サラの誕生日
連絡が届いたのは森の中の小規模な集落の遺跡を調査していた時だった。
報告では都市の廃墟だという事だったらしいが、たった十数個の住居跡を都市だと言うなら蟻塚は高層ビルになってしまう。私が報奨金を払うわけではないが、これは詐欺と言ってもいいんじゃないだろうか。
軽やかなチャイムと共に宇宙服のバイザーの隅に点滅する〈緊急連絡〉が投影された。本部から暗号化された文書が届いたらしい。
「読み上げてくれ、アイちゃん」
サンプル採取用の尖ったハンマーを取り出しながら、調査船から搭載艇経由で宇宙服までネットワークを形成している人工知能(AI)のアイちゃんに告げる。念のために言っておくと、私がこの船に配属された時から呼び出しコードは「アイちゃん」だ。コードの変更も可能なのだが、めんどくさいのでそのままにしてある。
「できません。最高度の秘密通信です」
「・・・わかった。表示してくれ」
(こんな宇宙の果てで誰が盗聴するんだよ!)なんて言っても無駄だ。
音声にするとバイザーが振動するからそれを精密に観測すれば何を話しているかわかってしまう。したがって高レベルの秘密通信の場合には読み上げ機能は使用禁止。アイちゃんは禁止されていることは絶対にやらないのだ。
外から見えないように真っ黒になったバイザーにいきなり〈最優先〉のフラッシュが表示された。
〈オータ お正月が来た。大至急おせち料理を用意してくれ。材料は準備中。マスター〉
本当かよ! 思わず読み返してしまったが、バイザーに投影されているそれは確かに私が設定した私専用の符丁だった。まさか「生きている地球外生命体が発見された。コンタクトしろ」なんて指示をもらう時が来るなんて思ってもいなかったのだ。
本当にいいのか、私で? 一応異星人と遭遇した場合の行動指針とかの講習も受けているとはいえ、一番下っ端の新米調査員なんだぞ。〈お正月〉の座標が私の担当宙域内であることくらいしか思い当たる理由がない。
「通信文を消去して了解を送信しておいてくれ」
「通信文を消去して了解を送信します」
透明に戻ったバイザーの〈送信済み〉を確認してハンマーを振り上げる。この遺跡の住居跡らしいドームテントのような構造物は黒い泥岩のようなものでできている。おそらくはセメントのように粉と水を混ぜて成形すると固まるような材料を使っているんだろうと思う。それはいいとして問題は耐久性だ。樹木の成長速度を最大限に見積もってもこの集落が森に呑み込まれてから100年から1000年は経過しているように見える。地球産のセメントでこれほどの耐久性を持つものは少ないし、黒いセメントも珍しい。サンプルを持ち帰る価値があると言えるだろう。
だが、ハンマーは振り下ろせなかった。宇宙服の関節部に取り付けられているアシストモーターがロックされている。
「『大至急』という指示が出ています。調査船に戻りましょう」
「え? いや・・・サンプルを採取する時間くらいはいいだろ」
「戻りましょう」
「だからちょっとだけ・・・」
「自動帰還モードに切り替えます」
宇宙服は私の腕に逆らってハンマーをホルスターに戻すと勝手に歩き始めた。
自動帰還モードは別名ゾンビモードとも言い、乗組員が意識や命を失った状態でも港まで連れ帰ってくれるという、特にソロの宇宙船のりにはありがたいモードらしいのだが・・・聞いてないぞ、後ろ向きに歩くなんて!
「アイちゃん、わかった。船に戻るから。頼むから前向きに歩かせてくれぇ!」
高G環境下でも行動可能という宇宙服のパワーには逆らいようがない。
「姿勢をZ軸を中心に180度変更します」
おもしろくない。私は全身の力を抜いて宇宙服が着陸艇に向かって歩いて行くのに任せることにした。この宇宙服には人間なんていらないんだろう。
太陽系の外へ踏み出した地球人類を待っていたのは数多くの地球外文明の遺跡だった。乗組員が死に絶えたまま漂流している宇宙船とか惑星上の朽ちかけた廃墟とかだ。次々に発見される遺跡の数だけの地球外文明が生まれては滅び生まれては滅びしてきたことになる。
これらの遺跡には地球上ではまだ実用化されていない技術を使ったエンジンや未知の新素材がごろごろしていた。そういうお宝のおかげで人類が宇宙へ進出していく速度は飛躍的に向上することになった。そして、めざとい大企業は独自の技術を自社で一歩一歩開発するよりも宇宙のどこかに転がっている完成品を見つけ出してコピーした方が時間も金もかからないということに気が付いたのだった。
需要があれば供給しようと考える者たちが現れる。遺跡から得られた新技術のおかげで宇宙船の価格が大幅に低下したせいもあって、地球人が定住している宙域の少し外に転がっている未発見のお宝を探し出して企業や好事家に売りつける事を生業とするトレジャーハンターたちが自然発生した。
宇宙考古局は文化的価値など知ったこっちゃないというハンターたちから遺跡を守り、研究するために設立された組織なのだが、そんなものがまともに機能するわけがない。当初は限られた予算で価値のある物を掠い尽くされた遺跡をちまちまと研究するという状況だったらしい。しかし、明けない夜はない。十分に多くの遺跡のデータを集めてそれらを総合的に分析した考古局は、どの文明も最長1万年以下で崩壊していることを解明した。これでいくら宇宙の彼方に耳を向けても、あるいはこちらから呼びかけても誰も応えてくれないのはなぜか、という長年の問題に対して一つの仮説が提示されることになった。彼らは、少なくとも太陽系の周辺ではすでにいなくなってしまっているのではないか。
宇宙考古局の予算と規模が大幅に拡大された。地球人の文明も滅びに向かっているのならそれを回避、あるいは少しでも遅らせるという明確で実用的な目的が設定されたために地球外文明の遺跡をより詳細に調査しなければならなくなったのだ。そういうわけで、今では遺跡の発見者に対して報奨金が支払われる事になっている。保存状態によって報奨金の額が変わるのでハンターの方でもできるだけ破壊しないように気をつけるようになったらしい。それでも美術品として闇から闇へと流されていく遺物もなくなってはいないという話だが。
着陸艇に戻って宇宙服のクレードルの前に立つと伸びてきたクレードルが金属の円筒を関節で繋いだような硬式宇宙服をキャッチしてビーチベッドのような楽な姿勢にしてくれる。薄いクッションで内張りされている宇宙服そのものをシート代わりにして同時にバッテリーに充電、エアも補充してしまうという合理的なシステムだ。操縦はほとんどアイちゃん任せだからこれで十分ということらしい。必要なら音声入力もできるし、指先の位置にあるボタンも押せる。
「緊急離脱モードで帰還しますか」
アイちゃんは緊急通信を受信したので急ぐ必要があると判断したらしい。
「ノー。時間優先モードにして。肋骨を折ったりすると調査に支障が出るよ」
命さえ助かればいいという状況でもあるまい。
しばらく間が開いた。肋骨とは何か、それが折れると調査にどういう影響が出るのか、なんてことを調べていたんじゃないかと思う。
「時間優先モードで帰還します」
分かってもらえてよかった。
知性体発見の報告を入れたのはカールのおやっさんだった。
おやっさんに初めて会ったのは基地の近くの食堂だった。調査船7号に乗っていた前任調査員のアランさんが、引き継ぎの後に連れて行ってくれた店にたまたまヴォルグ一家がいたのだ。それを見つけたアランさんはさっさと4人掛けのテーブルの空いているところに定食トレーを置いた。
「よう、おやっさん。儲かってるかい」
「ああ。食うに困らない程度には、な。誰だ?」
チリチリパーマをかけたようなあごひげの大男がこっちを見る。
「初めまして。オータ・ケンジと言います」
おろおろしているとアランさんと十代前半くらいの少年がトレーを寄せてくれたので私のトレーもテーブルに置かせてもらうことにした。椅子は隣のテーブルから借りてくる。
「俺ぁ引退することにしたんでな。明日っから調査船7号にはこのオータが乗る」
「そうか。個人営業の探査船ワルキューレ号の船長、カール・ヴォルグだ。よろしくな」
仏頂面のままごつい右手を差し出された。食事の邪魔をされて気を悪くしたか?
「こっちは嫁さんのユエと息子のトール」
ユエさんは黒い髪でアジア系の顔立ちをしていた。小柄な体つきなのでおやっさんといると大人と子供に見える。トール君の方はやせ型で白っぽいブロンドの髪だ。
「どうしたんだ? 安定したお役所仕事だし、隠居するような年でもあるまいに」
「考古局のレーションを食い飽きたんだよ。港へ帰ってもユエちゃんのうまいメシが待ってるわけでもないしな」
「やだ。何十年前の話よ」
何十年て・・・。この人、いくつなんだろう? かわいらしい笑い方をする人だが、どうにも年齢の見当がつかない。
「食べたい物があるんだったら船内に持ち込んじゃえばいいじゃない」
「そういうわけにもいかねえさ。お役所の船だし、ユエちゃんみたいに船内にプランター置いても世話しきれねえしな」
「そうか。元気でな」
「ああ、おやっさんもな」
あっさりしたものだ。
「オータ、おやっさんの本業はヤマシなんだ」
「鉱山の師と書いてヤマ師だ。植民可能な惑星や鉱物資源の情報を売ってる」
「そう。そのヤマ師なんだが、辺境宙域で資源調査をしていると遺跡を見つけっちまうこともよくあるんだそうだ。遺跡を発見した時に手を出さずに考古局に報告してくれるハンターは俺が知る限りおやっさんだけなんだぞ」
「超技術のエンジンだの電子機器だのの価値は分からんし、それを売りさばくルートも持ってないってだけだ。チタンやリチウムのインゴットのような素材もんなら遠慮無くネコババするさ」
「・・・オータ」
「はい」
「今の話は忘れろ」
「・・・・・・はい。忘れました」
報告されたのは赤色矮星の恒星系だった。大昔にフライバイした探査機のデータによれば惑星は5個。内側から3番目までが岩石惑星、それにガス惑星と氷惑星が1個ずつだ。ハビタブルゾーンに入っているのは第2惑星と第3惑星。第2惑星の表面重力は約0・7G。大気はほとんどない。第3惑星は0・9G。大気と水あり。生命が生まれるとしたらこっちだろう。ガス惑星も氷惑星も大きくはない。地球人の感覚では貧弱な星ばかりだが、宇宙では最も多数派の恒星系だ。
赤色矮星は宇宙の線香花火とも言われる。多くの星間ガスを集められなかったために質量が小さくて中心部での核融合が比較的不活発になり、赤外線から赤にかけての弱い光を長期間放ち続けるという特徴がある。恒星の光が弱くてもそれに近い軌道には液体の水が存在できるいわゆるハビタブルゾーンが存在する。実際、他の星系では魚レベルまで進化した生物が見つかった惑星もいくつかあるそうだ。だが、赤色矮星の恒星系で陸上へ進出した生物はまだ確認されていなかったはずだ。そんな恒星系で知的生物が進化したというなら大発見だが、そういう場合は地球人類を代表する使節団とか大使とかが派遣されるんじゃないか? なぜ私のような下っ端調査員に話が来たんだろう?
第5惑星の軌道を横切った途端にアラームが鳴った。
「船外センサーがガンマ線の急激な増加をキャッチしました。前方の赤色矮星の表面でフレアが発生したようです。まだ危険なレベルには達していませんが注意してください」
そのガンマ線の発生源に向かうのも仕事の範囲内だ。
フレアについては専門外なのだが、恒星内の磁場のエネルギーが一気に解放されることによって起こるというから伸びきったゴムひもがプツンと切れるようなメカニズムがあるんだろう。恒星サイズのゴムひもが切れるとその表面で大爆発が起こって高エネルギーの荷電粒子や電磁波が放出される。荷電粒子は惑星に磁場が存在していればそれではじき飛ばされるんだろうが、問題はエックス線やガンマ線のような電磁波だ。特にその透過力とエネルギーでタンパク質や遺伝子を切り刻むガンマ線は、その強度を十分の一にするのに水なら40センチの厚さを必要とする。つまり海面近くで光合成をするような生物は頻繁に絶滅させられることになるのだ。したがって大気中の酸素濃度が上昇し難いし、長い時間をかけて少しずつ酸素濃度を上げても陸上には隠れるところがない。
こんな普段はおとなしいが怒ると手がつけられないというような不安定な恒星系でよくもまあ知性体まで進化できたものだ。早い段階でエックス線やガンマ線に耐えられる形質を獲得したのだろうか。
第4惑星の軌道あたりでトランスポンダーを二つ受信したので、アイちゃんに惑星の軌道図に相手の詳細と予想される軌道を重ねてもらう。恒星の近くでこっちと浅い角度で交差する軌道に乗っているのは〈マスター運輸の貨物船〉だ。これにおせち料理の材料、つまり異星人とのコンタクトに使う機材が積まれているんだろう。もうひとつは第2惑星の近くから発信されている。表示は自家用宇宙船〈ワルキューレ号〉だ。
おかしい。なぜ第3惑星でなくて第2惑星なんだ? もしかして他の星系からやってきて遭難した宇宙船のAIが生き残っていた、とかだろうか。どういう状況なのかよく分からないが、とりあえず通信回線を繋ぐことにする。
ノイズが残るスクリーンにチリチリのひげ面が現れた。初対面の時と同じごつい面構えだが、ちょっと表情が柔らかくなったような気もする。
「こちら宇宙考古局の調査船7号。船長のオータ・ケンジです」
「ワルキューレ号の船長、カール・ヴォルグだ。考古局の速い対応に感謝する」
まずは儀礼的な挨拶。
「おめでとう、おやっさん。大当たりですね」
「おお、ありがとよ。それでだ、もう一度おめでとうを言ってもらわにゃならんのだ」
おやっさんが脇へ退いた。そこにいたのは何年経ってもかわいい奥さん・・・とその腕に抱かれて眠っている赤ちゃん! 子供連れで宇宙船に乗ってんのかよ! あ、いやいや、その前に・・・。
「おめでとうございます。女の子ですか?」
産着がピンクだった。
「そうよ。名前はシンにしたわ。私の先祖の言葉で星という意味なの」
宇宙では地球人の繁殖率が極端に低下するそうだ。人口密度は真空に近いし、仕事は忙しいし、有害な宇宙放射線から代謝が活発な乳幼児を守ってくれる磁気圏もない。そんな環境で二人目! その勇気と努力は尊敬に値する。女性は偉大だ。
その時シンちゃんが目を覚ました。何かを探すようにあっちこっちに顔を向ける。そのまん丸い目がこっちを向いて止まった。
「えと・・・」
ここは「初めまして」だろうか、それとも「おはよう」だろうか、とか考えていたら泣き出した。小さなお手々を振り回して泣きわめく。どうしたらいいんだ、こんなの?
「あらあら、おむつかしら。ちょっと失礼するわね」
奥さんはシンちゃんを揺すりながら画面の外へ出て行った。
「さて、ちょいとノイズが多いな。もう少し船を寄せてくれ。ああ、それから第3惑星の軌道には近づくなよ。デブリの中に突っ込んだら蜂の巣になっちまうからな」
盗み聞きされたくないからレーザー通信ができる距離まで来いという意味だ。ハンターのようなハイリスクの職業だと我々公務員よりも用心深くなるんだろうか。
忠告通りに恒星系の極方向に迂回しながら観測装置を向けてもらうと第3惑星は雲に覆われていた。
「大気の主成分は窒素、水蒸気、二酸化炭素、それに二酸化イオウです」
いわゆる火山性の大気だ。赤外線に切り替えてもらうと雲の下にポツポツと噴火口らしい高温のスポットがあるのが分かる。その中でも特に大きいのが直径1000キロほどの巨大な熱源だ。地下から噴出した溶岩なら地形に沿って流れるはずだが、縁がはっきりしているからこれはかなり大型の衝突クレーターだろう。
地殻を貫いてマントルまで届くような巨大隕石が衝突すると、その衝撃波によって惑星全体が揺さぶられる。その結果、全惑星規模で火山活動が活発化してしまったのだろう。惑星周辺にデブリが多いのもこれで説明がつく。衝突した天体が持っていた運動エネルギーはその大部分が熱に変わり、地殻だろうがマントルだろうが蒸発させてしまう。これでは生きた文明であれ遺跡であれ数千度の岩石蒸気に灼き尽くされ、火山噴出物に埋もれてしまっているだろう。着陸して探査どころではない。だから第2惑星なのか? 破局を予期した第3惑星人が第2惑星にコロニーを建設したのだろうか。
第2惑星は恒星にかなり近い軌道を回っている。この距離では潮汐力の作用で自転が止まっているはずだ。常に恒星の光を浴び続ける昼半球と永遠に朝が来ない夜半球の間の黄昏地帯にドーム都市でも建設すればしばらくは生き延びられるかもしれない。ただ、まとまった数の異星人がいたのならこっちも何人かの使節団を編成するんじゃないかとも思う。生身の人々はいなくなってAIだけが生き残っていたというような状況だろうか。だが、それなら考古局のAIが直接コンタクトすれば話が早いだろう。いったい考古局は私に何をさせるつもりだ?
ワルキューレ号は第2惑星の夜側の公転軌道上にいた。なるほど惑星の陰ならフレアの影響も少ないだろう。
アラームが鳴った。
「貨物船のトランスポンダーが消えました。第2惑星の衛星軌道に乗って惑星の向こう側に入ったようです」
やはりお正月が来るのは第2惑星だということなんだろう。
「アイちゃん、どちらかの船が燃料満載の状態で爆発しても安全な距離を置いてワルキューレ号を追いかける軌道に乗せて」
辺境ではそれが暗黙のルールだと聞いている。「例えメーデーを受信しても安全が確認されるまでは救助活動をするな」とも言われている。「巻き込まれてしまったら救助どころじゃなくなっちまう」というわけだ。
位置関係が安定したらさっそくレーザー回線を繋いでもらう。
「接続確認。送るぞ」
スクリーンにひげ面が現れたと思ったらすぐに大量のデータが流れ込んでくる。遺跡発見の48時間前からの航路に船内の音頭・湿度・気圧といった生命維持系のデータまで要求しているから大変だ。なぜそこまで必要なのかは分からない。もしかしたら低酸素の状態で見た幻覚を報告したハンターとかがいたのかもしれない。いずれにせよ、これだけのデータは人間には処理しきれないし、必要でもないので暗号化して直接考古局に送信される。人間は概要を口頭で説明してもらえば十分だ。
「近くを通って来たのなら見当は付くんだろうが最初の目的地は第3惑星だったんだ。ところがあの有様だもんでな、しょうがねえから他へ行こうと思ったんだが、嫁さんが言うわけさ。『せっかくだから2惑星も調査しましょうよ』ってな。長いことこんな商売をやってると近くを通った時に鉱脈や遺跡の匂いが分かるようになってくるもんなんだが、うちの嫁さんも目覚め始めてるのかも知れん」
ノロケかい! だいたい真空の宇宙空間を匂いの分子が漂ってきたって宇宙船の外板でブロックされるはずだし。
「まあ、売り物になるような鉱脈があればよし。無くても無いという情報の売りようはあるしな。そんなわけで第2惑星の地表に地震計をばらまいて人工地震を起こしたんだ。そうしたら、なんと・・・ゴーストが出たのさ」
ここでいうゴーストとは「あり得ない信号」というような意味だ。そこに存在しないはずの信号が明らかに現れることを言う。その点で信号がランダムに現れ続けるノイズとは区別される。
「ゴースト自体はよくあることなんだが、今度はトールが『波形がおかしい』って言い出してな。ほれ、トール。説明しろ。これも仕事のうちだぞ」
おやっさんが立ち上がると代わりにトール君がシートに着いた。最初に会った時より少し肉が付いたかな。
「ええと・・・まず、一般的な地震の波形を見てください」
トール君が下を向いて何かを操作すると上下に振動するグラフが大写しになった。
「断層などが原因の地震の場合、小さな揺れから始まって、それが大きくなっていってピークを過ぎると減衰していくという経過をたどります。ピークまでが早いか遅いかはあってもこういうパターンです。次は火山活動」
断層地震の下に別のグラフが表示される。
「これはいきなり揺れっぱなしという波形になります。最後に人工地震」
なるほど、明らかに波形が違う。
「いきなりピークが来てすぐに減衰していきます。これは爆薬が震動源だからです。そしてゴースト」
説明を聞いてからだと違いが分かりやすい。
「人工地震に近いね」
いきなりドンと来てすぐに減衰している。
「はい。ですが、完全には一致しません。ですから惑星内のどこかで反射を繰り返したとかで届くのが遅くなったという可能性は排除できます。結論。これはこの星の中で発生したもので、しかも通常の地震ではない。ただし、人工地震がきっかけになった可能性はある」
グラフが消えてトール君が戻って来た。
「いい。座ってろ」
立ち上がりかけたトール君の右肩にごつい手が置かれる。
「そんなわけでこのゴーストは売り物になりそうな感じがしてきたわけだ。いくつかの地震計がゴーストを記録してたんで、その時間差から発生源の位置は分かったからな、そこを中心に同心円を描くように地震計を設置して、その真ん中でもう一度人工地震を起こしたのさ。さあ、どうなったと思う?」
「どうって・・・またゴーストが出たんでしょ」
「半分正解だ」
「ゴーストは出ました。ただ、それが現れるまでの時間が半分以下になってたんです」
「さあ、これはどういうことだ?」
画面の外からおやっさんが楽しそうに聞いてくる。
「・・・1回目は予期していなかったので反応が遅れた。2回目は待ち受けていて即座に反応した」
「そうだ。まさかこんな日が来るとは思ってなかったんだが、こいつはファーストコンタクトってわけだ。で、ファーストコンタクトの次の手順は素数列の送信だからな、爆薬がもったいなかったんだが、パルスを並べたのさ。〈2 3 5 7 11〉ってな。どんな返事が返って来たと思う?」
なんでそんなに楽しそうなんだろう?
「どんなって・・・知性体なら〈13 17 19〉とかって返して来るんでしょう?」
「返事は〈2 3 5 7 11〉でした」
「な・・・」
「それから間を置いて、また〈2 3 5 7 11〉その次は〈11 7 5 3 2〉〈3 2 7 5 11〉以下すべての組み合わせを試して、今は沈黙してます」
「素数を・・・知らない? それで知性体と言えるの?」
「昔は地球にも3以上の数の概念を持っていない民族がいたそうです。『1 2 たくさん たくさん』て感じですね。いままで考えたこともなかったんですけど、数学的知識と知性って直接関係してるわけじゃないんじゃないでしょうか」
鋭い。地球人類が数字を発明したのは定住して農耕を初めてからだと言われている。今年収穫した作物で来年の収穫期まで村の人間が食べていけるか、それを計算するために数字が必要になったのだと。常に移動しながらの狩猟採集とか、季節がなくて常に同じような食物が手に入る生活では数字が必要になる場面がないのだろう。
個人的な意見だが、ファーストコンタクトと素数が結び付けられたのは、相手もコンピュータを使っていればコンピュータ同士に会話を任せられるからなんじゃないかと思う。悪い言い方をすれば手抜きができて楽だということだ。だが、数学的な知識が無ければコンピュータや宇宙船は造れそうにないというのも事実だ。そして考古局が求めているのはそういう段階に達した知性体が持っているであろう技術だ。そういう意味ではこれはハズレのような気がする。
「あれは人工地震のパルスからそれを発信した者がいると判断して返事をしてきましたし、こっちが何を言ってるのか分からないのになんとかして会話をしようとしていろいろ試してます。自分勝手に泣いたり笑ったりするだけの赤ん坊なんかよりよっぽど知性を感じさせますよ」
「・・・おやっさん、聞いてる?」
「なんだ?」
「もう引退してもいいんじゃないの?」
「馬鹿言うな! わしは死ぬまでヤマ師だっ」
「父さん、大声出すとまたシンちゃんが泣くって」
「お・・・すまん」
あっはっはっはっは。
「で、その知性体はどこにいるの?」
「トール、あれを見せてやれ。その方が早い」
「いいの? 企業秘密でしょ」
「かまわん。秘密にせにゃならんのはソフトの方だ。結果だけ見たって真似できるもんじゃない」
「分かった」
画面の外のおやっさんとやりとりしていたトール君が向き直って何か操作するとまた画面が切り替わった。ひどくざらついたモノクロ画像だ。映っているのはひものようなもの・・・エボラウィルスの電子顕微鏡写真みたいだ。
「よく分からないな。もっと鮮明な画像はない?」
「悪かったな。地震計12台とうちのAIじゃこれが限界だ」
「これは地震波の伝わり方の差を画像にしたもので、地下500キロあたりに存在している小さなマグマ溜まりを可視化してます」
「ちょっと待って。500キロっていうとマントルの中だよね。そこまで見えるってわけ?」
「試しにやってみたら見えちゃった、て感じです。このソフトは本来地殻の中を探るためのものなんですが、この星では地殻とマントルの境界面がはっきりしないっていうか、地殻がもっと深くまで続いているような構造をしてるみたいなんです。惑星の周辺に磁場が存在してないですから核も固体になってるかもしれません」
「ああ、惑星が小さいから冷えてしまったんだろうね」
「ええ、残っているマグマ溜まりもこれだけみたいです。それで、うちではこの知性体をサラマンダーと呼ぶことにしました。マグマの中にいるヘビのようなものということで」
「どうだ。ダイヤができちまうような高温高圧下で生きてる知的生命体だぞ」
「環境から考えてこれは多分ケイ素生物だと思うんですが、ご覧の通り手足のようなものは見当たらないんです。たぶんしっぽ・・・頭かもしれませんが・・・長い体のどっちかの端をマグマ溜まりの内壁の岩盤に叩きつけて地震波を起こしてるんだと思うんですけど」
「なるほどね」
考古局のマニュアルの中には「異星人とコンタクトした場合には相手の腕と指の本数を確認する事」というのがある。地球人は基本的に十進法を使っているが、それはたまたま地球人の一般的な指の本数が10本だったからだというわけだ。「地球の古生代には8本指の前肢を持っている両生類がいました。ですから16進法を採用している異星人が存在する可能性もあるでしょう。その場合、算数が苦手な子の割合が地球人よりも多くなるのか、あるいは逆に数学的な部分では我々よりも進歩が速くなるのか? そういうことを調査するのもコンタクトの目的の一つなのです」そんなことを言っていた教官もいるくらいだ。
やれやれ、なぜ私なんかがここに派遣されたのか見当が付いてしまうな。何のことはない。考古局はこの知性体と積極的にコンタクトする気がないのだ。
宇宙生物学の世界では「ケイ素生物は存在しない」という説が主流になっているらしい。炭素とケイ素は同族元素で共に電荷が4、つまり他の原子と結合できる腕を4本持っているから炭素の代わりにケイ素でできた高分子を使う生物が存在しうる。だが、二酸化炭素と二酸化ケイ素は室温でそれぞれ気体と固体だ。ケイ素が炭素のように振る舞うのには相当な高温(数千度)の環境を必要とするだろう。そういう環境の惑星は考えにくいというわけだ。しかし、少なくとも考古局はそう思っていない。例えば地球サイズの惑星に直径数百キロクラスの小惑星が衝突した場合、その運動エネルギーはごく短い時間内に熱に変化して地殻もマントルも蒸発させる。つまり二酸化ケイ素が気体になるような高温環境が生じるのだ。もちろんそういう環境は長くは続かない。温度が下がれば二酸化ケイ素は液体か固体になって地表に降り注ぐことになるだろう。惑星の寿命がせいぜい百億年だとすると、それはほんの一瞬でしかないかもしれない。だが、その時間内に自己複製するか、あるいは増殖する能力を持つケイ素の高分子が生じる可能性はゼロだと言えるだろうか。そうして生まれたケイ素生物がそれに続く環境の変化に耐えて生き残ることはまったくありえないと言えるのだろうか?
地下深くの数千度・数十万気圧の環境で生きているということはサラマンダーはケイ素生物である可能性が高い。しかし、彼らにとっては宇宙どころか地表ですら低温低圧過ぎて生きられないだろう。地球人とは文字通り住む世界が違いすぎる。おまけに彼らはおそらく、火や数字も含めて道具を使うための指の付いた手を持っていない。これでは人類の未来のために役に立つ情報など得られるわけがない。一応知性体とよべそうなものが発見されてしまったから仕方なく調査するふりをしておこうというのだろう。やれやれ、とんだ貧乏くじだ。
「地震波を発生させるとなるとかなり大型の生物なのかな」
「はい。体長はだいたい1000から1200メートルくらいです」
「1000メートル! それはなんというか・・・頭からしっぽまで情報が伝わるのに相当時間がかかりそうだねえ」
神経の伝達速度が地球人と同じだとすると、しっぽの先に噛みつかれた痛みが脳に届くのに約10秒、振り払えという信号がしっぽに届くのはその10分の1だが、その間にどこまでかじられるやら。
「いえ、地方分権型の知性体なら大丈夫です」
地方分権型知性体! それは超大型の生物が知性を獲得するための進化のパターンのひとつだ。体のあちこちに脳に相当するような器官を持っていれば外界の変化に素早く対応できるというわけだ。その可能性は考古局のファーストコンタクト研修でも討論した事がある。
「例えば古いタイプのブッディズムにはホワイトターラー菩薩という女神様が存在する。この女神様は両目の他に額と両手のひらに一つずつ目を持っておられるのだよ。これは花を愛でる時などなかなか便利だと思わないかね」
「教官! それは危険です。うかつにバラの枝に手を伸ばしたりしたら目にトゲが刺さるじゃないですか」
「その通りだね。さて、彼女がそういう危険を回避するためにはどういう方向へ進化するべきだろうか。オータ君?」
「はい。えー・・・再生能力を強化するか、すべての行動をゆっくり慎重に行うか、あるいは手首あたりにも脳に相当するような器官があれば対応が速くなる・・・んじゃないでしょうか」
「それだと右手と左手で意見が食い違ったりしない?」
「そしたら頭が仲裁すればいいんだよ。『まあまあ、右手さんも左手さんも落ち着きなさい』」
「いや、それ、逆に反発されるぞ。『頭ごなしはやめてください!』って」
「なによ、それ。駄じゃれのつもり?」
「じゃあ、足に仲裁してもらおう」
「ああもう! これ以上話をややこしくしないでよ!」
「いやいや、実はホワイトターラー菩薩様は足の裏にも目を持っておられるのだよ」
「・・・せんせぇ・・・手や足がそれぞれ勝手なことをやり始めたら、まともに歩くことすらできないじゃないですかぁ・・・・」
その時のディスカッションの結論は、ひとつの惑星の表面全体を覆い尽くすような超巨大生命体の場合、ある区域で発生した問題には基本的にその区域の脳が対応し、複数の地域に関係する事象には合議制で取るべき行動を決定し、その経過を全体で共有する。つまり、ひとつの個体ではなく群体のような、巨大な帝国ではなく多数の小国による連合国家のような形へ進化するのが望ましいであろう、ということになった。体長1000メートルクラスならそれほど多くの脳を必要としないだろうが。
あ、サラマンダーの脳を研究すれば高温降圧下でも使えるコンピュータが作れるかも・・・いやいや、、地下500キロまで出かけていって「すいません。あなたの脳を1個分けてください」って・・・それができる技術があるなら高温環境用コンピュータなんかいらんわな。
軽やかなチャイムが鳴った。〈データの送信完了〉〈コンタクト用設備設置完了〉だそうだ。続けて画面が考古局からの入金画面が表示される。
「報奨金・・・うおっ、こんなに貰えんのか! 消耗品、ソフトのレンタル料・・・・よし、すべての振り込みを確認した」
「ありがとうございました。後は考古局が引き継ぎます」
「おう。ガス惑星の資源調査でしばらくはこの星系内にいるから何か儲け話があったら連絡をよこしてくれや」
「えーと、それは・・・考古局の守秘義務に抵触しない範囲でということで・・・・」
「固えなあ・・・。それからサラマンダーがいる場所の近くの地表に高さ100メートルくらいの溶岩ドームらしいものがある。着陸するんならぶつけないようにな。ボン・ボヤージュ」
「オータ君、ここのお仕事が早く片付くようだったらうちの船に寄っていって。考古局のレーションよりはまともなご飯用意するから」
画面の外から奥さんの声がして通信が切れた。
ワルキューレ号が出発してからこっちも準備にかかる。
まずはすでに地上に設置されているおせち料理の材料のチェックだが、メインは口径200ミリの自走迫撃砲3基だった。給弾車が付属していて完全自動の連続発射が可能らしい。こいつから発射された砲弾は目標上空でスラスターを吹いて姿勢を下向きに変え、ロケットモーターに点火して地下深くへ貫入してから遅延信管で爆発するらしい。なるほどこれなら爆発のエネルギーを効率よく地震波に変換できるだろう。そしてキーボードで入力したアルファベットを点字に変換して砲撃するソフトと地震波を解析して英単語に翻訳するソフト・・・・。
変だ。なぜこうも手際よく必要なものを用意できたんだ? まるで地震波で会話する知性体との遭遇を予想していたみたいに・・・予想していた・・・のか? 考古局のAI様ならその程度の事はできても不思議はないかもしれない。あるいはすでにケイ素生物とコンタクトした経験があるのだろうか? 現場の人間が知らないだけで・・・。
まあいい。とにかくやれと言われたことはやることにしよう。
第2惑星にはほとんど大気がなかった。地表面から即宇宙と言ってもいい。重力が弱いし、赤色矮星がすぐ近くにあるから大気を獲得しても恒星からの荷電粒子に吹き払われてしまうのだろう。これだけ環境が違えば地球の生物に感染できるような病原体が存在する可能性は限りなく低いから着陸艇のコクピットを真空にする必要はない。着陸艇のハッチを閉鎖した後、気圧を上げながらクレードルにはまり込む。これで気圧が上がると上半身がお辞儀をして、腰から後頭部まで繋がったバックパック一体型の背面ハッチが開く。セミの羽化のようにして宇宙服から抜け出すのだ。母船のキャビンからここまでの十数メートルのためにいちいち宇宙服に潜り込むわけだが、空気感染するような病原体への対策として格納庫は真空にしておくことになっているのだからしょうがない。短時間なら宇宙服を着たままで音声入力してもいいんだが、長期戦だと宇宙服にはトイレがないという問題が表面に出てくる。
着陸予定地点は夜側の赤道付近、つまり真下なのだが、岩だらけだったりするとまずいので惑星を何周かして精密観測してからにする。
夕日のように赤い光に照らされた昼側の地表は予想していたよりもクレーターが少なかった。大気のない惑星では隕石による衝突クレーターが風化しないはずだ。それが少ないということは地下から溶岩が流れ出してクレーターを覆ってしまった可能性が高い。この惑星もかつては内部に熱源を抱えた熱い星だったんだろう。
夜側に入ってしばらくすると点滅する信号灯がいくつか見えてくる。これが迫撃砲群で、その手前に着陸予定地点が設定されている。その先にごく小さいクレーター、というか深い穴がある。これが人工地震用のピットだろう。
溶岩ドームというのもあるが、これは何というか・・・塔のように見える。確かに高さは100メートルほどだが、直径が30メートルちょいしかない。ただし、先端あたりが少し曲がっているから人工物ではあるまい。地表と接する部分もなだらかに盛り上がってるし、やはり溶岩ドームなのだろう。かなり粘度の高い溶岩が真空中にゆっくり押し出されてくると、地表に出た部分から固まっていってこういう形になるんじゃないかと思う。練り歯磨きのチューブを上に向けて絞り出したように、だ。
さて着陸だ。逆噴射で速度を落として、機首を上に、機体下面を前に向けた姿勢で着陸予定地点に向かって降下していく。
「ギヤダウン」「ロック」「エアバッグ展張 着陸モード」
使い捨てのエアバッグは地面の固さが分からない場所に着陸する時に主脚の接地圧を下げるための装備だ。着水する場合にはフロートとしても使える。
「最終噴射」
着陸に備えて降下速度を遅くする。画面の中を砂が吹き飛ばされていく。
「機首下げ、機首下げ、着地」
ドスンと来ると同時にエアバッグからガスが抜けて衝撃を吸収する。が、機体の左側が先に下がって行く。
「左エアバッグからガスが漏れています。調査船へ戻りますか」
「いや、着陸脚で支えられるならこのままでいいだろ」
沼地でもなければ3本の脚で機体の重量を支えられるはずだ。帰還する時には垂直ノズルからの噴射で融けて穴の開いたエアバッグは切り離して投棄していくんだし。
右の主脚も接地すると、やや左下がりの姿勢で安定した。
正面カメラからの映像の右側には迫撃砲の信号灯が映っている。左のクレーターの縁の向こうには先端の曲がった塔が星空を遮るシルエットになっている。人工地震用のピットはその間にあるはずだ。
キーボードを引き出す。さあ、地球人を代表して戦闘開始だ。
エンターキーを叩くと迫撃砲の辺りで小さな発射炎が閃く。ちょっと間があって画面の中央に一瞬明るい噴射炎が現れ、ピットに吸い込まれていく。そして爆発の閃光と共に土砂が噴き上げられる。少し遅れて着陸脚を通して振動が伝わってきた。花火のような華やかさはない。音もしないし。
・・・・・・聞こえなかったのかなと思い始めた頃に返事が来た。着陸脚で減衰されてしまうとやっと感じられるくらいになってしまうが、スクリーンに映し出されたのは確かにあの波形だ。
ここからは連発だ。返事を待たずにプログラム済みのパターンで発射し続ける。
「聞いて、そして理解してくれよ」
今回のコンタクトの手順は、まず迫撃砲によるモールス信号でアルファベットを発信し、次にピジンイングリッシュの文法と例文を教え込んで、それを使って会話をしろということになっている。ピジンイングリッシュというのは昔のイギリスの貿易商人たちが英語を知らない現地人と会話するために作ったという言語で、要するに英語の単語を並べる事でなんとなく意思の疎通を図ろうというものらしい。例えば「ロングタイム ノーシー」は「お久しぶり」という意味になるんだそうだ。言葉が通じないのなら自分たちが使いやすい言語を教えてしまえというやり方にはいささか抵抗があるのだが他に適当な方法は見当たらない。相手の理解力・記憶力・応用力に期待するのみだ。
一通りの砲撃が終わるまでに24時間以上かかった。A砲が弾切れになったらB砲に切り替え、その間にA砲の給弾車を交換して撃ち続けた。不発が一発だけ発生したが、それを処理する間は予備のC砲でカバーした。ピットが少しずつ深くなるから爆発の間隔がずれるはずだが、それは砲撃コントロールソフトが調整したようだ。ただ、ひとつだけ問題があった。眠れなかったのだ。危険が無いと分かってはいても地震が続いている中で眠れるほど私の神経は太くない。
手順ではここで十分に間を置け、とあるのでとりあえずメシにする。時間をかけて家畜の餌のようなレーションを1食分コーヒー味の泥水で流し込む。
さて、ここからがコンタクトの本番だ。まずは迫撃砲弾を一発撃ち込む。
応答が返ってくるのを待って本文を送る。
〈HALLO〉
キーボードで入力した文字列を画面で確認してエンターキーを押すとそれぞれの文字に対応したパターンで迫撃砲が発射される。
しばらく待っていると返事が返ってきた。
《HALLO》
・・・うーん。返ってきた地震波によるモールス信号を翻訳したものが表示されたが、これではちゃんと理解して返事してきたのか、単なるオウム返しなのか分からん。しかもパルスの間隔がやたら長い。アルファベット1文字に30秒前後かかっている。楽器の銅鑼の「ドワアァーン」でモールス信号という感じだ。こっちの信号の間隔よりも明らかに間が開いている。もしかしたら私はサラマンダーよりも早口でしゃべっているということになるのかもしれない。制御ソフトで発射間隔を調整するべきだろうか? いや、向こうから「もっとゆっくり喋って」と言ってこない限りはこのままにした方が混乱が少ないか・・・。とりあえずこのまま行くことにしよう。
〈私の 名前 オータ あなたの 名前 ?〉
返事はなかなか来なかった。いきなりこの構文は難しすぎたのかと思ってキーボードに手を伸ばしかけた所で返事が来た。
《あなたの 名前 オータ 》《私の 名前 ・》
は? ワンパルス? 言葉は理解してもらえているようだが・・・。
ええと、サラマンダーは最初のワンパルスで誰だか分かる、と考えていいんだろうか?
地震波で会話するような知性体ならそうなってもおかしくはないかもしれない。ということは、おやっさんたちがやったのはいきなり名乗ってそれっきり、ということだ。その後でまた、意味不明の言葉を並べてまた沈黙。ほとんど不審者だな。
とはいえ、地球人の私としては名前がないと話が、というか質問がしにくい。
〈あなたの 名前 サラ OK ?〉
サラマンダーのサラだ。「SALA」も「OHTA」もアルファベット4文字でバランスが良かろうということもある。地球人のサラさんの場合は「SARA」というスペルが一般的だったような気もするが細かい事は考えないことにしよう。
《私の 名前 サラ OK》
そう言ってもらえると助かります。次は個体数を確認しよう。
〈サラ ひとり ?〉
《サラ ひとり》《昔 サラ たくさん 今 ひとり》
ここで最初の「サラ」はサラ個人のことで、二つめはサラの種族全体を表しているのだろう。つまりこれは「サラはサラの種族の最後の生き残りである」というような意味になる・・・のではないかと思われる。こういうのがピジンイングリッシュだ。
《オータ ひとり ?》
おお、逆に質問してくるか。理解力も応用力もあるわけだ。
えーと、現在の地球人類の総数は・・・いや、地球側の情報はできるだけ与えるなという規定もあった。
〈オータ たくさん たくさん〉
《オータ たくさん たくさん よい》《サラ ひとり よくない》
一人が寂しいのは地球人もサラも同じらしい。
〈サラ たくさん どこ ?〉
分かってもらえるかどうか心配だったのだが「他のサラマンダーはどこへ行ったの」と質問してみる。
が、意外にあっさりと返事が返ってきた。
《・ 固い ・ 固い ・ 固い ・ 固い ・ 固い ・ 固い ・ 固い ・ 固い》
翻訳されてしまうとすべて同じワンパルスなのだが、波形や強度がそれぞれ微妙に違っている。岩盤の叩き方を変えることでそれぞれの個体の「私は・・・」を真似ているのかもしれない。地球人でいうと声色の違いみたいなものだろう。さすがに視覚が役に立たないマグマの中で生きているだけの事はある。8個体だと一家族だろうか。最悪の場合、サラが生まれ育った時代にはサラマンダー族は絶滅寸前で、これだけしかいなかった可能性もある。
〈サラ やわらかい ?〉
《YES サラ やわらかい》
ということは「やわらかい」という言葉を「生きている」という意味で使っているのだろうか。「固い」は「死んだ」なのか?
〈なぜ ? たくさんの サラ 固い〉
「他のみんなはどうして死んだの?」という文章にしたつもりだが、理解しにくかったのか返事が来るまでにだいぶ時間がかかった。本当に複数の脳があるのならディスカッションをしていたのかもしれない。
《たくさんの サラの 家 なる 固い》《たくさんの サラ なる 固い》
さんざん待たされただけに分かりにくい答だった。ええと「家が死んだのでサラマンダーたちも死んだ」でいいのか? では「家」ってなんだ?
《家 なる 冷たい なる 固い》
考えていたら追加の説明が来た。けっこう気配りのできる子だ。
冷たくなると固くなるものというとマグマ溜まりのことか? 核という熱源が無くなったためにマグマが冷えて固まってサラマンダーが生きていける環境も無くなった、ということだろうか? だが、そうすると・・・。
〈なぜ サラの 家 熱い ?〉
サラのいるマグマ溜まりだけが残っている理由が分からない。たまたまサラのマグマ溜まりが大きかっただけなのか?
《サラ 減らす サラの 体》《サラの 家 なる 熱い》
なんだこれ? 自分の体を減らすとマグマの温度が上がる? 地球人が室内で運動すると脂肪が燃焼した分体重が減って、わずかに室温が上がるようなものなのか? 一般的に生物の体は周囲の環境よりもエネルギー密度が高い。だから、それを解放すればマグマ溜まりを維持することもできる・・・かもしれないが、それはじり貧じゃないのか? 地球の生物で言えば、砂漠の中の水たまりに取り残された魚が自分の体から水を絞り出して水たまりを維持しているようなものだろう。しかもこの砂漠にはもう二度と雨が降ることはないのだ。
《未来 サラ 消える》
それはサラも理解しているわけだ。でも、それじゃあ「固い」ってのは何なんだ?
〈たくさんの サラ 減らす 体 ?〉
《NO》
ええっ?
《たくさんの サラ 大きい》《大きい サラ できない 減らす 体》《大きい サラ なる 固い》
大きくなると体を減らせなくなる? これは・・・変態だろうか。例えばトンボ。彼らは若虫の時代には水中に溶け込んでいる酸素を利用しているが、変態して成虫になると空気中の酸素を呼吸する。成虫になってしまったトンボはもう一度水中生活に戻ろうとしても溺れてしまうだろう。サラマンダーも幼体と成体では生活する場所が違うために体の構造を不可逆的に変化させるのかもしれない。
サラマンダーはマグマの中という環境に適応した生物なのだと仮定しよう。そのマグマの主な成因の一つにマントルが高温の核に触れている部分で融けてしまうというのがある。こうなると周囲のマントルよりも比重が小さくなるから時として地上にあふれ出す。つまり核の表面から地表までマグマの通り道ができるのだ。彼らはこの回廊を通って垂直方向に移動していたのかもしれない。そこで問題になりそうなのが温度と圧力だ。地球のマントルは地下600キロ辺りで上下2層に分かれている。マントルの主成分の鉱物が温度と圧力によって結晶構造を変えるからだ。その境界を越えるためには体を作り替える必要があったのかもしれない。サラの場合はそこまで成長する前に核が冷えて回廊がふさがってしまったんだろう。
サラはいつからそこにいるんだろうか。質問文を作ろうとしたのだが、無理だと分かった。サラの家は朝日も夕日も当たらない。したがって「一日」という概念も「一年」という概念も理解できない可能性が高い。一日前も一万年前も「昔」でしかないだろう。
《オータ 大きい ?》
やれやれ、ちょっと隙を見せると突っ込んで来るね。
キーボードで〈サラ 1000〉とタイプした所で気がついた。サラは数字という概念を理解できないのだ。どうしよう・・・。
〈サラ 大きい 大きい〉〈オータ 小さい 小さい〉
結局こんな表現しかできなかった。
《なぜ ? オータ 小さい オータの 声 大きい》
ああ、それは迫撃砲による人工地震だから・・・って、それは道具なのか・・・。
〈オータの 家の 声 大きい〉
迫撃砲は着陸艇のアイちゃんがコントロールしているんだから間違いではあるまい。
やはり返事は少し遅れた。
《サラの 家の 声 同じ 同じ》
何だそれ? ええと・・・サラもマグマ溜まりの周りの岩盤を叩いて地震波を発生させているってことか? それにしても「同じ」を二回も並べるとは、共通点を見つけたのがよほどうれしかったのかね。成体になっていない知性体のメンタリティはどの種族も共通する部分があるのかもしれない。意訳すると「おんなじだね。きゃはははは」という感じか。
それはいいとして、どうしてそういう話を持ち出したんだろうか。
〈なぜ ? オータ 大きい ?〉
《オータの 声 大きい》《サラ 作る 声 大きい》
いけない。見落としだ。こっちは爆発力を変えられないのだが、サラは岩盤を叩く力を加減できるのだった。
〈サラの 声 小さい OK〉
《オータ》
〈サラの 声 小さい 小さい OK〉
《・・・OHT・・・》
そこまでいくとノイズの草原に埋もれる。
〈声 大きい 少し〉
《オータ》
ノイズから十分に飛び出している。これくらいならいいだろう。
〈OK〉
《・・・声 小さい よい》
いきなりパルスの間隔が狭くなったので翻訳がもたついた。しょせんは銅鑼でモールス信号なのだが、1文字20秒くらいになった。壁を叩くモーションを小さくできたんだろう。相当無理な事をさせてしまっていたようだ。ごめんね。
〈どこ ? たくさんの サラ〉
《大きい サラ 話す》《昔 昔 たくさんの サラ いる 浅い》《たくさんの たくさんの サラ やわらかい》《昔 たくさんの サラ いる 深い》《たくさんの サラ やわらかい》《今 深い 固い》《たくさんの サラ 固い》
途端におしゃべりになるんだ、これが。
〈昔 昔 たくさんの たくさんの サラの 家 熱い ?〉
《YES》《昔 たくさんの サラの 家 深い 熱い やわらかい》《他の サラの 家 浅い 冷たい 固い》
なるほど、大昔にはサラマンダーたちは地下の浅い所にあるマグマ溜まりに住んでいたのだが、マグマの温度が低下したので高圧に耐えられる者たちはもっと深く(核の表面近く?)も温度が下がって生きられる場所が無くなった、と。しかし、核の温度が下がるというのは何十億年の物語だ? もしかすると彼らは地球で生命が生まれる前から口伝によってその歴史を伝えてきたのかもしれない。
《未来 オータ やわらかい ?》
〈YES〉
嘘だ。サラが消えるまで地球人が存続している保証はない。だが、なんとなく「NO」と返事してはいけないような雰囲気だったのだ。
《古い サラ 話す》《昔 昔 昔 最初の ひとりの サラ いる 固い》《サラの 家 なる 熱い》
《最初の サラ なる 熱い やわららかい》
これは神話レベルの昔話だろう。「昔むかし、最初のサラマンダーは固まっていました。やがてその家が熱くなったのでサラマンダーは柔らかくなりました」ということろか。アダムとイヴとか、いざなぎといざなみとかが登場しないところをみるとやはり単為生殖なんだろうな。
サラは自分の持っている知識をすべて私に託そうとしているのかもしれない。かつて他のサラマンダーたちがそうしてきたように。しかし、地球人類は、おそらく数億年から数十億年の歴史を持つであろう種族の知識を受け継ぐ資格を持っているんだろうか? 我々はサラマンダーよりもはるかに短命だ。サラが消える前に人類が滅亡してしまう可能性だってあるだろう。AIは人類よりも長生きするかもしれないが、いずれは壊れていくだろう。私個人にできることではないが、サラの言葉をチタンのような耐腐食性の金属板に刻み込んでおく、というようなことが地球人類のサラマンダー族に対する礼儀になるかもしれない。
《最初の サラ なる 大きい 大きい》《最初の サラ 切る 体》《最初の サラ なる 大きい サラ AND 小さい サラ》
最初のサラマンダーが体を切ると大きなサラマンダーと小さなサラマンダーに・・・プラナリア? それともトカゲのしっぽが小さなトカゲになるようなもんか?
画面に現れる文字列をただ眺めているだけというのは眠くなる。そういえばもう何十時間寝てないんだろうか・・・・・。
「アイちゃん、音声変換して。サラ、私は、寝る。そのまま、話して、いてくれ」
もう限界だった。キーボード入力する気にもなれない。画面に文字列が現れ始めたのを見た時にはエンターキーを押していた。
目が覚めた時に画面に映っていたのはノイズだけだった。サラの話は終わったようだ。とりあえずコーヒーをひと口。レーションのパックを手探りで取り出す。チーズフレーバーか・・・。ぼそぼそなのはどれも同じだ。口に入れたレーションをコーヒー味の泥水で流し込みながら記録を巻き戻していく。
だが、一向に文字が現れない。何かいやな予感がする。とうとう9時間前の私の言葉まで戻ってしまった。
〈サラ〉〈オータ なる 固い〉〈続ける 話す OK〉
このクソ間抜け! これでは「私は死ぬ」という意味になってしまうじゃないか! いやいや、待て待て。眠るのも死ぬのも活動停止という点では同じかもしれない。再び目覚めるか眠ったままかの違いだけで。・・・結局手抜きをした私のミスだ。
〈サラ〉
これは「おはよう」という意味で使っている・・・つもりなのだが・・・気まずい。待ち合わせの時間に遅刻したような気分だ。
《・OHTA SOUT?》
文法を忘れているし、F(・・-・)とU(・・-)を間違えてるし、波形も暴れている。相当にびっくりさせてしまったようだ。ごめんね。
〈オータ 繰り返す やわらかい 固い〉
返事はなかなか返ってこなかった。理解が追いつかなかったのか、それぞれの脳が今後の対応について会議を開いていたとかだろうか。
《・・・・・・OK オータ 繰り返す やわらかい 固い》
もしかしたらサラマンダーは眠るということをしないのかもしれない。スイッチを入れたままのコンピュータか、あるいはイルカのように複数の脳が交代で眠るのか・・・。それはともかく、異星の知性体を悲しませた地球人はいままでいたんだろうか。こういう不名誉なことで最初の一人にはなりたくないものだが。
《昔 いる サラ 固い》《サラの 家 固い なる やわらかい》《サラ 固い なる やわらかい》《サラ オータ 同じ》
何だって? 「家」ってのはマグマ溜まりのことだろうから、固まっていたマグマ溜まりが柔らかくなったらサラマンダーも生き返った事がある? 水を得たクマムシが乾眠から蘇るみたいなもんか? 地球人を生きたまま冷凍しても細胞が破壊されて死んでしまうのだが、サラマンダーは細菌とか線虫のような原始的な体制のまま知性を獲得したということなのかもしれない。
考えを巡らせているうちにサラがおしゃべりを始めてしまった。質問をするタイミングを失った形だ。
《昔 昔 昔 少しの サラ 行く 深い 深い》《少しの 少しの サラ 行く 浅い》《造る 別の 家》
少数のサラマンダーがマグマの回廊をたどって別のマグマ溜まりへ移って行った、かな? 多分水平に移動できないので核の方へ迂回したんだろう。
《昔 昔 深い 深い 熱い 熱い》《少しの 少しの サラ 消える》
その頃はまだ地下深くの温度が高かったのでマントルの高温に耐えられなかった者たちはそこで命を落とした? ということはサラマンダーにも生存可能な温度の範囲があるということだろう。環境の変化に耐えたサラマンダーと耐えられなかったサラマンダーがいたのだ。
《昔 昔 深い 深い ある 壁 熱い 熱い やわらかい》《ひとりの サラ 触れる 壁》《体 消える 少し》
地下深くにある高温の壁というと惑星の核かもしれない。まだ核が熱かった頃にサラマンダーの一人が核にしっぽ(頭か?)を突っ込んだらその部分が融けちゃった、と。好奇心任せに馬鹿をやって大ケガしたやつがサラマンダー族にもいたわけだ。もっとも未知の世界へ最初の一歩を踏み出すやつがいないと進歩もないわけだが。
《昔 昔 たくさんの サラ 造る たくさんの 家・・・》
〈サラ〉
話を続けようとしているサラに呼びかける。バッドマナーのような気もするのだが、これは聞き流せない。マグマ溜まりを人為的に造る事ができれば個体数を増やせるだろうが、どうやったらそんなことができるんだ?
〈方法 ? たくさんの サラ 造る 家〉
《たくさんの サラ 動く 動く》《できる 小さい 小さい やわらかい やわらかい 家 たくさん たくさん》《できる 道 行く 浅い》
大勢のサラマンダーが動き回ると地表の方向に向かうマグマの回廊ができる、のは分かるが「小さくて柔らかい家がたくさん」てのは何だ? よく分からんが、地球人が手で道具を使うようにサラマンダーはマグマを道具として使ってきたということなのかもしれない。あまりじゃまをするのも失礼だろうから深くは追求しないが。
〈OK〉
話を進めてもらう。
サラによるとこの頃からサラマンダー族の言葉が増えたらしい。他のサラマンダーに話をするためだそうだ。遠い家とは伝言ゲームのようにリレーしたらしい。そして彼らは自らが発信したメッセージが多少変化した形でたくさんの方向からやって来ることから「サラマンダー族の世界はたくさんの方向で繋がっている」ことが分かったのだという。つまり「世界は丸い」ことを知ったのだ。これは重要な情報だ。やはりかつてはサラマンダー族の個体数は多かったのだ。大ざっぱに計算すると、この星の地下に平面的に分布するとして1千万から10億のサラマンダーが生活できる。上下方向にも家があるならもっと多かっただろう。だが、惑星の地下に多くのマグマ回廊ができればその分核の温度低下が加速されるはずだ。台所のスポンジを水が通り抜けるように核の熱が宇宙空間に逃げていったんじゃないだろうか。マグマ回廊の増加と共にサラマンダー族の種としての寿命は細く長く型から太く短く型へと変わっていったのだろう。
その日サラは〈オータ なる 固い〉と申し出るまで神話を語り続けた。こちらから質問しなくてもデータを提供してくれるのだから楽でいい。サラは自分がそうされたように自分の知識のすべてを私に託すつもりでいるんだろう。まあ、地球人類が滅びても考古局の記録は残るんじゃないかと思う。サラが消えるような遠い未来までその記録が残るという保証はないのだが。
次の日も朝から神話の続きだった。もう一度「眠っている間も聞いているよ」と言ったのだが、理解してくれなかった。あるいはそれは地球人が死人に話しかけるようなことに相当するのかもしれない。
昼頃までかかって神話を語り終えると次はサラ自身の経験だった。
《サラの 最初の 記憶 サラ AND サラ 大きい ひとつ》《サラ 大きい 話す 方法 体 変える 大きい》《方法 体 変える 小さい》《方法 出す 声》《方法 行く 深い ETC》
成長する方法? ダイエットの仕方にしゃべり方・・・。もしかすると、サラマンダー族の繁殖というのは初期化されたコンピュータ(運動器官と消化器官付き)に必要なソフトをインストールするようなものなのかもしれない。地球の動物ならあらかじめ身に付けて生まれてくる本能レベルの知識まで教えてもらう必要がある・・・とか。
《サラ 大きい 切る 離れる サラ》《サラ 大きい 行く 深い》
インストールを終えたらトカゲのしっぽのように切り離す。そうしてサラを産んだ後、去って行った、と。サラマンダーにとってマグマ溜まりというのはミルクの池のようなものだろうから授乳も餌運びもいらない。産みっぱなしでいいわけだ。あれ? 排泄物はどう処理して・・・そんな失礼な質問をするわけにはいかないだろうなあ。
〈サラ 大きい 繰り返す ? 行く 深い 行く 浅い〉
《NG サラ 大きい 行く 浅い》
「できない」ではなく「よくない」だって? 行かなければ長生きできるサケが産卵のために川をさかのぼるとか、ウナギが海の彼方まで旅をするようなことをしなければ繁殖できない、のか?
《浅い やわらかい》《サラ 大きい NG やわらかい》
この場合の「柔らかい」が何を意味しているのかがよく分からない。「生きている」じゃないだろう。マントルの深度によって環境が変化するんだろうか?
《サラ 大きい 行く 深い》《道 行く 深い 消える》
マグマの回廊が消えた・・・のか? この時期にはサラマンダーにとっての環境が相当悪化していたようだ。サラマンダー族が種としての寿命の終末期を迎えていた可能性が高いかもしれない。
《オータ なる ? 固い》
15時間以上もしゃべり続けていたサラがいきなり質問してきた。
〈YES〉
確かに疲れてきていたので申し出はありがたいんだが、問題はなぜこのタイミングか、だ。
〈なぜ ? オータ なる 固い〉
またややこしいやり取りを繰り返してみると「言葉を並べる」(地震波のパルスを数える、だと思う)と分かるのだと言う。これは重要な情報かもしれない。サラは秒や分に相当するような時間の単位を獲得してしまった可能性がある。サラマンダー族が数の概念を持っていなかったのはその必要がなかったからであって、それを理解する能力は持っていたということだろう。なお、異星人の文化に干渉してはならないという規定もあるのだが、これはサラ自身が獲得したのだから問題はない、と思う。
それにしても、サラは覚えたての言葉で話をしながら、そのパルスをいちいちカウントしていたのか? やはり複数の脳、あるいは並列作動のコンピュータ群みたいなものを持っているのかもしれない。
ああっと、私は異性の知性体に気を遣われてしまった最初の地球人になってしまったのかなあ。
目が覚めてリクライニングしていたシートを起こすと考古局から文書通信が届いていた。
〈オータ サラマンダーの言語を収集せよ マスター〉
まためんどくさい事を・・・。
幸いなことにサラの話はその日の午前中に「オータの声に応えた」という所で終わった。
〈サラ 教える ? 言葉 サラ 大きい〉
《・・・?》
分からないか。
〈オータ 欲しい たくさんの サラの 言葉〉
《OK》
面白いことにサラが教えてくれるサラマンダー語はすべてワンパルス〈・〉から始まっていた。翻訳も《私 行く 深い》《私 聞く ・ 言う》というふうに一人称ばかりになっている。どうも二人称や三人称はもともとないのか、あるいは個体数の減少に伴って忘れられてしまったようだ。
〈サラ ひとり 家 ひとつ ?〉
《YES》
ひとつのマグマ溜まりに1個体。全員一人暮らしか。・・・どこでデートするんだろう?
《サラ 大きい 造る 家》《サラ 小さい 住む》《オータ 同じ ?》
〈NO〉〈オータ ひとり 家 ひとつ〉〈OR オータ たくさん 家 ひとつ〉〈OR オータ たくさん たくさん 家 たくさん〉
理解してもらえるのか、こんなの。
《・・・・・・YES》
返事が遅れたのは理解しにくかったのか、ショックだったのか、それとも理解することを放棄したのか・・・・。
〈サラの 家 熱い オータの 家 熱い 同じ〉
同じ所もあるよ。温度差は1000度以上だけどね。
《・同じ ?》
〈YES〉
《オータ サラ 同じ よい よい》
波形が踊っている。そんなにうれしかった?
《オータの 家 やわらかい ?》
〈YES やわらかい〉
どうもこの「柔らかい」にはいくつかの意味がダブっているようだ。「雪の色はシロだ」と「この男はシロだ」のように。
《オータの 家の 外 固い ?》
〈NO〉〈オータの 家の 外 宇宙〉〈宇宙 やわらかい やわらかい 冷たい 冷たい〉
本当は「真空」なんだが、「何もない」というのを液体の中に住んでいるサラにどう説明すればいいのか分からない。とりあえず「柔らかい」を密度が低いという意味として使ってみる。
予想通りサラは黙り込んでしまった。
本来一人称で話をする種族に話しかけるのはバッドマナーだろうから今のうちにメシにすることにしよう。手探りで引き当てたのはチーズフレーバーだったが、それはコンテナに戻して一パックだけ残っていたココアフレーバーにする。
メシを食い終わってもサラは黙ったままだった。さすがに待ちきれなくてキーボードを叩く。
〈サラ〉
《オータ》《サラ 動く できる 家 小さい 小さい やわらかい やわらかい たくさん たくさん》《これ 宇宙 ?》
また出てきた。マグマ溜まりの中にできるものなんだからとりあえず〈NO〉で・・・違うな。
〈家 小さい 小さい 熱い ?〉
《YES》
〈家 小さい 小さい 消える ?〉
《YES》
分かった。気泡だ。
マグマには高い圧力によって水や亜硫酸ガスのような大量の火山ガスが溶け込んでいる場合がある。こういうマグマが地下深くから浅い所へ移動したり、エネルギーを与えられたりすると火山ガスが気化して圧力が上昇する。火山が爆発的に噴火するのはこれが原因だ。おそらくサラのいるマグマ溜まりも飽和状態に近い量のガスが含まれているんだろう。少しでもエネルギーが与えられると炭酸飲料のボトルをシェイクした時のように細かい気泡が発生するのだ。私が寝ている間はサラもおしゃべりをやめるのは泡が消えるのを待つという意味もあったのかもしれない。
〈サラの 家の 外 固い 冷たい これ 個体〉「サラの 家の 中 やわらかい 熱い これ 液体〉〈小さい 小さい 家 これ 気体〉〈固体 固い〉〈液体 やわらかい〉「気体 やわらかい やわらかい〉「宇宙 やわらかい やわらかい やわらかい〉
真っ暗闇の洞窟の中の池で生まれ育った魚に空を説明するようなものだが、固体・液体・気体までは理解できているのだから「気体の次の段階が真空の宇宙だよ」と言ってみる。
《・・・YES》
ほんとか? 本当に理解できたのか?
案の定、サラはまたしばらく黙り込んだ。
《オータ》《体 膨らむ 冷たい 重い 軽い》《これ 宇宙 ?》
何だって? またわけわからん事を・・・。
〈体 膨らむ やわらかい 冷たい〉〈これ 宇宙〉
地下500キロの高圧の世界から真空の宇宙に飛び出せば、その圧力差で急激に膨張することになるだろう。同じく惑星の夜側では温度差が千度以上になる。だが・・・。
〈重い 軽い ?〉
重くて軽いものって何だ? なぞなぞかよ。まあ、それはいいとして・・・。
〈なぜ ? サラ 知る 宇宙〉
地下深くでしか生きられないはずのサラマンダーがなぜだ?
《・・・・・・宇宙 ・・・NO 宇宙の 記憶 ある》《記憶 ある 聞く ない あるないきおく・・・》
〈・ ・ ・ ・ ・〉
意味のない地震波を連続で叩き込んでサラの思考を遮った。まったくもう、いくら若いからって覚えたばかりの言語で錯乱するってのはいったいどういう頭の構造だよ。
〈オータ 分かる〉〈記憶 宇宙 記憶 大きい サラの〉
《NO》《サラ 大きい ない 話す 宇宙》
〈サラ 大きい 話す 方法 ETC〉〈同時 サラ 大きい 話す 宇宙〉
記憶を消去し損なったんだよ、と言えれば楽なんだが。
想像でしかないが、あの先端の曲がった溶岩ドームは大昔のサラマンダーだったんじゃないかと思う。地表に飛び出した彼女は固くなりながら宇宙に触れた感動を声高く叫んだのだろう。そのあまりにも強烈な記憶は、不必要だからと消去しようとしても消しきれなかったのだ。まあ、ただ単に上書きしたはずの記憶が何らかのバグで読み取り可能になってしまっただけという可能性も無くはないのだが。
《・・・・・・YES 分かる 》《ありがとう》
〈OK〉
《オータ なる ? 固い》
〈YES〉
今日はまだそんな時間じゃないんだが、ひとりになりたい時もあるのかもしれない。休ませてもらおう。
耳障りな警報音にたたき起こされた。
「火山性地震を検知しました。避難しましょうか」
アイちゃんが聞いてくる。
リセットボタンを押す。この星はもう死んでいる。活火山なんぞ・・・あった! サラのいるマグマ溜まりだ。サラが何かやったのか?
〈サラ〉
返事はなかった。
待っているとまた警告文が表示される。くそっ。リセット!
「避難しますか」
「ノー。火山の真上にいるわけじゃない」
迫撃砲弾が一気に爆発しても安全な距離は取ってあるはずだ。
〈サラ〉〈サラ〉〈サラ〉
応えろよ!
突然機体が左に傾斜した。
「左主脚の加重がゼロになりました。脚の故障は感知できません」
しまった! 地下の空洞かなんかを踏み抜いたんだ。
「下面ノズルのドアを開けられません。離陸不能。メーデーを発信します」
これはヤバい!
それと分かるほどの揺れが始まった。〈岩盤に亀裂が発生し始めたと思われる〉〈避難せよ〉警告文が点滅を始める。そのバックではだいぶ育ったノイズの草原から飛び出したピークが赤丸で囲まれている。
〈サラ〉
また突き上げが来る。赤丸付きのピークももう一つ。
警告文の下に切れ切れの文章が現れた。
《・・・オー・・・》《・・・サ・・・行く・・・うちゅ・・・》
伸び放題のノイズの草原の中から信号を拾っている。「宇宙へ行く」だと? また忘れていた記憶を掘り出したのか?
あわててキーを叩く。
〈サラ STOP〉〈宇宙 冷たい〉〈サラ なる 固い〉
「マグマが上昇し始めたようです。上昇速度は秒速約0.4キロ」
なんだ。たいしたことは・・・ある! 宇宙では衛星軌道に留まることもできないような低速だが、時速にすれば1400キロを超えるじゃないか! 大気圏内航空機並のスピードで岩盤を砕きながらマグマが地表に向かって突進してきている。おそらくサラはマグマに含まれていたガスを急激に気化させたんだろう。その圧力に負けて割れるのは地表側の岩盤だ。
〈サラ やめろ〉〈なる 固い〉
・・・聞いてない? 聞こえてないのか! ノイズの発生源近くにいるからこっちの声が聞き取れないんだ。
着陸艇がガタガタ揺れている。砲撃によってできていたピットの周囲が盛り上がってきている。
「マグマの上昇速度が秒速0.6キロに上がりました。
赤い光に照らされた火山ガスが吹き出し始めた。小さな火球が噴き出してくる。
火山ガスの中から赤く輝く炎の塔が宇宙に向かって伸びていく。そして盛り上がったピットの割れ目からは鈍く光る溶岩が流れ出してくる。こっちは粘度が低い。光を失いながら水のように流れていく。
炎の塔がゆっくりと傾いて・・・持ち直した! サラだ。そんな動きは命を持った者でなければ不可能なはずだ。
サラはゆっくりと左右に揺れながら輝きを失っていった。その動きはだんだん小さくなっていって、それが止まった時には黒い塔になっていた。
私のせいだ。私が宇宙の話題なんかを持ち出さなければサラはもっと長生き・・・いや、サラは死んだわけじゃない。固くなっただけだ。
ふと気がつくとディスプレイにはサラの最後のメッセージが残っていた。
《・・・宇宙・・・冷たい・・・重い・・・かる・・い・・・オータ・・・・・》
そうか! そうだね。真空の宇宙は冷たくて、マグマの浮力が働かないから体が重くて、抵抗がないから動きが軽いんだね。
「考古局とワルキューレ号からメーデーを受信したという返信が届きました」
空気を読まないアイちゃんが報告してくれる。呼吸の必要がないやつはこれだから。
「ワルキューレ号はまだ星系内で調査中だったので、すぐに駆けつけてもらえるそうです」
ああ、そうかよ。助けてもらえなくてもメインノズルを全開にして左主脚を折りながら強引に胴体離陸という手もあったんだがな。・・・まあいいや。それだけ人間を大事にしてくれているってことなんだろうから。
「アイちゃん、ワルキューレ号に救助活動に対する感謝と乗員は無傷だということを連絡しておいて」
「ワルキューレ号に連絡を送信・・・・・・ワルキューレ号からの通信が中継されてきました。4時間以内に到着予定だそうです」
「ありがとう。バギーは出せる?」
「・・・カーゴベイのランプが斜めになります。出すことはできますが、戻る事はできないかもしれません」
「それでいいよ。ワルキューレ号の着陸艇のために障害物がない着陸場所を用意する必要があるだろ」
「分かりました。カーゴベイを開けます」
また宇宙服に潜り込んでキャビンの空気を抜いてから外へ出る。地面に降りると埃が少し舞い上がった。後方カメラの映像を見ると着陸艇の胴体や翼にもうっすらと埃が載っている。これは火山灰かもしれない。
右の翼が持ち上がっているのでその下を通ることもできそうだっただが、右の主脚も踏み抜く可能性がないとは言えないので翼の下に入るのはやめておく。後部にまわると2基の巨大なノズルの間のカーゴベイからすでにバギーが引き出されていた。近寄っていくとライトが点灯する。これもアイちゃんがコントロールしているのだ。ハンドルや手で操作するアクセルも付いてはいるが、宇宙服で細かい操作をするのにも無理があるし。
これも宇宙服仕様なのでバギーの横に背を向けるとスライドしてきたクレードルが宇宙服を捕まえてビーチベッド姿勢に固定してくれる。
二重遭難を防ぐためにも安全な着陸場所を見つける必要があるのだが、それはアイちゃんに任せる。小さな障害物を見つける能力はアイちゃんの方が上だ。私がやることは、アイちゃんがジグザグに走り回って安全を確認したエリアの四隅に点滅する信号灯を置くことだけだ。これにはレーダー波を受けると返信する機能も付いている。大きなライトではないが、夜側だし、サラの近くだからすぐに分かるだろう。今できることはここまでだ。
「まだ時間はあるな。サラの近くまで行ってみよう」
「危険です。溶岩の温度はまだ下がっていません」
「貴重なサンプルが得られる可能性がある。迫撃砲の状態も確認したいだろ」
「迫撃砲システムからはトラブル発生の連絡は届いていません。ですが、画像からはより多くの情報が得られるでしょう。近距離から観察することに価値がある事を認めます」
いささか回りくどい言い方だったが、バギーはサラの方へ向かって走り出した。
溶岩流はそれたので迫撃砲群は火山灰を被っただけだったようだが、砲身内に入り込んだ火山灰は問題を起こさないんだろうか。もしかして使い捨て、とか?
星空を切り抜いたように突き立っているサラの塔の位置はピッタリ迫撃砲の着弾地点だった。砲撃でかなり深い穴になっていたはずだが、サラの周囲はマウンドになっている。
「これ以上は危険です。横転する可能性があります」
アイちゃんは斜面の手前でバギーを止めた。斜面に対して横向きに走らなければそう簡単に横転することはないだろうに。
「分かった。降ろしてくれ。もう少し歩いて接近してみる。あ、戻る時は自動帰還モードで後ろ向きに戻ることにしよう」
宇宙服では斜面で向きを変えたり、前向きに下ったりすると転倒しやすいのだ。
「・・・転倒を防ぐためにサンプル採取用のロッドを持って行ってください。気をつけて」
いつもの「行ってらっしゃい」ではないのは「積極的に賛成はしかねる」という意思表示なのかもしれない。
この宇宙服では地面まで手が届かないので先端に4本の指が付いた伸長1メートル弱のロッドがバックパックの下に取り付けられているのだが、アイちゃんの言うのはバギーに積んである2.5メートルタイプの方だ。確かに杖にするならこっちの方がいい。たいした勾配ではないのだが、転倒するとコネクターが汚れたり変形したりしてトラブルの原因になるので杖、左足、右足の順に狭い歩幅で慎重に上っていく。
「ピーッ」
鋭い警告音がした。何事かと足を止めると、ターゲットコンテナの四角い枠がバイザーの上から降ってくる。サラの上の方から何かが落ちてきたらしい。それが斜面でバウンドしながら転がってきて、すぐ上で止まった。透明な結晶のようだ。
「落石が発生しました。これ以上は危険です。戻ってください」
「分かった。でも、せっかくだから今落ちてきたあれを回収しよう。ロッドを伸ばして」
「ロッドを伸ばします」
ロッドを最大に伸ばしてもらって、さらに右手もめいっぱい伸ばすとターゲットコンテナの位置まで届いた。生身の人間ではまず無理だが、モーターアシストとアイちゃんの制御があればこんな体勢でも安定させてくれる。上下2本ずつの関節付きの指が結晶をつかむとロッドが縮んでそれを引き寄せる。
「自動帰還モードに切り替えます」
ゾンビモードで後ろ向きに歩かされながら左手のグローブからはみ出るくらいの大きさの透明な結晶を検分する。正三角形の角を切り落として分厚くしたような形だ。
「何だろう、これ」
「地下500キロのマグマ溜まりで生成した透明な結晶ならダイヤモンドである可能性が高いでしょう」
ゾンビモードでよかった。自分で歩いていたら転んでいたかもしれない。
「大発見じゃないか!」
「天然のダイヤモンドは不純物が多いので価値はありません」
「ええっ。そうなの?」
「はい。高純度のダイヤモンドをより高効率で製造する手法でもなければ遺産として扱われません。大きいということはヤスリ用にするにしても粉砕するという工程がが必要になります。おそらく人工的に製造したダイヤモンドの方が低コストになるはずです」
「はあ・・・もったいないなあ」
「拾得物として個人的に持ち帰ればいいでしょう。価値を認める地球人がいる可能性はあります」
「・・・・・・そうさせてもらうよ。ああ、バギーも後ろ向きで走らせて」
「自動帰還モードを継続します」
バギーに載せられるとサラのてっぺんがバイザーの視界に入る。
「アイちゃん、サラの先端付近を拡大・・・50倍でバイザーに投影して」
「50倍に拡大します」
ヘルメットの前方カメラが撮影したざらついた映像でもサラの先端あたりに星とは違うごく小さなきらめきがいくつも見えた。おそらくマグマ溜まりの内壁をぶっ叩くために硬い結晶の鎧が必要だったんだろう。そのうちの1個が収縮率の違いとかで外れて落ちてきたと考えるとつじつまが合う。
バギーを前向きにしてもらった所で調査船から通信が中継されてきた。
「オータぁ、生きてるかあ。助けにきたぞぉ」
「ありがとうございます。ピンピンしてますよ。アイちゃん、ビーコンを作動させて」
「ビーコンは作動させてあります」
星の光を遮る影が降りてきて最終噴射で盛大に埃を巻き上げた後、ふわりと着陸した。埃が落ち着くのを待って近寄って行くと宇宙服姿のおやっさんがハッチを開けて待っていてくれる。
「おやっさん・・・」
「ああ、話はうちの船でメシを食いながらにしてくれ。うちの嫁さんが用意してるからな」
「分かりました。ごちそうになります」
おやっさんの隣のクレードルにはまり込むとワルキューレ号の着陸艇は垂直エンジンを噴射して離陸し、メインエンジンに点火して上昇していった。
ワルキューレ号のエアロックをおやっさんに続いて抜けると、奥さんとトールくんが待っていた。トール君のハンドサインの先にはパッド付きの壁しかないので、上体を前傾した姿勢で頭部を壁についてロックしてから背中のハッチを開ける。補助してくれる人がいてくれればこれでも脱皮できる。ただし、充電やエア補給は手動になる。
「お疲れ様。大変だったみたいね」
肩に斜めがけにしたハンモックみたいなものにシンちゃんを入れた奥さんが迎えてくれる。相変わらずかわいい感じの人だ。
「あら・・・」
奥さんの視線をたどるとシンちゃんが手を伸ばしていた。ぷくぷくした小さな手にちゃんと指がついていて、それが動くのが不思議な感じだ。
「オータ君、指出して」
「えっ、こうですか」
人差し指を立てると奥さんがさらに近寄ってきてシンちゃんに指をつかまれた。意外に力が強い。そしてにこっと笑う。何なんだ。何日か前には大泣きしたのに。
「はーい、あくしゅー。よかったねー。ごめんなさい。ご飯にしましょ」
おやっさんとトール君はもう隣の部屋に移っていた。私もシンちゃんに指を引かれるまま、コクピットの後ろのバルクハッチの敷居をまたぐ。
そこはパブリックスペースというか、リビング兼ダイニングキッチンらしかった。周囲にいくつかあるスライドドアの奥がプライベートスペースだろう。なんと壁際には野菜らしいものが植えられたプランターがいくつも置かれている。そしてトール君は湯気の立つ深皿を壁際の調理台からテーブルの上に運んでいた。結露は電子機器の故障の元だろうに。
「こまめにハッチを閉めて、ちゃんと掃除をしてりゃあ暖かいものを食っても大きな問題はねえんだよ」
ぼーっと突っ立っていたら、おやっさんが分厚いハッチを閉めながら教えてくれた。考古局には整備部があるので掃除までお任せなんだが。
「座れや。メシだ。ああ、シンが離す気になるまで指はそのままな。無理に振りほどくと泣かれるぞ」
シンちゃんに指を引かれるままに奥さんの隣に腰を下ろす。メニューは焼きたてのパンに肉と野菜のトマト煮だった。スパイスの効いたいいにおいがする。
パンは冷凍生地だが、野菜は自家栽培だとかで素材それぞれがトマトソースに負けない味を出していた。ニンジンの葉っぱや形のあるジャガイモの食感も面白い。ただ、シンちゃんが指を離してくれるまで左手でスプーンを使うようだったが。
遠慮なくおかわりをさせてもらってトール君がちゃんとコーヒーの香りがするコーヒーを淹れてくれたところで仕事の話になった。
「あらためて救助活動に対してお礼をさせていただきます。ありがとうございました。ついでと言ってはなんですが、仕事をお願いしたいんです・・・けど、その前にあのハッチは防音ですか?」
救助されつつある遭難者だから規則違反ではあるまいが、公務員がハンターに仕事を持ちかけるのをアイちゃんに聞かれていいことはあるまい。
「ああ、家族用のスペースはAIに見られたり聞かれたりしたくないんでな。ヤバい仕事なのか?」
「報酬はこれで。考古局にとっては価値のないものだそうですが」
ポケットに移しておいたダイヤをテーブルに置く。
「屈折率も硬度もチェックしてませんが、うちのAIはダイヤモンドだろうと言ってます。新しく地表へ突き出た溶岩ドームの先端辺りを覆っていたものです。おそらくどちらの溶岩ドームの先端もダイヤで覆われているはずです」
「ほう・・・」
おやっさんはハンカチを取り出すとダイヤに被せてから手に取った。
「念のために言っておくが、ダイヤに限らず、宝石や貴金属類を素手で持っちゃいかんぞ。手油が付くとそれだけで値打ちが下がる」
「はい、すみません」
「・・・本物らしいな。で、仕事というのは?」
「サラ・・・新しくできた溶岩ドームを第三惑星まで運んでホットスポットに落としていただきたいんです」
「うぷっ・・・ちょっと待てぇ」
おやっさんは吹き出しかけたコーヒーを飲み込んだ。
「あれは見た目は垂直型の宇宙船に似てるが、中身はみっちり詰まった岩だろ。相当な重さになるんじゃないのかあ」
「大ざっぱな計算で10万トン以上というところです。ドームの根元ぎりぎりでカットしても20万トンまでは行かないと思います」
「なんか話が大きくなってきたわね。詳しい話を聞かせてもらえるかしら」
シンちゃんがまた手を伸ばしてきたので人差し指を預けながら説明を始める。考古局の役に立ちそうな情報はサラマンダー族の言語体系くらいなものだから奥さんに問われるままに洗いざらいぶちまけた。
「だいたい分かったわ。どう?」
「大気の抵抗がほとんどないから地表すれすれでも衛星軌道に乗せられるよ」
トール君は数字が並んでいるタブレットを掲げてみせた。
「金属製のベルトを上下2本巻いて、最小限の姿勢制御スラスターとブースターを付けられるだけ取り付けて、とりあえず軌道に乗せてしまえば獲得した速度とブースターの推力から質量が計算できる。後は必要な
だけのブースターと推力をコントロールできるエンジンを追加すれば第三惑星まで持って行けるよ」
「そうか。根元に爆薬を埋め込んどいてブースターに点火してから爆破すれば切り倒せるな。ベルトだけじゃすっぽ抜けるかもしれんからアンカーボルトも使おう」
「問題があるとしたら第三惑星の大気圏に突入する時かな。オータさん、突入時にはおそらく2万度くらいまで加熱されると思います。てっぺんから突っ込むとダイヤが燃え・・・ないか。酸素はほとんどなかったですね。蒸発するのかな? 横向きにしてローリングさせれば少しは温度が平均化されるでしょうけど、その場合は着水・・・じゃなくて着マグマする時に衝撃で折れる可能性があります。パラシュートで支えられる重さじゃないですし、ダイヤを守るなら根元から突入させるべきだと思います」
「いや、てっぺんからにして。炭素なんてありふれた元素は失っても補給できるはずだから、サラの脳と記憶を守るのを優先しよう」
「それと、地上に出ている部分にサラちゃんの脳が含まれているという根拠はあるの?」
抑えた声で奥さんが聞いてくる。いつの間にかシンちゃんは眠っていたらしい。そっと人差し指を引き抜かせてもらう。
「脳は感覚器官と発声器官の近くにあるのが合理的だと思います」
「・・・かなり希望的観測のような気がするけど・・・それと換金できる?」
話を振られたおやっさんは自信ありげに頷いた。
「物好きな大金持ちには心当たりがある。『珍しい物があったら教えてくれ』とも言われてるしな」
「じゃ、契約をまとめましょう。まず、このダイヤは受け取れないわ。オータ君が持ってなさい」
「えっ、でも・・・」
「これはオータ君がサラちゃんからもらったものでしょ。女の子を裏切るような真似はしちゃだめ」
いや、多分単為生殖なんですけど・・・。
「ではヴォルグ商店は貴重な鉱物資源の情報に対する報酬としてサラちゃんを第三惑星まで移送します。なお、この契約はもう一体のサラマンダーからダイヤを採取できた時点で発効するものとします。契約書は作らない方がいいわよね」
「ええ」
「悪いが輸送に失敗しても賠償はしないぞ」
「分かってます」
さすがにおやっさんは釘を刺すのを忘れなかった。
2年後。
私は迎えにきたワルキューレ号に乗せてもらって第三惑星の衛星軌道上にいた。実は去年も「知人の誕生パーティに参加する」という理由で休暇を取っている。立場上ハンターと親しくするのはあまり好ましくないような気はするのだが、2年前からヴォルグ一家は私の担当宙域では活動していない。多分気を遣ってくれているんだろう。
ワルキューレ号のコクピットは4人仕様で奥さんは後ろのリビングにいるからシートは余っているのだが、シンちゃんは私の腿にまたがって足をぷらぷらさせている。どういうわけか私がワルキューレ号にお邪魔する時は私の腿の上がシンちゃんの指定席になっているのだ。時々楽しそうに私を見上げてくれるので笑みを返すのだが、わたしの意識はどうしても前のシートでおやっさんとトール君が進めている作業の方に向いてしまう。
「最終点検終了。異常なし」
「よし。行け」
「シークエンススタート。点火開始は・・・9分51秒後」
第三惑星の低軌道上には予備も含めて13基のミサイルが1列に並ぶように乗せられている。これは衛星軌道上から高速度で突入させて敵を攻撃するための運動エネルギー兵器らしい。これをサラが柔らかくなった時に自分の名前を思い出せるように〈SALA〉の4文字のモールス信号パターンでホットスポット近くの陸地に撃ち込むということを始めてから2年目だ。
去年と同じパターンで噴射炎が閃く。今年も不発なしで11発が年々小さくなっていくマグマの海の脇に吸い込まれていった。
「ようし、終わった。メシにしよう。予備のミサイルの回収はその後だ」
左側のシートからおやっさんが立ち上がる。
食卓に着いて手を差し伸べたのだが、シンちゃんは私の手をすり抜けるようにして腿の上によじ登ってきた。いやはや1年ごとに大きく重くなっていく。変わらないのは腿に感じる高めの体温くらいだ。私もシンちゃんのおしりの温かい重さは嫌いじゃない。いつかはシンちゃんの頭が食事のじゃまになる日が来るんだろうが、それまでは好きなだけ乗せてあげようと思う。
奥さんが並べている今年の煮込みは醤油のにおいがしている。具はカブとタマネギとニンジンだ。当然カブの葉っぱも入っている。有毒なジャガイモの地上部とタマネギの皮以外はすべて食べる、というのがヴォルグ家の方針なんだそうだ。
「トール、ご飯よー」
「ごめーん。ちょっと待っててー」
半開きのスライドドアの後ろからトール君が応える。
「いいじゃねえか。先に食っちまおうぜ」
「うわわっ。待って待って」
プライベートスペースから携帯端末を持ったトール君が飛び出してくる。
「いただきまーす」
奥さんの位置が少し離れていると思ったら、シンちゃんは自分でスプーンを使えるようになっていたらしい。
トスっと胸を突かれた。下を向くとシンちゃんが真上に顔を向けていた。
「おいしーねー」
「そーだねー」
「シンちゃんはほんとにオータさんが好きだね。もうオータさんのお嫁さんになっちゃえば?」
「およめ・・・さん?」
「お嫁さんになれば毎日いっしょにいられるし、好きなだけ乗ったり乗られたりできるよー」
こらこら、その台詞はR18指定だぞ。
「およめさん、なるー」
ほら、こういうことになるんだよ。
「そうね。それもいいかもしれないわね」
「ええっ」
「シンちゃんはすごく人見知りでね、そこまでなつくのはオータ君だけなのよ。そうねえ・・・あと13年くらい経ってもオータ君がまだひとりだっったらシンちゃんをもらってくれない?」
「そうだな。オータなら安心だ」
「えっ。いや・・・でも・・・年の差が20歳以上ですよ」
「わしだってユエちゃんとはだいぶ年の差があるしな。シンが幸せになれるならそれが何よりだ」
「ねえ、オータ君、私の先祖の言い伝えでは名前には呪術的な力があるとされているの。だから信頼できる人以外には自分の本当の名前を教えなかったのよ。オータ君はサラちゃんに名前を与えることでサラちゃんと強く結ばれてしまったんじゃないかしら。だけどね、人間と人間でないものの恋物語って昔からたくさんあるけど、ほとんどが悲しい結末で終わっているんじゃない」
いや、私はサラが固くなったことに対して責任を感じているだけなんですけど。
「それにサラちゃんが生き返るまで何百年かかるか分からないんでしょ。だったらこの行事を引き継いでくれる子孫を作っておいてもいいんじゃないかしら」
「なんだったらうちに来てもいいぞ。トールを独立させればいいからな」
「いや・・・その・・・」
「オーちゃん、シンちゃんのこときらい?」
あああ、そんな顔をしないでくれ。
「いやいや、そんなことないない。シンちゃん好きだよ」
「よかったー」
「お困りですね、オータさん。そんなあなたに耳よりなお知らせです」
どこのアナウンサーだ、君は! もともとは君が持ち出した話題じゃないか!
「これを見てください」
タブレットをテーブルの上に立てて見せてくれる。映っているのは多分地震波だ。
「これ、下から送って来てる地震波なんですけど、ちょっと巻き戻して・・・」
スクロールしていくとノイズから明らかに飛び出しているパルスが現れた。
「これが〈SALA〉の二つ目の〈A〉の最後のパルスです。それから少し間を置いて、ここにノイズからちょっとだけ頭を出しているパルスがあります」
うーん・・・あると言われればある・・・ようにも見える。さすがにマグマの海があるような星だと常にどこかで地震が起こっているらしく、よく育ったノイズが一面に茂っているのだ。
「また間を置いてここにパルス。で、この先でノイズレベルが上がってしまうんですが、等間隔でパルスがあるとして、この3つを〈O〉だとすると・・・」
またスクロール。
「こことこことこことここ。この間隔が狭めの4つのパルスは〈H〉」
ノイズレベルがまた下がったのでこれは分かりやすいが・・・。
「もしかして〈T〉〈A〉と続く?」
「ええ」
サラが応えている? もう柔らかくなったのか?
「だけど、パルスの間隔が空きすぎじゃないか」
スケールを見ると1文字に3分くらいかかっている。
「それは10分の1以下にちょん切られちゃったからでしょう。しっぽの一振りってわけにいかなくて、全身を使って『よいしょー、よいしょー』って感じで岩盤に体当たりしてるんだと思いますよ」
・・・ったく・・・そうまでしてパルス間隔を揃えてんのか。どこまで真面目なんだよ。
「オーちゃん、だいじょぶ? どっかいたい?」
視線を下げるとシンちゃんが心配そうに見上げていた。
いかんいかん。いい大人が3歳児に心配されてはいけない。笑顔を作らなくては。
「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ」
シンちゃんはお母さん似だね。大人になるまでいい男が現れないといいな。