聖痕
ブネの巨体が、ビルを倒壊させながら地面に落ちて行く。不幸にも近くに居た一人の男が唖然と倒れてくるビルを見るが、その男を囲むように漆黒のドームが形成され、その命をギリギリで守った。
「はぁ、はぁ……ッ!」
それを為した少年、黒岬は拳を握りしめたまま息を荒くする。
「助かりました、少年」
スフェイラは迫る竜の群れを見て神聖な光を放つ結界を展開し、黒岬を見た。
「もう、戦えますか?」
「……いけます」
スフェイラは頷き、黒岬の手を取った。
「奴らを殺すには聖なる力か、特殊な術が必要になります」
「これは……」
黒岬の手の甲に古い紙の欠片が押し付けられる。すると、紙片に黒く滲んだ文字のような記号のような何かが浮かび上がった。
「聖痕です。本来ならおいそれと与えられるようなものではないのですが……特例です」
「くッ、熱い……ッ!」
黒岬がその紙片を受け入れると、それは煮え滾るような熱と共に肌に溶けるように馴染んでいき、文字のような記号のような、そして傷痕のようなそれを……聖痕を残して消えた。
「もう時間がありません。どうか、使いこなして下さい」
「ちょッ、待ッ!?」
瞬間、数多の竜に囲まれていた結界が崩壊する。
「『聖弾・天界之花』」
スフェイラが回転しながら二丁の拳銃から連続で弾丸を撃ち放つ。白銀の輝きが軌跡として残り、白銀の花を描いた。
「ッ、これでは流石に……!」
弾丸は竜達の体に直撃して小さな穴を開けるが、悪魔でもないただの竜の巨体には大したダメージになっていない。アスタロトによるダメージの置換は発生しないが、それだけだ。
「クソッ、どうやって使うんだこれッ! やばいやばいやばい……ッ!」
黒岬は持ち前の身体能力で竜の攻撃を躱し、防いでいくが、スフェイラは今にも限界を迎えそうだ。
「クソッ、起きろッ!! 起きろよッ!!!」
スフェイラを守ろうとする庇護の意思。人を守る為の力であるそれは、その意思によって遂に目を覚ました。
「――――聖痕ァアアアアアッッ!!!」
黒岬の手の甲に刻まれた紋様が強く闇色の輝きを放った。
「ッ、これが……!」
自身の内側に溢れる力に黒岬は驚きつつも、直ぐにスフェイラの方へと飛び、迫る竜へと拳を振るった。
「目覚めさせましたか……ッ!」
「えぇ、何とかッ!」
黒岬の拳は黒いきらめきを残しながら竜の頭を消し飛ばし、たったの一撃で屠った。
「その力は恐らく闇神エレボスの力……固有の能力を引き出すのは難しいと思いますが、既に神力を扱えてはいるようですね」
スフェイラは頷き、両手の拳銃を融合させて散弾銃に変化させた。
「聖痕から流れる神力には限りがあります。飽くまでも魔力をメインに、少量の神力を混ぜてアスタロトの能力の対策だけを行って下さい」
「了解」
黒岬は短く頷き、手の甲から流れ出る力に意識を集中させた。
「闇の魔力に、闇の神力……混ぜるのは、難しくない」
水が一杯入ったバケツに一滴だけシロップを落とすような感覚。それだけで、十分だ。
「ガァアアアアアアアアアアアッッ!!!」
「こう、だ」
黒岬は顔を上げ、迫っていた竜に神力を僅かに通した闇の刀を振るった。そこから放たれた斬撃は大きく開かれた竜の口を横一文字に切り裂き、そのまま尻尾まで通り抜け、竜の体を二つに分けた。
「――――調子に乗るなよ、人間」
黒岬の背後、振るわれるアスタロトの竜爪をギリギリ、漆黒の刀で受け止めた。
「神の力を借りたところで、本物の神に勝てる道理は無い」
アスタロトの体から凄まじいプレッシャーが放たれ、ヒリヒリと肌に痒みと痛みが走った。スフェイラの肌には薄く発疹が浮かんでいる。
「貴方にもう神の力はありません。私の聖弾に対応できていないのがその何よりの証です。もし神力を使えるのならば、貴方は私の放った弾丸を弾けていた筈です」
しかし、空気中に漂ったアスタロトの毒を浴びてもスフェイラは怯むことは無く、毅然として竜の悪魔を睨みつけた。
「黙れ、人間」
アスタロトの体が内側から膨れ上がり、更にその姿が人間から離れて行く。
「『聖弾・星砕之雨』」
白銀の散弾銃から放たれる無数の弾丸。それらがアスタロトに向かって放たれるも、間に入ってきた竜に全て防がれた。
「やらせるわけ無いだろッ!」
「ォオオオオォオオオオォォ……ッ!」
アスタロトの眼前まで飛び出した黒岬。しかし、その体が途中で硬直し、スローモーションのように変化した。それを為したのが奇妙な鳴き声を上げる地を這う竜であることに気付いた黒岬だが、そっちの相手をしている暇は無い。
「くッ、これで……」
黒岬は体の全身に神力を流して自身にかけられた術を無効化し、再度アスタロトに斬りかかろうとして……
「――――グォォ」
低い唸り声が響くと共に、最早人の姿など失った巨大な竜がそこに現れた。まるで空中に立っているかのように長い足を延ばし、人のように関節のある腕を広げている。
赤い鱗の隙間からは黒緑の液体がドロドロと垂れ、空気を焼くような音を立てながら煙を上げて地面に零れ落ちて行く。
「グォオオオオオオオオオッッ!!!」
毒竜、そう呼ぶに相応しい姿となった邪悪な悪魔は、最早人の言葉すら忘れ、近くに居た黒岬へと襲い掛かった。




