12話
「落ち着いた?」
「……死にたい」
それから数分のあいだ夜未は泣き続けていたが落ち着いたらしく次第に泣き止むと今度は恥ずかしさが出てきたらしく抱きついたまま離れなくなってしまった。
「もう大丈夫かい?」
あっ、とし子さんの事を忘れてた。夜未が泣いている間ずっと待っていてくれてしまだ思う所はあるが悪意から俺に言ったわけでもないのだろう。
「えぇ、俺は大丈夫ですけど……」
夜未が真っ赤に染めた顔でとし子さんを睨む。だが俺達からしたら威圧感の欠片もなくただただ可愛いだけだった。
「別に、私も怒ってるけどいつかは伝えなきゃいけないことだったし」
「それは悪い事をしたねぇ、だけど久しぶりに驚いたし少しおまけしてやろうか。なに、年長者の意地ってやつさ。コミヤマの坊主も居た方が都合がいいし着いてきな」
俺と夜未はおまけという言葉に顔を見合わせるが少なくとも利になる話である事には違いないし着いていかない選択肢はないだろうととし子さんの背中を追った。
「そういえばコミヤマさんには夜未の腕の事は言うの?」
階段を降りる最中ふと思ったので夜未に聞く。夜未は包帯を腕に巻いていたが考えていなかったらしく硬直して半分まで巻いていた包帯がまたスルスルと落ちていった。
「あー、言った方がいいかな?」
「俺に聞かれても……。でもどちらにせよ俺は夜未の判断を尊重するよ、言わないのだったら最後まで隠し通すし言うにしても絶対に殺させないから」
夜未はほとんど聞こえないぐらいの声でありがとと呟いた。それからまた包帯を巻き、完全に巻き終わると待っていた俺の手を引いて階段を降りていく。
「うん、言うよ。別に悪い奴ではないし」
「そっか」
「でもいけ好かない奴だけどね!」
そう言う夜未の顔はまだ少し赤かったもののもう暗い雰囲気は吹き飛んでいた。
「という訳で私の腕は妄念になってるの、どうする?」
そしてコミヤマさんと合流し夜未の腕について話す。コミヤマさんは初めは驚きの表情を浮かべていたが元々疑いを向けていた事もあったのか納得するまでは早かった。
「そうか……」
コミヤマさんは無精髭をさすっている。癖なのだろうか、そんな場違いな事を考えてるととし子さんが唐突に扉を開けて入ってきた。
「もう話は終わったかい?」
全員が驚きでビクリと肩を震わせる。そんな急に空気も読まずに入ってきますかね、知らなかったんだからしょうがないんだろうけどさ……
どうにもまだ途中だった事を察したらしくあぁ、まだだったのかいとだけ残してまた扉の向こうへ消えていった。残された俺たちはなんとも締まらない緩い空気になってしまったな全員で顔を見合せ苦笑する。
「別に俺は完全に妄念になる迄なら関係ないさ、だがもし妄念になり切ったら俺は躊躇なく斬る。それでいいか?」
「勿論、あんな化け物になってまで生きたいとも思わないからそれで良いわ」
不安だった訳ではないが何とか最悪の事態にはならなかった様で安心する。
そして遂に満を持してとし子さんが部屋に入ってくる。もしかして空気を弛緩させる為にわざと入ってきたのかとも思ったがそこまで考えるとキリがないので俺は考えるのを辞めた。
「それじゃあここからは本質的な部分の話をしていこうかね」
「本質的ですか?」
「あぁ、この世界の根幹に関わることさ」
とし子さんはニヤリと口元を歪める。その瞬間先程と雰囲気が一変してこれはマジなんだという事に嫌でも気付かされる。
「この世界に限らず正と負があるのは知ってるね。それの話さ」
正と負、プラスとマイナスの事か。簡単な数学の概念だが一体それがこの世界でどう関係しているんだ?
「いいかい、あんたらにとって化け物である妄念。あれと影。その二つは正と負によって密接に繋がってるんだよ。妄念の消え方は知ってるかい?」
「あぁ、俺らが殺すまで死なないんだろ」
そうコミヤマさんが言うととし子さんは違うねとかぶりを振った。
「外的要因で死んだように見えるのは力が弱まって空間に溶けたに過ぎない、また何年かしたらゆっくりと再生するのさ。本当の意味で妄念が死ぬのは妄念になり切ってない人を喰らった時さ」
訳が分からない、だってものを食べて死ぬなんてありえない、普通食べなかったら死ぬんじゃないのか。もし可視化できるのなら俺達の頭には多くのクエスチョンマークが浮かんでいるだろう。
「いいかい、妄念達は生きたい、元の世界へと、という意思で動いてるんだ。それに対して影は諦念で生きている。どっちが正かは火を見るより明らかだよ、そう。正は負を吸収して零になり消滅する」
そしてとし子さんはそのまま残酷な言葉を紡いでいく。
「この世界は負だけが許容される世界、前を向くことが禁忌の現実とは正反対の壊れた世界なのさ」