夜会 2
優しく手を引かれ、ドロシーは先ほどまで背後にあったドアから広間へと入る。
天井の高い広間は、複数のシャンデリアが全体を淡く照らしている。
踊り場から伸び、ゆるやかに曲がった階段は、右手側にあるだけ。左側は落下防止に、ドロシーの胸に届く高さの柵が伸びていた。
下方では、色とりどりのドレスとジュストコールが咲き乱れている。決して狭くはないのに人だらけで、床の見える場所は少ない。
あまりの人いきれに、今から酔ってしまう。
「人が多いから、なるべく俺から離れないようにしてくれ」
「わかりました」
上から入ったことに気づいた一部が、あからさまにこちらを指差している。互いにヒソヒソと言葉を交わしているようだ。見上げる人の波は、次第に広がっていく。
『これから』を想像してしまい、ついついため息がこぼれる。
「不愉快なことを言われたら、黙って笑っていろ」
「……兄と、同じことをおっしゃるのですね」
思わず、小さく笑ってしまった。
『ニコニコ笑って聞いてない相手に、いつまでも雑言を吐けるほど図太いのは、僕とリリーくらいだよ。だから、聞きたくないことを言われたら、これでもかってくらい、ニッコリ微笑んでみせればいい』
初めて姉と比較された日に、慰めてくれた兄の言葉だ。
どうせ、こちらの言い分は聞きやしない。やけになって言い返せば、より険悪になる。かといって、兄姉のようには笑えない。それならば、最初から黙って聞き流せばいい。反応のない相手にも、いつまでも人は言い続けられないのだから。
一切聞こえていない振りくらい、とっくに完璧だ。
「戯れ言は笑って流せ。それがあっさりできる程度に図太くなければ、こんなところではやっていけないんでな」
「ああ、どうりで、王城へ出るようになってから、兄が生き生きしているわけですね」
「おかげで、ヘイデン辺境伯が代替わりしたら、さぞ賑やかになるだろうと、今から楽しみで仕方がない」
クツクツと低く笑うノエルを、ドロシーは不思議そうに見上げる。
姉との婚約と、その姉が誰かと出奔すること。キースはそこまで狙っていたのだろう。出奔相手は誰でもよかった。キースかノエルと対立関係になりそうな家の者であればなおさら、といったところか。
グレンによって、最大の醜聞は生まれた。言い寄ったり、言い寄られたりしていた者たちは、安堵の息を吐いただろう。
それでも、リリアンを──王太子を裏切って他の男と駆け落ちする娘を欲しがっていた事実は、決して消えはしないのだ。
「では、下りるぞ。覚悟はいいか?」
「いつでも、できています」
安心させるために、嫣然と微笑むことはできない。だから代わりに、視線にグッと力を込めて、彼の瞳を真っ直ぐ見つめる。
「いい覚悟だ」
楽しげに、ノエルは片頬で微笑む。
さっさと一段下りたノエルは、するりと手を離す。すぐに逆の手を差し出し、ドロシーの右手を取る。空いた左手を、さりげなく手すりへと誘導した。
距離が近いのに、目線の高さに差が少ない。
何ひとつ迷いなく、堂々と先導してくれる。そんな彼にならば、心置きなくすべて任せることができそうだ。
そうと気づかれないように、少々ドレスを蹴り上げる。なるべく靴音がしないように、そっと下ろす。
もどかしいほど、ドロシーはゆっくり階段を下りる。ノエルは彼女の速度に合わせ、常に一足先を進む。
静かでおっとりした弦楽が、ゆるゆると、ふわりとただよっては消えていく。
いつの間にか、人の声はしなくなっていた。曲のわずかな切れ間はしんとして、呼吸の音がかすかに聞こえる程度だ。
最後の一段は、わざと靴を鳴らして下りた。心なしか笑った気配が、すぐそばでする。思い切って見上げてしまいたい気持ちを抑え、真っ直ぐ前を見つめ続けた。
今は、右手から伝わる温度だけが、確かに信じられるものだから。
「今夜は来てくれて感謝する。ぜひとも楽しんでいってくれ」
ノエルの挨拶に、ほんの少し、弦楽の音が大きくなる。
視界の隅に映るノエルの笑みは、この上なくにこやかだ。けれど、心からのものではないように感じた。
(……兄様が、他人に見せる笑顔と同じですね)
完璧に作りあげた、仮面のような微笑み。当たり障りのない処世術のひとつだ。
「さて、どうする?」
「どうする、と聞かれましても……夜会は、何をするものなのですか?」
「踊る人間が多いが……キースは踊らなかったのか。相当大事にしているな。あとは、飲み食いしつつ話に花を咲かせるくらいか」
「一応踊れますが、夜会では一度も踊っていません。政にかかわる話でしたら、何も解しない振りもできますが……」
兄はよく、領地がどうの、政策がどうのと話している。その合間に、給仕から飲み物を受け取って渡してくれた。さりげなく移動し、勝手に取れるよう、食べ物の近くで会話を弾ませることもある。
その代わり、一切口出しはさせてくれなかった。
こちらを気にする視線には、不思議そうに首を傾げてみせればいい。たったそれだけで、難しくてわかっていないと思い込んでくれる。
「では、なるべく俺から離れないように、キースといる時と変わりなく過ごしてくれ」
「わかりました」
頷いたドロシーは、ノエルが歩くに任せて動く。
顔見知りや重要な人物に会えば、少なからず言葉を交わす。それを耳に入れながら、聞いていないふうを装った。
ふと、熱気に喉の渇きを覚え、給仕を呼び止める。
「君にはこれがいい」
自分で取ろうとしたドロシーの手を遮り、ノエルがグラスを二つ手にする。そのうちの片方を、黙って受け取った。
彼の持っているグラスは、比べると液体の色が濃い。
「そちらは口当たりがやわらかく、酔いにくいぶどう酒だ。君をひどく酔わせると、キースが後々恐ろしいからな」
「ありがとうございます」
礼を言ったものの、酒に弱いという話はしていない。むしろ、めっぽう強い方だ。
とはいえ、今日は慣れない場にいる。自宅にいる時と同じ感覚でいては、取り返しのつかないことになりかねない。
彼の細やかな心遣いが、今は非常にありがたかった。
グラスへそっと唇をつけて、中身をひと口含む。鼻からふわっと抜けるぶどうの強い香りと、舌にふんわり広がる甘い味。
彼の言ったとおり、酒っぽくはない。どこまでもまろやかな味わいが、何だか癖になりそうだ。
「……様の、妹御なのでしょう?」
話し声の隙間を縫って、聞こえてきた言葉。聞き取れなかった名前は、簡単に推測できてしまう。
顔は歓談している彼を見つめながら、意識は後方の雑談へ集中する。
「リリアン様がいなくなったのをいいことに、殿下に取り入ろうとしているのよ」
「まあ……あんなに無愛想なのに、そんな大それたことを?」
「なんて図々しいのかしら!」
リリアンが突然いなくなった。恐らくそんな単純な事実だけが、女性たちの間では駆け巡っているのだろう。その実は、何ひとつ語られていないに違いない。
それが知られているのなら、彼女たちもリリアンの名など出さないに決まっている。
「そりゃあそうよ。シプリー子爵に嫁ぐより、殿下の方がずっとずっといいに決まってるじゃない。私だって、家が釣り合うなら絶対殿下を選ぶわ!」
どっと嬌声が上がる。きゃあきゃあと楽しげな声に、無性に苛立った。ささくれ立った気分を落ち着けるため、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
今回は、状況が少し違うだけ。あれは、いつもの陰口と同じ雑音だ。そうやって、叫びだしそうな心を黙らせる。
感情という感情を残らず、押し殺してしまえばいい。心は自分のものだから、強引にでも黙らせてしまえばいいだけだ。
「いやはや、それにしても、殿下は人気者ですな」
彼女たちがやたらと盛り上がって、自然に声を張り上げていたからか。聞きとがめた歓談相手が、ノエルにさらっと話題を振った。当たり前の顔で彼に同調し、他の面々も口々にノエルを褒める。
ただ、彼らからリリアンの名が出ないのは、そういうことなのだろう。
「人気ぶりなら、アトウッド子爵とその妹に敵う者などいないさ」
淡々と言い放つノエルに、周囲から同意の苦笑が聞こえる。
(ここは、公の場なのですね)
あまり聞き慣れていない爵位に、一瞬誰のことなのかと戸惑う。そしてすぐに、それが兄を示していると思い出す。
ドロシーの父親が持つ爵位の中で、ヘイデン辺境伯に次いで地位が高い。それが、アトウッド子爵であり、キースの便宜上の爵位だ。その妹で人気があるとなれば、当然リリアンを示している。
彼が兄の名を呼ばず、爵位を示したことこそ、少なくとも、この場は公という証拠だ。私的な会話は慎み、余計な情報を与えないことに主眼を置かなくてはならない。
「リリアン嬢は、殿下とご婚約されるまでは、引く手あまたでしたからなぁ……」
そう言った中年男性の視線が、チラッとドロシーに向けられる。ドロシーはさりげなく、気づかなかった振りを決め込んだ。
聞いていたことに気づかれれば、また可愛げがないと言われる。傷ついた顔のひとつでもできれば、聞こえない振りを押し通しはしない。
体の向きを変えたのか、ノエルの手がわずかに腕に触れた。驚いて、ゆっくり視線を動かすが、その時にはもう離れてしまった後だ。
触れたことすら錯覚だったかのように、すでに感触は消えてしまっていた。
(……殿下……)
胸がギュッと締めつけられ、息が苦しくなる。
比較されて嫌な思いをしてきた。その話をしたことがあるから、きっと気遣ってくれたのだろう。
こんなに優しく、他人を思いやれる人に、姉は似合わない。もちろん、自分も。
そんなことを考えながらも、ドロシーはグラスを持つ手を変え、触れられたところをそっとなでる。
「アトウッド子爵が言うには、そのようだな。俺はどちらでもかまわなかったんだ。姉は愛想がいいと聞いたから、俺の愛想の悪さを補えるかと思ったんだが……まさかこんなことになるとはな」
ばつの悪い顔をした男たちに、ノエルは不敵な笑みを見せる。
ほんの少しだけ、何かを企んでいる時の兄と似ている、とドロシーは思う。
「まあ、互いに愛敬のない割に、毎日時間をともにしてもちっとも苦痛ではない彼女の方が、俺には案外向いているのかもしれないが」
後半から、ノエルの視線はドロシーに落とされていた。
案外向いている、と言われ、驚いてパッとノエルを見上げてしまう。ふと目が合い、ドロシーはかすかに表情をゆるめた。
それでも、口を開くことはない。いや、かける言葉が見つけられないのだ。
嬉しい、と素直に言えれば、人の評価は変わるのだろうか。それでも、とっさの時に、思っていることすら口にできない。
「私が、機微を察するのはあまり得意でないからな。その辺り、リリアン嬢にも不満はあっただろうが……解決する努力をせず、何も言わずにいなくなるのは、人としてどうなのかと、そこだけは尋ねてみたいと思っているよ」
兄ほどではないが、外面ばかりよかった姉だ。表立って批判する人間は、まだいない。しかし、ここで彼が、わずかとはいえ批判的なことを口にした。その事実は、後々大きく響くだろう。
これまで姉たちの味方だった人間も、中立へと立場を変えるかもしれない。
(……兄様と、相談された結果でしょうけれど)
他人の意見に左右され、より立場が上の人間の言うことに媚びへつらう。そういった人間を、こんな形であぶり出しているのだろうか。
もしそうならば、意見を変えなかった者を、あの兄は高く評価するだろう。たとえ敵対関係のまま終わってしまったとしても、だ。
「アトウッド子爵とまではいかなくとも、察してくれる令嬢であってくれたら、それだけで十分だよ」
「……いや、彼のような女性というのは……」
言いよどむ男性に、周囲が視線を向ける。それっきり、言葉が続くことはなかった。
「しょうがないから、僕がことごとく察してあげますよ。……うん、アトウッド子爵ならそんなふうに言いそうだな。たいていは嫌みったらしくなる言葉だが、彼が言うと似合うのだから不思議な話だ」
(兄様でしたら、言いそうですね)
思わず笑いそうになって、グッと堪える。同時に、話題が移ったことに、ホッと安堵の吐息がこぼれた。
「……で、殿下っ! それは、アトウッド子爵が嫌味の似合う人間、と言ったも同然ですよ!」
「そうか? まあ、彼なら笑って許すだろう。怒っていたら、彼の気に入りだというドロシー嬢に、間に入ってもらえば済む」
「……え?」
突然名前を出され、ドロシーはついつい間の抜けた声を出してしまう。
さりげない嫌味を信条にしている兄だ。事実を言われても、表立って怒りはしない。かといって、その場で真剣に真摯に謝れば、綺麗さっぱり忘れてくれるわけでもない。
ドロシーは『取り立てて怒られない』だけだ。ひとたび引っかかる言動をすれば、すっかり忘れた頃に持ち出されて、チクッと言われることもある。
「大変申し訳ありませんが、私には、余計な火の粉を進んで浴びる気はありません」
きっぱり言い切ってから、失敗したかもしれない、と気に病んだ。怖ず怖ずと見上げれば、不思議なことに、楽しげに笑っている人が映る。
「今のは冗談だ。君をキースの盾にしたら、それこそ向こう三年は、顔を合わせるたびの嫌味づくしにされる」
うっかりと言い方がひどく砕けたことに、本人は気づかなかったのか。わずかに、けれどはっきりと顔色を変えたドロシーを、怪訝な顔で見つめている。
断じてごまかしたいわけではない。強いて言えば、彼の後方であからさまに固まっている人たちに、この場から移動してもらう。そのためなら。
意を決して、ドロシーは精一杯微笑んでみせる。みっともないくらいぎこちない点は、この際だ。目をつぶってもらうしかない。
「私から見て、兄は殿下に少なからず気を許していますから、そこまではしないでしょう。ごくごくたまに、思い出したように警告をくれる程度です」
「……あれは、警告なのか?」
間違いなく、単なる嫌味だ。警告の意味など、ほとんど含まれていない。そもそも、嫌味を言われること自体が、キースからの警告になっている。
そこで気づいて動けるかどうかで、彼からの評価が変わるのだ。
「いや、彼は……」
過去の経験を話そうとしたのだろう。しかし、迂闊なことを口にすると、キースに筒抜けになると察したのか。男性たちは結局、言いづらそうにゴニョゴニョと語尾をごまかす。それからすぐに、別の知人を見つけて挨拶に向かうと言い出した。
あたふたと散っていく彼らを、ノエルは少しだけ怪訝な色の出た笑みで見送る。
「敵に回さなければ、兄は悪い人ではないのですけれどね」
「いや、そもそも、あいつを喜んで敵に回す人間の気が知れないんだが……」
「前例がありますから、私には何とも言えません」
わざわざ好き好んで、兄に敵視されている姉だ。そんな物好きが他に二、三人いたとしても、別段驚きはしない。
もっとも、大半は面白く思っていなくとも、好き好んで敵にしたくはないだろう。
「リリアン嬢は、ある意味恐ろしいな……ああ、そういえば、リリアン嬢に似た娘を、ベザント伯爵領で見かけた者がいるそうだ」
すっかり油断していた。不意に落とされた囁きに、とっさに言葉を口にできない。
ドロシーは黙り込んで、こっそりドレスに視線を向ける。少しくすんで見える濃緑色が、かえってノエルのクラヴァットを連想させてしまう。
目をギュッと固く閉じて、下唇を軽く噛む。
落ち着くことも、取り乱すことも、できなかった。
「……ベザント、伯爵領……ですか?」
かろうじて耳に残った単語を、ゆっくり復唱してみる。
久しく聞いた覚えのない爵位だ。少なくとも、父や兄の交友範囲にはいない。それだけは、断言できる。
シプリー子爵領よりも、ずっとずっと遠い。単騎で行くと、朝早く出て夕方にかろうじて到着する。そんな話を、何かの折にふと耳にした記憶がある程度だ。
「ああ。そこにいた娘の特徴が、リリアン嬢とほぼ一致していたらしい。男の同行者がいたことも、確認が取れているそうだ。恐らく間違いはないだろう。と言っても、俺もついさっきキースに聞いたばかりだが」
白金色のゆるやかな巻き髪に、こぼれ落ちそうなほど大きな薄紫色の瞳。肌は抜けるように白く、頬やぽってりした唇は薔薇色に染まっている。身長は平均より低く、顔立ちは幼さが残るが、体つきは立派な女性だ。
身長も体格も平均的。どこでも見かける茶の髪と瞳の、世間知らずな貴族子息っぽい。そんな外見のグレンでは、リリアンといても目立たないだろう。
「私が知る限り、父や兄には、ベザント伯爵との親交はないはずです」
「キースもそう言っていた。タイン辺境伯も、調べた限りでは関わりはない。だから、シプリー子爵かリリアン嬢に、個人的なつき合いがあるのだろうな」
ついと見上げた青緑色の瞳は、詳細を知っているかと尋ねていた。ドロシーはゆるゆると首を横に振る。
「姉の交友関係は、何ひとつ知りません。あの人の場合、叔父の妻の兄弟の配偶者の知人、といった程度の縁遠い間柄でも、平然と押しかけて助けを求めるでしょう。それから、シプリー子爵ですが、こちらもわかりません。年に数回顔を見かける程度で、踏み込んだ話は一切したことがありません」
決して、グレンに対する興味がなかったわけではない。婚約者として、それなりに関心を持っていたつもりだ。
そう考えてから、ドロシーはすぐに否定する。
ただ単に、かつて姉に求婚していた人から、ことさらに話を聞き出したいと思わなかった。知りたくもないし、知られたくもなかった。それに尽きるのかもしれない。
兄と歓談している彼に挨拶はしても、積極的に話しかけることはなかったのだから。
「向かった方向がわかったことだし、今後は彼らの交友関係を中心に、どこへ向かったのかを調査していくことになる」
「私は詳しくないので、その辺りは兄に尋ねた方がいいかと思います」
一応社交界に出て淑女の仲間入りをしてはいるが、ほとんど顔を出していない。そんなドロシーでは、まさに足手まといだ。
どうせ何の役にも立たない。無理を承知で強引に首を突っ込むより、情報がそろうのを黙って待つに限る。
「第一、兄も私も、行き先がわかったところで、追いかけるつもりなどありません」
「まあ、そうだろうな。俺もわざわざ出向くつもりはない」
彼らしいと言えばそうだが、王太子として正しいのかはわからない。知らず知らず首を傾けていたようで、彼はフッと小さな苦笑をこぼす。
「もちろん、公平を期すために、申し開きの場は設けるつもりだが、それ以上の手出しはしない。恐らく、先にキースが何か手を打つだろうし、何か余計なことをされなければ、話を聞いておしまいにする予定だ」
「殿下がそう決めたのでしたら、私は従います」
「キースではなくて、か?」
やけに引っかかる物言いだった。
今回の当事者であり、最大の被害者はノエルだ。その彼が出した結論より、いくらか影響があるとはいえ、逃げた娘の兄であるキースの判断が優先されるはずはない。
あまりに彼らしくなくて、ドロシーはわずかに不審を表情に出す。
「経過はどうであれ、最終的には兄も殿下に従うでしょう。そもそも、私の意思は、罰則の決定に盛り込まれないものと考えています」
だから、すべて従う。
そう言葉の外で伝えると、彼は困惑と安堵の混ざった奇妙な表情で見下ろしてくる。
「君は、本当に不思議だな……」
「……そうですか?」
彼はいったい、何が言いたいのか。うまくつかめずに迷った末、結局ドロシーは当たり障りのない返事をするに留めた。