神囲護に命がやってきた①
はっきり言おう。この世に不思議なことや奇っ怪なことなんぞ存在しない。
ただしあちきはリアリストではない。大抵の人間は理解できないことを『不思議』【奇っ怪】或いは(天才)などと定義し、それ以上の存在理由を求めることをしないためだ。実にリアリストではないか。
ということはつまり!
これからあちきがすることは、(不思議奇っ怪天才』などではない!では何か?
そんなもの、自分で考えろ!自分の言葉で定義しろ!『わかれ!』
―自称、孤高の芸術家、フランソワ・イヴ
神囲護儀式=メイ トフ ラン ソワ
デストロイ!
ひどい曇り空、ハニカムに形取られた舗装された道路をバスが走る。
華やかな音と色と匂い、あらゆるものが五感を魅惑する大都市、神囲護市。
二十八年前に人口が百万人を超えた大都市、神囲護市!
日本の真ん中から企業もドバドバ押し寄せ、今や駅周辺は眠ることのない大都市、神囲護市!!
このメガロポリスだかメトロポリスだかに降り立った小さなバス。
乗客は数人のみで構成された田舎町の者達だけ。
その中で一番初めに缶詰のような窮屈なバスを降りたのは、一人の少女。
背中にはギターケース。降りるなり小さな体躯で駆け出す。
「んおおおーっ!」
彼女―霹靂命には夢がある。
とかく夢というのは人間を動かす大きな力だ、彼女には無限のガソリンが流れている。そいつは身体を循環して、走る彼女に次の一歩を踏み出すエネルギーになる。エネルギーはあまりに滾り過ぎるものだから、咆哮になって止まらない。
「なんだなんだ、子供が騒々しいな。ここはマグナム・チルドレンと言うべきか」
迷惑騒音エネルギー発生源である彼女とすれ違う人々は片耳を塞ぎながら独りごちるが、彼女は黒いギターケースを揺らしながら走るのだ。どこへ?それは命自身にもわからなかったのだ。ただただ、都会に来たという興奮が、命の心臓のBPMを加速させていくのだ。
とりあえずこのまま走っていたい。このまま、このまま!ここののま!
「鼓動がビートを刻んでいく」
「青春って、そういうもんだろ?」
命が憧れた歌のフレーズが、わゆんわゆんと頭の中で繰り返す。
ここが、都会なんだ。
「んおおお、んおおーっ、いおよっしゃあああああ!!」
霹靂命には、夢がある。
「ふぃーっ」
ひとしきり走り回ったあと、命は満足の溜息をつく。
「すげー!想像していた以上に神囲護って広いじゃん!うひー、どこで歌おうかなぁ?」
命はあまりものを考えない性分だ。街に来たからには、まず歌わねば。それだけだった。
「とりあえず、人の集まりそうなところに行ってみようかな」
言うより先に、命は人通りが多いところ―バス停からそう遠くない駅前の広場へと向かっていた。
-それは、彼女の騒がしくも楽しい日々のはじまりの一歩……
「なんでじゃぼけなす!」
一時間後、霹靂命はおまわりさんと喧嘩をしていた。
「あそこで歌っちゃあダメなんだよ、お嬢ちゃん。わかる?」
「わかんねえよ!なんで歌っちゃダメなのさ!」
「あそこは人が多いんだ。お嬢ちゃんみたいに大声で騒がれると、迷惑なんだよ。わかる?」
命は苛立つ。言葉の末尾に一々『わかる?』と聞いてくるのが、自分を完全な小童と見ているのが丸わかりであったからだ。
「んなこたない!通りすがりのおじちゃんがお金くれたんだぞ!」
命は精一杯、自分の歌が人に届いたことを証明してみせようとした。しかしそんな自分勝手な主張が警官に届くはずもなく、ならば歌にすれば届くのだと思い、一念を込めて歌おうとギターケースに手をかける。そんな命を見て、呆れ顔の警官は言い放った。
「歌っても無駄だよ。ここは都会なんだ。夢を唱えてもかき消されちまう。わかる?」
「都会は夢が叶う場所だろ!だからあたしはここに来たんだ!いいから歌、聞いてよ!」
「聞けないよ。わかる?わかる?わかるよね?」
警官はそんな言葉を繰り返すばかり。
結局、命は歌うことも出来ず、もう二度とこんなことはするなと交番を放逐された。
「ちくしょー!意味わかんねぇ!バカじゃないの!」
命にとっては、都会の駅前というのはストリート・ミュージシャン達がしのぎを削る場所というイメージだった。そこで歌ってはいけないとは随分乱暴だ、おかしいじゃないか。
「ぐぐぐ…。ならば商店街だ!あそこなら野生のミュージシャンくらいいるだろ!そいつに宣戦布告してやる!」
彼女の内の炎は、消えるどころかさらに激しく燃え上がる。商店街で起こるであろう、ミュージック・セッション・バトルに心は燃え上がるのだ。
「なんでじゃぼけなす!」
一時間後、霹靂命はドラッグストアの店長と喧嘩をしていた。
「ここで歌っちゃあダメなんだよ、お嬢ちゃん。わかる?」
「わかんねえよ!ていうかなんでここにはストリート・ミュージシャンがいねえんだよ!普通わんさかいるもんだろ!それが都会だろ!」
「ハッ!そんなくそうるせえ連中はとっくの昔に駆逐されちまったよ!残念だったね、バカそうなお嬢ちゃん!」
「ぬえええっ!?えっ、ぬえぇえええ……」
命は信じられない、と言った表情で脱力する。
「さぁ、商売の邪魔だよ!これからタイムセールなんだから。お嬢ちゃん、見たとこ18歳未満のようだしバカそうだし、ミュージシャンなんて諦めて真面目に勉強しな」
店長はやれやれ、と命を押しのけようとする。
だが、命は店長の発言なぞ聞いていなかった。
「じゃあ……」
「ん?」
「じゃああたしが……あたしがここをまたミュージシャンのバトルフィールドにしてやるー!」
命はマイクも無いのに歌い出した。
「風に舞う破壊神だ『やかましい!いいかげんにしろクソガキ!!』
彼女の歌は、それより遥かに大きな怒号にかき消された。先程警官に言われた通り、彼女の夢は簡単にかき消された。これが都会なのだ。
都会へと降り立って僅か2時間足らず。夢のガソリンで溢れていたマグナム・チルドレン霹靂命の進撃は、呆気無く止まってしまった。
「おとなしくしろ!ったく、暴れられたら俺が捕まっちまうっての」
「ち、ちくしょう……ちくしょう!!」
命はおじさんたちに押さえつけられる。やがて商店街の人々が集まり、彼女のギターケースが明けられ、中に彼女の下宿先の詳細が記された紙を見つける。
「ほらっ、今大家に連絡したからな。今回だけは見逃してやるからな、二度とこんなことすんじゃねぇぞ」
「ちくしょおおおおおおお!!!」
哀れ霹靂命、後に彼女は大家が迎えに来るまでの25分間を『屈辱と泥にまみれた涙星』と名付けたそうだ。多分翌日にはそんな名前など忘れてしまう思春期だが。
「……ふふふんか」
そんな商店街の騒がしいやり取りを、遠くで眺める一人の少女がいた。
「あぁら命ちゃん?どうしたのぉ?」
そして大家さんがやってきた。命を迎えにやってきた。
「グリッピ!助けに来てくれたんだなほげべっ!」
ついでに小さな彼女の頭を鷲掴み。
「ダメよぉ、商店街の皆さんにご迷惑かけちゃぁ?」
「まったく、頼みますよ。あんたが保護者なんでしょほげべっ!?」
便乗して調子に乗った商店街の誰かも鷲掴み。
「ダメよぉ、こんないたいけな子に乱暴しちゃぁ?ふんっ!」
そのまま投げ飛ばす。哀れ調子に乗った男はシャッターに叩きつけられてしまった。全治2ヶ月!
「ひ、ひえぇぇ……」
明らかな暴力行為なのだが、集まった商店街の人たちは本能で察してしまったのだ。『こいつの機嫌を損ねたらあそこに転がっているボロ布みたいになる』と。
「さ、いきましょ、命ちゃん?」
「ひゃ、ひゃいぃぃ……」
自分もぶっ飛ばされるんじゃないかと恐怖に怯えた霹靂命は、ただただ大家さん(彼女はグリッピと呼んでいる)に黙って頭を鷲掴みにされるがままだった。
霹靂命。今はまだ恐怖に飲み込まれるだけの、弱っちい夢見る少女。
「いい命ちゃん、みんながみんな命ちゃんのソウルにまだ共鳴できるわけじゃないの」
下宿先のアパートに着くなり、グリッピは命の肩に手を置いて諭した。ソウル溢れる彼女に届くような言葉で。
「あぐうう……だけど、だけど歌は世界を変えるってオヤジが……」
「兄さんはアンダードッグです。メイちゃんも今はアンダードッグ(以下U・D)。まだ時じゃないの」
グリッピは必死に言葉を選ぶ。多感な少女には、言葉一つ違えるだけで感情を壊してしまうことを彼女は知っていたからだ。
「くっ……!確かにオヤジはいい年してロクに仕事もしていねぇし、『俺にあるのはでっけぇ夢とハッタリだけだ!』とか言っちゃうU・Dだけど!うっかりあたしやグリッピを入れ忘れちゃうU・Dだけど!」
「そうよ」
「ちくしょお……!いつになったらあたしのソウルは伝わるんだよぉ……」
「いつになったらって、まだ神囲護に来たばかりじゃないの。これから学校に通うんだから、まず生活に慣れてからでいいのよ。よしよし」
そう言ってグリッピは命を優しく撫でてあげる。グリッピは小さい子が男女問わず好きなのだ。
「んー……。グリッピが言うならそうなんだな!よっしゃ!今日はもうメシ食ってねる!」
「よしきた!美味しいハンバーグを作ってあげるわ」
「ううぇーい!!肉だぁぁぁ!」
父親の元では挽き肉すら宝石のような希少価値の塊と化していたためか、命はハンバーグというフレーズに思わずテンションが上昇してしまうのだ。
「うめぇ!うめぇ!うめぇ!」
「あらあらメイちゃん、ヤギみたいに食べちゃあはしたないわよ」
ガッツリと夕食を摂り、
「ふぃー、ふぃー、ふぃー!」
「あらあらメイちゃん、メタラーみたいな声を上げるにはまだ早いわよ」
どっぷりとお風呂に浸かって、
「ねうー!」
「はいはい、おやすみなさい。おねしょしちゃあダメよ?」
「……さすがにそれはねーぞ、グリッピ……くかぁ」
疲れ果てた命はあっという間に眠ってしまった。これが霹靂命の神囲護市の最初の一日だった。
街の端っこにあるグリッピのアパート。市の中心にある繁華街付近は煌々と電飾を光らせている。眠らない街、神囲護に挑むかのように、霹靂命の情熱は揺らぐことはなかった。
そんな深夜の街。
少女が一人、楽しそうに街を闊歩していた。
「なんだなんだ、お嬢ちゃん。ここはもうアダルティータイムが始まっているんだぜ」
そんな酔っぱらいのオヤジの戯言を躱し、ベレー帽を揺らせてご機嫌にステップを踏む少女。
彼女には周りの声は届いていないようだった。或いは意図的にシャットアウトでもしているのか。彼女は画材道具を揺らしながら歩くのだ。どこへ?それは彼女自身にもわからなかったのだ。ただただ、作品を創るという興奮が、彼女の世界を肥大させていくばかりなのだ。
とりあえずこのまま歩いていたい。このまま、このまま!ここののま!
「街に紋章が刻まれていく」
「全てを変えてしまう儀式がはじまる」
そんなフレーズが、わゆんわゆんと頭の中で繰り返す。
ここが、聖堂となるのだ。
「ふふふ、驚くがいいぞ。全てを変えてやる」
彼女にもまた、夢がある。