10話
まさかの探していた本人の登場に皆空いた口が塞がらなかかった。夜未も充血した目を驚愕に見開いている。
「なんで助けてくれたんですか?」
「そりゃあんた目の前で死にそうになってる。そして私にはそれをどうにかする力がある。なら助けるのは当たり前だろう?」
とし子さんはそう言うと快活にニカッと笑い黄色くなった歯を覗かせる。ともかく優しそうな人でよかった。もし占い師がマッドサイエンティストだったらどうしようかと密かに思っていたのは内緒だ。
「優を助けてくれたのは有難いがあのスピードはただもんじゃない。一体どういうカラクリなんだ?」
「あぁ、これかい?」
おもむろにとし子さんは浴衣から足を露出する。いきなりの事で顔を背けようとしたが足に付いた眼球が目に留まる。
「まさか……」
「そう、私の足は妄念になっとるよ。これのおかげでこの歳でも杖いらずじゃ」
だからあの時俺を抱えて一瞬で助ける事ができたのか。リスクは多分に含まれているが合理的、中心部で住むということはそういう事なのだろう。
「それよりも私ゃあんたらの名前を聞いとらんのだがねぇ」
「あっ、如月優です」
「夜未……」
「あぁ、悪い。コミヤマだ」
するとそこで初めて夜未を目に停めたのか興味深いものを見る目で夜未を見る。少し不快そうに身じろいだので丁度まだ抱きついていた事もあり盾になるように背中にやる。
「不快だったかい、いや悪いねぇ。どうもこの歳になると目が悪くなっていけない。まっ、こんな所まで来たんだから追い返すのも忍びないからね、こっちに来な」
とし子さんは奥の階段を上がってゆく。ドンピシャで逃げ込んだ所がとし子さんの家だったことに違和感を覚えるがそんなラッキーもたまにはあるのかもしれない。俺たちは顔を見合せてコミヤマさんを先頭にとし子さんに着いて行く。
「歩きにくいんだけど……」
「ダメ、次あんな事したら怒るからね」
階段を上ってる時も変わらずにしがみついているがこれは離してくれなさそうだな、涙目の上目遣いは流石に反則だろう。
「この部屋に入りな、求めているものじゃないだろうが面白いものを見せてやろう」
ガチャりと重々しい音を響かせとし子さんが扉を開ける。
「これは……」
その部屋にはそこらじゅうに切り傷が入っていた。だが妄念や獣が暴れた跡ではなく規則的にそれは並べられていた。
「日数を数えている?」
俺は唯一それに見覚えがあった。無人島に取り残された人が助けが来るまでの日数を数えるために岩に跡をつける。正しくそれだ。
だがそれは太陽の昇り沈みや時計の存在。つまり日の流れを目に見える形で表されることで初めて存在する概念でありこの時間の止まった時計塔、沈むことの無い太陽しかないここでは存在するはずのないもの。
夜未達も俺の方を見て有り得ないという表情をしている。
「おや、よく分かったね。確かに私はここで今までどれだけこっちで過ごしたかを数えているよ」
「でもどうやって……?」
とし子さんは懐から一つの懐中時計を差し出す。開けてみるとそれは正常に時を刻んでいた。
そうか、これのおかげで……
「正常な時計がここに落ちてくることはないがこの時計は壊れたからそこをちょちょいと……ね」
壊れた時計を復活させたのか、確かにそれなら時間を計ることができる。改めてビッシリと書き込まれた壁の傷に目を向ける。そこにはどれ程の長い時を過ごしてきたのかがありありと伝わってくる。
「待って、時計はこっちに落ちてくることはないってどういうこと?」
流石に人前ということもあり距離は相変わらず近いままだが抱きつくのをやめた夜未が聞く。
そうだ。とし子さんは確信を持って時計は落ちてこないと言っていた。ここが人と妄念だけの世界なら分からなくもないが普通に様々な物も落ちてきている。
「あんたまさか……いや何でもないよ。時を刻むことの出来る物は落ちてくる事は絶対に無い。簡単な事だよ、一体どうやったら人類全員が時間を忘れるんだい?」
「どういうこと?」
「時計ってのはまんま時間の概念の体現なんだよ、つまりどのような形であれ時計が無ければ人は時間を測れない。その時点で概念としての時計が忘れられる事は無いんだよ」
十分難しい話だが理解不能という訳ではない、簡単に言うと概念が忘れられる事はなくそれを象徴するものも忘れられる事は無いということか。でもそれならここにある全ての物がこの世界来ている事実はどうなるのだろうか?
「目の付け所が良いね優坊」
ゆっ、優坊!?
もう高校生なのにまさか坊付けされるとは思っていなかった。しかも今俺の考えてることを読んだ?
「当たり前さね、占い師を舐めんじゃないよ」
そうとし子さんはニヤニヤと笑う。占い師って凄いんだな……。
完全に置いてけぼりをくらっていた夜未とコミヤマさんは頭にクエスチョンマークを浮かべていた。
「「へぇー」」
「あんたら絶対分かってないだろ」
そこから少しして俺が説明したがどうやら伝わらなかったようだ。まぁ人に何かを教えるためには自分が完全に理解しなきゃならないと聞くし俺もまだ分からない部分が多くある中での解説だから無理もないか。
「話を進めていいかい?」
「はい、どうぞ」
コホンと一つ咳払いをして話し始める。
「だけど個として忘れられた物は別なのさ。人間然りこの時計然りね」
そう自分の手に戻した懐中時計をブラブラと揺らす。あれ、だけどさっきの話と矛盾してないか?
間違いを探すように今まで見たものを思い出してみる。木造の廃校、古ぼけたアパート、脚の欠けたちゃぶ台、両腕のもげたロボット、主のいない畑、動くことのない時計塔、そして壊れていたという懐中時計……あっ。
「これらのここに落ちて来るものはね、皆何であっても……」
「「壊れている物」」
とし子さんと声が重なる。そう、壊れている物ならそれは概念を象徴する物として働いていない、何故ならそれには概念を表す力がもうないから。
それなら一個の何の役割のない物として扱われる。もしそれが誰からも覚えられなくなったらここに落ちてくるとし子さんの言っていた条件と合致する。
そしてそれは人間にも当てはまる。今では近所づきあいが希薄になっても様々なツールによって存在を定義されているのでこっちに落ちてくる人はほとんどいないが昔はそうではないだろう。
「つまりなんだ、俺たちはどこかしら壊れてるから落ちてきたってことか?これでも体は丈夫なんだけどな」
コミヤマさんが難しかったのだろうか頭をガリガリと掻く。
「体じゃないさね。精神、心の話さ。別にあんたらが気狂いだって言いたい訳じゃないがね、忘れてるかもしれないが何かがあったんだろうさ。あぁ、少し休むと良い、ここ以外はまともだから好きな部屋を使いな」
そう残しとし子さんはこの部屋を去っていった。
俺たちはとし子さんの独特の雰囲気に飲まれなにも言うことなく彼女の背中を見送った。