擦り切れた勇者
再び意識を失った俺は、気が付くと暗い部屋の魔法陣の上に居た。
「勇者様。どうか、私達をお救い下さい」
まだぼやけている視界の中、恭しく頭を下げたのは、頭に銀の冠を付けた少女だった。
「……あぁ」
俺はゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡した。まるでカルト宗教の儀式部屋のようだが、描かれている無数の魔法陣は実際に効果があるものなのだろう。
更に、この部屋の中には僧衣のような物を着た者達がこちらを向いて跪いている。
「それで、俺はどうすれば良い?」
「先ずは、こちらの剣を」
部屋の中央に突き刺さった無骨な銀の剣。何の装飾も無いそれだが、言い知れぬオーラのようなものを感じる。それに近付くに連れ、空気が澄んでいくのを感じる。
「……聖剣」
その剣についての説明を受けていなかった俺だが、自然とその単語が頭に浮かんだ。どこまでも清らかなその剣に俺は手を伸ばし、柄を握った。
『――――やぁ、始めまして』
剣を引き抜いた瞬間に頭の中に響いた声に眉を顰めるも、剣を取り落とすことは無かった。
『僕は、ウィル。この剣に宿った初代勇者の魂さ』
「あぁ」
返事をしたが、そこで周りの人間にはウィルの声が聞こえていない可能性に思い至る。だが、誰も不思議がっている様子は無い。
『君の名前も、聞いて良いかな?』
「老日勇。アンタも、地球人なのか?」
『その通り。ただ、君からすれば大昔の人間かも知れないけどね』
「……そうか」
初代を名乗ったウィル。俺とウィルの間には何人もの勇者が居たのかも知れない。
「それで、俺は次はどうすれば良い?」
「先ずは歓迎をさせて下さい。それから一日城で休んでいただき、翌日にこの世界を取り巻く危機の説明を……」
俺は少女の言葉を手で遮った。
「歓迎も休息も俺は求めてない。歓迎の場で俺のことを紹介したいなら、勝手に紹介しててくれ」
「……様々な支援を受ける立場として、貴族の方々への紹介は欠かせません。どうか、お願いします」
きっと、色んな奴から話しかけられるんだろう。見え透いた未来に俺は溜息を吐き、仕方なく頷いた。
「先に言っとくが、俺は話すのが得意じゃないからな」
「出来る限り、お通しする方は選ばせて頂きます」
ラーメン屋の手伝いも殆ど裏方で声を出すことも余り無かった。人と話すのは得意ではない。
「それで、休息も要らないとのことですけれど……」
「あぁ、説明をするなら今でも良い。歓迎ってのがいつ頃になるのか分からんが」
「紹介の場と言う意味での歓迎に関しては、少なくとも三日は後になりますね……その間はこの城を歩いて施設などを見て頂きつつ、暫くは休息ということになるかと」
「……そういえば」
俺は少女の姿を再び確認した。
「その恰好、アンタは地位が高いように見えるんだが……」
「はい、私はこの国の王女……プラス・ディアリスモス・ヴァシレイアです。この冠が、その証」
王女の頭で輝く銀のティアラ。見るからに高級そうで、更にただ高価なだけではない……何か、不思議な雰囲気を感じる。
「……俺が言うのも何だが、この態度で大丈夫か」
「構いません。王女は数多の国に居ようとも、この世界を救えるのは勇者様ただ一人ですから」
どうあっても、俺の機嫌を損ねる訳にはいかないんだろう。確かに元の世界の頃とは比べ物にならないような力を感じるが、それでも世界の命運を変えられる程のものであるとは思えない。精々、元の数倍程度だ。
だが、この扱いから察するに相当重要な立ち位置ではあるのは間違いないだろう。
「それで、説明ですが……どこから、話しましょうか」
ゆっくりと、王女は語り始めた。
♢
歩きながら話を聞くも、得られた情報には一切の希望が無かった。
「かなり大雑把に話しましたが、分かりましたか?」
「あぁ……かなり絶望的な状況ってことは分かった」
先ず、この世界を脅かしている存在と言うのは魔王らしい。余りにもベタな話だが、俺が勇者ということはその敵が魔王なのは当然とも言えるだろう。
人間側の戦力はかなり削られており、既に国家の数は元の半分以下になっているらしい。そして、魔王側の戦力は今も無尽蔵に増え続けており、その戦力差は広がり続けているとか。
「ですが、今話したことは飽くまで今までの話です」
「今までの?」
頷く王女の目には、確かな希望が宿っていた。
「世界の危機を前に、人々は団結し始めています。更に、各地から英雄が集まり、その力を集結させようとしています……勇者を、旗頭に」
「……俺は今、この世界に来たんだぞ」
旗頭などと言われても困る。
「問題ありません。旗頭と言っても、勇者と言う存在が居るだけで意味があるんです。今まで、何度もこの世界は危機に陥って来ました。全て、今と同じ魔王の誕生によってです」
「……今までの魔王と、今の魔王は同一の存在じゃないのか?」
復活では無く誕生という言い方から察するに、魔王は毎回別の個体なのだろう。
「はい。女神の力を借りて勇者が呼び出されるのと同じように、魔王は邪神によって呼び出されます。しかし、これまで六度続いたその戦いは全て勇者が制して来ました」
「……そんなことが何度も起きるなら、初めから準備を整えておけば良いんじゃないのか?」
俺が言うと、王女は悲しそうに目を伏せた。
「人間とは、少しの余裕を見つけると相手を出し抜こうとし始めてしまうのです。目の前に脅威が迫るその時まで、本当の意味での協力など叶いません。それに、準備を整えようと思っても、その為の土台が既に崩されているのです」
確かに、人間とはそういうどうしようもない生き物かも知れない。
「今も国家の半分が消え去ってしまったように、昔も魔王を倒した直後の人類は壊滅の一歩手前まで追い込まれていることが常です。それを元の状態まで戻すには凄まじい時間と労力が必要になります。次の魔王への準備を整える時間は無いのです」
「……なるほどな」
飽くまで、再生がやっとってところなのか。
「ところで、勇者様のお名前は……老日勇と言うのですよね」
「あぁ、老日が苗字で勇が名前だ」
そういえば、ウィルと話している時に名乗ったな。
「それは、どういった意味なのですか?」
「老日は、特に意味は無いだろうな。文字をそのまま訳すなら古い日とかだ。それで、勇は……勇気だな」
俺が言うと、王女はふっと笑みを浮かべた。
「それは、なんというか運命を感じるお名前ですね」
『面白いね。正に勇者に相応しい名前だ』
「……俺自身は、あんまり気に入ってないんだけどな」
しかし、運命か。本当に、そうなのかも知れない。こうして異世界に呼び出されることで、俺は死の未来を免れたのだろう。それを俺が望んでいるかは、別として。