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赤目憑き 下



 なぜ自分はこんな目に遭わなくてはならないのか。


 時節は初冬、見知らぬ町の見知らぬ屋敷。

 朝早くからこの場所に訪れ、初対面の少女に敵意どころか憎悪をぶつけられ、挙げ句その少女とこれから木刀片手に打ち合うのである。

 家伝の刀を興味本位で引き抜き、刀身を眺めただけでこの仕打ちはあんまりではないか。

 立花宗太のやるせなさは如何程のものであろう。


「うぇ、寒ぅ……」


 用意された剣道着に着替え、裸足で宗像家の道場に足を運んだ際、板間のあまりの冷たさにおもわず声が出てしまう宗太。

 そんな彼を既に支度を終え、左脇に自身のものであろう木刀を添えて待ち受けるのは、宗像瑞紀とその父敏夫である。

 彼女は冷たい床に正座し、ピンと背筋を伸ばして震える宗太に冷たく視線を向けていた。


「木刀はそこの壁に掛かっているものからお好きな物を」


 侮蔑もありありと冷たく言って、宗像瑞紀は顎で一方の壁を指した。

 見ると彼女が言う通り、壁一面に木刀が設えられている。

 宗太は肩を縮込ませたままそちらに歩み寄り、二、三本ほど木刀を手に取っては元の位置に戻した。

 少しでも軽い物が良いだろう、と思ってのえり好みであるが、どうやら重さ自体はどれも変わらないようだ。


『宗太宗太、アレが今代の宗像の“赤目”かえ?』


 そんな彼の背後から、場にそぐわないほど暢気な声を掛けるモノが居る。

 どちらかと言えば色味の無い道場内において、唯一艶やかな和服を身に纏うサツキヒメである。


「……みたいだな。若いのに大したもんなんじゃないか? よくしらないけど」

『ふぅん。あな、あの者は随分と余裕の無い目をしておるの』

「なんか、俺の事が嫌いなんだとよ」

『ほぅ、そうか。宗像も変わったの。あのような敵を見るような目で主を睨むとは……』

「仕方無いだろ、ここの家の事なんて忘れてた上、それでもウチの為にって小さい頃からしごかれまくってたみたいだし」

『何を暢気な。宗太、これも“難行”の一つだとゆうたばかりじゃろ。あの娘、その気は無くとも宗太が死ぬような目に合わせて来るぞえ?』

「まっ、マジかよ?!」

「何をブツブツと呟いているんですか?! はやくなさい!」


 どうやら宗太以外の者には、サツキヒメの姿や声は見えたり聞こえたりしないらしい。

 端から見れば一人で虚空を相手にブツブツと会話を交わす、アブナイ様子である宗太を、宗像瑞紀の苛ついた声で急かした。

 敵意憎悪が篭もった声という物は考えるよりもずっと圧迫感があるもので、それが年頃の美しい少女のものならば相当辛辣に聞こえる代物であろう。

 案の定、宗太は必要以上に萎縮しながらも、適当な木刀を手に取ってオロオロと瑞紀の正面に対峙し、腰を下ろすのだった。


「……準備は良いですか?」

「は、ぁ……」

「では始めましょう。ルールは十本先取。私は“安全の為”、立花さんの首から上は狙いません。立花さんは私の何処を打ち込んでもかまいませんのでご遠慮なく。お父様、審判をお願いします」

「心得た。……瑞紀、くれぐれも」

「では尋常に」


 父の言葉を遮るようにして、宗像瑞紀は傍らの木刀を手にすくと立ち上がり、青眼に構えた。

 釣られるようにして、宗太も立ち上がりあたふたと木刀を構える。

 木刀の切っ先がゆらゆらと震えるのはその重みを御しれきれない宗太の未熟の為であるが、一方の瑞紀の切っ先は微塵も動かず、彼我の実力差は(当然であるが)明確であった。

 また剣道ではないからか、双方共に防具のようなものは身に付けて居ない。

 身を守る物は厚手の剣道着だけである。

 そのような状態で木刀を使い、直に打ち合う事など時代錯誤も甚だしいのだが、少なくともこの場には宗太を除き、その事について疑問に思う者など居ないようだ。

 やがて片方の形は歪なれど正対しにらみ合う二人。

 僅かな間に静寂が流れ込み、両者の間に緊張が一瞬。


「いざ!」

「あが!」


 電光石火。

 かけ声と同時に瑞紀の体は宗太の脇を通過し、遅れて腕に鋭くも骨からくるような痛みが全身に広がってゆく。

 宗太は木刀を取り落とし、激痛が走る右腕を押さえ思わずその場に蹲ってしまった。

 ――痛い!

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃ!

 心臓の鼓動に呼応して、右腕の芯から来る激痛はドクンドクンと脳髄に脈動する。


「ぎ、う、ぐぅ――」

「……一本。瑞紀」

「何をその位で。私がお父様から初めてこの技を“見せて”いただいたのは、六才の時でしたわ。腕を折らぬよう加減はしております。さあ、立って下さい」


 何時の間に元の場所に戻ったのか、蹲る宗太の前に瑞紀は立ち、煽るように手にしていた木刀の切っ先を宗太に向けた。

 その声は限りなく冷たく、変わらぬ敵意が込められている。

 しかし宗太は痛みで立ち上がるどころでは無いらしい。

 痛みと情けなさに濡れ、やり場の無い怒りを持てあましながら宗太はやっとの思いで顔を上げた。

 彼女は変わらず凛としてそこにあり、ただ両の目だけは充血したかのように赤く見える。


「どうしましたか? まさか、痛くて動けないと?」

「そ、の――まさか、だよ」

「……情けない。それでも立花の、怨霊刀を手にして“難行”に挑む者ですか。恥を知りなさい」

「仕、方ない、だろ! こっち、は、生まれてはじめて、木刀を手にしたんだ!」

「それがどうしました。始まってしまった“難行”は、容赦無く貴方を襲いますよ?」


 呆れと侮蔑が混ぜて言葉を吐き、瑞紀は宗太に向けた切っ先をゆっくりと降ろす。

 一方宗太の方も、瑞紀との会話によって幾分か気が痛みから逸れたのか、ゆっくりと立ち上がる事ができた。

 この時、宗太の脳裏によぎったのは先程のサツキヒメの言葉。

 ――あの娘、多分宗太を本気で殺しに来るぞえ?

 聞いた時は半信半疑であったが、実際に痛い目にあってみると真実味が増してかんじられてしまう宗太である。


「……案外、あいつが言うようにお前が最初の“難行”なのかもな」

「何を馬鹿な事を。それに、今日会ったばかりの私に向かっておまえ呼ばわりですか」

「“みずきたん”の方が良かった、っか?!」


 痛みと理不尽な仕打ちに大分余裕を無くしているのだろう。

 宗太は珍しくも愚痴を吐くように悪態をつきながら木刀を構え直し、その瞬間に今度は木刀を握る右手の甲を一瞬で打たれてうめき声を上げた。

 右手の甲からは一瞬ミシリと音を感じ、木刀を取り落としてしまうよりも早く新たな激痛が全身を駆け巡る。


「いっ、ぎぃい――」

「……一本。瑞紀」

「一つ、教えて差し上げましょう。手の甲というのは、剣術において意外に狙われやすい部位だったりします。致命傷にならずとも、剣を握る能力を削ぎこちらに有利な状況を作れますから。他には」

「これ、絶対折れ……」

「……折れてませんよ、多分。一応、加減はしておりますので。それに――」


 言葉を切り、瑞紀はだんと音を立てるほど強く前に踏み込む。

 同時にぐあ、と宗太の悲鳴が上がった。

 右手を押さえ蹲る宗太の左足の甲に、瑞紀の木刀が突くようにして打ち込まれたためだ。


「まだ話は終わっていませんよ」

「ぐぁ、ああああ!」

「足の甲もまた、手の甲同様に相手の力を削ぐ為意外と狙われやすいです。これらは、私が初めて木刀を握った時に“身をもって”お父様に教えて頂きました」


 宗像瑞紀はそう言い終えると、元の位置に戻って姿勢良くすとんと正座をし、激痛にのたうち回る宗太をじっと見据えた。

 それからどのくらいの時が経ったのか。

 腕や手の甲、足の痛みがやや薄れ、やっと立ち上がれるほどに宗太は回復したのを見計らい、瑞紀は再び口を開いたのである。


「休憩はこのくらいで良いでしょうか? “立花さん”」

「……うるせぇ、暴力女。休憩も何も、まともに反撃もできない俺をサンドバッグにしてるだけの奴が何を偉そうに」

「では辞めますか? 宗像家と立花家の付き合いはこれきりとさせて頂きますけれど」


 ――応! こっちから願い下げだこのクソ女!

 そう、即答したかった宗太であるのだが、この時何故か出しかけた言葉を飲んでしまう。

 不本意ながらも“難行”に臨み、宗像家の助けも無く命を落とすのが嫌だった訳では無い。

 同情する余地があるとは言え、過失が自分にあるとは言え、ここまで理不尽にも痛い目に遭わされては腹の虫が収まらなかったからだ。

 だから、という訳では無いが、立花宗太は返答のかわりとばかりにゆっくりと木刀を構える。

 先程打たれた右手甲と左足は痛みを通り越してじんじんと痺れ、しかし少しでも今以上に力を込めるとたちまち全身に激痛が走るようになっていた。

 今回、宗太が構え直した瞬間に宗像瑞紀の打ち込みが来ないのは、流石に不味いと感じたのか父親である敏夫の制止の言葉が飛んで来たからだ。

 しかし瑞紀の方は勝負を辞める気が無いようで、そのまま父親と口論を始めてしまった。


『宗太宗太、何故妾の名を呼ばぬ?』


 これまでの宗太の様子を何処で見ていたのか。

 思わぬ“休憩”の延長で立ち尽くす宗太に、サツキヒメが語りかけてくる。


「……呼んだよ」

『ほえ?』

「もう、呼んだよ。呼んでこのザマだ」

『いつ?』

「さっき。肩を打たれただろ? その時、呟いたんだけど……なんも起こらねぇじゃねぇか」


 苛立ちは痛みからくるものか、それとも八つ当たりか。

 口論続ける宗像親子を前に、宗太は忌々しげに呟いた。


『……宗太、お前バカなのか?』

「なんだよ、それ! 俺は言われた通りにやったぞ!」

『呼んだ、とゆうても口の中で呟いた位では“今の妾”に聞こえるわけ無いであろうが』

「なぬ?!」

『はぁ……。“あの方”と宗太は似ておる故、折角さぁびすとやらをしてやったというに』


 そう言って、サツキヒメは肩を落とし深く失望でできたため息をついた。

 ――なんだよあの方って。

 そんなもん、俺が知るかよ!

 心の中でごちながらも、宗太はギっと奥歯を噛み腹に力を籠める。

 宗像瑞紀といいサツキヒメといい、今日一日何かと理不尽に人格を貶められているかのように感じられて、いい加減腹が立ってきた為だ。

 ――大体“コレ”のどこが女難だ!

 普通女難って言えば、複数の綺麗な女の子から想いを寄せられ嫉妬されたり、ラッキースケベ的な出来事でひっぱたかれたりとか“そういう”のだろ!

 コイツもアイツも確かに見た目だけはいいけど、初対面から心の底から蔑まれるような目で睨まれたり、木刀でボコられたりとかは絶対に女難じゃねぇ!

 心の中で吹き荒れる罵倒は続く。

 宗太の場合、多少それを外に出しても問題は無いのかも知れないが、口に出して事態が好転する状況でもないのは確かだ。


「おい」

『んー? なんじゃ』

「お前、確かなんだな?」

『なにが?』

「さっき言ってた“あの名”を、今度は聞こえるように叫べば、なんとかなるんだな?」


 質問に、サツキヒメはにぃと嗤う。

 笑みは凄艶で、それだけで男を骨抜きにしてしまいそうな程美しく、それまで感じなかった色香が濃くサツキヒメに纏わり付いた。

 ――しかし、宗太はそんなサツキヒメに対し、この時始めておぞましさを感じ取る。

 理由はハッキリとはわからない。

 その顔は変わらず美しかったが、どこか中身がソックリ変わってしまったような、否、その本性が透けて見えたような凄味が見えた気がしたからなのだろうか。

 先程瑞紀がちらりと漏らした大怨霊という言葉が急に蘇って、痛みも忘れさせ宗太の背に冷たい汗をかかせていた。


「――、立花さん?」

「あぅ、は、はい?」

「お待たせしました。お見苦しい所をお見せして申し訳ございません」


 何時の間にか、彼方で行われていた口論は終わったらしい。

 すっかりサツキヒメの方に気を取られていた宗太であるが、宗像瑞紀が襟を正し、先程までと同じく凛と背を伸ばして宗太に語りかけてきた所であるようだ。


「“稽古”の再開を前に、すこしよろしいでしょうか?」

「はい?」

「ルールについて、です。先程十本先取としましたが、父と“話し合った”結果、変更したいと思いまして」

「はぁ……」

「失礼ながら、立花さんと私では実力差がありすぎる、と思うのですが異論はありますか?」

「……ない」

「私もそう思います」


 ――今更か!

 当たり前だろボケ!

 口では無く、目でそう叫ぶ宗太。

 宗像瑞紀は宗太の無言の罵倒を感じ取ったのか、目を細めやや険もつよくにらみ返してきた。


「そもそも。私が立花さんと“稽古”をしたかったのは、“赤目憑き”の実力を知って欲しかったからです」


 ――うそこけ。

 お前さっき“儀式”って言っただろうが。

 しかもそれ建前で、絶対お前、これまでの“うさ”を晴らす為に“稽古”しようって言い出しただろ。

 そう思っても、やはり口に出さない、宗太。


「ですが、立花さんの実力はそれ以前のようですので、ルールを変更し、次の勝負を“立花さんが気を失わなかったらそちらの勝ち”としたいのですが」

「……どういう意味だ?」

「次の勝負、“赤目憑き”の力でもって打ち込みます。それもただの一度だけ。耐えて下さい。それで我慢します」

「我慢って」

「行きます」

「わわ、まて! まだ――」


 慌てて木刀を構える宗太であるが、今回はあの神速の打ち込みは飛んでは来なかった。

 そのかわり――


「う、ぐ――ううう、んん――」


 突如瑞紀は呻き始め、ゆらゆらと体を揺らし始めたのである。

 宗太は一瞬、これはこちらから打ち込む機であるのかと考えたが、決断するよりも早くサツキヒメによって次の行動を決められてしまう。


『動くな宗太! まずい、アレは“赤目憑き”の先祖返りじゃ! 早う、早う妾がゆうた通りに名を口にせい!』

「タ――」


 ボゴン、と鈍い音が響く。

 それとほぼ同時に、車か何かが道場に突っ込んできたかのような破壊音と地鳴りがして、一方の道場の壁が崩壊した。

 何が起きたのか、宗太が立って居た場所には宗像瑞紀が木刀を振りきった姿勢のまま、残心をとっている。

 文字通り先程とは比べものにならぬ神速の結果か、乱れた前髪の奥から漏れ出るのは“赤目”の名に相応しく、赤く輝く目の光。

 その向こう、崩壊した壁と反対側の壁沿いには審判役である宗像敏夫が表情も硬く、血の気を失いながら呆然と立っていた。


「瑞紀――、お前、こ、殺したのか!?」


 やっとの思いで絞り出した、宗像敏夫の台詞であるが娘は微動たりともせず応えない。

 それから一拍置いて残心を解き、棒立ちとなってすっと体の力を抜いた頃。


「私……」


 とだけ呟いた瑞紀に、宗像敏夫は初めて娘が“赤目”に強く影響されすぎたが為、人外の膂力をすべて宗太に叩きつけたのだと理解した。

 これまで瑞紀は一度たりとて自我を失うほど、“赤目”に獲り込まれた事は無い。

 だからこそ“宗像の赤目”を知って貰う意味でも、憑きものを使い只一度、宗太に攻撃を仕掛ける事を黙って見ていたのであるのだが。

 ――よりにもよって、かつての主家の者が訪れた日に――

 宗像敏夫は無念に顔を伏せ、娘の失態と己の見積もりの甘さを悔いた。

 また、宗像瑞紀もそんな父と大きな穴が空いた壁を見て、己が図らずも殺人者となってしまった事にショックを受け、赤く輝く瞳を大きく開く。

 瞬間。


「キ、……い……」


 呻くような、男の声。

 崩落した壁の向こうから聞こえて来たそれは、確かに立花宗太のものである。


「え?」

「なっ、まさか!」


 宗像親娘は驚きの声を上げ、声のした方へと駆け寄ろうとした。

 しかしその足を止めたのは、他ならぬ宗太の言葉である。


「――、タ、キ……来い!」


 名は、サツキヒメのかつてのものであろうか。

 “赤目”となった瑞紀の一撃に、言われた通りに名を呼ぼうとして間に合わなかった宗太は。

 剣術素人の彼がどのようにしたのか、魔の一撃と化したそれを受けて尚生き延び、改めてその名を叫んだのである。

 呆然とする宗像親娘はその声を聞き驚愕し、次いで錯覚では無く文字通り蒼い気炎を纏い立ち上がる宗太を見て絶句した。

 だが、この絶句は両者の間では意味合いが違う。

 瑞紀にとっては“赤目”の暴威とも言える一撃を受け、尚且つ立ち上がってきた宗太自身に言葉を失い。

 父・敏夫の方はその蒼い気炎についての知識があったが為、畏怖してのものだ。


「瑞紀! “赤目憑き”を解くな!」

「え? お父、様?」

「全力で受けに回れ! 死ぬぞ!」


 父親の叫びに瑞紀は何が起きているのか理解出来ず、しかし体は反応して瞳を輝かせたまま、木刀を構え直した。

 大穴が開いた壁の向こう、ゆっくりと立ち上がった宗太に向けて。

 その右手には木刀、左手には木片が握られている。

 左手の木片は木刀の柄の部分らしく、どうやら運良く右と左の手で握った柄の間の部分で瑞紀の一撃を受け、致命傷を免れたらしい。

 だが木造とはいえ建物の壁を破るほどの衝撃を受け、果たしてまともに反撃などできるのか――

 瑞紀がそう考えた刹那であった。

 不意に宗太の姿が視界から消え、“赤目”の超感覚が伝えたか右半身がゾワリと怖気立つ。

 反射的に体を捻り、肩から胴を護るべく木刀を差し込もうとする瑞紀であるが、“赤目”の人智を越える膂力と瞬発力をもってしても間に合わず、胴が両断されたかと錯覚を得る程の凄まじい衝撃を感じて視界が流れた。

 それから彼女の意識が途切れるまでの僅かな間、脳裏に焼き付いたモノとは。


 木刀を振り抜き見事な構えで残心を取る立花宗太と、その背後に揺らめく赤い着物の麗人の姿であった。





「痛っ、くそ、まだ痛みやがる……」


 後日、宗太が一人暮らしをしている、築二十年程のアパートの二階。

 朝、大学の講義に出る為玄関で靴を履いていた立花宗太は、包帯が巻かれた右手の甲を忌々しく睨んだ。


『ほほ、宗太は痛がりよな。ほれほれ、“お守り”を忘れておるぞえ?』

「うっせ。骨にヒビが入ってんだから仕方ないだろうが」

『ヒビ位なんじゃ。あの方なんぞ、どんな深手を負ってもうめき声もあげなんだぞ?』

「だから誰だよ“あの方”って」

『うふ、宗太のご先祖様じゃ。妾の事をタキと呼んでおった、のぅ』


 そう言いながら、サツキヒメ(タキ?)は宗太に“お守り”を差し出したまま、ウットリともう片方の手を頬に添え、虚空を見蕩れた。

 宗太はそんな彼女から不機嫌にベッと“お守り”をむしり取って、手早く懐に入れるのである。

 “お守り”は丁度二週間ほど前に宗像家に訪れた際、いくつかの“話し合い”の結果宗太が得た“難行避け”の品であった。

 聞く所によれば“赤目憑き”の、それも女性の髪は災難避けとして価値と効果があるそうで、何処にでもあるようなお守り袋の中にはあの宗像瑞紀の髪が封入されているのだとか。


『むふ、宗太。お前は本当に愛いのぅ。あの方の面影がこうも濃いと、特別扱いしたくもなるわ』

「何が特別扱いだよ。この前の“アレ”、使う度に一年は寿命が縮まる代物らしいじゃねぇか」

『何を言うか。良いか宗太。“アレ”は本来なら、“難行”を終え妾の正式な所有者でなくば使えぬ神威の形じゃぞ』

「神威? 呪いの間違いだろ。“アレ”の後は体中がボロボロで“みずきたん”にやられた所より重傷だったわ、手の甲は折れてるわで散々だったし。それに俺、“あの方”なんて知らねぇよ」

『うつけめ。なんじゃ、その態度は。人が折角“赤目憑き”の一撃を妾の助力無しで受けて見せた故、密かに見直しておったというに』

「知るかボケ。こっちは寝不足でイライラしてるっての」

『ほう? 寝不足とな? いかんな宗太。あまり我慢せず、ちゃっちゃとヌクモノはヌいておかねば、のぅ?』

「のぅ? じゃねぇよ。拳を上下に振るなバカ。……昨日夜中に隣の奴が五月蠅かったろ?」

『おお、おお。そういえば。ほほ、寝苦しく眉を潜める宗太も中々愛い表情じゃった』

「……からかってる?」

『うむ』

「いってくる」


 呆れてものがいえない心地となったか、立花宗太は疲れたようにそう言い残し腰を上げた。

 サツキヒメはそんな不機嫌な宗太の背を見送りながら、いつものようにのそりとコタツに下半身を埋めるべく、踵を返す。

 ――丁度、その時。

 宗太の隣の部屋の玄関ドアた開いて、中から意外な人物が現れたのだった。


「……チ」

「……何故お前がここにいる?」


 鉢合わせたのは勿論、宗太である。

 昨夜遅く何やら物音を立て宗太の安眠を妨害した部屋から出て来た者は、何と宗像瑞紀その人であった。

 彼女は和装ではなく年相応にどこかの高校のブレザーに身を包み、先日まで長かった髪は肩口の所でバッサリと切り揃えられている。

 瑞紀は宗太の顔を見るや一瞬だけバツの悪そうな表情をうかべたものの、すぐに美しい顔を歪め敵意もありありと舌打ちをしたのだった。


「クソ。朝からついてないったら……」

「……俺の台詞だと思うが、とりあえず何でだ? 偶然、じゃないよな?」

「ええ。偶然じゃないですよ。そうでもなきゃ、自分の不運を呪って今すぐ割腹自殺してるでしょうし」

「なんだよ、お前。俺にケンカ売ってるのか?」

「まさか。立花“様”にそのような……。私は只、お渡しした“お守り”の効果が切れぬよう、お側に居てサポートの必要があるからと、お父様に無理矢理ここに引っ越しをさせられただけですわ」

「なぬ?!」

「あら、聞いていませんか? その“お守り”、中に入れた霊髪の持ち主と長時間離れていると、効果が消えるんですが」

「聞いて無い!」

「……クソ、黙ってればよかったか。そうすりゃ、その内特大の怪異で死んでただろうし」

「……おい、なんか言ったかコラ」

「なにも」


 二度目の舌打ちと共に聞こえた恐ろしげな愚痴とは対照的に、宗太のツッコミに外向きであろう輝くような美少女スマイルで応じる宗像瑞紀である。

 無論、宗太に対してのわだかまりが解け友好的に接しての表情では無い。

 丁寧な言葉の端々と態度から伺い知れるのは、若干の敵意と自身の立場から来るであろう責任感。

 それでいて、どうやら彼女は見かけによらず中々腹黒い部分(隠す気は無いらしい)も持ち合わせているようだ。


「まぁ、そういうわけで、一時的にこちらに居を移した次第です。“難行”について何かありましたら私に相談して下さい」

「相談って……」

「ご心配なく。何も無い事に“しておけば”、お互い不干渉でいられますから」

「それってつまり、お前に“関わるな”って意味だよな?」

「まぁ、立花様は本当に聡明で助かります。それでこそ、私も敗北した意義も見出せるというものでしょう。――それでは私は学校がありますのでこれで」


 言い残し、宗像瑞紀は風を切るような仕草で玄関ドアの鍵を閉め、そのまま立ち去ってしまった。

 相も変わらず凛とした仕草で、彼女を遠巻きに見るだけの関係であれば宗太も間違いなく見惚れていた事だろう。

 しかし後に残された宗太は現実を受け入れるのにしばしの努力を要し、とりあえずはまあ、互いに不干渉でいようという事らしいし? と納得して足を大学へと向けるのだが。

 ふとある考えに至って、思わず背後を振り返るのだった。


『……だから言うたじゃろ? 『この状況は“女難”、といった所か』とな。うふ、しかし“お守り”の効果は覿面のようだの』


 振り返る宗太に玄関ドアの隙間から顔だけを出した怨霊刀の憑きものは、ドヤぁとばかりに得意満面の表情と言葉を残し、ゆっくりと室内へ戻っていった。

 一人残された立花宗太は無言で立ち尽くし、いまだじんじんと痛む右手の甲だけが現実を主張しているように感じられる。

 やがて歩を進め始めた宗太は、どの様に心を整理したのであろうか。


 再び玄関のドアを僅かに開け密かに見送るサツキヒメの悪戯っぽい表情は、この時の宗太の心を読み取ってのモノだったのかも知れない。








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