剣士
御日の持ってきたくたびれた座布団に座り直した老人は、湯気を上げるお茶をごくりと飲んだ。
「本当は何か礼をしたいのだが……儂の持っているものなど、この家くらいのものだ」
「いや、気にしなくていい」
「だが、形なきものならば渡すことが出来る……」
「気にしなくていいぞ」
「そう、この天日流の範士に斬り勝った剣士としての称号であればな」
「どうやら耳が遠いようだな、ご老人」
こいつ、間違いない。是が非でも俺と戦う気だ。
「言っておくが、俺は戦う気は無いぞ」
「あぁ、一向に構わん。庭に出るとしよう」
おい、ボケてるのかこのクソ爺。
「御日、お前の祖父だろう。説得してくれ」
「……ごめん」
ダメだ、こいつもあっち側だ。そういえば、どっちが強いか気になるとか言ってたな。
「なに、殺し合いをしようとは言わん。それに、ここであれば周りを気にする必要も無い」
「……真剣では無いよな?」
「剣士が二人揃って、真剣勝負をしないという訳にもいかんだろう」
どういう理屈だ?
「まぁ、とは言え……本当に嫌ならば、仕方あるまい。儂とて抵抗せぬ相手は斬れん。だが、もし断るのならば一つ頼みたい」
「何だ?」
老人は押し入れから鞘入りの刀を取り出し、俺に差し出した。
「それを構えてくれ。儂も一介の剣士だ。構えを見れば、ある程度のことは分かるというもの」
「あぁ、まぁそれくらいなら良いが……刀は、あまり扱いを知らないからな」
俺は老人の差し出した刀は返し、庭に出た。
「こっちの方が、慣れてるんだ」
服のポケットに手を突っ込み、そこから剣を引き抜いた。
「……どこから抜いた」
「魔法の服だ。便利だろう」
実際は魔術だが、道具と言っておけば俺自身のことは誤魔化せるだろう。
「構え……これで良いか?」
構えと言われて構えるのは少し難しいが、俺は剣をいつも通り、普通に構えた。戦闘が始まる時は、大体こんな感じだろう。
「……ふむ」
老人は庭に出て観察すると、納得したように頷いた。
「殺人剣では無いが、飾りの剣でも無い。明らかに剣だけでは完結しておらぬ、いつでも退けるような構え。普通の剣士では有り得ん。その上、前方だけでなく四方八方を警戒している。加えて……人と斬り合う剣では無いな、それは。他の術と合わせて使う、怪物を殺す為の剣と言ったところか」
「……耳は悪いが、目は良いらしいな」
構えだけで良くそこまで分かるな。流石に、俺でもそこまでのことを解析しきるのは無理だ。
「しかし、それが現代の剣という訳か……時の流れ、というものだな」
「……あぁ、そうだな」
そうか。まぁ、普通に考えればそうだよな。魔物が溢れ、魔術が普及した現代の剣ってことで辻褄が合う。
「だが」
老人は鋭い目で俺を見た。
「何にせよ、貴殿が闘争の中に身を置いていたことは分かる。少なくとも、儂以上にな」
「……どうだろうな」
俺は適当にぼかしつつ、構えを解いて視線を逸らした。
「下手な誤魔化しは不要。最後に、もう一度……」
老人の気配が、鋭く纏まっていく。
「もう一度だけ、問う」
老人は鞘から刀を抜き放ち、俺に向けた。
「――――俺と、戦え」
突き刺すような殺気。滲み出す闘気。向けられた刀の切っ先が皮膚に突き立てられているかのような錯覚。
「……懐かしいな」
俺の言葉に、老人は眉を顰める。
「この感じ……あぁ、懐かしい」
悪くない感覚だ。生粋の剣士と相対した時の、特有のプレッシャー。決して目を逸らせない。目を離せない。
「私情で戦うのは、正直避けるべきだとは思うんだが……」
疑問符すら付かない荒々しい問いかけ。それを聞いた俺は、気付けば剣を構えていた。
「俺は、強い奴が好きなんだ」
向けられた切っ先に、俺も剣の先を向ける。
「アンタみたいな、剣士がな」
「くッ、ははッ! 中々、嬉しいことを言ってくれるな……ならば、改めて」
老人は刀を鞘に納め、砂の地面に両膝を突いた。
「一手、手合わせ願う」
俺も老人と同じように砂の上に正座し、目線を合わせた。この所作で合ってるかは知らんが、取りあえずやっておけば良いだろう。
「あぁ、いつでも良い」
「感謝する、では……」
老人が姿勢を僅かに動かし、腰の刀に手を当てる。
「――――いざ、尋常に」
眼前に迫る刃。俺はそれを受け止めず、後ろに跳び退いて回避した。
「げに恐ろしき脚力……しかし、安易に受けはせぬか」
「流石にあの体勢で受ける気はしないな。それに……」
言葉を遮るように振るわれた刃を体を逸らして避ける。
「アンタみたいな剣士の刃を考えなしに受ければ、大抵死ぬ」
刃がかちあえば必ず鍔迫り合いになる訳じゃない。刃がすり抜けて首を斬るか、当たりが悪ければ剣が折れるか、何にしても碌なことにならない。
「俺は、剣士としては別に一流じゃない。そこを弁えて来たからこそ、今日を生きてる」
「だが、戦士としては一流だろう」
連続で振るわれる刃。最小限の闘気と、最小限の動き。それに連動して繰り出される斬撃は恐ろしく速く、恐ろしく鋭い。
「御日よ、よく見ておけ……漸く、お前に本当の斬り合いというものを見せてやれる」
「うん、絶対見る」
こちらから目を離すことなく、老人は言った。視界の外に御日が居る筈だが、そちらに目線を向ければ、目の前の男はその一瞬を許さないだろう。
「ところで、お互い名前も知らぬままだったな」
じりじりとした睨み合いの中、剣を向けた状態で老人は言葉を漏らした。
「老日 勇だ。好きに呼んでくれ」
「天日流範士、霧生 義鷹」
あぁ、御日と苗字は違うのか。
「そういえば……御日に闘気は教えなかったのか?」
「儂の時代はな、闘気というものが明確に何か分かっておらんかったのだ。故に、闘気を知っていてもその原理や扱いについて教えるのは難しくてな」
あぁ、なるほどな。呼吸によって生まれる気だけでやり繰りして来たのか。だから、闘気の量自体は多くないんだな。
「最近、逆に御日に教えてもらってな……この歳になっても学ぶことがあるとは、良き時代だ」
少し感傷に浸るような様子を見せた霧生だが、一瞬でその雰囲気は霧散する。
「さて……お互い、小手調べはもうよかろう」
霧生は笑みを浮かべ、赤い闘気を揺らめかせた。
 




