五級昇格試験
老日勇……意外と理性的だったっすね。
「もしもし、凛空さん? 一応ちょっと話はしてきたっすよ」
『赤咫尾か。話? 誰とだ? 気狂いの方か? それとも悪魔殺しか?』
電話口から聞こえてくるのは、凛々しい女の声。
「悪魔殺しの方っすよ。意外と理性的だったっすね。精神系の魔術も使われなかった上に、強い警戒や敵意も感じなかったんで、最悪のパターンでは無さそうっすね」
『そうか。一応聞いておくが、どう話しかけた?』
「劇場殺人の調査中に偶々見つけたんで、事件について知ってることないっすか~って聞いた感じっすね。何も知らないって言ってたっすけど、まぁ多分本当のことじゃないっすかね」
『なるほどな……分かった。引き続き劇場殺人の方を頼む』
「了解っす」
ぷつりと電話が切れたのを確認し、俺はスマホをポケットにしまい込んだ。
「……思ったより、何も起きなかったっすね」
白雪に術をかけたにしては、まともそうな人物だったっすね。話に聞いていた通り、話題の二人を連れていたが、その関係は未だ分からない……ってとこっすかね。
「まぁ、直ちに問題は無さそうなんで、こっちは放置で良さそうっすよね」
取り敢えず、今は劇場殺人を終わらせなきゃいけないっす。
♦……side:老日
漸く迎えた五級の昇格試験ということで、俺は牟礼駅前に辿り着いた。東京から電車で行く方が難しそうだったから、途中まで歩いて近くから電車に乗って来た。お陰で時間はギリギリだ。
「やっと来ましたか」
「悪い。だが、時間通りだろう?」
溜息を吐く女は恐らく試験官だろう。黒い短髪に黒い革の軽装、地味だがハンターらしい装備だ。
「こういうのは五分前には来ておくものでしょう? 試験官の私は五分前には来てるんですから……減点です」
「減点か。そういうのあるんだな」
「ありますよ。余りにも態度が悪かったらハンターとしての規範から外れますから、例え五級の異界で狩猟可能な実力があっても、不合格になります」
「なるほどな」
七里の時は一ミリもそんな雰囲気無かったが、普通はこうなんだろうな。一応、試験だからな。
「取り敢えず、乗ってください」
「あぁ、車で行くんだな」
黒い車に乗るように誘導する女に言うと、睨みつけるように見られた。
「当たり前でしょう。まさか、今から行く異界のことも調べてきて無いんですか? 三級の私でも、流石に素人を守り切れるとは限らないんですが」
「悪い、調べては無い。でも、大丈夫だから安心してくれ」
女は運転席に乗り込み、助手席の扉を開けた。
「今のところ、安心できる要素がありません」
「後ろが広いな、この車」
助手席から後ろを覗くと、殆どが収納スペースのようになっていた。
「ハンター用カスタムのハスラーです」
「なんか、凄いな……」
俺よりもハンターしてるな。
「まさか、車も持ってないなんて言いませんよね?」
「あぁ、そのまさかだが?」
「……五級の試験を受けられるなら、車くらい買えそうですが」
「買えるが、今のところ買う気は無いな」
女は小さく溜息を吐き、車のエンジンをかけた。
「……行きます」
「あぁ、頼む」
進み出した車。移り行く景色を見て、悪くないなと思う。車に乗るのは嫌いだったが、今はそうでも無いな。
「車……アリだな」
「取り敢えず、積載が多いものがお勧めです」
それから暫くの間、無言で車は進み続けた。
「そういえば」
女が口を開き、静寂を破った。
「自己紹介もしていませんでしたね」
車が山道を抜けていく。空に浮かぶ雲が早足に動く。
「私は都栖 芹菜です」
「知ってるとは思うが、老日勇だ」
木々が開いていき、その場所が見える。
「着きましたね。ここが鳥居異界です」
「鳥居……一つも見えないが」
現れた異界。それは、完全に村だ。だが、何というか……遠い場所に見える。幻覚でも無く、実際に遠くにある訳でも無いが、不思議なことに遠くに見える。
「……別に、鳥居がある異界って意味では無いです。単なる地名です。ちゃんと調べてきてください。貴方は、異界の恐ろしさを分かっていないようですね」
車を止め、睨みつける都栖。
「ここは五級異界の中でも特に危険で、厄介な異界です。この異界は協会も遠いですし、それに通常の異界とは異なる点も多いです。はっきり言って、予習前提なんですが……もし、自信が無いならここで諦めても構いません。というか、諦めて下さい」
確かに独特の雰囲気というか、恐怖感というか、そういうのを感じる異界だ。ホラーゲームに出て来る村的な不気味さがある。
「自信はある」
「何でそんなに自信があるんですか……」
項垂れる都栖。その隙に車のドアに手をかけた俺の肩を、華奢な手が掴む。
「分かりますか? 異界を舐めてるなら、ハンターはやらない方が良いです。絶対に。死ぬだけなので。生半可な覚悟で五級の試験なんて受けようとしないで下さい」
「七里にも同じような話をされたな……」
あの時は説教では無く、寧ろ称賛だったが。
「ッ、七里さんに会ったことがあるんですか?」
「あぁ、というか六級の試験は七里だったな。偶然近くに居たから七里になったらしい」
俺が言うと、都栖は目を見開いた。
「幸運ですね……羨ましいです」
「好きなのか?」
「老日さん、デリカシーとか無いんですか? 普通に、尊敬してるだけです。人として、ハンターとして」
「一緒に焼肉食いに行ったこともあるぞ」
ピシリと都栖の動きが止まった。
「……嘘ですよね?」
「マジだ。焼きパインを勧めておいた」
「勝手に何勧めてるんですか」
「あと、寿司より焼肉派らしい」
「知りま……いえ、ありがとうございます」
都栖は車のドアを開け、外に出る。俺もそれに続き、反対側から外に出た。