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天狗憑き 四




 果たして、大上蔵人の“神降ろし”が執り行われる当日。


 場所は宗像瑞紀の家がある某町から少し離れた、山中にて。

 その山は大上家が監理する山であるらしく、“神降ろし”を行う時を除き人は立ち入らない場所であった。

 故にか、山道の整備などは行われてはおらず、申し訳程度の獣道を立花宗太は早朝から登る羽目に陥っていたのである。


「はぁ、はぁ、はぁ、ぐ、はぁ」


 ソメイヨシノはまだまだであるが、既に山桜が開花を始める時節は春の先とはいえまだまだ寒い。

 だからか、サツキヒメの姿は周囲に無く宗太と瑞紀の二人きり。

 ――そう、“二人きり”であった。

 この場に、大上蔵人の姿は無い。

 立花宗太は荒げた息を白く吐きながら、太刀袋から出した“傾国”を片手に道無き山道を足取りも重く進んで行く。

 “神降ろし”がてっきり宗像邸で行われると宗太は考えていただけに、この運動は想定外であった。

 まだ日も昇りきらぬどころか深夜とも表現できよう午前三時、瑞紀に叩き起こされたまではいい。

 いつもの事である。

 しかし――


「はぁ、ふぅ、う、ぐ……、き、きいてねぇ! 俺、こんなの、きいてねぇ、ぞ!」

「伝えてませんから、そうでしょうね」

「なんで、言わないんだよ!」

「何度もお答えしておりますが、立花様がお聞きにならなかったので」

「俺、も、何度も、言ってるだろ! そんな、所まで、はぁ、ふぅ、気が回るかよ!」

「申し訳ございません、私も気が回っておりませんでした」

「わざとだろ!」

「そんな、恐れ多い。わざと立花様に“神降ろし”の場所を伝えなかっただなんて、あり得ません」

「嘘だ!」

「ええ、嘘です」

「ぐ、ぎぎ――おっとぉ!」

「そこ、滑りやすくて危ないですよ」


 恨めしげに瑞紀を睨もうとした宗太が足を取られ多々良の踏み、その先を赤いジャージ姿に小ぶりのリュックサックを身に付けた宗像瑞紀が軽やかに進んで行く。

 ジャージの上下は学校指定のものであろう、僅かに膨らんだ胸に校章のような模様が刺繍されている。

 肩から袖口にかけて、また腰から外側の両くるぶしにかけてそれぞれ白い線が二つ走っており、お世辞にもファッション性が高い衣服であるとは言えない。

 が、瑞紀が着用するとそれも違和感無く中々様になって見えるあたり、美少女というものは得をするものであると改めて認識させられた。

 傍目に見て違和感を覚えるとすれば、彼女もまた宗太と同じように日本刀らしきものを片手に持って、しかしそれ以外は山登りにしては驚く程の軽装であるが、その足取りは重力に逆らうかのように思える程軽い事か。

 事実、宗太がゆっくりと進むだけで息を切らせてしまう山道も、彼女にかかれば公園の遊歩道とそれ程変わりないようだ。


「はぁ、はぁ、はぁ、くそ、あのデブ、なんで、ここにいねぇんだよ」

「蔵人様のことでしょうか? ……これは意外ですね、立花様は一緒に行動したかったのですか」

「んなわけあるか! 大体、これ、この山登りって、アイツの行事だろうが!」

「行事、というか大上家の儀式イニシエーションですね。仕方無いじゃないですか、本人は面倒くさいから来たくないって聞かないんですし」


 言って、瑞紀は肩をすくめた。

 大上蔵人と邂逅した日、つまり瑞紀との婚約を解消した日から宗太は彼の姿を見てはいない。

 瑞紀への未練はたっぷりとあるようであったが、宗像家に居座り翻意を促すでもなく、退屈だからと都市部のホテルに居を移したままである。

 婚約は解消したとはいえ、大上蔵人の“神降ろし”は執り行うと約束していた瑞紀であるが、その詳細までは宗太は知らない。

 “天狗”の神通力の一部を得る為の儀式、とは聞かされていても、まさか本人不在のまま山登りをする羽目に陥るなど誰が想像出来ようか。


「はぁはぁ、く、そ、なぁ、みずきたん、休憩、しないか?」

「気持ち悪い。二人きりだと思って何を言い出すんですか。こんな山奥で女子高生と二人きり、立花様ならば勘違いしてしまうのも仕方ありませんが、息を荒げるほど盛るなら私以外にしてください。気持ち悪い」

「ちげぇよ! そっちの休憩じゃねぇ! つか、気持ち悪いって言うの、やめろって!」

「冗談です。あと気持ち悪いって口にするのは、性的ニュアンスのある軽口には慣れていないのでちょっとした照れ隠しです」

「嘘だ!」

「ええ、嘘ですね」

「ぐ、ぬぬ」

「気が紛れましたか? キリキリ歩いて下さい」

「お、ぼえてろ、よ」

「目的地まではもう少しですから、着いたら少し休みましょう。それに……」


 瑞紀はそこで言葉を切って立ち止まり、辺りを見渡す。

 そこにたっぷりと時間を掛け、宗太が側に追いついたのは一分近く経ってからだ。


「はぁ、ふぅ、……それに?」

「それに、今年は暖かくなるのが早いようですし。マムシが冬眠から覚めるのはもう少し先ですが、こんな下草だらけの場所で休憩するのはちょっと不用心だと思いませんか?」

「……先を急ごう」

「はい」


 それきり、何の実りも無い会話は途切れる。

 宗太の疲労もいよいよ会話所でないほど蓄積されていたのもあった。

 とはいえそれも長続きせず、やがて先程の瑞紀の言のとおり、二人は目的地にたどり着いた。


 やっとの思いでたどり着いたのは山の中腹程、突如開けた山道の先に数十メートル四方程の平地があって、その中心に古びたお堂のようなものが建っている。

 思わず、その場にへたり込む宗太。

 整わぬ息もそのままに、急に見通しが良くなった辺りを伺えば、整地はされていないまでもお堂を中心として木々が伐採され、背の高い下草も刈られているといった手入れはされているようだ。

 足下は土や岩肌がむき出しになっており、デコボコとしてはいるものの概ね平坦である。


「ここです。少しここで休みましょう」


 そう宣言し、お堂から離れた登り口に近い場所にあった、手頃な岩に腰を下ろす宗像瑞紀。

 岩は大きくその殆どが地中に埋まっていることが伺え、人が数人座れそうな程が地表に出ているようで、宗太もつられるようににして瑞紀から少し離れた位置に腰を下ろした。


「や、やっとついた……」


 俯き、はぁはぁと地に向かって息を荒げてはいたが、その声は先程までと違い明るい。

 その様子を瑞紀は無表情のままじっと見つめて、徐に背にしていたリュックを降ろし、中からペットボトルを取り出した。

 ごく一般的な銘柄のミネラルウォーターで、キャップを捻るとパキリと小気味よい音が鳴って、宗太の注意を引くや瑞紀はコクコクと飲み始めた。

 彼女の白く細い喉が露わとなり、中々にに艶めかしい。

 ゴクリ、と思わず生唾を飲み込む宗太。

 瑞紀の姿に男としてつい見とれてしまった、のではない。

 彼の荷物は手にしている怨霊刀、“傾国”唯一振り。

 無論、水筒やジュース類など持ってはいない。

 早朝に叩き起こされてより山登りを始める寸前まで、何を行うかは知っていても何処に赴くか等知りようがなかったのだから当然であろう。

 近くに自動販売機でもあれば良かったのだが、そもそも財布を持ってくる余裕など寝起きの宗太には無かったし、途中でコンビニ等に寄るような事もなかったし、勿論私有地である山中に自動販売機などは無いのでどうしようも無いのであるが。

 勿論このあたりの説明やアドバイスは、宗太には与えられていない。


「……なぁ」


 コクコク、と水を飲み干す音が続く。


「なぁ、ってば」


 コクコク。

 ペットボトルの角度は上がって行く。


「あの、瑞紀さん?」


 コクコクコク。

 そんな事よりも見て、私の喉。綺麗でしょう? とでも言いたげに長い美少女の喉が反ってゆく。


「お願いします! その水、僕にも分けて下さい!」


 たまらず宗太は懇願した。

 先ず間違いなく、私が口をつけたペットボトルが欲しかったんですね、気持ち悪いだとか変態だとか、厚かましいだとか浅ましい等となじられるだろうが、今はそれどころでは無い。

 果たして宗太の懇願は瑞紀に通じたのか、瑞紀は水を飲むのを辞めたのだった。

 ペットボトルの中に残った水位は、およそ指が二本分程か。


「……コレ、欲しいんですか?」

「欲しいっ、です」

「本当にこれが欲しいんですか?」

「はい!」


 最早形振りは構ってはいられない。

 意図的に宗太は敬語で丁寧に返事をした。

 瑞紀の意図はわかっている。

 コレにかこつけて、思う存分に自分をなじりたいのだ。

 ――いいだろう。

 好きなだけなじるがいい。

 思う存分罵って、日頃から溜まった鬱憤を晴らしてくれ。

 今、その水が飲めるなら俺はどんな苦行も受け入れてやるさ。


 宗太は内心、そんな風に覚悟を決めてじっと瑞紀を見つめた。

 しかし宗像瑞紀は


「どうぞ」


 とだけ口にして、アッサリと水が入っている――というよりも僅かに水が残ったペットボトルを差し出してきた。

 ほんの少しだけ頬が上気し、眉根が寄っているのは不快だからか、はたまた羞恥の為か。

 随分と彼女の美貌を見慣れていた宗太ですらドキリとさせられる艶めかしさがそこにあったが、激しい渇きの前では些事である。 

 宗太は嬉々と受け取り、躊躇無く飲み口に唇をあててボトルを傾けようとした。


 ――パキリ。


 隣で聞き覚えのある音がする。

 水を飲もうとした体勢のまま、目だけを横に向けると、美少女がリュックから新たなペットボトルの水を取り出して開封している姿がみえた。

 隣に座る美少女は先程と同じような姿勢を取り、コクコクと飲み始める。

 否、ゴキュゴキュと今度は凄まじい勢いで飲み始めていた。

 思わず呆然としてしまった宗太が我に戻るまでの数瞬間、そのまま一気に飲み干してしまう。

 私はやりきった! とばかりにガシュッとボトルを握り潰す音を聞いた所で、宗太は我を取り戻した。


「ぅおおい!」

「――っぷぅ。……失礼、急いで飲んだもので噫気が」

「そこじゃない! ってか、二本持ってるんだったら一本くれよ!」

「え?」

「え? じゃねえよ!」

「……これは気が付かず、申し訳ございません。私、立花様はてっきりその、女の子の飲みかけの水で無いと満足出来ない方だとばかり……」

「……わかった。何が不満だったんだ? みずきたん」

「いえ、“鎌鼬”の時も思ったのですが、立花様は体力がなさ過ぎるな、と」

「それでこんな、体育会系のイジメじみた事をしようとおもったのか?!」

「逆です。こういう“ごほうび”を用意すれば、次からは喜んで山登りに勤しんでいただけるのではないかと考えていた次第です。非常に気持ち悪いですけれど」

「誤解だ! 俺はお前の飲みかけの水が欲しかったわけじゃない!」

「え? だって立花様、少しでも水に私の唾液が混じるよう、無くなるギリギリまで制止しなかったじゃないですか」

「違ぇよバカ! ――もういい、くそ、まんまとワナにかかった気分だ」

「何事も修練ですが、そこに楽しみを求めるのは悪い事ではありませんよ? 」

「……俺がみずきたんの唾液水を狙ってたという妄言を既成事実化するの、やめてくれない?」

「男の方は皆そのようなものでは? 特に立花様のお血筋は……ねぇ?」

「なんだよ、その血筋ってのは」

「ほら、以前……それこそ、“鎌鼬”の時新幹線の中でお話しした、『百鬼夜行』のメンバーで私よりも強いとされる方のお話、覚えておいでに?」


 質問に質問で返されてしまったが、誤魔化しや茶化したりする意図は無いと判断し、宗太は記憶を手繰った。

 たしか、『千年以上も人を祟るモノを祓ったり、神の眷属や神をも殺したと言われるような方もいらっしゃいます』と説明され、瑞紀が『百鬼夜行』のメンバーの中では二番目の実力者である、と話した筈だ。


「……覚えてる。その人、宗像のような調停役はしないって話だったよな、たしか」

「はい。その方、実は立花様のご親戚なんですよ」

「マジか?! え、でも親父に“傾国”の事を相談した時なにも――」

「その筋では有名な話ではありますが、極力危険な怪異との調停作業はしないで済むようにしておいでのようですので、知っておいでにならなかったのでしょう」

「そう、なのか」

「それに立花様がご相談なさった臼木家のご隠居様は、立花家と宗像家の縁を知っておいでだったが故に、その方を紹介せず我が家をご紹介したのだと思います」

「成る程な。――って、それと俺がみずきたんの濃縮唾液水を欲しがる変態だという妄言の、根拠となる血筋とやらに何の関係があんだよ」

「その方、飲んでいたらしいですよ?」

「何を?」

「美女の唾液を」

「……マジで?」

「それも、剣を抜く度に、直飲みで」


 ……それは、単にキスというのではないか。

 いや、確かに羨ましい話ではあるのだが、美少女の唾液が混じった水を嬉々として飲む変態と比べる話では無い。

 勿体付けた瑞紀の説明とあまりにくだらないオチに、宗太は脱力した。

 手の中にある、水が少し入ったペットボトルがやけに重く感じられる。

 ハァ、と深く漏れ出るため息は、疲労からでは無かった。


「……お前、バカだろ」

「失礼ですね。立花様の疲労をすこしでも紛らわせようと、下らない話を長々と勿体ぶって話しただけですよ。それで、いかがです?」

「お陰様で、息はまぁ、整った。この水を飲むには非常に抵抗があるがな」

「ちゃっちゃと飲んで下さい。始めますよ」


 そう言いながら、瑞紀は徐にリュックの中から小ぶりの巾着袋を取りだした。

 袋は手の平に乗る程の大きさで、口を解くと中からソフトボール大の石が見えた。

 石は丸く、所々に何かの染みやコケのようなものがこびりついていて、一見して古めかしく見える。


「これから“神降ろし”を始めます。お互いの役割を確認しましょう」

「――、たのむ」


 突如として凛とした空気を纏った瑞紀に、宗太は思わず身を固くした。

 周囲の空気が張り詰めて行くような感覚には、流石に体へと染みついてきている。

 それは、僅かにだが感じられる神威の気配。

 目の前の石が発するそれは、紛う事なき怪異の気配だ。


「これは如意宝珠という祭器です。本来の“神降ろし”は当事者があのお堂に篭もり、自らの血をこの宝珠に垂らして天狗を喚びます」

「? 初っぱなから無理じゃないか? ここに本人はいねぇぞ?」

「ですので、この宝珠には既に大上蔵人様の血が垂らしてあります。あとはあのお堂の中にある祭壇に置くだけで、天狗を降ろせる筈です」

「降ろしてどうすんだよ。本人に降ろすんじゃ……ああ、その石に降ろすのか」

「はい。正確には、降りてきた天狗に力を示し、この石にその神威を封じ込めるのですけれど」

「そんなんでいいのか? それってさ、力を示したのは俺達になるんだから、あの大上クラウド氏が使えなくなるんじゃ無いのか?」


 宗太の疑問に瑞紀は肩をすくめて首を振った。

 ちなみに、宗太が大上蔵人の名を間違えたのはわざとである。

 僅かな間しか接していなかったが、その容姿、その態度、そして約定通りとはいえこの場に姿を表さなかったその性根に好ましい感情など湧くはずが無い。

 なので、せめてもの意趣返しとばかりに、棘のある言い方になる宗太だった。


「その辺りは大上家の方でやりようがあるらしく、心配は要らないんだそうです。なんでも、“神降ろし”は非常に大変ではあるものの、神威を降ろして如意宝珠に封じてしまえば利用する方法は確立しているようで」

「へぇ。“神降ろし”は非常に大変、ねぇ。そこは非常に危険、って表現になるんだろ」

「大上蔵人様にとっては、ですね。私なら“大変”で済みます。あと、クランド、ですよ。クラウドではありません」

「どっちも同じキラキラネームだろ」

「クランド、という読みはかなり古くからありますよ。クロウド、とも読みますし」

「まじか。なら最近のキラキラネーム問題って、逆に全国のクランドさんクロウドさんは苦労していそうだな」

「いいから、無駄に話を引き延ばそうとせずにさっさとその水を飲んで下さい。説明は以上です。行きますよ」

「お、おい!」


 どうやら宗太の密かな目論見は見抜かれていたらしい。

 瑞紀は宗太の無駄話には付き合うそぶりなどなく、リュックを傍らに置いたまま立ち上がり、スタスタと広場の中央にあるお堂へと歩き始めた。

 その両の手にはそれぞれ、日本刀と如意宝珠が握られている。

 宗太は慌ててペットボトルを煽り、一瞬、仄かに乙女の香りが鼻についた気がして直ぐに振り払いながらも、瑞紀の後を追う。


「ちょっとまてよ! まだ“神降ろし”を行ってからどうするか、お互いの役割を確認できてないぞ!」

「天狗っぽい“ナニカ”が降りてきます。此方に襲いかかって来ます。お互い手に持っている得物で撃退します。以上です。――ああ、よくよく考えてみれば役割もへったくれもありませんね」

「ま、まてって! 心の準備が……」

「必要ありません。常在戦場というやつです」

「俺の心の準備だ!」


 宗太がそう叫んだ所で、宗像瑞紀はお堂にたどり着いた。

 彼女は宗太の訴えなど完全に無視して、お堂の開き戸に掛かっていた閂を外し、扉を開いて中に入って行く。

 かと思えば直ぐに出て来て、宗太の前を通り先程歩いた道筋を戻り、お堂から距離をとってこれを見据えながら、抜刀する。

 宗像瑞紀が抜いたソレは刃長二尺五寸(約七十五センチメートル)で、その刃は錆が浮き、赤茶けていた。

 日本刀や刃引き刀、ではない。

 宗太に知る由もなかったが、鉄刀と呼ばれる刀の形を取った鉄塊である。

 見てくれはただ錆びた日本刀であるが、本来の用法としては十手等と同様、その昔に捕り物などで相手の斬撃を受ける為に使用された捕り物道具であった。


「お、おい? もう、始まったの、か?」


 いまだ心の準備が整わぬ宗太が、あたふたと瑞紀の他なりに移動し抜刀する。

 瑞紀からは返答は無い。

 ただ真剣な面持ちで、じっとお堂の方を見据えるばかりだ。

 二人とも鞘を地に置き、閂を外され扉が開きっぱなしとなったお堂へとその切っ先を向けている形である。

 鞘を戦う前から手放す事については宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘における逸話が有名であるが、この場では当然それを指摘する者などいない。

 もっとも、戦闘前に鞘を手放す行為自体は状況や得物によっては理に適うものであるので、だれか指摘する者がいたとしてもそれは単に前述の逸話を何にでもなぞらえたがるモグリとして、瑞紀などは無視するだろう。

 場に満ちる音は、山の木々が揺れる風の音のみ。

 鳥などの啼き声は全く無い。

 そのままなんの異常もなく、時間ばかりが過ぎて行く。


「何も起こらな、い?」

「ほほ、そうでもないぞ宗太」


 足下からいきなり童女の、しかし艶めかしい声をかけられて宗太はビクリと肩をはねあげた。

 見るとそこに、すっかり見慣れた幼いサツキヒメの姿が見える。

 今まで何処にいたのか、などとは今更聞く気にもならなかったが、だからこそ、今の状況で彼女が姿を表したからにはこの場に“ナニカ”があるのは間違いないのだろう。


「見よ、宗太」


 徐にサツキヒメはお堂の方を指差した。

 しゅるり、と赤い和装の衣擦れ音がやけに耳に響く。


「閂が外にかけられる作りになっておろう? “アレ”は中から何か、出てこられてはまずいモノを封じ込める意図が込められておると見て取れるのじゃ」

「あ、ああ。なるほど、な」

「ところが、の。何も出てこぬ。おかしい、どうしたのか、と宗像は考え始めとる」

「え?」

「辺りに満ちるはずの神威の気配は無し、しかし確実に怪異の召喚は行われておる。さて、これが意味する所を宗像は理解しておるからこそ、すぐ隣のお主とすら言葉を交わす余裕が無いのじゃろうな」

「そうなのか、宗像?」


 サツキヒメの指摘に思わず隣の少女を見やった宗太だったが、目に入った瑞紀の様子を理解してぎょっとした。

 先程までの凛として自信に満ちていた姿は何処へやら、瑞紀は鉄刀を構え瞳を赤く輝かせたまま、首筋や頬に汗を垂らし僅かに息を荒げていた。

 尋常な様子では無い。

 そこではじめて宗太は異常な事が起きていると悟り、慌てて“傾国”を構え直しお堂を見据えた。

 ――同時に、お堂の中からナニカが飛び出して来た。


「わっ、ぷ!」


 飛び出して来た“ソレ”は人の胴程の大きさか、羽ばたくような音を立てながら矢のような速さで宗太と瑞紀の間を飛び抜け、空へと上がって行く。

 宗太はともかくとして、瑞紀ならばすれ違い様に一太刀入れる事が出来たのかも知れなかったが、油断したのか、それとも他の理由からか彼女は一歩も動けずに居た。

 慌てて背後の方、上空へと飛び上がっていった“ソレ”を宗太は確認する。


「……なんだありゃ。なんか、燃えてんぞ? 鳶、かあれ」


 見れば確かに鳶であった。

 ただし、宗太の呟きの通り今にも焼け落ちそうな程激しい炎が全身を覆っている。

 他にも纏う炎の色が金色である事を除けば、やや大ぶりな鳶でしかない、と表現しても差し支えないだろう。

 赤い顔に高い鼻、山伏の姿をした怪異が襲いかかって来るものと考えていただけに宗太は拍子抜けして、肩の力を抜いた。

 これが巨大な鳥であったり、凄まじい衝撃破を伴って飛ぶ怪異であれば話は変わるが、この時点でそこまで危険な存在には思えなかったのは仕方無い事なのかも知れない。

 しかし、瑞紀は違った。


「あ――、ああ……」

「な――」


 宗太と同じように後方に飛び去った鳶を見て、絶句し、息を荒げ、肩を振るわせている。

 普段の彼女からは想像も付かぬ程取り乱しているのが見て取れた。

 否、宗像瑞紀だけではない。

 飛び去った黄金の鳶を見て、側に現れたサツキヒメもまた、大きな目を更に開き絶句していたのだ。

 サツキヒメはともかく、瑞紀の反応は初めて見る姿で、故にあの鳶が尋常ならざる怪異であると認識し直す宗太であった。


 しかし、それでも足りない。

 恐怖が、絶望が、そして覚悟が。

 なぜならば――


「金色の、鳶……宗太、逃げや! あれは、あれは――崇徳院の大天狗じゃ!」


 悲痛なサツキヒメの叫び声と同時に、飛翔する神威は黄金の炎を吐いた。










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近況は報告にて

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