日常へと
振り返った先に居たのは、メイアの母。アカシアだった。
「老日勇様……本当に、感謝しかありません。娘を救って頂いたこと、私達の封印を解いて頂いたこと、ニオスを共に倒して頂いたこと」
綺麗な黄金色の長髪を揺らし、アカシアは頭を下げた。
「私達を助けて頂き、ありがとうございました」
「別に、大丈夫だ。ただ善意でやった訳じゃない」
俺の使い魔であるメイアの為にやったことは、純粋な善意とは言えないだろう……そういえば、使い魔ってヤバいか? 娘を相手に主従関係を築いてるのは、相当不味いな。
「ふふ、焦らなくても分かっています。あの子の選んだ道でしょうから……それに、私は人を見る目はある方ですから」
「……あぁ、そうだろうな」
この真紅の目は、ただの目では無いだろう。恐らく、魔眼の類いだ。あの、白雪天慧が持っているような。
「何か、感謝の証に出来ることはありませんでしょうか? 恩人に対して何も出来ないというのは心苦しいですから……勿論、血でも構いません」
「……そうだな。メイアと話してやってくれ」
アカシアはふふっと笑うと、美しい所作で翻り、メイアの方に駆け寄っていった。
「アンタも、娘と話して来たらどうだ?」
「……俺は、どう話しかければ良いんだ?」
知らねえよ。そう言い返しそうになるのを抑え、俺は尋ねた。
「どういう意味だ?」
「俺は……実は、娘と今まで会ったことが無い。メイアは、逃亡生活の中で生まれた子だ」
あぁ、なるほどな。
「そもそも、アンタらくらいの奴が逃亡生活をする必要があったのか?」
「今の俺達を見れば、そう思うかも知れんがな……あの頃、罠にかけられた俺達には重い呪いがかかっていた。それこそ、真祖を相手にすれば一対一でも負けるくらいのな」
十分の一どころじゃ効かないくらいの弱体化だな。
「それで、さっき封印から解かれた時も……心なしか、冷たい目で見られた気がした。俺が、アカシアを守れなかったからだろう」
「……はっきり言うが、俺にアドバイス出来ることは無いぞ」
俺も、口下手な方だからな。
「そう、か……一つ、確認させてくれよ」
バラカは俺の目を覗き込んだ。
「メイアを使い魔にしているようだが……不自由を強いているようなことは無いよな?」
「あぁ、そのつもりだ。別に、本気で望むなら使い魔から解放しても良い」
その代わり、弱体化はすると思うが。
「……分かった。色々と言いたい気持ちはあるが、妻も娘も守れなかった男に言える言葉はねぇ」
バラカは片手を上げ、背を向けた。
「色々、助かった。望むなら、何でも礼はする」
「あぁ、メイアともしっかり話してこい」
アカシアとメイアの方に歩いていくバラカを見届け、俺はオーロラが覆う美しい夜空を見上げた。
♦
あれから、暫くの時間が流れた。現在、アカシアとバラカはニオスの後始末をする為に奔走しているらしい。とはいえ、ニオスが消えた今では二人を止められる者も居ないだろう。その身の安全を心配する必要も無い。
「……また、これで落ち着けるな」
俺は座椅子にもたれかかり、ボーっとテレビの画面を眺めた。
ガチャリ、玄関から鍵の開く音がする。扉が開き、現れたのは金眼の男だ。
「ふぃ~、買って来たぞボス」
人の姿をしたカラスが机の上にどさりとビニール袋を置く。
「あぁ、助かる」
「構わねぇよ。ついでだからな」
カラスもカーペットの上に座り込み、袋の中から牛丼の入った容器を取り出す。俺もそれに続いて自分の前に牛丼の容器を置き、蓋を開いた。
「いただきますって、ボスは言わねえのか?」
「……言ってた時期はあるんだけどな」
異世界で過ごしてる内に、言うことも無くなった。
「美味いな」
「あぁ、うめぇよな牛丼は」
バクバクと食っていくカラス。こいつ、一つで足りるのか?
「……暫くは、何もないままだと良いんだが」
「いつかは何かが起きるみたいな言い方だな?」
もう、俺は気付いたんだ。
「どうせ、起きる。多分だが、俺は勇者としての宿命から逃れられていない」
「そうか? オレは割と自分から首を突っ込みに行ってると思うんだが」
どうだろうな。
「まぁ、ソロモン、大嶽丸、噴火は逃げようと思えば逃げれた話ではあるな。誰かに背負わされてる訳じゃない」
勇者の宿命って訳じゃないかも知れない。確かに、単なる俺の選択な気がしてきた。ニオスに関しては、特に。
「気楽に行こうぜ。気楽にな」
俺は頷き、牛丼をかき込んだ。
「……とは言え、最近の生活は良くないな」
俺の言葉に、カラスは無言で続きを促す。
「最近って言ってもここ数日だが、色々と他人任せにし過ぎてる気がする」
帰り道のカラスに牛丼を頼んだのもそうだが、使い魔が異界に行って勝手に稼いでくれるのだ。俺はと言えば、家でゴロゴロとテレビを眺めているだけだ。
「まぁ、偶には全員で異界に行くのも良いんじゃねえか?」
「全員で異界か……」
メディアの様子も落ち着いて来た頃合いだ。確かに、そういうのも良いかもしれない。
「そうだな。今度、行くか」
不労所得で引きこもっているのは、性に合わない。何というか、ここまで安心のある暮らしは逆に落ち着かない。三日に一回くらいは戦わないと、体がそわそわしてくるんだ。
「ご馳走さん。ま、あれだ。腕が鈍るのも嫌だろ? ボスに関しちゃ、多少腕が鈍ったところで勝てる奴は居ねえだろうけどな」
カラスは空になった容器を持って立ち上がり、ゴミ箱にそれを捨てると、鴉の姿に戻った。
「じゃあ、オレはちょっと群れの様子を見て来るからよ」
「あぁ、気を付けろよ」
カラスはパタパタと翼を振ると、窓から出て行った。