8話
「あんなのが住んでるなんてな」
こりゃ人も住まない訳だわとコミヤマさんは頭をガリガリと掻きながら物陰から出る。俺も完全に腰が引いているが何とか立ち上がる。完全に精神が参ってしまったようで時折目眩がする。
「おい、嬢ちゃん大丈夫か?」
夜未は顔を青白くさせガタガタと震えていた。確かに相当ショッキングではあったがもう完全に去っただろうし大丈夫なのに。
「夜未、立てるか?」
夜未に手を伸ばすと震える手でゆっくりと握る。そのまま彼女の腕を引っ張り何とか立たせる。それでも夜未は今にも倒れそうな程フラフラしていて危うい状態だった。
「コミヤマさん一回休んだ方が」
今の夜未には何かを考える余裕はなさそうなのでコミヤマさんに話しかける。
コミヤマさんは迷う素振りを見せながらもこの状態の夜未に歩かせる訳には行かないと納得してくれた。
「だがこの建物が妄念になってるか分からんぞ、もしそうなら横になれるかどうか……」
そうコミヤマさんは言うが俺には一つの確信があった。
「多分大丈夫ですよ、ここはさっきの化け物の捕食対象になってませんでしたから」
そう、あの人型の妄念は人間だけでなく別の妄念も捕食していた。つまりここらにある建物は妄念になっていないからあいつは興味を示さなかったと考えられる。
コミヤマさんも気づいたようでなるほどと無精髭を撫でながら奥の暗闇を見つめる。
「分かった。とりあえず俺が先行するから着いてきな。もし妄念が出てきたら優が嬢ちゃんを担いででも逃げろ。その間は俺が足止めしといてやるからよ」
コクリと頷く。俺の頭をワシャワシャと撫でてると表情を引き締め刀を構え直してコミヤマさんは奥へと進んで行った。
結論から言うとここはちゃんと妄念がいなかった。五階まであったが全ての部屋ががらんどうな上に所々が影になっていた。影になっているという事は後は消えるまでの時を過ごすだけ、勿論屋内にビルとは関係ない妄念が潜んでいる危険性も無いとは言いきれなかったがそんな事もなく夜未をまだ陽の差しこむ部屋で寝かせる。
普段は夜未も眠らないようなのだが今回は精神的によっぽどショックだったのか赤子のようにすやすやと眠っている。
「あの化け物、今後出会わないと思いますか?」
「さてなぁ……」
コミヤマさんは壁によりかかって脱力している。来ないと否定して欲しかったが結局は俺が安心感を得たいがためにどうしようも無いことを聞いているのだと口を閉じる。
俺も少し疲れた。先程から張り詰めていた精神の糸がぷっつりと切れてしまったようで力が抜け……て、眠気が、来る……。
ゆっくりと優の瞼が落ちていくのを見て俺も眠ろうかとも思ったがここで妄念が来たら誰が対処するのだと思い直し立ち上がる。
「かっこいい大人じゃねぇと死んだら恥かくわな」
自らを鼓舞し刀を杖のようにして少しずつ歩き出す。そうでもしないと自分まで眠ってしまいそうだ。
全く、強い子供だよ。俺の足なんか今でも震えてやがる。それなのに恐怖で叫びたいのを必死に堪えてた上にすぐさまここが安全である事を見抜きやがった。あの時俺はすぐにでも帰ろうと提案しようとしたのによ。
「はぁ……」
さっきの優の問いには出会わないって答えるべきだったんだろうな、だがそう楽観視させるのは大人の、俺が憧れた誰がのやる事じゃねぇ。その誰かは忘れちまったんだがな、全く影に溶けるまでの辛抱と思っていたがこんな事になるとは人生まだまだこれからって所かねぇ。まっ、コイツら残して死ぬのは俺らしくないよな。
自らの頬を叩き喝を入れる。眠気は覚めた。足の震えも止まった。刀を腰にかける。
こっからは、気合い入れ直していかんとな。
「うん……寝てたのか?」
どうやら眠ってしまっていたそうで尻についた汚れを払い立ち上がる。まだ夜未は寝ているようだが血色は戻っており寝息も落ち着いているようでこれなら起きた時には十分だろう。
しかし常に太陽の位置が同じだと自分がここでどれほど過ごしたのかが全く分からないな、寝すぎたのか全く寝てないのかも分からないのは不便だ。
「よう、起きたか」
「はい俺はもう大丈夫です」
丁度コミヤマさんが部屋に戻ってきた。
「そうだ。優、ちょっと付き合ってくれ」
そう言って俺の肩を叩く。夜未が心配だがここには妄念はいないし大丈夫だろう。俺はコミヤマさんの後を付いて行った。
コミヤマさんに連れられて来たのは少し離れた階段だった。ここなら新しく妄念が迷い込んで来ても夜未が襲われる前に気付けることができそうだ。
「一体どうしたんですか」
「いや何、大した事じゃねえがお前さん何もんなんだ?」
自分は何者なのか、難しい質問だな。するとコミヤマさんは俺の表情を見て慌ててかぶりを振る。
「そんな難しい話じゃねぇ、ただ最近こっちに落ちてくる人なんてほとんどいねぇって事だ。それとその服装も軍服って訳じゃなさそうだしな」
あぁ、そういう事か。つまりコミヤマさんは何で現代からこっちに落ちてきたのか、そして何故俺はみんなに忘れ去られたのかって事を聞きたいのか。
「それが……別にそういうんじゃないんです。俺は誰からも忘れられてはいないと思うし、学校で帰りが遅くなった時に偶然こっちに引き込まれただけなんですよね」
あははと頭をかいて苦笑する。我ながら変な境遇に巻き込まれたものだ。あそこですぐに帰ってればこんな漫画やラノベの世界なんて体験することはなかったのにな。
「そんな事があるのかよ……」
巻き込まれたこっちからすればたまったものではないがそこはそれ、大事なのはこっからだし。
だがコミヤマさんからしては笑い話で済まされるようなものではなかったらしい。怒りで肩を震わせているようだった。
「えっと、どうしたんですか?」
「いや……すまん。絶対、絶対に帰してやるからな」
コミヤマさんの真剣な表情に戸惑いを覚えるが赤の他人がここまで自分の事を思ってくれている事に嬉しさも感じる。
その時夜未を寝かしていた部屋から衣擦れの音が聞こえた。
「あれ……ここは?」
夜未が起きたようだ。コミヤマさんは一つ深呼吸をして意識を切りかえたのか俺に行ってやれとだけ言い階段を降りていった。
「夜未、大丈夫か?」
寝起きでまだ少しぼんやりとしている夜未に話しかける。彼女は少しずつ目が冴えてきて先程の光景を思い出したのか少し顔を青ざめるも大丈夫と答え立ち上がる。
「ありがとう優くん、もう大丈夫。それじゃ行こっか」
夜未はそう気丈に振る舞いながら部屋を出て階段を降りていった。
普通なら怖がって一歩も動けなくなってもおかしくないのに夜未は凄いな。俺は小走りで見えなくなった彼女の背中を追った。