ex 聖女くん、逃げない
蹴りを躱したステラは低い体勢のまま前方に飛び込む。
そして地面を転がりながら体制を整え、黒装束の少女に視線を向けた。
(……さて、どうすっかな)
シルヴィはうまく身を隠しているのか周囲に気配を感じない。
だからある程度はこの場を広く使える。
その状況での戦い方。
純粋な近距離での格闘戦ではこちらに分がある。
それでもこちらが触れても触れられてもエナジードレインが待っていると考えて良い。
だとすればその対策が必要。
(シルヴィみたく結界武器にしてもまともに立ち回れねえし……だとしたらアレやるしかねえか)
そう言ってステラは自分の拳をコーティングするように結界を張り巡らせる。
結界のグローブ。
これで直接相手に触れる事が無くなる上に、実質結界がメリケンサックの様に打撃を強化する事に繋がってくれる。
それでも……大問題が一つ。
(あーくそ、体力無くてこんな枷まで付けて本当に戦えるのか?)
強化されるのは拳の打撃の威力だけだ。
総合的な観点で見れば大きく戦力ダウンとなってしまう。
まず第一に相手に掴みかかる類いの技が一切使用不可になってしまうという点。
何も近接格闘は殴る蹴るだけで完結する程シンプルではない。
それらの手段が一切取れなくなる時点で戦力ダウン。
そしてそれ以上に。
ステラはほぼ直感で魔術という技能を扱っているという、極めて稀な感覚派の魔術師だ。
故にその感覚に直結する直感……コンディションが大きく実力を上下する。
前日快眠できれば抜群の力を発揮するし、体調を崩せば精度も落ちる。
さらに繊細な彼女は、指先ひとつですらも感覚も魔術の精度に影響を及ぼす。
故にこの手段は本来悪手だ。
既に発動している強化魔術の出力は落ちない。
拳の威力も上がり保護もできる。
それでも……拳を握ったまま固定されたこの状態は、彼女の魔術の精度や構築速度を遅らせる。
故にここから繰り広げられるであろう高速戦闘の中で、元聖女特有の強力な結界魔術を自ら封じて戦いに望む事となる。
故に悪手。
……それでも。
(ま、やるしかねえか)
結局もうやらないという選択肢が無いのなら、弱音を吐く事に向ける僅かな意識も目の前の敵へと向けるべきだ。
(……行くぞ)
中距離からの魔術の打ち合いという選択肢のある内はこちらが不利。
一気に距離を詰めてその距離を保ち、インファイトの戦いを相手に強いる。
そして勢い良く踏み込み、右ストレートを放つ。
「……ッ!?」
それを辛うじてといったタイミングで黒装束の少女はかわす。
かなり無理な体制での回避。
それだけギリギリの反応。
だがそのギリギリの反応にエナジードレインの魔術を合わせられるだけの、魔術の技量の反応速度が目の前の少女には備わっている。
次の瞬間、少女の手に黒色の魔方陣が展開。
そこから黒色の弾丸が射出される。
「……ッ!」
それをステラも体を捻ってギリギリの体制で回避。
黒色の弾丸は、ステラの腹部の一センチ上を通過していく。
あと一瞬反応が遅れれば、恐らくそれで死んでいた。
当たり所次第で致命傷を負わせられる類いの一撃。
そしてそんな物を放ったまま、黒装束の少女の姿が消える。
その姿は黒い弾丸を回避して体制が崩れたステラの背後へ。
(……テレポートッ!)
そして回避の為に崩れた体制は、座標さへ変わればそのまま攻撃体制へと成り代わる。
足に黒い何かを纏わせて、鋭い蹴りが向かってくる。
(やっば……ッ!)
今の魔術の使用に自ら制限を掛けた今、ピンポイントに結界を張るのは間に合わない。
張れても範囲を絞らない脆い結界程度。
それでは僅かに威力を殺すだけに留まる。
できる事があるとすれば、今の制限の掛かった状態でも放てると直感的に理解できた、明確に相手を殺す為の魔術だけ。
それだけが唯一の身を守る手段。
そしてそれを撃てれば、その一撃を機転に一気に流れをこちら側に持ってきて叩き潰す自信があった。
目の前の黒装束の少女の攻撃は拙くは無いものの直線的で、やれる事を全て惜しみ無くやればこの間合いで負ける事は無いと、この短時間で理解できた。
だからこの一撃を放てば。
放ちさえすれば。
この戦いに勝利できる。
この戦いで命を落とすリスクは消える。
痛い思いをする事は無くなる。
例えその先で一線を越えても不可抗力で、正当防衛で。
きっと何も悪い事は無い。
だけどその選択は逃げだ。
今までのどの瞬間でも取ってはいけない選択肢で、そして。
今日この日だけは絶対にその道に逃げてはいけない。
だから正面に結界を張った。
割られる事が分かりきっている結界を。
そして歯を食い縛った。
次の瞬間、結界が叩き割られる。
結界を一応張ったおかげで、その勢いは僅かに緩まる。
だけどそれでもかわせるだけの余裕が生まれる事も無く、最初の一撃のおかえしとばかりに脇腹に渾身の蹴りが叩きつけられた。
「グ……ッ!?」
激痛と共に明確に体力が持っていかれる感覚があった。
その感覚を感じたまま地面を何度かバウンドし、途中で木にぶつかって止まる。
「……ってえ」
意識はそこにある。
幸い五体満足。四肢のどこも。戦闘続行に著しく支障をきたすような骨は折れていない。
……それでも痛いけど。
今まで自分と同格の相手と戦った事なんてなくて、ここまで強力な攻撃を食らった事も無かったから、体感したことの無い激痛が全身にまとわりついているけども。
それでも、あの状況で魔術によるカウンターではなく身を守るという選択を取れた事に安心した。
これまでも当然のように、人を殺してはいけないという考えは備わっていた。
自分のような強力な力を持つ人間は、少し力の使い方を誤っただけで、簡単に人を殺める事に繋がる。
だから道徳的に。倫理的にそういう事にならないように力を使ってきた筈だ。
だけどあの瞬間。
本当に身の危険を感じたあの瞬間、そうした道徳観や倫理観だけでは自分を抑さえられなかったかもしれない。
抑さえられたのはきっと、今自分がここにいる理由のおかげだろう。
(流石に今日だけは……道を踏み外す訳にはいかねえよな)
最早当初の目的から外れすぎてはいるが、此処に来たのは冒険者として受けた依頼を遂行する為だ。
そしてその依頼を受けた目的は、金の為だ。
自分が助けてあげたいと思った人達を助ける為に必要な金を稼ぐためだ。
行動の根底に自分にとって大切な人達が居る。
だからその先で例え正当防衛でも、不可抗力でも人を殺すような事があればその人達の顔に泥を塗るような行為に思えた。
そんな事をしてしまえば……きっと自分はその二人に対して顔向けできなくなってしまう。
笑顔でただいまと言えなくなってしまう。
それが駄目だと思えたから……踏み留まれた。
「……さてと、もう一踏ん張りだ」
ゆっくりと立ち上がる。
寝転がり続ける理由なんてない。
立たなければ殺されるし、早く戦闘を再開しないと時間稼ぎ以外の全部をぶん投げたシルヴィにも危害が及ぶ。
それは避けなければならないし……そして。
「負けてたまるか」
勝ちたいという感情も此処にある。
自分をこんな痛い目に合わせておいて負けたままなんて絶対に嫌で。
そしてそれ以上に。
「アイツを殺すつもりで攻撃してきた連中に、負けてたまるか」
戦いの少し前、アンナが狙撃された。
それをアンナは無事防げたが……それでも放たれたのが殺意だった事に代わりはない。
自分に手を差し伸べてくれた友達を殺そうとしてきた事に代わりはない。
だからこそこの戦いに勝って、色々な事に白黒を付けなければならない。
このまま野放しにはできない。
と、そう考えていた時だった。
黒装束の少女がこちらに追い付いて来たのは。
「……こっちから戻らなくても、向こうから来てくれんなら手間が省けて楽だな」
そう呟いて構えを取る。
全身に蓄積したダメージ。向こうの術式で持っていかれた体力。
恐らく今更殺すつもりで戦っても、こちらが勝てる見込みは低いだろう。
それでも端から自分で決着を付ける事なんて考えていない。
「さ、もうちょっと俺に付き合ってもらうぞ」
自分は自分の仕事をするだけだ。
黒装束の少女の攻撃でダメージが蓄積し、代わりに体力を奪い取られた。
それでも先の攻防で得た事が何も無かった訳じゃない。
まず第一にテレポート。空間転移の魔術を使用できるという事。
シルヴィが黒い弾丸を防いだ後にいつの間にか後ろに居たのも恐らくそれを使ったと考えて間違いない。
そういう術式をあの近距離での攻防で行使できるのなら、中々に恐ろしい力だと思う。
だがだとしても、そういう術式を使ってくるならば、そういう術式を使ってくる事を前提とした動きをこちらもすればいいだけの話。
二度同じ手は食わないとまでは言えないが、それでもある程度対応はできる。
(……来る)
そう思った瞬間、黒装束の少女の手から黒い弾丸が放たれ、ステラはあえてそれをギリギリで辛うじて、無理のある体勢で躱す。
次の瞬間、黒装束の少女の姿が消える。
……読み通り。
そして結界のグローブを纏ったステラの裏拳が、黒装束の少女の脇腹に叩き込まれる。
(……やっぱコイツ、動きは分かりやすいな。思った通りの動きしやがった)
弾き飛ばした少女をすぐさま追いながらそう考えた。
隙が生まれた。
だから隙に付け込む。
故に誘い込まれる。
だからこそ背後に回り込まれる事を前提として動けば。
それ前提で体重移動をして攻撃を躱し、攻撃を放てば当たる。
黒装束の少女にどれだけの戦闘経験があるのかは分からない。
だけどおそらく、有効打一発で戦闘不能に追い込めなかった経験が無い。
そういう動きをしている。
(……とはいえ、今のが決まるのもこの一回だけだろうな)
向こうが余程の馬鹿でもなければ、今自分の動きを捕捉されたという経験から行動パターンを変えてくる筈。
少なくとも馬鹿正直に背後にだけ飛ぶような事は真似はしてこない筈。
(だからこっちも本当は、今ので戦闘不能に追い込まないといけなかった)
だが間違いなく戦闘不能には追い込めていないだろう。
直接触れていない以上、体力は持っていかれていない。
だけど相手は元より高出力でタフな相手で、こちらもダメージの所為で拳に力が乗りきらず一撃が軽い。
だから予想通り、向かった先で少女は立っている。
そこまで余裕はなさそうだが……それでも一度でも触れられれば再び回復されるし、まず間違いなく触れられる。
攻撃を全て読めたとしても、それらに全て対処しきる体力などもう何処にもない。
今こうして必死に食らいついているのも、自分に注意を向けさせるために必死になってなんとかやっているだけ。
先程のカウンターまでの一連の動きを完璧に熟せたのが奇跡と言って良い位だ。
そんな状態で接近して拳を振るう。
……だが。
(くそ、スピードが乗らねえ!)
放った拳にはスピードが乗りきらない。
それ故に当然当たらず、黒装束の少女はカウンターの体勢を取る。
攻撃の軌道は読めた。
先の裏拳が効いているのか、向こうの攻撃のキレも幾分か鈍くなっている。
これは十分に躱せる攻撃。
……だが。
(……あ、これ無理だ)
体が思うように動かない。
別に新たに魔術を打ち込まれた訳でなく……単純に体が悲鳴を上げた結果。
これは躱せない。
躱せず体力を持っていかれて、流石に今度こそ戦闘不能にまで。
明確な死まで持っていかれる。
そんな直感が脳裏を過った。
(……まだ三分経ってねえ。くっそ、しくじったな)
そう思った瞬間だった。
「「……ッ!?」」
ステラと黒装束の少女は両者同時に苦悶の声を上げた。
そしてステラも黒装束の少女もバランスを崩してその場に膝を突く。
(なんだ……一体何が……ッ!)
まるで全身に電流が走ったように、痺れで体の自由を奪われた。
「……ッ!」
まともに身動きが取れない状況でステラの隣に居続けるのはマズイと判断したのだろう。
黒装束の少女はもがくように、ゆっくりとステラから僅かに距離を取った。
できたのは、それだけ。
それだけ強力な何かが、ステラと黒装束の少女の両者に掛けられている。
(……ああ、なるほど)
だけど少し考えれば理解できる。
自分達二人の動きを封じるだけの力を持っている可能性が高い人物。
動きを封じるという選択。
痺れ……電流。
「す、すみません……少し我慢しててくださいステラさん!」
声の方向に視線を向ける。
そこに立っていたのは予想通りの人物。
「二分も経ってねえぞ……やっぱやればできるじゃねえか。最高だよシルヴィ」
期待以上の仕事をしてくれたシルヴィがそこに居た。