表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

十四日目 茶ゴケとエビの恐怖

 外出から戻ってくると、奴は再び発生していた。


 流木の周りにまとわりついているもの、ソイルから生えたかのような見た目はお吸い物の底で揺らめく茶色のとろろ昆布に似たもの。唯一生き残ったロターラの葉も茎もそれにまとわりつかれて苦しそうだ。


 五日目、六日目あたりから発生し、いくら取り除いてもじわじわ増殖するそいつらの正体は、茶ゴケ。


 光量不足によって枯れた水草があっという間に水質を悪化させ、慌てて点灯したライトに後押しされて一気に水槽内で増殖を開始した悪魔ども。


 目立つ奴を取り除き水替えなどして様子を見ていたが、立上げから二週間たった今、水槽内は茶ゴケが支配する魔界へと姿を変えてしまった。


 だが悪魔よ、覚悟しろ。


 俺は悪魔祓いの神父さんの戦いを描いた映画の主人公よろしく、携えていた買い物袋から取り出したヘラを十字に構えた。







「……んのぅっ!! (NO!!)」

 

 買いこんできたお掃除用具(先端を三種類のブレードに交換できるタイプでドイツ製。お値段三千円弱!)を水槽に突っ込み、「悪魔よ! 名を名乗れ!」「俺様の名は茶ゴケ! ねえお願い、ファ〇クして!」「おのれ邪悪なサタンの使いめェッ! これでもか! これでもかあッ!?」などと小芝居(エクソシズム)を始めたのだが、苔どもは水槽から剥がれた途端ソイルへ向かって真っ逆さま。慌ててキャッチしようとすればあれほどに固着していたくせにボロボロぬるぬると崩れ去り、細かな粒子となってソイルの隙間に入り込んでいったのだった。


 適当なことをやってはいけないと少し前に学んだばかりだと言うのに。


 俺はわが身にかけられた血液型(血の呪い)Bの恐ろしさに慄きながら、どうにか上澄みを採取してボウルに空け、カーディナルテトラ六匹を非難させた。


 流木を取り出して洗い、ひとまず天日に干してみる。


 割りばしの先端に無数の傷をつけたオリジナル苔撤去棒をクルクルと回転させ、なぜか粘着性を有するようになったそれを必死に除去する。


 ダメだ。


 割りばしに付いてくる苔はごくわずかで、ほとんどが崩れて散ってしまう。


 こいつらを全滅させるには……もうあれをやるしかない。生き物を飼う以上、彼らが死なぬよう責任を持つのだ。


 俺は意を決して手動ポンプを取り出した。


 ふん。

 入れるときはあんなに大変だったのに、水を抜き出すのにはたったの五分しかかからなかった。


 今、俺の目の前には乾きかけの沼底の様な状態になった水槽がある。


 ソイルを取り出してざるに空けた。臭う。かつて小学校で飼われていた金魚の水槽が放っていた臭いだ。


 こいつに手を突っ込んで洗うのか?

 

 いやいや、もはやそのような問答は無粋。悪魔は茶ゴケという真名(マナ)を俺に晒しているのだ。勝負は決したも同然。


 しかしなあ。

 

 お料理好きの俺としてはキッチンのシンクでこんな作業を行いたくない。だが風呂場はダメだ。万が一こいつらがそこで発生したらと思うだけで鳥肌が立つ。


 ならばベランダか。


 馬鹿を言うな。残念ながらホース等設備がない。これだけのソイルを洗うのに何度往復する羽目になると思う。それに俺の家のベランダは歩行者が行き交う通りに面している。万が一汚染された水等をそちら側にこぼしてしまったらえらいことになる。


 やるしかない。


 キッチンは徹底的に塩素消毒すれば何とかなる。


 意を決しソイルを洗う。これで我が家の調理器具がまた一つ熱帯魚専用となった――などと愚痴を垂れている場合ではない。


 水槽のガラス面にまで斑状に繁殖を始めた茶ゴケどもを排除し、美しいアクアリウムを立ち上げなければ、


「アクアリウム始めたんだよね~」

「えーっ! 本当ですか!? 見た~い☆」

「いいよ。たまには宅飲みしようぜ」


 的な会話を楽しむことができないではないか!!


 我が家のキッチンで和え物を作る際に大活躍してきたアルミ製のボウルも、現在はカーディナルテトラ様の緊急避難所と化している。


 やらなければならないことは多い。


 空になった水槽をそれ用のスポンジで洗う。壁面は酷い有様だったが以外にも底面はきれいだった。丹念に拭いて乾かし、ソイルを敷く。一応上層と下層にわけてはおいたが、どう見ても混ざり合っている部分が以前より増えた。


 お次は外掛けフィルターだ。石ころみたいなやつと空気清浄機にも入っていそうな目の細かいフィルターが二枚。


 全てこれでもかというほど茶色の汚れが付着している。


 吸水口を覆っていたスポンジ状の存在も酷い状態だ。そしてすべてが臭う。


 だがここまで汚物どもと付き合ってきた俺に恐れるものなどもうない。


 きっちり汚れを落として準備完了。


 さあ、水入れの時間だ。


 と言っても初日の様な愚は犯さない。


 床に水槽を置くなんて愚か者のすることさ。俺はカウンターに安置した水槽を見下ろして勝ち誇った笑みを浮かべた。


「どぉうりゃ!!」


 行儀悪くも食卓に上り、15Lの水が入ったバケツを高々と――正確に言えばまあ、右腕をプルプルさせながら捧げ持ち、左手で必死にポンプを握りつぶす。ややあって水が移動を始める。


 ぐう、重い。ポンプを支えなければならないため、十五キロのバケツをヘラクレス像のように高々と挙げた右手一本で支えるのは辛い。つくづく自身の非力さが嫌になる。


 頼むから早くいっちゃってくれ。

 そんな作業を二度繰り返し、ようやく水面が落ち着いたところへもって、本日のメインイベントがスタートする。


 ソイルの粒子が落ち着くまで二時間ほど。


 キッチンの隅々まで漂白し、俺自身もシャワーを浴びて身を清めた。


 水槽から悪魔は去った。


 すでに夕方だが清々しい朝を迎えたような気分だ。


 水温OK。


 クリプトコリネを中心としたMIX系の水草を投入。


 流木・隠れ家を沈めてレイアウト完成。


 LEDライトセットオン!


 外掛けフィルター始動!


 さあ、今こそその威容を解き放て!


 召還! 水底の掃除屋、ヤ・マ・ト・ヌ・マ・エ・ビ!


 水槽の上に浮かべ、二時間かけて水合わせをした袋を解放する。迸る様に飛び出るエビたち。あらたな環境に遭遇し、まるで狂喜乱舞するように泳ぎ回る姿には剣の舞というバックミュージックが相応しかろう。


「ふっ。きれいな水槽がそんなに嬉しいかい。ヌマエビちゃん……って、ちょっとお前ら、動きが激しすぎないか?」


 ショップで見た時は水槽の底や水草周辺で小刻みに口元に何かを運ぶ愛らしい姿を晒していたくせに。そんなに素早く泳ぎ回ることができたのかと瞠目したのも束の間、素人の俺にも異常とわかるほど、その動きは鬼気迫るものだった。彼らがもし言葉を発することができたなら。


「ヒャッハーー!! 苔の粒子が大量にある最高のエサ場だぜェッ!?」


 ではないな。


「助け! 助けて!! この水から出してェぇぇぇッ!?」


 とでも言っているようだ。

 助けてほしいのはこっちだ、グーグル先生!

 ポチポチ……ふんふん。


『購入したヤマトヌマエビを水槽に入れた途端に狂ったように暴れ出し、三日で動かなくなり翌日には一匹死んでしまいました。残り五匹もほとんど動かなくなってしまい、死んでしまわないか心配です。水槽を立ち上げて三か月経ちます。放流前に水合わせもきちんとやったつもりですし、水質チェックでは問題ないと思います――云々』


 ガーン。

 水質チェックって何?

 え、この後二日も暴れ回った挙句死んじゃうの?


『エビは環境の変化にとっても敏感です。きちんと水合わせをしても、僅かな違いを感じてショック状態になり、水槽内で暴れ回ることも多いです。弱ったエビは魚に突かれて死んでしまうことも(逆もまた然りですが)あるため飼育を分けて様子をみましょう』


 PCの画面からぎこちなく視線を水槽へ移す。

 あれこれと調べるうち、一時間が経過した。

十匹のエビたちの半分は、流木の影あたりをうろつくようになっていた。五分ほど前に見た質問サイトの解答を思い返す。


『つまり、エビを入れた場合はほとんどの場合そうやって暴れますが、数時間で落ち着くものです』


 ほ、ほら見ろ。

 きっと大丈夫だ。







 あれから一週間。

 結果だけ報告してしまうと、我が家に新たにやってきたエビ十匹は元気にしている。日々水槽の底や壁、流木や水草、吸水口のスポンジ等に張り付いて何かを口に運ぶ姿はとても愛らしい。ある意味テトラより好きだ。


 ……しかし、油断はできない。


『逆もまた然り』


 ヤマトヌマエビはエサが不足すると弱った魚を襲うことがある。

 我が家のアクアリウムは一見平和を取り戻したように見えるが、まだまだ大きな危険をはらんでいるのだ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ