支配された勝利
「負けた。整列や」
小5になって、新たな転機が訪れた。
私の実力を評価してくれる人が現れた。私はそれが純粋に嬉しかったし、大きな大会にでるべきだと勧められてやる気がみなぎっていた。しかし、そんな気持ちすらもすぐに0にされてしまった。
試合への申し込みすら一蹴されてしまった。そこまで私の邪魔をしたいのかと、怒りを通り越してあきれた。
「出てなんの意味がある」
そんな一言に、私の未来すべてを変えられてしまった。
「私は何か悪いことをしたのだろうか。私はまだ弱いままだったのか。」
あの評価は虚像か。それとも幻か
評価してくれた人物も説得はしてくれた。何度も何度も。それも無駄だった。逆に申し訳なかった
私が完全に折れる1年前の出来事だった。このあとくらいからだろうか、『中学受験』という一つの言葉がよく囁かれるようになった。これが、私の生活を大きく変えることになったし、私自身を変えることになった。
「貧乏を抜け出すには学問しかない。悪循環だけは繰り返すべきではない」
学のない母が口にした言葉だ。正論だと思う
でも、それは柔道から目を反らすことになる一歩だった。もう何を考えればいいのか、わからなくなっていった。大好きで仕方ないのに、後輩たちがたくさん支えてくれたのに
さらに私を絶望させたのはそれだけじゃなかった。その年にでた大会、長らくでていなかった団体戦だった。私は男子に混じって副将で出場した。
先鋒次鋒と低学年の女の子は男子に負けてしまった。二人とも悔しそうだった。中堅の男子は快勝した。副将の私も男子相手に快勝。気分がよくて仕方なかった。大将が引き分け。つまり代表戦にもつれ込んだ。
代表戦にでる人間はくじ引きで選ばれた。大将はくじ運がよくて、こちらが相手を選べた。中堅が代表戦にだされた。勝った人間を出そうという算段だろう。これは引き分けた。次に選ばれたのは私。体力のない私だったため防御で手一杯だった。これも引き分け。
次は誰だろうと思った。しかし、大将は首を振った。意味がわからなくて首を傾げたが、すぐに説明された。どうやら最後はくじ運が悪かったというのは理解できた、しかし、その先が、
「負けた。整列や」
なんで?
最初に思ったのはそれだった。簡潔に言うと、「くじ引きで勝敗が決まった」。
理由はあとになってわかったが、時間短縮のためだった。なんて理不尽で理屈の通らない話なんだろうと思った。選手の気持ちより、時間の方が重いのか
初めて大人に絶望したのは、そのときだった。
中学生になっても、理不尽な世界は続く。勝ちがすべて支配された世の中が