老日 勇
目の前に居るのは、どう見ても若星瑠奈だ。だが、その容貌は本来の年齢とはかけ離れているように見える。
「うん。本当に、久し振りだね……」
「一つ、聞いても良いか?」
瑠奈はこくりと頷く。
「どうして、若いんだ?」
「ふふ、勇にもおんなじこと聞きたいな」
確かに、俺もそうか。俺も、本来ならもっと老けている筈だ。
「……」
「答えづらいなら、私から話すね」
話すかどうか迷っている俺を見かねて、瑠奈は口を開いた。
「覚えてるかな、昔のこと」
ぽつぽつと、瑠奈は語り出した。
♦……いつかの記憶
床に寝そべり、俺は宿題を進めていた。
「アンタ、あの子と遊ぶのはやめなさい」
机も椅子も無い、殺風景な部屋の中。入り込んできた母親がそう告げた。
「……瑠奈のこと?」
「当たり前でしょ。あの子、実は親が犯罪者なんだから」
俺の返答を聞くことも無く、母親は直ぐに出て行った。
――――嫌だ。
俺は母親の命令に従う気は無かった。時計を見て、予定の時間が近付いていることに気付いた俺は、残り数ページの宿題を中断して部屋を出た。
畑と一軒家が並ぶ光景を遠目に、俺は山道を歩いた。暫くすると、開けた場所が見えて来る。
「やほー、勇!」
後ろから片手を上げてやって来たのは、黒い短髪の少女。
「おはよう、瑠奈」
「うん、おはよう」
俺達が遊ぶときはいつも、この場所に集まっていた。やることと言えば、ボールを投げたり追いかけ合ったりするくらいだったが、それでも楽しかった。
「どうする? 何する?」
「何でも良いよ」
瑠奈はむぅと顎に手を当てて悩んだ。
「じゃあ、先ずは追いかけっこ!」
「おーけー」
俺達は何も言わずに、手を出し合った。
「じゃんけん、ぽん!」
俺がチョキで、瑠奈はグー。勝った瑠奈はにやりと笑い、走り出す。
「……よし」
三秒経ったのを確認し、俺も続けて走り出した。
♢
授業が終わると、近くに居た席の奴がこちらに駆けよって来た。
「なぁ、勇。お前って瑠奈と仲良いよな?」
頷くと、そいつはにやりと笑った。
「アイツの親、人殺しらしいぜ!? やばいよなっ!」
「それが、何?」
俺が聞き返すと、そいつは怪訝そうな表情をした。
「何って、ヤバいだろ! アイツと仲良くするのやめた方がいいって! お前、殺されるかもよ?」
「親が人殺しでも、瑠奈はそうとは限らないだろ」
「限るって!」
俺はそいつを睨んで席を立ち、そのまま教室を去った。
♢
また別の日、俺はクラスの奴らが大きな声で話しているのを聞いた。
「なぁなぁ、アイツ畑の野菜盗ったらしいぜ!」
「やっば! 瑠奈やべぇな!」
「親が人殺しだからな!」
俺は席を立ち、そいつらに近付いていった。
「それ、誰が言ってたんだ?」
全員が一斉にこちらを向き、俺を見て僅かに怯んだような表情をする。
「だ、誰ってお前の親だろ! お母さんからそう聞いたぞ俺は」
「……俺の、親?」
周りの声が、雑音にしか聞こえなくなるのを感じた。視界が眩み、その場に倒れそうになる。
「……クソ」
俺はその時、初めて両親に殺意を抱いた。
♢
テレビの前で下品な笑い声をあげる母親。その前に俺は立った。
「邪魔」
「変な噂、広めてるだろ」
俺が言うと、母親はニヤッと気持ち悪く笑った。
「そうよ。アンタがあんな子とずっと遊んでるから」
隠す様子もなく認めた母親、何を言うべきかも分からなくなった俺の肩を背後から掴まれる。
「おい、文句でも言う気か」
父親の声がすると同時に、後ろに引っ張られて地面に倒される。
「……」
和気藹々と話し始める両親を前に、俺はぐるぐると暗い考えを巡らせていた。
♢
そんなことがあっても、瑠奈は明るいままだった。噂について聞かれた時も、正直に本当のことだけを話していた。
「おはよー、勇」
「……おはよう」
ある土曜日、いつもの場所で瑠奈とあった俺は、我慢できずに問いかけた。
「瑠奈、大丈夫?」
「あ、あはは……やっぱり、気になっちゃうよね」
気まずそうにする瑠奈に、俺は問いかけたことを後悔した。
「気にしなくて、平気だよ! 仲良くしてくれる子は、仲良くしてくれるし……それに、勇もまだ仲良くしてくれるから……私は、全然……」
瑠奈の目に、涙が溜まるのが見えた。
「ん、んん……ご、ごめんね。ちょ、ちょっと……待ってね」
後ろを向く瑠奈を見て、俺は決意を固めた。
「大丈夫。明日から、元通りにする」
瑠奈は、凄く明るくて良い奴だ。だから、変な噂を振りまく奴が居なくなれば……直ぐに、元通りになるに決まっている。
♢
翌日。日曜日は大体、街の方まで買い物に連れて行かされる。俺の役目は、単なる手伝いだ。遊びに連れて行ってやろうなんて言う優しさなんかは微塵も無い。二人がデパートの中の店で飯を食っている間はいつも外で待たされていた。
「この道、本当にガタガタするわね」
俺の家庭は、普通じゃなかった。クソッタレな親の下に生まれた俺だが、それを不幸に思ったり、その状況から脱しようと思うことは無かった。
「クソ政治家は道の整備なんかに金を出さないんだろ」
苛立った様子の両親。ここを通る時は、大体そうだ。不安定な山の道、少し間違えれば下まで真っ逆さまだ。
……もう少しだ。
俺は心の中で、呟いた。思っていたような緊張は無い。
「あー、イライラするな……」
フロントガラスの奥に、カーブが見えてきた。その先は崖のようになっていて、真っ直ぐ進めばそのまま下に落ちることになる。
「クソ、なんでこんな道しかッ!?」
そのカーブに差し掛かった瞬間、俺は後部座席から飛び出し、父親にしがみついた。ハンドルから手を引きはがし、アクセルを蹴りつける。
「ハァッ!? やばいッ、死ぬッ!?」
「ちょ、ふざけんなッ! アンタ、こんなことし、ぐぉッ!?」
崖を飛び出し、落ちていく車体。それは森の中に落ち、凄まじい勢いで回転しながら内部にその衝撃を伝え続ける。
「……止まった」
漸く勢いが止まった車。折れた枝が窓ガラスを突き破り、二人の体に突き刺さっていた。シートベルトもしていなかった二人は四肢がぐちゃぐちゃに折れ曲がっており、怨嗟の声すら聞こえなかった。
一つ残らず割れた窓ガラスから俺は抜け出し、そこで自分の体を見下ろした。
「……そう、か」
俺は殆ど無傷だった。本当は自分ごと殺すつもりだったが、何度か打ち付けたところが僅かに痛むだけで、怪我と言う怪我すら負っていなかった。
「何も、感じないんだ」
俺は、人殺しになった。それでも何も感じなかったのは、倫理観の無い親に育てられたからか、それとも単なる俺の資質なのか。
「帰ろう」
俺は死体となった二人を置いて、歩いて帰ることにした。