海若
舞台の上、向かい合うのは赤い袈裟を着た大柄な河童と、短い二本の角を生やした褪せた青色の鬼。河童にしては背が高く筋骨隆々な袈裟坊と、鬼にしては中肉中背でオーラに欠ける天邪鬼の海若だ。
「こんにちは、私は海若です。見ての通り、非力な鬼ですので……どうぞ、お手柔らかに」
「嘘やろう。本当に非力なら、ここで降参すればえぇやろうが」
「これは嘘では無く、謙遜というものですよ。袈裟坊」
それに、と海若は続ける。
「今の私が非力であるというのは、嘘でも何でもありませんので」
「確かに、腕力はそうやろうな」
袈裟坊はドンと四股を踏み、前傾姿勢となって手を膝の上に置いた。
「始めるぞ、鬼」
「海若とお呼び下さい、袈裟坊」
そう言って、海若は袈裟坊に向かって走り始める。鬼の身体能力として考えれば決して速くは無いその走りに袈裟坊は首を傾げつつも、正面から手の平を突き出した。
「ぬぅッ!?」
「おや、大丈夫ですか?」
袈裟坊の張り手が海若に触れた瞬間、その衝撃が跳ね返ったかのように袈裟坊が後ろに倒れかける。
「おまえ……何か、おかしいな」
正面から海若を見定める袈裟坊。そこから一歩前に踏み出そうとした袈裟坊は、何故か後ろに一歩下がり、バランスを崩す。
「ッ、あべこべやな……おまえは」
「天邪鬼、そう言って頂ける方が正確かも知れませんね」
袈裟坊はその場から一歩も動かず、海若を睨む。
「おまえ、天邪鬼か。オラは今まで見たことも無かったが……そうか」
袈裟坊は、一歩前に踏み出した。そして、海若の腰を掴んだ。自分の意思と反対に動く体、それを何とか制御したのだ。
「ッ、なんや一歩も動かん……」
どれだけ力を加えても動かない海若。それどころか、自分が加えただけの力が自分に帰って来る。どうしようも無い状況に手をこまねく袈裟坊。
しかし、この至近距離で隙を晒している袈裟坊相手に、海若は何もしてこない。
「ほいだら、分かった」
「ほう、何か閃きましたか?」
袈裟坊は海若から手を離し、一歩下がった。
「『流水力道』」
袈裟坊の体から水流が溢れる。
「これなら、どうや」
「ふふ、どうでしょうねぇ」
水流が刃となり、海若に放たれる。
「ッ、どんな理屈やッ!?」
しかし、その刃は海若に触れた瞬間に反転し、袈裟坊に向けて飛んでいく。袈裟坊は水流に巻き込んで刃を防いだが、これも通じないとなれば打つ手が無いようにも見える。
「老日君は海若の能力が分かるかな?」
「あぁ」
瓢は興味深そうに俺の顔を覗き込む。
「聞いてみても良いかい?」
「……袈裟坊が攻撃している海若は偽物だ。言ってしまえば、鏡だな」
かと言って、幻って訳でも無い。
「あの肉体は本物で、確かに動きも海若の物だ。だが、そうだな……判定はそこにはない」
「判定?」
聞き返す瓢に、俺は頷く。
「アイツの当たり判定だ。海若の判定は、常に対象が意識する真逆の位置にある。つまり、海若が選んだ相手を鏡にして、判定は常に反対の場所にある訳だ。更に、偽物を殴った奴にはその攻撃を反射する……クソ能力だな」
厄介極まりないが、タネが割れれば何てことは無い正にクソ能力だ。その性質は初見殺しだが、相手が気付けなければ格上でも食い物に出来るだろう。
「凄いね、当たりだよっ! いやぁ、流石だね!」
「流石も何も、アンタは俺のことを知らないだろ」
露骨に持ち上げる瓢を無視し、俺は舞台に意識を集中させた。
「触れても、力が伝わらん。流れがそこで跳ね返る……」
袈裟坊は何かに気付いたように一歩を踏み出すが、その体がぐらりと揺れる。
「私の能力はどんどんと効果を増していきますよ。全ての行動は意思に反するようになっていき、最後にはその意思自体が反転する……どうです? 中々、妖怪らしくて恐ろしいでしょう」
毒のようにじわじわと袈裟坊を蝕む力、長期戦になれば不利になるという訳だ。相手の攻撃を反射して、自分は何もせずに状態異常で勝つ……中々の害悪戦法だな。
「さっきから、思っとった」
四股を踏み、揺れる体を固定する。袈裟坊の体を水流が渦巻いた。
「流れが、変や」
袈裟坊が突然振り返り、手の平を突き出した。
「そこやろう」
「馬鹿なッ!?」
袈裟坊の張り手が、見えない海若を正確に捉える。吹き飛ぶ海若に水流が殺到し、そのまま海若を舞台の外に弾き飛ばした。
「決め手は押し出し、かな?」
「言ってる場合か?」
二人突破されたんだぞ、今正に。
「海若、本当はもっと強いんだけどね……ここじゃ、ちょっと場所がね」
「場所?」
地下だと、何か不都合がある能力だったのか?
「海若は山くらい大きくなれるんだよ。その上でさっきの能力も使えるから……さながら、無敵の巨人だったね」
「山くらいって、随分簡単に言ったな」
中々だぞ、山は。どんな山を指しているかにもよるが。
「老日君は巨大化とか無いの?」
「……出来なくはないが、意味ないからな」
的がデカくなる上に、死ぬ程目立つからな。
「山ほど大きい老日殿か……日本など一日で壊してしまいそうだな」
「……山ほど大きい俺なら楽に倒せるだろう、霧生」
そういう破壊活動をするなら便利かも知れないが、別に巨大化しなくても同じことは出来るからな。
「速度が緩慢になるのであれば、そうだな」
「僕なんて余波だけで吹き飛びそうだね」
呑気に話しているが、こっちは二人抜きだぞ。というか……
「霧生、次はアンタじゃなかったのか?」
「む、そうであったな。行って参る」
赤に緑の刺繍が刻まれた鞘を揺らし、霧生は舞台へと歩いた。




