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赤目憑き 上




 宗太が生まれ育った立花家の成り立ちは、意外と古い。


 立花家は分家で本家はまた別にあるのだが、しかしすっかり付き合いの薄くなってしまった本家とは違い、家伝の刀を除けば伝承などは全て失せてしまっていた。

 従って宗太が何も知らなかった事は、仕方無いといえよう。

 また宗太自身、いざ怪異に巻き込まれたとして前述の通りであるからして、その全貌を知るには難儀してしまうのも当然である。

 ではどうすればよいのか?

 立花宗太がまず相談したのは父・宗典むねのりであった。

 だがその父もまた家伝の刀については、既に亡い宗太の祖父にあたる宗寛そうかんより殆ど何も聞かされておらず、また宗太が置かれた状況を理解をするのに(あるいは信じるまで)、手間取る有様だった。

 結局宗典は宗太が知る事以上には知識を持ち合わせていなかった為、程なく相談相手が父から親戚の者へと変わった宗太である。

 ――ちなみに、サツキヒメ本人によると“難行”の詳しい内容については、それを知る事自体が“難行”の一環であるが為、詳しい事は語る事ができないのだとか。


 上記のような事情により、次なる宗太の相談相手は立花家の本家筋となる臼木家の現当主・臼木陣八という老人となった。

 臼木家は宗太の実家がある某市は外れにあって、おなじく某市の片隅にある天之麻神社という小さな神社の氏子を古来より担ってきた家だ。

 臼木陣八は齢九十を超えてはいたが矍鑠とした老人で、臼木家の本宅では無く、本宅の裏山にある庵で生活をしている偏屈な人物だった。

 幸運な事に彼は臼木家をはじめ、立花家の失われた伝承にも通じており、宗太が置かれた非現実的な立場にはすぐ理解を示したのだが――

 流石にサツキヒメが口にした“難行”については詳細を知りえておらず、替わりに“難行”について知っていそうな“家”を紹介する運びとなったのである。


「立花、宗太です。よろしく……お願いします」


 とある休日、某市から離れた某町の朝。

 立花宗太は臼木陣八の紹介により、朝から某町のとある屋敷に足を運んでいた。

 屋敷は武家造りの古い家屋で、敷地も広く驚いた事に屋内には武道修練用の道場もあるのだとか。

 宗太は丁重に持てなされつつそんな広大な屋敷の中、質素だが広い和室に案内されていたのだった。

 部屋は客間であるようで、重厚な座卓を挟み宗太が案内されたのは上座の方、下座にて対するのは二人の人物である。

 一人は和装で髭を蓄えた壮年の男性で、宗像敏夫むなかた・としおと名乗った。

 彼は自己紹介に聞いた事の無い剣術流派を口にし、武芸を嗜んでいる旨を口にして緩く微笑んだ。

 言われてみればなるほど、体つきはがっしりとして座る姿勢は背に鉄骨でも入っているかのように、上体が真っ直ぐ伸びている。

 また微笑みはすれど目つきは鋭く、万一にでも怒らせればどの様な目にあうのか想像するだに恐ろしい印象を宗太に抱かせたが、同時に柔らかな物腰は宗太の緊張をほぐす役割を果たしていた。

 そしてもう一人。


「娘の宗像瑞紀むなかた・みずきと申します。父共々、よろしくお願い致します」


 年は宗太より二つか三つほど下であろうか、父と同じく艶やかな振袖の着物を着た少女はそう名乗って、しかし宗太を睨みつけた。

 こちらも父親と同じく剣術を嗜んでいるのか、やはり姿勢良く座り美しい顔立ちは凛と引き締まって佇まいに緩みは無い。

 加えて眼光は父親以上に鋭かったが、こちらは彼女の意図が汲まれてのものであろう。

 宗太には彼女を怒らせたりした覚えは無い為、あからさまな不機嫌な視線は他の所に理由があるものと思われる。

 まるで見合いの席のような光景にも見えない事は無い状況だが、彼女の明らかな不機嫌――否、宗太への敵意さえ感じる視線のお陰でそのような印象は抱かない宗太である。

 それよりも――


「あの……今日は、その……ウチの“難行”について相談にのって頂ける、と聞きまして……」


 緊張のあまりか、やや支離滅裂に宗太は世間話から入るでも無く、いきなり本題を切り出した。

 一方宗像敏夫はというと、先に臼木陣八より内容を聞いていたのか宗太の足りぬ説明にゆっくりと頷いて、肯定を示した。


「その前に……宗太君は立花家と宗像家の関係を知っておいでかな?」

「え? ……い、いえ。失礼ですが、なにか関係があるのでしょうか?」


 そう言った瞬間、宗像敏夫の隣に座る娘がうぐっと喉を鳴らし、僅かに前のめりになる。

 ちらりと視線を移すと、鋭かった眼光が更に鋭くなって宗太を睨みつけて来ていた。

 返答の何処が気に障ったのか宗太には皆目見当がつかないが、何かまずい事を言ってしまったのは確かなようである。

 しかし宗像敏夫はというと怒るでもなく、先程と同じようにほんの少し頬を緩めて、何も知らない宗太に説明を始めるのだった。


「そうでしたか。いえ、これで合点がいきました」

「合点?」

「ええ。何故最初、立花家の方ではなく臼木家の陣八さんから相談をうけたのかを、です」

「えっと……」

「っと、これは失礼。説明しましょう。立花家と宗像家の関係を、ね。“難行”についても深く関わる事なので、しばし辛抱いただきたい」

「わかりました」


 肩を縮こませ、頷く宗太。

 立花家とこれ程大きな屋敷を構える宗像家の関係とはどのようなものか。

 宗像敏夫の説明は、以下のようなものであった。


 ――憑きもの筋、という言葉がある。

 家またはある一族に動物霊や妖怪、怪異の類が代々“憑く”家系の事を指す言葉だ。

 彼らは“憑きもの”を使役し、他人から財物を盗んでこさせたり、他人に“憑きもの”をけしかけ呪うこともあると考えられ、古来人々から忌み嫌われてきた。

 故に憑きもの筋の家系は決して一般の家と婚姻は叶わず、基本的には同じ憑きもの筋の家と婚姻を重ねる他は無い。

 宗像家もそのような一族で、しかしかつてはある重大な問題を抱えていたのだとか。


「ウチはすこし特殊な憑きもの筋でしてな。夜魔の血が混じるとされる“赤目”の憑きもの筋なのです」

「“赤目”、ですか」

「ええ。狐やイタチといった動物が憑くとかではなく、血の中に夜魔の力が“憑”いているのです」

「……ごめんなさい、ヤマってなんでしょうか?」

「夜魔とは夜の魔、と書きます。ざっくばらんに申しますと、夜に活動する魔物と申しましょうが、まあ、吸血鬼か何かだと受け取っておけばよろしいでしょう」

「吸血鬼、ですか」


 呟いて、供された茶をすすり一息つく宗太。

 現代日本でこのような事を大真面目に聞かされる事などまず無いと考えて良いだろうが、宗太自身既に怪異に出逢っている為、今更疑いはしない。

 しかしいざ“吸血鬼”などという言葉を目の当たりにしてみると、やはり面食らってしまうのも事実である。

 ――吸血鬼の血が混じる、か。じゃ、この子も誰かの血を吸ったり、太陽が苦手だったりするんだろうか。

 などと考えつつ再度視線を娘の方に移した宗太であるが、考えが見て取れたのか、鋭い眼光からは怒りを通り越し殺気すら感じて、慌てて視線を下に落として誤魔化すのだった。


「話を続けても?」

「あ、はい。お願いします」


 そんな宗太の様子をどう見て取ったのか。

 宗像敏夫は柔らかく確認し、うっすらと苦笑いを浮かべながら場を取り持つように言葉を続けたのだった。

 曰く、当時宗像家が抱えていた問題とは、他家との婚姻についてである。

 というのも、“赤目”の血の力が強すぎたが為、他家と婚姻を結んだ場合必ず“赤目”が顕現して他家の憑きものを喰ってしまうのだ。

 これは嫁に行かせた場合や嫁を迎えた場合も同様で、故に“赤目”と婚姻を結んでくれる家が無くなってしまう結果となる。

 必然、“赤目”の家は近親婚を重ねて存続を図って行くのだが、ある日とうとうそれも限界にきてしまった。


「そんな状況を助けて頂いたのが、立花家の方であったと伝えられております」

「ウチが?」

「ええ。どの様な縁で立花家と知り合ったのかは定かではありませんが、立花家伝来の刀“傾国”の力により“赤目”の力を大幅に削いでいただいて、以後他家との婚姻が可能になったのだと伝えられておりましてな」

「その“傾国”って、今回相談にのっていただくあの刀の事ですか?」

「そうなりますな。ところで、ご存じでしょうか? 代々、立花家の跡継ぎは宗太君のように“宗”の字が宛がわれる事を」

「ええ、以前父から聞いた事があります」

「立花家に助けられた宗像家は以後立花家に仕えましてな。……まあ、憑きもの筋故に影仕えであったのですが、立花家所有の意味も込め“宗”の字をいただき、以後“赤目”の一族は“宗像”の姓を名乗る事となったというわけです」


 もっとも、何代か前から立花家とは付き合いが断絶してしまったようですが、と付け加えて説明し終えると、宗像敏夫は一口茶を啜った。

 ず、という音が静かな室内に響いて消える。


「成る程、そうだったんですか。驚きました」

「こちらとしても驚きました。臼木家の陣八さんから立花の名を聞かされた時は、年甲斐もなく血が騒いだ程で」

「え? それは……あの?」

「ああ、申し訳ない。そこも説明せねばなりますまいな。いえ、この家は見ての通り未だ武門を開いておりますが、それはかつて立花家に受けたご恩に報いる為でして」

「はぁ……」

「恥ずかしながら、その意思は今日でも息づいて宗像家に伝わっているのです。しかし我が家は“憑きもの筋”でしょう?」

「ええ、先程説明を聞いて理解しました」

「宗像家は立花家に仕えておりましたが、“憑きもの筋”という事でその筋では何かと重用していただきましてな。家もこの通り大きくなるにつれ、立花家以外にも本家筋である臼木家やその主君筋である天之麻家とも、付き合いはあったんですよ」

「そうだったんですか」

「ですから、天之麻家は勿論、御本家である臼木家には伝承は残っていたので宗太君をこちらに紹介できたのでしょう。――いや、話が逸れましたか」

「い、いえ」

「そういう訳ですから、宗像家の者は再び立花家のお力になれる日を待ちながら、己を鍛える風習が残っております。血が騒いだ、と表現したのはそういう事なのです」

「そ、そうなんです、か」


 宗像敏夫の説明に、宗太の反応は今ひとつである。

 決して話について行けないからでは無い。

 話が進むにつれ、先程から父親の隣りに鎮座する娘の殺気が増大して行くのが気になっていたからだ。

 恐る恐る今一度、チラリと視線を向ければ、娘は既に敵意を隠そうともせず人並み外れた美貌を歪め、背後には黒い気炎すら漂うのが見て取れる。

 父親の話が本当ならば、宗太が助けを求めて来たのは宗像家の者にとって本懐であるはずなのだが――


「さて、本題に入りましょうか」

「えぅ、あ、はい。お願いしま――」

「その必要はありません、お父様!」


 いきなりの事である。

 バン、と座卓を叩く音と共に、宗像瑞紀は立ち上がった。

 その表情から滲み出るのは憎悪。

 鋭く尖るような視線は、宗太の眉間を射貫いている。


「こんな――こんなモノの為に私はずっと剣を振らされてきたのですか?! 立花様のお役に立てるようにと、厳しい修練を課せられてきたのですか?!」

「これ、瑞紀」

「納得がいきません! こんな、こんな何も知らない者なんかの為に、私は十五年も――」


 そこで言葉を失い、少女は拳を強く握り肩をわなつかせた。

 見下ろすようにして睨むその目は涙さえ浮かべ、“赤目”と関係があるのかは定かで無いが充血した目は赤く見える。


「あなた! あなたねぇ! 宗像も、“難行”のことも知らないでこれまでのうのうと暮らしてきておいて、自分から怪異を呼び寄せておいて、何今頃ノコノコと現れているのですか!」

「瑞紀」

「私は――私は、十五年! 二才の頃から十五年、ずっと木刀を振らされてきたんですよ?! 友達と遊ぶ事もできやしない、恋をする事だってできない、朝から晩までずっと十五年、剣を振らされるか立花家の“難行”について聞かされるかの生活やってきたんです!」

「瑞紀、座りなさい」

「わかりますか?! あなたに、私の気持ちがわかりますか?! その生活を受け入れ、いつか現れるかも知れない“立派な立花の跡継ぎ”を支えにしてた、私の気持ちが!」

「瑞紀!」


 父親の強い口調での窘めに、宗像瑞紀はやっと迸る憎悪の言葉を押しとどめたのだった。

 しかし暗に座るように指示する父親の意向など無視したまま、ギロリと赤い目で宗太を睨み降ろして、握った拳をさらに握り続ける。

 ――たまらないのは宗太である。

 宗太にしてみれば、これまでの話はすべて青天の霹靂だ。

 不用意に“傾国”を抜いた過失はあろうが、知りようも無かった所でだれかの人生を縛っていたなどと、想像すら無理な話であろう。

 まして、いきなりこのようになじられては居場所を失うのは当然の話と言える。

 宗太の気性が荒ければ知った事かと反論もできただろうが、生憎彼はどちらかと言えば引っ込み思案な部類である。

 まして初対面の、年頃の美しい娘を相手に感情をぶつけ合うなどありえない話だ。

 だからか、宗太は瑞紀の云われ無き物言いに肩を縮こませ、ただただ下を向いて耐え続けていた。

 だがそんな宗太の姿は、瑞紀をたまらなく苛立たせ怒りを増幅させるのである。


「いいでしょう、私が“難行”の事を教えてあげます。あなたが抜いた刀、アレは――、召魔の“怨霊刀”。力の強い怨霊を刀の虜にして、魔を呼び寄せ“喰らわせる”刀よ」

「瑞紀、やめなさい」

「“難行”はその刀が呼び寄せる魔を斬り伏せ、“怨霊刀”に己が主だと認めさせる行。宗像家はその行に臨む立花を助けるのが役目。なにせ、その“怨霊刀”に憑いているのは大怨霊タ――」

「瑞紀!!」


 怒号が狭い室内を揺らす。

 それまでの柔和な物腰とは打って変わり、宗像敏夫は圧倒的な気迫と怒気を込め、娘の名を叫びこれを制した。


「その名を口にする事だけは許さん」

「――、とにかく、あなたは“赤目”とは訳が違うとんでもないモノに憑かれてしまったのです。宗像の助けが必要となるほどの魔を呼び寄せ、餌とする化け物に、ね」


 宗像瑞紀は吐き捨てるようにそう言って、やっと腰を下ろした。

 余程興奮していたのか、肩を僅かに上下させながらも未だ憎悪の篭もった目で宗太を睨みつけていた。

 そんな娘を横目に父親は深く息を吐いて、もう一口茶をすすり佇まいを只してから口を開く。


「娘が失礼しました」

「いえ……」

「“難行”については娘が言った通りの内容となります。始まれば最後、様々な怪異が宗太君を襲うでしょう。それも、命に関わるようなものばかりが」

「そう、なんですか……。俺、これからどうすれば……」

「心配する必要はありませんよ。宗像家には“難行”で起こる怪異を弱める技が伝えられていますので」

「本当ですか!?」

「ええ。立花家としても跡取りを“難行”で失う事は好ましくなかったようで、その為に“宗”の字を“赤目”一族に与えてまで手元に置いていただいたと自負しておりますし」

「私はイヤです」

「瑞紀!」

「さっきも言った通り、こんな“立花様”じゃ協力したくありません。私の十五年が、“こんなの”の為に費やされてきたなんて、思いたくないもの」

「ワガママを言うんじゃ無い」


 ――何の話だろうか?

 宗太は一抹の不安を残しながらも、目の前の父娘のやり取りを注意深く観察した。

 この後に及んで宗太は、協力を拒む宗像瑞紀の姿から一瞬だけ、官能伝奇小説のように“難行”で起こる怪異を弱める技が娘による性行為である可能性も考えもしたが、それだと幼い頃より剣術を叩き込まれる理由が見当たらない。

 もしかしたらサツキヒメならば詳細を知っていそうであるが、“難行”に関わる事であるため教えてくれるとは限らないだろう。

 何より今は“傾国”を自宅に置いて来ているので姿は見えない宗太である。


「お父様がどう言おうと、嫌なものは嫌」

「人の命が掛かっているのだぞ? 瑞紀」

「自業自得ではないですか。それに今の今まで宗像をほったらかしにして忘れといて、都合の良い時だけ頼るなんて話、ありえないでしょう」

「……それを母さんの前でも言えるのか?」

「――母さんは関係無い! 宗像の家督は既に私が継いだのですよ?!」

「だからだ。宗像の当主は、命の危急をかかえ助けを求めて来た者の手を払うのかと問われているのだよ、瑞紀」


 諭すような父親の台詞に、瑞紀は口の端を結ぶ。

 驚いた事に現在の宗像家の当主は、父親ではなく娘の宗像瑞紀の方であるらしい。

 瑞紀は父の言葉にしばし俯いて苦悩し、それから徐に顔をあげ戸惑いっぱなしの宗太の顔を真っ直ぐ見た。

 ――憎悪の視線はそのままに。


「……わかりました。協力致しましょう」

「じゃ、じゃあ!」

「ただし!」


 思わず上げた宗太の安堵の言葉を遮り、瑞紀はバン、と座卓を軽く叩く。

 先程のそれとは比べものにならぬ程音は小さかったが、宗太には痛いほど感情が読み取れた。


「ただし、我が家の武道場で一度、私と剣を交えてください」

「へ?」

「瑞紀?!」

「古来、宗像家は立花家と良く剣の稽古を行っていたと伝え聞いております」

「で、でも俺、剣道なんて――」

「“剣・術”、です!」

「け、剣術なんて、俺……」

「問題はありません。これは儀式です。今日まで立花家に忘れ去られていた宗像家が、再び立花家と交流を持つための……。その位、わがままは認めてくださいませんか?」

「えっと、俺」

「み・と・め・て、くださいますね?」


 ずい、と体を乗り出して、この日初めて笑顔を作る宗像瑞紀。

 その愛らしい顔貌に思わずドキリとしてしまう宗太だが、すぐに笑顔の裏で渦巻く憎悪と怒りに気が付いて、思わず彼女の隣りに座る父親に助けてくれと視線を合わせた。

 しかし宗像敏夫はただため息をつきながら、僅かに首を振って助け船を出すのは無理であると示す。

 ――どうやら宗太が思っているよりも宗像家では瑞紀の力は大きく、これ以上の譲歩は求められないらしい。

 従って、宗太には首を縦に振る以外道は残されておらず、宗像瑞紀の申し出を受け入れることにしたのだった。


 ――剣の稽古、かあ。

 きつそうだけど今日一日我慢すりゃ、いいか。

 ……この子の言い分はまあ、わからなくは無いし。

 十五年って言ってたっけ? 立花家の為にって、そんだけ辛い稽古をさせられてきたのにコッチがこんなんじゃあ、な。

 理不尽だとは思うけど、怒って当然なのかもしれない。

 よし!

 ここは一つ、頑張って“稽古”に付き合って――


「よかった。では早速支度をしましょう。勝負は木刀による十本先取による決着でよろしいですね?」

「な?! け、稽古じゃないの?!」

「稽古ですよ? 試合形式の。基礎鍛錬など、一人でもできるではないですか」

「でも、俺、竹刀なんて持った事も――」

「いやですわ、立花様。当道場では剣道ではなく剣術をおこないますのよ? 模擬刀ないし木刀で打ち合うに決まって居るではないですか」


 わざとらしく丁寧に言って、瑞紀はほほと上品に笑った。

 台詞さえ気にしなければ、悪魔のような笑いは華のように見えた事だろう。


「……何分、経験がないもんで……お手柔らかに」

「あら。立花様相手に手加減なんて……失礼にも程が。なにせ、長い宗像の歴史の中、立花様と手合わせをしたご先祖様は皆悉く敗北したと記録にあります故」


 マジかよ! とばかりにさっと彼女の隣りに座る父親に視線をなげると、何故か誇らしげに頷いかれてしまう宗太。

 いや、そうではなく、そこはかとなく身の危険を感じているのですが、ともう一度視線を送ったが、これは伝わらなかったようだ。


「確かに……立花家の方は代々剣に関しては天賦の才があったと聞き及ぶな」


 などと口走って、なぜか娘に援護射撃を開始し始める始末である。

 立花宗太はいよいよ逃げ場を失い、程なく両者合意の元剣術試合を行う運びとなってしまった。

 ――せめて、怪我だけはすまい。

 宗太は案内された更衣室の中、用意された剣道着に教えられた通り袖を通しながらそう誓って、不安と恐怖に首を振る。

 相手は年下の女の子とはいえ、これから太く固い木の棒により体を打たれるのだ。

 剣術試合など未経験の宗太が、怖じ気つかないわけはなかった。

 ――ああ、なんで俺、あの時刀なんぞ抜いちゃったんだろう。

 後悔は時を経る程に大きくなって行く。

 そんな時。


『宗太ぁ、やっと追いついた』


 聞き覚えのある女の声が、いきなり背後からかけられる。

 慌ててふりかえると何時の間に入り込んだのか、サツキヒメが艶やかな和服を纏いそこに立っていた。


「お前?! なんでここに!」

『なんでって、妾は宗太に憑いておるしの。まったく、“傾国”を持ち歩かなんだもんで、ついて来るのに時間は掛かるわ力は使うわで散々ではないか』


 片方の頬を膨らませながら、拗ねたように言うサツキヒメ。

 子供っぽい仕草であるが、妖艶な容姿が邪魔してかどこか様にならない。

 しかしお気楽なその態度は宗太の現実を如実に浮き彫りにして、宗太に影を纏わせるには十分な切っ掛けとなり得てしまった。


「……俺はこれから散々な目に遭うんだけどな」

『む? どういう事じゃ、宗太?』


 まるで匂い立つような色香を振りまきながらも、サツキヒメは今度は子供のように首を傾げ、何があったのか宗太に尋ねた。

 宗太はそんな、他人事のようなサツキヒメに苛立ちを覚えつつ、これまでの経緯を簡単に説明してやるのだが。

 するとサツキヒメはカラカラと笑い、意外な事を口にするのだった。


『ほほ、早速“難行”が始まっておるようだの』

「なぬ?! そうなのか、これ?!」

『うむ。この状況は“女難”、といった所か』

「マジかよぉ……」

『うむ、うむ。マジじゃ。しかし、まさかあの宗像の者が最初の“難行”となるとはのぅ。うふ、なんたる皮肉よ』

「お前、この家の事知ってたのか?」

『そうじゃが?』

「教えろよ! 俺、すっげぇ怒られたんだからな!」

『それじゃあ“難行”にならんじゃろが』

「くそ、なんで俺がこれからボコられなきゃならねぇんだよ!」

『ボコって……これから試合じゃろ? 打たれず勝てばよいではないか』

「できるか! 相手は十五年も稽古してんだぞ! 俺はこれから初めて木刀を握るとこ!」


 半ば八つ当たり気味にうが、とサツキヒメに歯を剥いた宗太であるが、これからの運命が脳裏によぎった瞬間、肩を落としてしまう。

 そんな宗太の背をどの様な目で見ていたか、サツキヒメは徐に宗太の背後から腕を回し、いきなり抱きついた。

 霊であるからか重さは感じなかったが、鼻をくすぐる華やかな甘い花のような香りは宗太を惑わし、大いに混乱させる。


「お、おい! 何、からかって――」

『心配するな。特別に良い事を教えてしんぜよう』

「な、なにが!」

『多用は禁物であるが、イザと言う時は妾の名を呼べ』


 ドギマギとしてしまうのは、宗太に女性経験がないが為。

 そうでなくとも、人で無いとしてサツキヒメ程の美貌の持ち主に抱きつかれ、平静で居られる男はどれ程存在するのか。


『よいな? 今回は特別じゃ。一度しか言わぬから、心して聞け。あと、多用・他言はもちろんダメじゃからな』

「お前の名って」

『サツキヒメ、ではない名をだ。そうだな、あの方が呼んでいた名が良い』

「あの方? サツキヒメでない名って……ワケわかんねぇよ」

『宗太の遠い遠いご先祖に呼んで頂いた名だ。妾の本当の名ではないが、それなりに役に立つ。良いか、その名は――』


 サツキヒメの言葉は、耳の中吐息に混じって宗太の記憶に刻み込まれて行く。

 官能的な声は正に人外が成せるものであったが、それよりも――


 宗太はなぜかサツキヒメの声色に寂しさを感じ取って、わけもわからず心をざわつかせてしまうのである。





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