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狸憑き 中


 貫田智子ぬきた・ともこは、瑞紀が通う三門女子高等学校の二年生である。


 一部生徒のように家柄が良かったり、資産家であったり、憑き物筋の家に産まれ育ったでもない、ごく一般的な生徒だ。

 地元名門高に通えるだけの学力はあるが、学年の成績は中の下。

 剣道部に所属し、レギュラーまではあと一歩の補欠である。

 背は低めで目が悪く、太ってはないが愛嬌のある丸顔はよく眼鏡が似合った。

 趣味は読書。

 内気な性格から誤解を招く事もあるが、基本的には自己主張の強くない、大人しい生徒であった。


「ひぃ?! ににに、兄さん! とっ、止めて!」


 午前九時。

 三門女子高等学校の敷地に隣接した剣道場の脇、合宿などで使用される宿舎の一室。

 部屋は畳敷き、部員が食事と寝泊まりを行う為の大部屋で、貫田智子は悲鳴を上げていた。

 何十畳もあろうかという部屋に“二人きり”、立花宗太に襲われた――訳では無い。

 つい先程まで“居なかった”筈の、サツキヒメに押し倒されての悲鳴だ。


「ええい、暴れるでない! 大人しくわらわの糧となれぃ」

「い、いやだ!」


 緋の着物を着た幼女が、三門女子高等学校の制服を着た少女を押し倒している。

 体格としては有利な貫田智子の筈であるが、馬乗りになるサツキヒメを払い除けることが出来ないようだ。

 立花宗太はその様子を眺めながら、顔を引きつらせる。

 眼下では見目麗しい少女達が、ぎゃあぎゃあと喧しく騒いでいた。

 授業が行われて居るであろう時間、まして広大な学校の敷地の外、誰も居ない剣道場脇の合宿棟。

 どれだけ騒がしくしていようと、誰かがやって来る気配は無い。

 また、宗太を連れてきた宗像瑞紀は授業に出ている為、この場に姿は無かった。


 事の成り行きは早朝、宗像瑞紀と共に剣道部の朝練に参加した事から。

 今回の“難行”について、狸であることだけを聞かされた宗太は、果たしてそのまま瑞紀と共に剣道部の朝練に参加する運びとなったのである。

 剣道部の部員は二十名程度、彼女達が集まる中、宗太はまず瑞紀と共に前に立ち自己紹介を促された。


「皆さん、こちらが“親戚”の立花様です」

「……立花です、よろし、く」


 瞬間、宗太の目の前で整然と正座をしていた部員達がざわめき立つ。

 断片的に聞こえて来る言葉は、この方が……だとか、宗像様を……だとか、ヘシ折りになられて……だとか、アンナノに……などといった物である。

 どうやら宗太の事は、事前になにかしら瑞紀の方から彼女達に伝えられていたらしい。

 にしても、向けられる視線は奇異と好奇に満ちて、落ち着かない宗太であった。


「皆さん、よろしいでしょうか」


 瑞紀が口を開き、ざわめきが一瞬でしんと静まりかえった。


「授業まで時間がありませんし、早速立花様との木剣試合を披露しましょう」

「えっ」


 声を上げて驚いたのは、当事者であるはずの宗太。

 話が違う、と雄弁にその目は語る。

 確かに行きがかり上、朝練に参加する事は知っていた。

 が、まさか瑞紀と木剣での試合に臨むなど、思っても見なかったのだ。

 しかし瑞紀はそんな宗太の事を無視して、宗太に状況を説明するように言葉を続ける。


「皆さんもご存じの通り、私は先日こちらの立花様と立ち合い、敗北しました。木剣をもって打ち合う流派の私ですら、及ばぬ剣技でした。今日はかねてより皆さんに依頼されていた通り、その剣技を皆様に披露していただこうと無理を承知の上でお願いし、ご足労いただいた次第です」


 再び、ざわつく部員達。

 まぁ! だとか、それで肋骨を折られて……だとか、鬼畜の所業ね、などという言葉が宗太の耳に届く。

 今更ながら、彼女達の視線の中に幾つか憎悪に近いものを感じ取り、宗太は益々落ち着かない心地になるのだった。

 朝の登校風景から察するに、どうやら剣道部の中にも瑞紀を慕う者が多数居るらしい。

 そうこうしている内に、何時の間に用意したのか瑞紀に木刀を手渡され、正座していた部員達があれよと四方に散り、やがて方形の試合場が出来上がる。

 宗太は心の準備が出来ぬまま、いつかのように試合場の中央に立たされて、気が付くと防具も纏わぬまま瑞紀と対峙していたのだった。

 ちなみに、服装はというと流石に剣道着に着替えての、朝練への参加である。

 用意周到にも、瑞紀が予め外部から招いた講師用の胴着を更衣室に用意していたのだ。


「準備はいいですか? 立花様。今日は演武みたいなものですので、雰囲気だけ、と申しましょうか、寸止めで参りましょう」

「お、おう」

「では」


 瑞紀の言葉は暗に“本気でやらない”という意を含むと見て、宗太は彼女に合わせるようにしておずと木刀を構える。

 そう。

 宗像瑞紀は寸止め、と確かに言った。

 ならば、多少は恥をかいても痛い思いはしなくて済むはずだ、と宗太は安堵する。

 しかし、審判役を買って出ていた部員の、始めの合図が降りる次の瞬間。

 猛然と距離を詰めてきた瑞紀の突きが、宗太の鳩尾に突き刺さり――

 痛みよりも前に意識を一瞬で刈り取られ、目が醒めた時には合宿棟の一室、貫田智子と二人きりであったのだった。


 それが立花宗太と貫田智子の出会いであったが、正確には貫田智子は宗太とは“まだ”出会えては居ない。

 どういう事かというと、宗太が意識を取り戻した際に貫田智子が口にした、告白に由来する。


「う……」


 宗太がうめき声と共に覚醒した時。

 時刻は九時少し前、ぼんやりと視界に入るのは広い畳敷きの部屋であった。


「あ、起きた。兄さん、大丈夫ですかい?」


 同時に、女の声がかけられる。

 台詞と年頃の少女特有の愛らしい声色がどうも合致せず、宗太は寝ぼけているような心地で上体を起こしたのである。

 屋内とは言え冬だからであろう。

 宗太の体には毛布がかけられており、名家の子女が集まる故にか、驚くほど暖かで心地よい手触りであった。


「ここは……あっ痛、いってぇ……」

「傷は浅いですよ、兄さん」

「えっと、俺……」

「宗像のねぇさんにいいのを一発、腹に喰って、兄さんは目ぇ回して倒れてたんですよ」

「そう、だった。くっそ、宗像の奴……何が寸止めだよチクショウ。騙しやがって……」

「まぁまぁ、“赤目”のネェさんにも考えがあっての事ですし。事実、こうでもしないと二人きりにはなれませんし」

「え? あ……君は?」


 “赤目”という言葉に宗太はぎょっとして、初めて話し相手の方を見た。

 朝の瑞紀の言葉を思い返すに、この学校には彼女が憑きもの筋であることを知る者は、居ないはずであるからだ。

 果たして意識を失った自分を介抱してくれていたのだろうその女生徒は、一応と前置いて貫田智子と名乗ったのである。


「一応?」

「“おいら”は違うんで」

「ん?」

「おいら、この体に“憑いて”いる狸です」

「……は?」

「え? “赤目”の姐さんから聞いてません?」

「聞いて、って何を?」

「“おいら”、コックリさんとして呼ばれたのは良いけれど、この体から出ていけなくなった、狸で。兄さんはこの状況をなんとかするために、“赤目”の姐さんにつれてこられた御方なんでしょ?」

「じゃ、今回の“難行”って……」

「へぇ。おいらを“ここ”から、出して欲しいんで」


 そう言って、貫田智子(に憑いているらしい、狸)は小首を傾げつつ、愛嬌たっぷりに笑った。

 宗太は呆気にとられながらも、手荒な目に遭わせてくれた瑞紀への怒りはさて置き、とりあえずは本人の口から状況を聞くことにしたのである。


「にわかには信じられないけど……」

「兄さんが信じようが信じまいがドッチでもいいですがね。憑いちまってるもんは憑いますし」

「……ったく、どういう状況だよ。宗像だって、祓おうって思えば祓えるだろうに――って、俺の“難行”にする為になんもしなかったのか?」

「ひっ、や、やめてくださいよ、そういう事言うの。あの“赤目”の姐さん、おっかないんだから」

「知ってる。だから、さっさとなんでそんな事になってるのか話せよ。宗像の気が変わらない内にな」

「脅かさないでくださいよ、兄さん。話します、話しますから。そうですね、あれは三日程前の事ですか」


 ――放課後、貫田智子はとある人物に呼び出されていた。

 呼び出したのは同じクラスの山村千里やまむら・せんりという女生徒である。

 場所は文芸部の部室。

 他にも二名、見覚えのある同学年の生徒が居たが貫田智子は彼女達とは面識が無く、名前も知らない。

 部室の窓には暗幕が張られて、まだ日が高いにもかかわらず室内は暗く、今時では珍しい蝋燭で灯りが採られていた。

 部屋は綺麗に片付けられて、中央には見慣れた学校机が一つ、四方に椅子が四つ。

 机の上にはA3サイズの紙がおかれており、“はい”、“いいえ”、“鳥居”、“男”、“女”、“0から9までの数字”、“五十音表”が墨書きされている。

 よく見ると紙は傷んでいるようで、所々破れていたり黄ばんでいたりしており、また文字もかすれて消えかかっているものも見て取れた。


「――で、そのまま“コックリさん”をやった後、“おいら”は“この子”に憑きっぱなしになっちゃったというわけでして」

「……なんでだろ。よくある怪談っぽい話なんだが、なんか現実味がないな」

「そんなもんですかい? 兄さんには“おいら”が、貫田智子の狂言に見える、と」

「いや、一応信じてるよ。そうでないと、宗像が俺を学校にまで連れ出す理由が無いし」

「そりゃよかった。信じて貰う為にアレやコレやをして見せねぇで済むのは助かります」


 再び、デヘ、と愛嬌のある笑みを浮かべる貫田智子(に憑いた狸)。

 彼女の言うアレやコレの内容が些か気になる宗太だったが、一々指摘していくと話が前に進みそうにないのでまずは核心を突くことを優先するのだった。


「とりあえず、なんで憑きっぱなしになったんだ?」

「簡単な話です。“コックリさん”の締めにやらなきゃならねぇ事をやらずに、終わらせちまいやがったからですよ」

「えと……どんなのだ? それ」

「兄さんは“コックリさん”のやり方、わかります?」

「どんな感じなのかはおぼろげには知ってるが……詳しくはよくわからん」

「仕方無いですねぇ。説明して差し上げます。“コックリさん”を終わらせるためには、まず『コックリさん、どうぞおもどりください』とお願いするんですね。そうすっと、おいらがすーっと十円玉を『はい』の位置に持っていった後、今度は鳥居の図まで十円玉を移動させるんです。んで、『ありがとうございました』と参加者が礼を言って、使った紙とかを破いて終るってぇ流れですかね」

「……なんか、“コックリさん”本人にやり方を教わるのって、微妙な心地だな。まあ、いいか。で、そいつをやらなかったってわけなんだな」

「ええ。その場合、最後まで十円玉に触れていた奴に取り憑く“決まり事”でして」

「それが貫田智子さん、って訳か」

「左様で」


 何となく、貫田智子が“狸憑き”になった経緯は理解出来た宗太である。

 同時に、なぜ貫田智子は“コックリさん”をやったのか、彼女を呼び出した山村千里との関係はどのようなものか等、他にも様々に気になる所はあったが、別段探偵の真似事をするためにこの場所にいるわけでは無いので、宗太の質問は早くも残す所たった一つとなった。


「で、どうすりゃお前をその子の中から出せる?」

「そりゃ――」

「妾が“ソレ”を喰らえば済む話じゃの」


 割り入ったのは矢鱈高慢な物言いの、小さな女の子の声。

 宗太がはっとして振り返ると何時の間に姿を現したのか、そこに緋の着物を纏ったサツキヒメが腕組みをし、得意げな表情を浮かべ仁王立ちをしていたのである。


「宗太、ここは居心地が悪い。寒いしの、さっさと終わらせて帰ろうぞ。見ておれ。その程度の低妖、妾が一飲みにしてくれる」

「ひっ?! に、兄さん! こここ、このおっかない御方はいっ、一体?!」


 サツキヒメの姿を見るや、突如貫田智子は酷く怯え始めた。

 見てくれは四、五才位に見える童女、愛らしい顔とおかっぱの黒髪は微笑ましく見えても恐怖の対象とはなり得ぬはずなのだが。

 あるいは貫田智子に憑く“狸”には、サツキヒメのまことが見えているのかも知れない。

 一方、いつものように気まぐれに現れたサツキヒメであったが、貫田智子が宗太を盾にして隠れるように怯える様を見て、みるみる内に不機嫌な表情を浮かべたのだった。


「貴様なぞに呼ばせる名など無いわ。それに、軽々しく宗太と口をきくでない」

「ひっ?!」

「ふん、狸なぞ旨くもなんともないが、喰らえばもう二つ三つ、体は女に近付こうぞ。なれば、宗太に肉の体で伽をしてやれる」

「い、いらんわ!」

「あわわわ」

「覚悟しいや!」


 毅然と言い放ち、ばっと畳を蹴って貫田智子に飛びかかるサツキヒメ。

 宗太の影に隠れていては不利と思うてか、同時に貫田智子は宗太を前に突き飛ばしその場から逃げようとする。

 しかし履いていた靴下が畳に滑ってしまい、気持ちに反してその場から殆ど移動出来ず、盾となる宗太を手放しただけの結果となり、呆気なくサツキヒメに捕まって押し倒されてしまった。

 そして、冒頭に戻る。


「ひぃ?! ににに、兄さん! とっ、止めて!」

「ええい、暴れるでない! 大人しくわらわの糧となれぃ」

「い、いやだ!」


 緋の着物を着た幼女が、三門女子高等学校の制服を着た少女を押し倒している。

 体格としては有利な貫田智子であるが、馬乗りになるサツキヒメを払い除けることが出来ないようだ。

 立花宗太はその様子を眺めながら、顔を引きつらせる。

 眼下では見目麗しい少女達が、ぎゃあぎゃあと喧しく騒いでいた。

 授業が行われて居るであろう時間、まして広大な学校の敷地の外、誰も居ない剣道場脇の合宿棟。

 どれだけ騒がしくしていようと、誰かがやって来る気配は無いのは幸いか。

 ――しかし、宗太は。


「ふふふ、良いか? 大人しくしておりや。なに、天井の染みでも数えておればすぐに済――ひゃあ?!」

「こら、やめんか」

「そ、宗太! 何を……離せ! 離さぬか!」


 貫田智子をとうとうガッチリと畳に押さえつけ、勝ち誇りその首に小さく赤い唇を付けようとするサツキヒメを、子猫でも持ち上げるようにひょいと掴み上げてしまう。

 宗太にしてみれば奇妙な怪異など、そのままサツキヒメに喰らわせてしまえば面倒も無い話だ。

 加えて、貫田智子に憑いた“狸”など助ける理由も無ければ義理も無い。

 前回は死にかけただけに、宗太にとって“難行”という得体の知れぬ神威などさっさと終わるに越したことはない、筈であった。


「何もいきなり喰い殺すこたぁねぇだろ」

「に、兄さん!」

「何じゃと? 宗太、本気か?!」

「取り憑き殺そうってつもりじゃないみたいだし、それどころか出て行けるもんなら出て行くって言ってるんだからさ」

「そりゃそうじゃろうが……良いのか? コレを祓う方法なんぞ、妾は知らんぞ。宗太が知ってて情けを掛けておるなら何も言わんが……」

「うぇええ、兄さぁん! ありがとう、怖かったよぅ」

「う……」

「……なんじゃ、行き当たりバッタリで仏心をだしたのか、宗太。相手は低妖の類じゃというに、余裕だのぅ」

「びぇえええ、怖かったぁ!」

「んな事言ったって――やかましい! 泣くな、纏わり付くな!」


 サツキヒメに“喰われ”そうになった事が余程怖かったのだろう、宗太の足に縋り付き、子供のように泣く女子高生。

 見た目よりもずっと軽いのか、襟首を掴まれて宙づりにプランと持ち上げられたまま、尊大に腕組みをしてじっとりと目を細めあきれ顔の幼女。

 その中心に位置する、他人が見れば一見犯罪者のような趣の、立花宗太。

 何時の間にか怪しげな立ち位置になってしまった事を、誰よりも理解して宗太は朝と同じようになんだこれは、と自問してしまった。

 そんな微妙な間が、貫田智子が泣き止み落ち着くまで続いた頃。


「うぐ、ひっぐ……」

「落ち着いたか?」

「はい、ひぐ」

「宗太、寒い」

「泣くなよ……。目の前で女子高生のナリのままいつまでも泣かれると、気まずいだろ。お前ホントに“コックリさん”かよ」

「す、すいません……ぐす」

「宗太、寒い」

「……ひっつくな、サツキヒメ」

「むふー、よいではないか。体を顕界させておくとどうも寒くてな」

「うぐ、兄さん、姐さん、おいらので良ければ、毛布を使いますか?」

「あ、頼む」

「うふ。気がきくの」

「では」


 言って、貫田智子は徐に正座していた太ももを左右にズラし、何を血迷ったか股間に両の手を突っ込んだ。

 思わぬ行動になっ、と宗太が声を上げる間に、彼女(彼?)は股の間からずるりと大きな毛布を引っ張り出して、フワリと宗太と寄り添うサツキヒメの下半身に被せる。

 毛布は驚くほど暖かで肌触りは心地よく、先程宗太が使っていた毛布と同じ感触であった。

 ――そういえば先程起きた際、使っていた毛布が見当たらない。


「おいらの毛布ですけど」

「でぇい、使えるか! 貴様のコレなど!」


 瞬間、サツキヒメが弾かれたようにして毛布から飛び退いてしまう。

 宗太はわけもわからず、きょとんとしてもの凄い勢いで飛び退いたサツキヒメを見ていた。


「宗太……お主、よく平気じゃの」

「……何が? いや、出所はちょっと引いたけど……暖かいぜ? コレ」

「その出所が問題じゃというに。……まったく、これだから何も知らん奴は」

「何が?」

「その毛布はの、その……“金”じゃ。狸の」

「“金”?」


 頬を染め、モジモジとするサツキヒメ。

 珍しい姿であるが、それよりもなぜそこだけモジモジとするのか、後になって宗太が疑問に思うような仕草であった。

 普段からあけすけな彼女であるが、恥じらってしまうポイントと言うものが確かにあるらしい。


「だから、の? ……ええい、妾に皆まで言わせるでない!」

「どういう事?」

「えへへ、おいらの金玉って意味ですよ、兄さん」

「でぇい!」


 金玉、と聞いて今度は宗太がコンマ何秒かの刹那にその場から飛び退く。

 多分、恐らくは、純粋に、本人の好意からの行動であろうが、一瞬頭に血が上りそうになる程の怒りが湧いてくる親切だった。

 というか思わず殴りそうになり、相手の体が本人の物でないことを思い出して、辛うじて思いとどまる宗太である。


「何するんだよ! って、それお前のキンタ○かよ!」

「すいませんね、“狸の金は八畳敷き”と言いますが、おいらまだ子狸だから四畳半が良い所ででして」

「お前オスかよ! ――じゃない、大きさの話じゃねぇ! 辞めろよ、貫田さんが可哀想だろ!」

「いや、メスでも広げられる事は広げられるんですがね。こっちは毛が生えてねぇ所しか広がらねぇし湿ってるしで、あまり心地よくないですから。貫田智子さんには悪いですけど、おいらの“モノ”を使わせてもらいました」

「違う! そういう意味じゃねぇっつってんだろ! つか、貫田さんの体で絶対やるな! 彼女のはそんなに広がらない!」


 意識があるのか無いのかは不明であるが、彼女の分まで“狸”に怒りをぶつける宗太。

 毛布がわりに狸の陰嚢、別名“狸の大風呂敷”をかぶせられた怒りよりも、一瞬でも貫田嬢のデリケートな部分を使用しようとした事への焦りの方が強かったのは、女性経験の有無とは関係の無い所であろう。


「……宗太、やっぱり妾が喰らうかや?」

「……い、いや。いい。悪気がある訳じゃないし」

「そそそ、そうですよ、兄さん!」

「ふん、蕎麦やぼた餅と思うて、ミミズや馬糞を食らわされても妾はしらぬからの」

「し、しませんよそんな事! 大体、馬の糞なんて本物のぼた餅を手に入れるよりも難しい位ですし、ここぞという時以外は使えません」

「使うんじゃねぇか」

「あわわわ、に、兄さんにはそんな事しませんって! 助けて貰おうってのに、そんな罰当たりな事。……欲しいなら、お礼に差し上げますけれど?」

「いらんわ!」


 即座に否定して見せた宗太である。

 宗像瑞紀の“赤目”、狐持ちの“鎌鼬”と連続して、どうも緊張や苦痛を強いられる怪異と対峙してきた宗太だったが、今回の“狸”はどうにも趣が違うようだ。

 そういえば以前、宗像瑞紀がなるべく無難な“難行”を選ぶような事を言っていたが、コレなどがそういう事なのだろうと宗太は考えて、しかしガックリと肩の力を抜いてしまう。

 よく言えば愛嬌のある怪異であるが、おどろおどろしく感じられるものなど皆無で、ともすれば貫田智子の狂言では無いかとさえ感じられ、緊張感に欠ける心地であった。

 そんなやり取りの後。

 宗太らは何十畳もあろうかという広い畳敷きの部屋の中央、車座に座り改めて貫田智子に憑く“狸”をどうするか話し合う運びとなった。


「で、結局お前をその子から“出す”のに、なんか当てでもあるか? 流石になんの当てもなく方法を探すのは無理だぞ」

「その場合は妾が喰ろうてやるから安心せい、宗太」

「ひぃ?! あ、あります! 当てはあります!」

「よし、じゃそいつを説明してくれ」

「は、はい、こちらも簡単な話なんで。“おいら”を喚び出した“コックリさん”を、きちんと終わらせれば良いんです」

「そういや、ちゃんと終わらせなかったとか言ってたな」

「ええ。ワザとかどうかは知りませんがね、まだ破かれて無いんですよ、紙が」

「紙? 五十音表や数字が書いてある奴か?」

「そうです。本来、喚び出された狐狗狸コックリは紙に書かれた鳥居の位置を門として、紙を破る事で門を開き“あちら側”に帰るんで」

「じゃ、そいつを見つけて破けばいいのか」

「そういう事です」


 貫田智子はどうだとばかりに、満足げに頷いてみせる。

 しかし宗太はうむと唸り、“狸”から聞き出した情報を整理する内にある結論に達して首を振るのであった。


「……無理」

「えっ?」

「ここ、女子校だろ。俺がウロウロできる場所じゃねーし」

「えっ? えっ?」

「大体さ、『狸の憑きものを助けるために、コックリさんで使った紙を探してます』って男が、女子校の中をウロウロするなんて即警察沙汰になるだろ」

「えっ? えっ? えっ?」

「妾の出番かえ? 宗太」

「ひぃ?! ままま、待って下さい! 方法ならあります! ありますんで、待って下さい、兄さん!」

「どうするんだ?」


 宗太の問いに、貫田智子は再び正座していた太ももを左右にズラし、股間に両の手を突っ込んでまさぐり始める。

 それから今度は一枚の木の葉を取り出して、宗太に差し出すのであった。


「……お前、なんか取り出すのにそっから出さなけりゃならんのか?」

「へぇ、おいら、小道具なんかはみぃんな“ここ”にしまってるんで。大丈夫です、汚くありません」

「汚ぇよ!」

「貫田智子さんに失礼ですよ、兄さん?」

「貫田さんはそんな所に物をしまわない!」

「まさかぁ? おいら達はみんな、“ここ”に小物をしまうもんですけどね。特にメスなんて、オスの二倍はしまい込め」

「やかましい! それ以上喋るとサツキヒメに任せるぞ!」

「ひっ、そ、それだけはご勘弁を!」


 人と怪異ではかなり価値観が違うようで、宗太は思いもよらず貫田智子に憑いた“狸”と口論に至った。

 これではサツキヒメが言うように、彼女が怪異を喰った方が話は早いのだろう。

 が、それでも何故かそのような気にはなれぬ宗太であった。

 やがて宗太は渋々と、貫田智子が差し出した木の葉をつまみ上げるようにして受け取り、これをどうすんだよ、と不機嫌に尋ねる。


「えへ、おいらの力で化けるんですよ、ここの生徒に」

「化ける、ってお前」

「狐七化け狸八化けといいまして、おいら達は化けるのが得意なんで」

「そりゃ、お前らの話だろ」

「狐より一化け多いのは、おいら達が自分のみならず他の者も化けさせることができるからですよ、兄さん」

「へぇ……」

「例の紙の在処はわかってます。“赤目”の姐さんが下調べをしてくれていますから。この時間なら、人も居ないはずです」

「ふむ。ならば、何故お前が行かぬのかや?」

「そ、それは、“コックリさん”のおいらが、あの紙には触れられないキマリだからですよ!」


 サツキヒメにはどうも慣れぬのか、貫田智子は話しかけられるや怯えも露わにして、自分でコックリさんの紙を破棄できぬ理由を説明した。

 見ようによっては何か裏がありそうなものの言い方であるが、宗像瑞紀がこれを調べた上で放置し、宗太の“難行”として宛がう所から察するに、もしそうであっても危険は無さそうである。


「わかった。で、コレはどうかすりゃ、俺でも化けられるのか?」

「ええ。まず、そいつを頭の上に乗っけて下さい」

「……こうか?」

「はい。で、目を瞑り三回、手拍子をお願いします。その間においらが呪い(まじない)をかけますんで」


 宗太は言われた通りにして、目を閉じ三回、手を叩いてみた。

 すると、ぽわん、と煙でも上がりそうな音が聞こえ、目を開くとやはり自身の周囲に煙が立ちこめているのが見て取れた。

 周囲に火が出ている様子は無かったが、煙に反応して火災報知器が作動するといけないので、宗太はバカタレ、と罵倒を残し慌てて換気をしようと窓に駆け寄る。

 そして、窓に映った自分の姿を見て、愕然としてしまった。


「な……」


 窓硝子に映る凛とした美しい表情は、驚きに変わる。

 思わずペタペタと体をまさぐると、服の上からもわかる、すらりとした体型。

 しかし胸は見かけよりも手応えがあって、宗太を大いに慌てさせた。

 服装が三門女子高等学校の制服に替わっているからか、やけに股下がスースーとしている。

 ――“狸”の呪いは、確かに成功しているらしい。

 煙はいつしか霧散しており、宗太は窓に映る見慣れた美少女の姿に何を思うのか、予想だにしなかった人物に成ってしまい、言葉を失う。


 立花宗太は、宗像瑞紀の姿に“化けて”いた。











拍手からの感想もありがとうございます。

場合によっては4話構成に成るかも。

お気軽エピソードの割に、描きたいことがけっこうあったり。

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