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狐持ち 下



「嵌められたって、どういう事だよ!?」


 宗太の焦燥混じりの声が山中に木霊する。

 間を置かず、ギャン、と金属音が轟いて冬の空に消えていった。

 辺りに寒空から夜の闇が降りて来る時刻。


「詳しく説明している暇はありません。ただ、“鎌鼬”(カマイタチ)を使役している者であれば、今回のような依頼はあり得ないという事です」

「なんだそれ、ワケがわからんぞ?!」

『宗太! 足下! 薙ぎや!』


 何か、固い物がぶつかりあうような金属音。

 衝撃に足下を払うように“傾国”を振った宗太は、たたらを踏んで後退した。

 その背に体を預けるようにして支えたのは、負傷し瞳を妖しく赤に輝かせる宗像瑞紀の白い手。

 彼女を庇う為木を背にさせて宗太が前にいたからか、数歩後退しただけで宗像瑞紀と接触してしまったらしい。


「くそ、正体がわかったってこのままじゃ……」

「……申し訳ございません。私が木刀ではなく、ちゃんとした柄物えものを持って来てさえいれば」

「今はそれよりも、“鎌鼬”をなんとかしないと!」

「私に考えがあります」

「なんだ? 言っとくが、お前が囮になって……とかはナシだぞ?」

「嫌ですよ。立花様の囮になるなんて、死んでも嫌です」

「……全力で否定してくれてありがとうよ」

「いえ、どういたしまして。それよりも、立花様。今より“鎌鼬”の動きを一瞬だけ、止めてみます」

「できるのか?!」

「私の予想が合っていれば。無事“鎌鼬”が止まったら、立花様はこれを斬ってください」

「わ、わかった……っておい!」


 事態の打開に妙案が浮かんだらしい瑞紀であるが、簡単な打ち合わせを済ませた後。

 深手を負った彼女は宗太の背を押しのけ、あろう事か正面に立ったのだった。

 勝算があっての行動だろうが、先程彼女は確かに言った言葉を宗太は思い出す。

 “私の予想が合っていれば”

 つまり予想が外れた場合は――

 ザックリと切り裂かれ、覗く赤く血まみれになった瑞紀の小さな背に奥歯を噛みながら、宗太は思わず瑞紀の肩を引き制止した。


「お、おいってば! 予想が外れてたら“鎌鼬”は止まらねぇんだろ?」

「……でしょうね」

「やめとけよ! “赤目”だからって、いくら何でもこれ以上やられたら死んじまうぞ!」

「他に方法がありませんから、どのみち試す事になりますよ。なら、体力が多い今の内でないと……」

「方法ならある! アレだ、“技憑り(ワザガカリ)”と使えば」

「いけません!」


 いきなりの事だ。

 声を荒げ宗太の提案を否定する宗像瑞紀。

 それまでとは打って変わった、感情的なその声色に宗太は面食らってしまった。

 瑞紀はそんな宗太の様子にはっと我に返り、冷静さを取り繕うようにして肩を引く宗太の手を振りほどき再び前を向く。


「“技憑り(ワザガカリ)”は使用者の寿命を糧に超常の力を得る外法です。そんなもの、簡単に使おうだなんて考えないで下さい」

「だからって、お前が命を賭けるこたぁねぇだろ。これは俺の“難行”なんだし」

「いいえ。これは『百鬼夜行』で調停を請け負った、私の仕事です」

「その怪我で何ができるんだよ」

「“鎌鼬”の動きを止めます」

「できないかもしれないんだろ!」

「止まりますよ。予想が外れようとも、この身を挺して“鎌鼬”にしがみつけば、視認できるようにはなりましょう」

「できるかよ。あんな、目にも止まらない速さで動き回る奴をどうやって捕まえんだよ」

「先祖返りした“赤目憑き”ならできます。現に、私には“鎌鼬”の動きを追えていますでしょう」

「だから、なんでお前がそこまでやるんだよ! そんなに早死にしたいのかよ!」

「それは“技憑り”を使おうとする立花様も同様でしょう。そもそも、この状況は私の油断が招いた結果ですから。――早死にするのは、私だけで十分です」

「なっ、それ――」

『上! 宗像、狙われておるぞ!』


 それは一体どういう意味か。

 宗太が問い質そうとした時、サツキヒメの声が二人の口論を遮った。

 当然ではあるが、最早議論を交わす時間は無い。

 瑞紀は半歩下がり半身で正面を向き、やや姿勢を低くした。

 今度は宗太が立木を背に守られる格好となったが、後から見る瑞紀の痛々しい背は、自身の不甲斐なさを改めて強調する。


「立花様。上手く行けば“鎌鼬”は私の前方で動きを止めます。一瞬ですので、その機を逃さずお願いします」

「……わかった」

『来る!』

「“仏の左の下のおみあしの下の、くろたけの刈り株なり。痛うはなかれ、はやくろうたが生え来さる”」


 やや早口に瑞紀が呪のようなものを口にした後。

 宣言通り、突如彼女の前方にボテリと何かが落下した。

 どうやら宗像瑞紀の試みは上手く行ったらしい。

 瞬間、宗太は瑞紀の背から前へと駆け出していた。

 地に落ちたソレの姿を確認するよりも早く、“傾国”の白刃を突き立てんと迫る。

 ガァア!

 それまでとはちがう、獣の悲鳴が夜空に響いた。


「や、やった!」

『浅いぞ宗太!』

「え?」

「危ない!」


 生まれて初めて感じる、日本刀で何かを斬った感触も残ったまま、宗太は突如背後から服を引っ張られ尻餅をついた。

 同時にぱっと左の腰の辺りが爆ぜて、熱を帯びた激痛が迸る。


「う、ぐ……」

「立花様!」


 宗太は思わず左の腰に手を当てながら尻餅をつき、何が起きたのか理解できぬまま、やっとそれを見た。

 そこに居たのは、イタチの“ようなモノ”。

 猫の程の大きさで、ハリネズミのように尖った針のような太い毛を全身に纏い、両手足の先は鋭利な刃物を移植したような姿。

 宗太に斬られたのだろう、左の前脚は無く、血が吹き出てそれを庇うかのように牙を剥く頭はイタチと変わりない。

 特に目を引いたのは手足と同じように尾の先にある、大鎌のようにその体躯ほどもあろうかという巨大な刃だった。


『呆けるな宗太! “尾”がくるぞ、妾で防ぎや!』

「剣を縦に! 受けて下さい!」


 “鎌鼬”の姿を確認した刹那ですら、彼女達や“鎌鼬”には致命的な隙となり得たのだろう。

 サツキヒメと瑞紀の指示に宗太は反射的に“傾国”を持ち上げ、腕に力を籠めた。

 それとほぼ同時に、“鎌鼬”はくるんと素早くその場で回転して大きな尾を横に薙ぎ払う。

 ――ギァアン。

 火花と共に、一際大きな金属音が辺りに散る。

 “傾国”の刃が欠けたり、折れたりするのではないだろうかと思える程の衝撃が宗太を襲った。


『はよトドメを刺せ、宗太!』

「お待ちください! 脇腹を斬られています! 傷が深いとこれ以上動けば腸が飛び出てしまう恐れが!」

『そんなもの、出たら後で押し込めばよい!』

「無茶いうな!」

『無茶なものか。機を前に何を言うておる。この軟弱者めらが――ええい、傷を見せい宗太! 宗像!』


 サツキヒメに名を呼ばれ、指示を理解した宗像瑞紀はすばやく尻餅をついたままの宗太にかけ寄り、手早く服を裂いてその脇腹を確認した。

 “赤目憑き”の先祖返りをしているからか、服を裂くその膂力は女性は元より常人のそれではなく、服は紙切れのように裂けてしまう。

 やがて瑞紀は宗太の傷を確認するや、息を飲んで“鎌鼬”から目を離さぬ宗太の横顔を、次いでサツキヒメの方を見て頭を横に振った。


「お、おい。どうなんだ?!」

「……深いです」

「嘘だろ?! 俺、案外動けそうなんだけど!」

「興奮しているからでしょう。本来なら、激痛で気を失うか動けなくなる程の傷です」

『トドメじゃ! 出血で動けなくなる前に、今無理をせずしていつする! はよ、宗太!』

「駄目! 立花様!」


 相反する二つの意見に挟まれ、宗太は固まってしまう。

 これまでの危機的な状況に、サツキヒメと宗像瑞紀の指示に従ってきたツケであるのか、宗太はここにきて瞬時に決断ができずにいた為、幾何かの間が開いてしまう。

 その間が、“鎌鼬”には有利に働いたようだ。

 幾度も攻撃を弾かれ手傷まで負わされた為か、“鎌鼬”はここまで深追いは仕掛けてこず、牙を剥き威嚇していたのだが、突如ぱっと消えるようにして再び目にも止まらぬ疾さで移動を開始したのだった。


『あな、それみたことか! “鎌鼬”にかけた呪が解けてしもうた!』

「宗像! さっきの呪文みたいなの、教えてくれ! 今度は俺がやる」

「……ごめんなさい」

『たわけ! “野鎌避けの呪”は一度きりしか効かぬわ!』

「じゃあ……」

『最早、打つ手はなし、じゃの』


 サツキヒメはそう宣言して、その日初めて姿を現した。

 これまでは寒いからと“傾国”に引き篭もっていたのか、姿は見せず声だけで通してきたというのにどの様な心境の変化があったのか。

 色の無い冬の山中に艶やかな緋色の着物が宗太の前に翻ったが、その美しい表情は硬い。


『宗太。妾の名を呼べ』

「いけません!」

『下がりや、宗像。下女ごときが出る幕ではない。最早、妾の譲歩は無いと思え』


 これまでに無く威圧的な、有無言わさぬサツキヒメの態度。

 宗像瑞紀は時代錯誤にも下女と蔑まれたが否定するでもなく、制止の言葉を飲みつつもサツキヒメの言葉に首を振った。


『……この後に及んでまだ宗太の“難行”の邪魔立てするかえ?』

「これは私の仕事です」

『宗太の“難行”じゃ。アレは宗太と妾の獲物ぞ』

「おい、やめろ! 今そんな事を言い争っている場合かよ!」

「立花様に“技憑り”は絶対に使わせません」

『ふん。なれば、この状況をどうする。宗太は腹を裂かれておる。“野鎌避けの呪”はもう通じぬ。“赤目”の下女は役立たずじゃ』

「……差し違えます」

「おい!」

『無理じゃ。先もゆうたろうが。なんの得物も持たぬ“赤目”ごときがどうにかなる相手ではないと』

「いい加減にしろ! 二人とも!」


 腹に深手を負っているはずの宗太の怒声が、二人の間に割って入った。

 血は止まらず、鈍くも耐え難い痛みは体中に響いたがそんな事はお構いなしに宗太は瑞紀に向き直り、乱暴にその肩を押す。

 瑞紀は突然の事に抵抗するのも忘れ、ヨロヨロと数歩下がり背を木にぶつけて思わず座り込んでしまった。


「サツキヒメ、来る方向を教えろ」

『宗太?』

「宗像、お前はアレが“尾”のデカイ奴で斬りかかってきたら教えてくれ。方向も。縦か横か、ナナメかをな」

「立花様?」

「考えがある。ソレが来るまでは耐える」

「いけません! それじゃ、腸が――」

「出たら後で押し込めばいいんだろ。なぁ、サツキヒメ」

『……そりゃ、そうじゃが。“技憑り”を使わねばどうしようもないぞえ?』

「“技憑り”は使わん。言ったろ、考えがあるって。お前ら黙って見てろ」


 宗太は息も荒くそう言い放ち、瑞紀に背を向け“傾国”を青眼に構えた。

 その背を見上げる宗像瑞紀は何を感じ取ったか、ごめんなさい、ともう一度呟いて瞳を赤く強く輝かせる。

 一方、サツキヒメはというと豪奢な着物を着たまま宙を浮くようにして宗太の脇に立ち、形の良い唇を歪ませて凄艶に嗤う。

 先程までとは違い、頬は上気し愉悦に表情を綻ばせる様は男を惑わせる妖婦の色香を振りまく怪異そのものだ。

 だが宗太はそんなサツキヒメなど目にもくれず、剣先に意識を乗せてひたすらその時を待ち続けていた。


『うふ、よいぞ宗太。その表情、その目。あの方にそっくりじゃ。――右、来るぞ』


 ――ギャン。

 山中に金属音が木霊する。


『正面』


 ――ギン。

 金属音と同時に、宗太の脇から血が飛び散った。

 手傷を負ったのではなく、衝撃で傷口から血が吹き出た為だ。


『上、縦に裂いてくるぞえ』

 ――ギャン。

 小さく火花と血が散る。

 しかし白刃は、側に在る怨霊の美しい肌のように一点の曇りも無く、刃毀れ一つしてはいなかった。


『正面』

「“尾”が来ます! 横!」


 サツキヒメと瑞紀の声がほぼ同時に宗太の耳に届いた瞬間。

 宗太は何を血迷ったのか、攻撃を受けるのではなく大上段に“傾国”を振り上げ、一歩深く大きく前に出て姿勢を低くした。


『ほ!』

「立花様!」


 背に二つ、感嘆と悲鳴を感じながらも宗太はそのまま、万力を込めんとばかりに力一杯剣を振り降ろした。

 おぞましい風切り音を頭上に感じる中、手応えはこれまでに無いほど強く確かに感じる。

 静寂。

 風が吹くでもなく、誰も言葉を発さず、冬山に鳥は鳴かず、完全な静寂がそこにあった。

 あるいはそれが、死であるのかもしれない。

 首でも落とされたのか、ぐらりと世界が回転して見えた。

 宗太は試みが失敗し、自分は既に絶命して音が聞こえないのだろうと考えながらも、しかしその手応えに自信を深めて安堵する。

 少なくとも相打ちであれば、宗像瑞紀は助かるのだから。


「だめ!」

『宗太!』


 意識を失う瞬間、宗太が聞いた声は二つ。

 見えた顔も二つ、冬山には場違いなほど艶やかな花のように美しい顔。

 花の一つはいつか見た、嬉しそうな、懐かしそうな色。


 もう一つは初めて見る、今にも泣き出しそうな色だった。





 立花宗太が意識を取り戻したのは病院の一室、丸一日経った日曜の夕方。


 白い天井とベッド脇で腰を降ろし、姿勢良く座り参考書に目を落とす宗像瑞紀の姿がまず目に入り、声を掛けようとして激痛に呻き声を上げた宗太である。

 どうやら首を落とされ死んだわけではないらしい。

 意識を失う直前の事を思い返しながら、宗太は試みが成功した事に改めて安堵した。


「大丈夫ですか? 絶対安静だとお医者様が言っておられましたので、動かない方がいいです」

「今、何時?」

「日曜の午後四時三十分。立花様は丸一日寝ていました」

「“鎌鼬”は――」

「あの後の事を説明しますので、とりあえずあまり喋らない方が良いです。無理をすると“また”腸が飛び出ますよ?」

「なぬ?! ――痛っ、たた……」


 聞き流すには少々ショッキングな瑞紀の台詞に、宗太は驚いてしまいその拍子に脇腹に強い痛みを覚えベッドの上で体を縮込ませる。

 宗像瑞紀はその様子を表情一つ変えずに凜然として見下ろしながら、優雅に参考書を閉じてふぅ、とため息を一つ漏らした。


「まったく。どうしてそう、無茶をするんですか」

「おー、いて。……無茶ってなんだよ」

「偶然上手く行ったからいいものの、少しでもタイミングがずれていれば文字通り立花様は“鎌鼬”によって両断されていましたよ?」

「あー、あれか」

「あれか、ではありません。心臓が止まるかと思いました」


 瑞紀はやや不機嫌そうにそう言うと、もう一度ため息をついた。

 宗太としては何度も“鎌鼬”の斬撃を防ぐ内、なんとなくであるが接触するタイミングが読めるようになっていた所。

 特に“鎌鼬”の姿を確認し特徴のある尾の一撃を目の当たりにして、一か八か、上手く行くかも知れないと予感があっての行動であったのだが。


「それを無茶と言うんです。一か八かで命を賭けるなんて、馬鹿なんですか? “技憑り”を使う方が余程マシじゃないですか」

「うるせ。お前とサツキヒメが使えだの使うなだのと口論を始めるから、俺が間を取って解決してやったんじゃないか」

「“魔風”(まかぜ)と呼ばれるほどの怪異に捨て身で突っ込んどいて、どの辺りが間を取っているのでしょう?」

「う……」


 宗太は瑞紀に冷たくピシャリと言われ、言葉を詰まらせる。

 追い込まれた状況下、それならばと思い付いた行動であったが確かに瑞紀の言う通り、失敗すれば即死する試みよりも寿命を削った方が余程マシであったのかもしれない。

 改めて思い返せば、何故碌に剣も振るえぬ自分があのような行為に及んだのか。

 身震いを一つして、宗太は脇腹の痛みに悶絶した。


「いいから、あの後の事を説明しろよ」

「誤魔化さないで欲しいのですが……まあ、いいでしょう」


 そう言って、やや呆れたような表情を浮かべる宗像瑞紀。

 血まみれだった服装は処分したのか、今は彼女が通う高校の制服姿である。

 “赤目”の先祖返りを行えば傷の治癒は早くなると以前言っていた彼女だったが、細い首元から覗く包帯は痛々しく生々しい。


「“鎌鼬”ですが、あの時の立花様の斬撃で無事、撃退できていました」

「……そか」

「あと、田端さんですが“クダモチ”ではなく、やはり“飯綱使い”(イヅナツカイ)だったようです」

「“飯綱使い”?」

「“鎌鼬”を使役する“クダモチ”の事です。財ではなく人の生き血を好む管狐を使い、暗殺や脅迫を生業とする憑きもの筋ですね」

「そんなもん『百鬼夜行』に誘うなよ……」

「誘うわけないでしょう。前にも言いましたが、『百鬼夜行』は危険な怪異を抱える人物は誘いません。管理メンバーの誰かが騙されたか、本物の田端さんに成り済ましていたのだと思います」

「それがまたどうしてこんな真似をしたんだ?」

「そこは逃げた“飯綱使い”本人に聞かなければわかりませんが……恐らくは、“赤目憑き”の私を狙っての依頼だったかと」

「なんで宗像を?」

「『百鬼夜行』の調停側のメンバーは皆、その筋ではそこそこ名が通っていますから。特に怪異を荒事の商売に使いたい者にとって“赤目憑き”を殺せる、または撃退できる怪異を使役しているというのは、いい宣伝材料になると思います」

「……そんな理由で騙されて殺されかけるとか、たまったもんじゃねぇな」


 吐き捨てるような宗太の台詞に、瑞紀は僅かに口の端を引いて視線を落としてしまった。

 それから、彼女には珍しく力無い謝罪の言葉が、形の良い唇から発せられる。


「……ごめんなさい」

「お前のせいじゃねぇよ。俺の“難行”なんだし」

「私が受けた依頼です」

「こういう事が頻繁にあるわけじゃないんだろ?」

「……今回が初めてのケースです、ね」

「なら俺の“難行”でそうなっちまったと考える方が、自然だろ」


 宗太の言に、瑞紀は言葉を詰まらせた。

 どうやら彼女も今回の一件は、“難行”によっていつもと違うモノになったのかもしれない、と感じる所があったらしい。


「しかし、そうであっても……私は立花様を守り切ることができませんでした」

「いいじゃねえか、こうして二人とも生きているんだしさ」

「まぁ、そうかもしれませんが……」

「だから、気にすんな」

「……ごめんなさい。次は油断しません」


 しかし宗像瑞紀は決意するようにそう言って、宗太に深々と頭を下げたのだった。

 宗太を守ると宣言し、しかし最後には宗太によって危機を脱した事実が余程悔やまれているようだ。

 それが負けず嫌いで悔やんでいるのか、強い使命感故に悔やんでいるのかはわからない。

 が、普段からそっけなく、接すれば酷薄な言葉と態度を見せる彼女の芯がすこし見えた気がして、悪い気はしない宗太である。


「で、結局その、“飯綱使い”は逃げたのか」

「ええ。重傷者一名を抱えていては、探し出して問い詰める事なんてできませんから」

「二名な」

「私、“赤目”なんであれくらいかすり傷です」

「じゃあ、その制服の首元から見えてる包帯はなんだよ」

「気持ち悪い。どこ見てるんですか、気持ち悪い」

「うっせ。目が行く程大きくねぇだろ、お前。ってか、服の上からでも男の俺がみてAだってわかるぞ。全然盛り上がってなっぐおぁ?!」


 瑞紀に親近感を感じていたからか、宗太は瑞紀の誤魔化しに、やや気さくにいつもの悪態でもって鋭い指摘をしたつもりだった。

 だが同時に、どうやら触れてはいけないものに触れてしまったらしい。

 ドム、と胴に強めの手刀を入れられ、激痛に悶絶してしまう。

 お、おぉ、おお、という痛ましい嗚咽が病室に篭もるが、それ以上に殺気立った気配が重苦しく室温を下げてゆく。


「……何かおっしゃいましたか?」

「なん、でも……ない」

「そうですか。ああ、話の続きでしたね。ともかく、今回の事は『百鬼夜行』の管理メンバーにも連絡をしましたが、重く見てあの“飯綱使い”を探し出し、しかるべき処置を施す事になるのは間違いないと思います」

「……なんか、お前らの方がアブナイ組織っぽい」

「まさか。それなりに神通力とか権力を持った方がメンバーに居ますので、その方に処理をお願いするだけです」

「十分アブナイな、それ」

「大丈夫ですよ。死人は出ませんから」


 その説明のどの辺りが大丈夫なのかは甚だ疑問に感じる宗太であるが、深く関わるつもりも無かった為、それ以上話を掘り下げる事は無かった。

 代わりに改めて事の次第を思い返すに、幾つかの疑問が浮かんできたので、話題をそちらに向ける事にしたのである。


「そういや宗像、途中で嵌められたって気が付いてたよな」

「はい。“鎌鼬”は通常、人に使役させられる事はありませんから」

「どういうこと?」

「“鎌鼬”にはいくつか種類があって、“飯綱使い”が使役するものは限られているんです。“野鎌”って言うんですけれど」

「“野鎌”……ああ、サツキヒメが言ってた“野鎌避けの呪”の“野鎌”か」

「そうです。あの呪文は“野鎌”に襲われた時に口にするもので、他の“鎌鼬”には効きませんから」

「“野鎌”はお葬式の後に墓の穴掘りなどに使った鎌や鍬を七日間以上放置すると付喪神が宿り、怪異に変じたモノで、“飯綱使い”はこれを使役します。……なんですけれど、中には人を殺した鎌を素性の良く無い霊地に放置して“野鎌”を作り出す者も居ますね」

「……墓を掘らない現代じゃ、ソッチの方が多そうだな」

「むしろそちらの方法で“野鎌”を作るのがポピュラーになっているでしょうね。ですので、“クダモチ”の中では“飯綱使い”は相当忌避されております」

「うふ。だからこそ、“難行”の相手に相応しくもあると言えるであろうぞ」


 二人の会話に割っては入る者がいる。

 先程から姿の見えぬ、サツキヒメではない。

 宗太や瑞紀よりももっと若い、女の子の、子供の声。

 声は瑞紀の隣りから。

 脇腹が痛く上体を起こせない宗太からはこれまで死角になっていたようであるが、よく見れば黒い頭がゆらゆらと動くのが見える。


「誰? そこに居るのは」

「なぬ?! こりゃ、宗太! 言うに事欠いて何を――」

「……サツキヒメ様。立花様からは見えてはいなかったようです」

「ぐ……、命の恩人であるわらわに気付かぬとは、なんたる薄情者か」

「サツキ、ヒメ?」


 宗太がそう、呟いた時。

 ぴょい、と高い病院のベッドの端から、小さな女の子が顔を出した。

 四、五才位に見える童女で、愛らしい顔とおかっぱの黒髪、襟元から判別出来る艶やかな朱の着物は確かにサツキヒメの面影が見受けられる。

 また幼い声ながらも言葉遣いからサツキヒメであるらしいが、座敷童のような姿に変じる必然性が感じられず、戸惑う宗太である。


「サツキヒメ様。背伸びは疲れるでしょう。椅子、使いますか?」

「いらぬわ! まったく。宗太といい、宗像といい、妾を軽んじるにも程がある!」

「……お前、なんでそんな姿なんだよ」

「誰のせいじゃと思うておる! お主らをここまで運んでやった頃までは絶世の美女だったわ!」

「……だから、なんでその姿なんだよ」

「宗太。そなた、“鎌鼬”を斬ったであろ?」

「ああ、まあ」

「“傾国”で怪異を斬るというのは、妾が怪異を喰らうのと同義じゃ。すなわち、“鎌鼬”を喰ろうた妾は力をある程度取り戻し、肉を得るまでにはなった」

「誰にでも見えるようになった、って事か?」

「うむ。大怪我を負った宗像や死にかけの宗太をここへ運んでやったのも妾じゃ」

「……よく大騒ぎにならなかったな」

「妾は人の意識を“そうである”と信じ込ませる神威が使えるでな。しかしその力を使うに“野鎌”ごときではすぐにこのザマじゃ」

「無理しないでいつもみたいに、見える人には見える幽霊でいいんじゃねえか?」

「たわけ。力を肉に変じ溜め込むのだ、これを放棄するのは勿体ないであろうが」


 サツキヒメはそう吐き捨てるように言って、ぷっくりと頬を膨らませた。

 幼児のようなその仕草はよく似合って見る者を暖かな気持ちにさせるであろうが、元々の姿を知るだけに宗太と瑞紀はひきつった笑いしか起こらない。


「大体、宗太のはらわたがいけないんじゃ。何度押し込んでも飛び出して来おって、血も止まらぬわ、取り乱した宗像は五月蠅いわで散々じゃ」

「え? 宗像が取り乱したって、ええ?! いやちょっと待て! 俺、結局本当に腸が飛び出しちゃってたの?! マジで!?」

「うむ。旨そうな――でない、うっすらと桃色の白いプリプリの奴がこう、でろり、との。それでいて押し込もうとすると赤いのがじゅわりと」

「……おい。お前いつもどんな目で俺を見ている?」

「さて。宗太は妾のお気に入りなのは確かじゃが」

「やめろ。目を細めて俺を見るな」

「うふ。そのようにすぐ他人を疑い戸惑う所は、初々しくて好きじゃぞ宗太」

「疑うのは当たり前だろ! っあ痛っ、痛ぅ」

「ほほ、痛いかや? 傷を見せてみぃ、血が出ておったら妾が舐め取って進ぜよう」

「いらんわ!」


 さりげなく数発投下されたサツキヒメの爆弾発言に、宗太の思考は追いつかない。

 だからか、宗像瑞紀は宗太が意識を失った後、取り乱した事を追求されずに済み、そして宗太はそんな彼女が俯き目を泳がせている姿を見る事は無かったのである。


「サツキヒメ様、立花様。ここは病室ですので、お静かに」

「なんじゃ、この部屋は宗太一人しかおらん。気にすることはないであろうが」

「いや、宗像の言う通りだぞ」

「む、宗太まで言うか。ええい、もう良い。服を脱げ」

「な、なんでそうなるんだよ!」

「妾がその傷を治してやろうと言っておるのだ」

「お前、そんな事ができるのか?」

「うむ。力をある程度取り戻した今ならばの」

「……立花様。それ、多分サツキヒメ様の神威の一つ、“疵喰い”ですよ」

「……なにそれ」

「怪我に応じてその者の寿命と引き替えにあらゆる傷を治すものです。我が家の文献にありました」

「いらんわ! お前、本当にサツキヒメか?!」

「受肉すると腹が減ってかなわんからのぅ。なぁ、宗太。ちょっとでいいんじゃ、どこか囓らせてくれぬかえ?」

「断る!」

「それで元の姿に戻れるんじゃ。そうすればほれ、伽も思いのままになろうぞ」

「いらん」

「ほほ、無理をするな。妾がめくるめく快楽を教えて進ぜようぞ」

「お断りだ。お前、絶対カマキリみたいなタイプだし」

「なっ、言うに事欠いて――ええい、もう良い! ……のう、宗像? “赤目”のお前ならば」

「私、明日期末試験なのでこれで失礼しますね」


 言うと同時に立ち上がり、宗像瑞紀は颯爽と踵を返した。

 何時の間に用意を終えていたのか、その肩にはまとめられた荷物が掛けられている。


「お、おい宗像。俺をここに置いて行くのか?」

「入院費は心配要りません。あ、もしかしたら警察が事情聴取にくるかもしれませんが、手は打ってありますので」

「なあ、もうちょっと一緒にいてくれないか? お前、俺を守ってくれるんだろ?」

「言いませんでしたか? 私、明日期末試験なんです、ウチ、お嬢様学校だから成績を下げると色々面倒なんですよ」

「のぅ、宗太。いいであろ? のぅ……」

「しっ、しっ! ――頼む、宗像。行かないでくれ」

「嫌ですよ。気持ち悪い、嫌です」

「……最悪な断り方だな、それ」

「それでは。試験が終わったら迎えに来ますね」

「試験、どのくらいあるんだ?」

「大体一週間。来週の月曜日になります。あ、私の携帯電話のメールアドレス、そこにメモしておきましたので。死んだら連絡くださいね」

「日曜日に迎えに来てくれるつもりはないのな」

「流石の私も日曜は実家でゆっくりしたいので……」

「……ありがとうよ。もし待ちきれずに死んだら、サツキヒメと一緒に化けて出てやるよ」

「よいではないか、よいではないか」


 噛み合っているようで、決して交わらぬ三者。

 やがて宗像瑞紀は無情にもなんの躊躇も見せず部屋から出て行き、後には童女のようなサツキヒメと立花宗太だけが残されたのだった。

 後に残された宗太はぴょんぴょんと跳ねてベッドに登ろうとするサツキヒメを突き落としつつも、しかし不思議と心温かな気持ちになっていた。

 先程は思わずスルーしてしまったが、自分が意識を失い瀕死に陥った時、宗像瑞紀がどう取り乱したのかじっくりと聞き出して悪態の種にしようと企んだからである。

 流石に好意から取り乱したなどとは自惚れぬ宗太であるが、そうでなくとも普段冷静で真面目な彼女の慌てぶりは想像するだけでおかしく、悪友に仕返しを企む心地になれるのだ。


「この! や、やめい! 宗太、こりゃ!」


 ただ問題は。

 相変わらずぴょんぴょんと跳ねてはベッドに登ろうとするサツキヒメが口を割るかどうか、であろう。 

 ともすれば宗太の身を囓るのと引き替えに、情報の提供を求めてくるかも知れない。

 サツキヒメの額を指先でちょいと押しては落としていた宗太は、ううむと考えて良案を練った。

 そして程なく、何故か考えるのを辞め今はサツキヒメをからかうことにしたのである。

 遠からず立花宗太は宗像瑞紀の恥ずかしい醜態の情報を得ることになるだろう。


 なにせ時間は一週間もあるのだから。








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