乗り越えられないものでは、到底無い」
男の手元に、マイクのようなものが生み出される。
「さて……恐怖を与えてやろう」
男は漸く笑みを浮かべ、咳払いをすると、マイクを近付けて口を開いた。
『やぁ、紳士淑女の諸君。元気かな?』
モニターの画面が切り替わり、屋敷の中を映し出す。そこには、窓から入り込んだ大量のカメラが浮かんでいた。
『私は世間を騒がせている劇作家、戯典。実は、列車でも事件を起こす予定だったのだが……まぁ、それは良いだろう』
ざわざわと、不安と囁きが広がっていく。
『今から、私は君達を皆殺しにする。可哀想なことに、君達は私の復讐劇に巻き込まれてしまったのだよ』
不安は恐怖へと変わり、囁きは悲鳴となった。その様子を男は満足そうに眺める。
『だが、それを回避する唯一の方法がある……それは、私の復讐相手でもあるステラを君達の手で殺すことだ。それが出来なければ……君達を残らず殺す』
男はモニターの前で厭らしく笑い、画面に映し出されたステラを見る。
『よぉく、考えたまえよ』
そう言って、男はマイクのスイッチを切った。