風と海
東京湾に現れたのはグリフォンの翼を持った男の悪魔、フォカロルだった。
「帰ら、ねば……天、に」
海は激しく荒れ、急激に曇った空は黒い雲から豪雨と雷を降らせている。
「……来た、か」
フォカロルは気付いた。自身の支配する海域の中に無数の船が入り込んできたことに。
「挑む、か……オレ、に……」
そして、空を飛ぶ奇妙な機械にも気付いた。人を乗せたその機械のことを、フォカロルは知らない。いや、よく見れば船の形状も奇妙で、知らないものだった。
「これが、時の変化……か」
フォカロルはしみじみと呟き、天を仰いだ。
「人を傷付けることは、望まぬ、が……致し方、なし」
東京湾でソロモンの命に反さない程度に待機していたフォカロルだが、東京という都市の横で荒れ狂う海と嵐を放置するという選択肢は人類には無かった。
「受けて、立とう……現代の、戦士よ……」
フォカロルを囲む軍艦と航空機の群れ。異界生物の対処用に製造、若しくは改造されたそれらには無数の砲塔や機銃、爆弾が搭載されており、大戦時の物よりも火力、耐久性共に上昇している。
「さぁ、来い……来ないの、な――――」
瞬間、轟音が響いた。四方八方から放たれた砲撃、それらは一斉にフォカロルに迫る。
「少し、驚いたが……無駄、だ」
フォカロルを中心に吹き荒れる嵐が勢いを増し、砲弾を吹き飛ばしていく。
「次は、こちらから……だ……」
フォカロルが緩慢な動作で片腕を天に向けた。曇天の空に向けられた指先、それと連動するように暗雲が蠢き、その内側で光が幾つも迸った。
「お、レは……嵐、だ……司るは、風と……海……象徴するは、嵐……」
幾度も鳴り響く雷鳴。魔力を伴う雷が真っ直ぐ航空機に振り落ち、それを東京湾へと墜としていく。
「ここは、オレの力を振るうには……少し、狭いな……」
僅かに顔を顰めながらフォカロルは天へと伸ばしていた腕を水平に下ろし、その腕を横に薙ぎ払った。
すると、軍艦の群れが風に吹かれたように激しく揺れる。
「今の船は……随分、重いな……昔なら、これで沈んでいた、が……」
フォカロルは眉を顰め、揺れる軍艦たちを睨む。航空機は既に殆どが雷で沈んでしまったが、軍艦は未だ一機も失われていないままだ。
「だが……悪い、な……お前、達は……少し、相性が悪すぎた……」
フォカロルの言葉と同時に、海がまるで意思を持ったように動き出す。蠢く海は軍艦たちを呑み込み、無理やりに沈めて行く。
「……あ、ぁ」
その光景を、フォカロルは無機質な目で見た。そして天を仰ぎ見ようとして……気付いた。
「こ、れは……?」
沈んだ軍艦、墜ちた航空機。それらが、一つ残さず海の中から消えている。いや、今消えたのだ。
「あぁ、これは……そう、か」
フォカロルは納得したような声を上げ、後ろを振り向いた。
「お前、か……セーレ」
そこに居たのは、白い翼の生えた馬に跨った美男子。君主の位に就く悪魔、セーレであった。
「僕だ、フォカロル。彼らは僕の能力で逃がした」
「一つ……聞かせて、くれ」
フォカロルの言葉に、セーレは首を傾げる。
「どうやって……ソロモンの、支配を?」
「……僕がソロモンの支配を脱せたのは僕の主であるアマイモン様のお陰だ。本当に悪いけど、君を助けることは出来ない」
フォカロルは薄く笑みを浮かべた。
「良い。どう、せ……オレの、宿願が果たされる、のは……千年も、後の……話だ」
曇天を仰ぎ見るフォカロル。暗雲の中で雷が胎動するように光っている。
「それ、までは……眠っている、ことに……しよう……」
「……ごめんね、フォカロル」
セーレは純白の剣を取り出し、構えた。
「だが……今のお前の力、では……オレ、には……」
「ソロモンの命令は強者から優先的に、だよね」
セーレは純白の剣の先端をフォカロルに向けた。
「この状況、君が優先すべきは僕を倒すこと……着いて来てもらうよ、フォカロル」
「あぁ、そう……か……面白、い……」
二人の姿が、その場から掻き消えた。
次の瞬間、二人はまるで研究所のような薄暗い場所に立っていた。恐らく地下であるその部屋には明かりの代わりに幾つもの青い火が空中で灯っている。
「――――おや」
その青い火で紙を照らして読んでいた女が現れた二人に笑みを向ける。床まで届くような白い長髪を持つ女だ。
「これはこれは、面白いねぇ……フォカロルか。良くやったぞセーレ。実験体を連れて帰って来るとは、早速良い働きをするじゃないか」
興味深そうにフォカロルを観察するアマイモン。彼女もまた……悪魔だ。但し、彼女はソロモン七十二柱に含まれる悪魔ではない。
完全に人間にしか見えない彼女は悪魔特有の気配すらも完璧に隠蔽し、結社の魔術師としてこの現代に馴染み切っている。
「駄目です、アマイモン様。彼を実験体にすることは許しません。それと……」
「分かっているとも。彼をソロモンの支配から解放できるかという話だろう? 君の考えている通り、それは不可能だ」
話し合う二人。その間を風の刃が通り抜ける。
「悪いが、限界だ」
アマイモンの表情が真剣に戻り、セーレに視線を向けた。
「セーレ」
「はい」
その場の全員の姿が研究室から消えた。次の瞬間、三人は白一色の巨大な部屋の中に立っていた。
「性能評価室。ここは戦闘には持って来いだからね」
ニヤリと笑ったアマイモンに、風の刃が襲い掛かる。




