1話
人は忘れる生き物である。例えば小さい時に遊んでいた人形、何年も前に読んでいた小説の内容、昔にハマっていた曲の題名果てにはかつての親友まで。
「それじゃあまたな」
俺は友人の声を背に電車のホームから降りて改札を出る。最近は文化祭が近くて普段は暇を持て余しボードゲーム部となっている天文部の俺も下校時間スレスレまで作業していた。耳に付けたイヤホンから音楽を垂れ流し脳内でオリジナルのプラネタリウムの解説をする時の内容を暗唱していると気づいた時には数十分はかかる家の目の前に着いていた。
「ただいまぁー」
「おかえり、今日遅かったけど部活?あぁ、晩御飯出来てるから先に食べちゃって」
母さんも文化祭が近いことを勿論知っているので遅くなったくらいでは心配もしない。
「了解」
そう返事をして二階へと上がり制服を脱ぎ散らかしとりあえずのジャージに着替えて一階へと降りる。
「おかえりなさい、優ちゃん」
「ただいま、ばあちゃん」
リビングのドアを開けとテレビの前でお茶を飲んでくつろいでいるばあちゃんに軽く返事を返す。どうやら既に皆は晩御飯を食べ終えているようだ。
「一応チンする?」
「まだあったかそうだし大丈夫」
母さんが台所で洗い物をしている後ろを通りお盆の上に盛られた晩御飯を持って机に座る。
「最近は部活大変ね」
「まぁね、文化祭近いし、そういえば今年は来るの?」
テレビに軽く目を向けながら母さんに返事をする。母さんは食器を洗っている手を止めること無く少しの間考え
「美代さんはどうします?」
ばあちゃんに聞いた。まぁ去年も母さんは行ってたからな、別段内容が大きく変わる訳じゃないし興味もそんなに無いのだろう。
「そうねぇ……去年は私体壊して行けなかったから行きたいわぁ」
「そうですか、それじゃあ私も行こうかしら」
「それじゃあ来た時はうちの部活に一票お願いね」
毎年部活やクラスの出し物に投票がありいつももう少しという所で入賞を逃しているから票を入れてくれる人が増えたのは嬉しい。
「分かってるわよ、箸が止まってるから早く食べちゃいなさい、もう洗い物終わったから優ちゃんに洗い物させるわよ〜」
「げ」
慌てて残りをかっ込む。むせそうになったけどお茶を流し込んで何とか食べ終わる。
「それじゃあお風呂入ってくる!」
「はいはい」
何だかんだで待っててくれた母さんに片手で拝みパジャマを掴んでお風呂場へと向かう。そうして今日は平和に過ぎていった。
「ヤバっ」
そして時は過ぎ文化祭前日、全ての準備が終わった頃には下校時間を過ぎて一時間は軽く経っていた。以前の反省から母さんに事前に連絡は入れたがまさかの部活メンバーが前日になって体調不良で休んだり実行委員の仕事が重なったりで俺一人で作業をする羽目になってしまった。因みに後輩は下校時間過ぎてまで残す訳にはいかないのでもう帰している。昇降口へ向かうため階段を駆け下りていると見慣れないものを見かけふと足が止まる。
「あれ……こんなのあったかな?」
文化祭前日だけあって物も少し散乱しており装飾かと思ったが明らかにそこだけ異様で、踊り場の柱に大きな謎の亀裂が入っていた。薄暗くて見間違えかと思い校則違反だがスマホを取り出しライトを付けて確認する。そうすると確かに奥行きのある黒い線が入っている。作業中にぶっ壊したのか?どんな破壊屋だよ……と疑問は尽きないがこんなの見つかったら大目玉だろうなぁ、ここ担当のやつ、南無三。
改めてスマホをしまい階段を降りようと思ったら奇妙な事に気づく。なんでライトで照らしたのに奥が真っ黒だったんだ?
「待てよおい!」
一気に背筋が寒くなる。もう一度スマホを取り出し照らそうとしたら亀裂からナニカがこちらを覗いた。
「は?」
気づいたら亀裂から闇が吹き出し俺を包み込む。何がなんだか分からずに抵抗すらすることも無くそのまま闇に取り込まれる。明日、文化祭なのになぁ。皆にはどう説明しよ……
闇に飲み込まれる寸前、手から滑り落ちたスマホが虚しくカランと音を立て踊り場に落ちる。ライトが虚しく照らす踊り場には優はおろか亀裂すらなくただ無人の校舎を映すだけだった。