価値は同じだった
「勝っても負けても怒られてるやん、なんでなん。じゃあどうしたらいいの」
この世には勝負の世界においておおまかに分けて2パターンの人間がいると思う。
一つ目は、その物事が大好きで誰にも負けたくないと思う者。
二つ目は、その物事に関心はないが、ただ淡々と『向いてるから、勝てるから』という理由だけで続けているもの。
そしてここではあえて分類しないが、『理由もなく』続けている者。
私はどちらかと言われれば前者の方だろう。これといった突出した才覚も、感性も持ってない。唯一あることといえば文章を多少読み解くことができる国語力を持っていることと11年間積み重ねた柔道の経験と勘だけだ。
国語力はどう足掻いても超えることのできない領域でもあるだろう。昔から本を読むのが大好きだったことがここにきて役に立ってきた。しかし、11年間の経験なんてものはたやすくひっくり返る。確かに経験の『差』というのは埋まらないだろう。経験者特有の『勘』も長年の苦労故のものだ。「三つ子の魂百まで」という言葉が存在するように、幼少期より始めた習い事はやはり生涯の財産となり、これからも私を支え続けるだろう。母にも昔言われた。
「10年そこらも何か一つを続けてる人なんかそうおらん。それだけでもあんたの宝になるやろ」
と。確かにそうだと思う。
しかし、強さとこれはまた別の話だ。
私より短い間しか柔道をしていないが遥かに実力が上の人間なんてこの世にどれほど存在するだろうか。小学校の頃は全く考えなくても問題のない話だった。しかしその大きな『差』は中学に上がると『練習量』というものによって広がっていく。小学校の間は練習量の差なんてたかがしれている。力が強くある程度の技術さえ持っていれば勝ちを得ることはそこまで難しい話でもなかった。幸いなことに私は他よりも長く柔道をしていたことにより勘はよかったし、体格にも恵まれていた。当時の私は『勝利』ということがとても嬉しかったし、負けたら大泣きするほど悔しがった。それぐらい柔道が好きでならなかった。それは今も変わらないだろう
小学校ではある程度の成績も残せた。しかし、それはせいぜい地域の試合ぐらいだ。大きな大会の予選などは一度もでたことがないし、もしかしたら小学生の間に出た試合回数は数えられるかもしれない。なぜそういうことになったか、それは道場によるものだった。
私が通っていた道場の先生が、どうにもならない人だった。片手には竹刀、それだけで萎縮する子も少なくなかった。私は5年ほどその道場にいたが、最初の2年は本当に怖かった。そのあとは慣れというものによりあきらめてしまった。『慣れ』とは恐ろしいものだった。そして何よりその竹刀が『飾り』じゃなかったことがなおのこと恐怖をあおった。先生は、相当の実力主義だった。そう、ただの実力主義でもなく、「勝とうが負けようが」必ず怒鳴る先生だった。その先生のことは、今でも忘れることができないし、私の心に大きな影を残している。
「勝っても負けても怒られてるやん、なんでなん。じゃあどうしたらいいの」
そう考えたことは、何度もあった。それでもどうしようもなかった。ここ以外行くところがなかったから。そのせいか、いつの間にか柔道を嫌いになろうとしている自分がいた。これが小学2年から4年にかけての話だった。