表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/17

天狗憑き 二




 夜魔の血が混じるとされる“赤目憑き”の一族は、かつてその強い力と血故に滅亡の淵にあった。


 理由は主に二つの迫害。

 一般の者からは人の領域を遥かに越えるその力を妖の類と見られ、迫害を受け続けて居た事。

 憑きもの筋からは、怪異に連なる家すらも乗っ取り潰す一族として、迫害を受けていた事が挙げられる。

 実際当時の“赤目憑き”は一般人は勿論、他の憑きもの筋のように憑きもの筋同士の婚姻ですら強い血のせいか、産まれてくる子供は必ず流産ないし“赤目憑き”となり、血筋を絶やすとされていた。


 なのでそんな彼らに残された道は少なく、外道のものとなる。

 即ち、子を成す為に人を攫うか近親婚を重ねるしかない。

 だが人を攫うという選択肢は、ただでさえ迫害を受けている一族には危険が大きすぎる。

 かつて鬼の血を引く一族が在り、その強悪な力故に朝廷から敵視され、根絶やしにされた話は“憑きもの筋”の間では有名な話だ。

 今日にも残る酒呑童子や桃太郎のようなお伽話の類は、見る角度が違う“憑きもの筋”にとって決して他人事ではない。

 市井に混じり少々の“悪さ”をする程度ならば問題は無いだろうが、権力者に存続するだけで人に大きな害を成すと認識されるのは避けたい事態だった。

 必然、一族に与えられた選択肢は近親婚しかなくなる。

 そう、彼らには近親婚を重ね続け濃い血を更に濃くし、力を不必要に増大させていく道しか残されてはいなかったのである。


 が、ある時

 彼らはとうとう近親婚ですら、その血の濃さに母体が持たなくなり子を成せなくなった。

 時に他の憑きもの筋を騙し、その家を乗っ取ってまで血を薄めてもいたが、狭い人と魔が混じる社会、この頃になると“赤目憑き”のおぞましさは知れ渡ってとうの昔に助けはおろか交流をしようとする者はいない。

 無闇に人を襲わなかったが為に大々的な討伐はされなかったが、それでも里に下りれば人々に怖れられ、妖として討伐される運命が待つのみで、一族は正に滅びるかどうかの瀬戸際に立たされていたのだ。


 そんな時分だ。

 怨霊刀を我が物とし、怪異と対峙することを生業とする一族がいるという噂話を聞いたのは。

 調べた所、その一族は確かに存在していた。

 人の道を意に介さず、ただただ外道の法を求め、時に怨霊刀の力を振るい怪異を調服し、時に怪異をその身に取り込み、必要とあらば鬼の怒りに一族の担い手を生贄として捧げ出す事も厭わぬ者達である。

 その一族の中、“赤目憑き”の窮地を救った者達が宗太の家である立花家であった。


 果たして“赤目憑き”の長は立花家の怨霊刀を継ぐ者に助けを求め、幾つかの見返りと引き替えに一族を救う事に成功する。

 立花家の怨霊刀はあらゆる怪異を糧として力を蓄える代物で、“赤目憑き”の血の中に宿る力を喰らい、他の憑きもの筋との間に子が成せる程度には弱体化させる事ができたのだ。

 見返りとは、“赤目憑き”の一族は立花家を陰ながら仕え力となること。

 一族の存亡を救われた“赤目憑き”達は驚喜し、文字通り命を賭して約定通り以後立花に仕えたのである。

 ――あまりに強力な、夜魔の血の残滓を抱えたまま。


「とはいえ、“赤目”の力は消えたわけではありません。母や私のように女に限りますが、“赤目憑き”が産まれますから。宗像家もまた“憑きもの筋”には今も変わりないんです」


 宗像瑞紀はそこで一区切りを打ち、じっと宗太の顔を見つめた。

 その様を、瑞紀の父・敏夫と婚約者の大上蔵人は横から見ていた。

 特に大上蔵人は婚約の破棄を言い渡されたばかりだからか、憎々しげに瑞紀と宗太を交互に睨みつけてきて、宗太は居心地の悪さを覚える。

 が、やはり話題は瑞紀がこのままでは二十歳までは生きられぬという内容が内容だけに、誰かの不興など些事であるのは言うまでも無い。

 何より、目の前の宗像瑞紀は宗太の求めに応じ、丁寧に説明をしてくれようとしているのだ。

 宗太は瑞紀の大きな瞳を見つめ返し、僅かに頷いて先を促すのである。


「残念ながら、かつての立花様に救われた後も“赤目憑き”の苦難は続きました。憑きもの筋自体の数は多くは無く、まして近親婚姻は当たり前だった社会ですから」

「その後も近親婚を続けたって事なのか?」

「はい。情報の伝達速度が遅く、噂や偏見によって事実が伝わらない時代でもありますから、その後も長らく“赤目憑き”は憑きもの筋の家すら乗っ取ると認識されていたようです。なにより、近親婚姻で自身の一族を滅ぼしかけた“赤目憑き”と結ぼうとする家は少なかったようで、時には妾として立花様の種を頂き、血を繋いだとされております」

「……うちには、“赤目”が憑かなかった、って事、なのか」

「立花家は“赤目”などよりももっと恐ろしい存在が守護していますから。妾としてご落胤を頂く位は、問題はなかったと言うことなのでしょう」


 もっと恐ろしい存在、とは怨霊刀の“傾国”の事であろうか。

 宗太は童女になる前のサツキヒメの姿を思い起こした。

 艶やかで、しかしどこかおぞましさを感じる寒々しい美貌は、確かに見るだけで圧倒されてしまう。

 言葉を発さなければ時折恐ろしい、とさえ思える程にだ。

 そういえば、以前サツキヒメが宗像瑞紀を妾にしろ、というような事を言っていた事を思い出し、当たり前であるが彼女の話は真実なのだと宗太は実感した。


「なので、未だに“赤目”の力は他の憑きもの筋よりも強いのです。強いが故に偏見の薄らいだ現在では時折婚姻を求められ、結びもしますが……」


 そう言って瑞紀は、チラと蔵人の方を見る。

 視線を向けられた彼女の元婚約者は、反射的に表情を歪めた。


「考え直せよ、瑞紀。大体、今更話は無しにしてくれ、“神降ろし”は行えないじゃあこっちも納得出来るわけ無いだろ」

「婚約の解消はこちらが一方的に申し出た事ですが、先に申し上げた通り大上家の方には既に了承を頂いております」

「俺は聞いていないぞ!」

「そこは当家の問題ではないと思いますが?」

「う、ぐ……」


 引け目を感じてはいても言うべき所はピシャリと言い放つ瑞紀に、蔵人は言葉を詰まらせた。

 婚約は本人の意思を介在させず、両家の思惑で行われたものであったのだろう。

 当人同士の感情は抜きにしても、宗像家に婚約の破棄をすべき理由が出現し、大上家が婚約破棄を了承したのならば、そこに異議を申し立てる余地などありはしない。

 その事実を大上蔵人が知らされていなかった理由は不明であるが、大方その性格が災いして大上家の中でも疎まれているからではないかと、宗太は考えた。

 真実がどのようなものにせよ、彼が婚約破棄を知らされていなかった事は、確かに宗像家には関係の無い話である。


「ご心配無く。婚約破棄はしても“神降ろし”はきちんと協力いたします。本来の予定通り、一週間後に執り行いましょう」

「……諦めないからな」

「ご自由に。しかし今は立花様に宗像の“赤目”について今一度ご説明したいので、その話は後ほどに」


 そのように取りまとめ、宗像瑞紀は一度視線を落とした。

 何かを確認するような、覚悟を決めるような、そんな仕草である。

 やがて宗像瑞紀は意を決するように、顔を上げた。

 表情は凛と引き締まり、いつもの感情の薄い大きな黒瞳が宗太を見据える。


「話を続けます。先に説明した通り、我が家は立花様に宗像という家名を頂き、“赤目”の力を削いでいただきました。しかし、それで宗像家は憑きもの筋で無くなったわけではないのです」

「たしか、女の人にしか出ない、だっけか」

「はい。確かに“赤目憑き”は、宗像の女に顕現します。必ず、という訳では無いのですが、長子ほどその確率は高いとされています」

「それと瑞紀、さんが婚約を破棄した場合、二十歳まで生きられないって話とは、関係あるのか?」


 かしこまった場の為か、父親の前だからか、はたまた、憎々しげに睨みつけてくる大上蔵人の視線を気にしてか。

 宗太は瑞紀のことを改まってさん付けで呼び、いよいよ自身が最も知りたかった“本題”に斬り込んだ。


「勿論。力を削いだ後も近親婚を重ねた影響もあるのですが、“赤目憑き”は未だ強力であり、今も少しずつ“また”、強くなり続けています。今日ではその影響をうけ続けるには、人の身では最早“憑きもの筋”の器たり得なくなりそうな程に強くなっているんです」

「……俺が言えた義理はないと承知した上で聞くけど、それならどうして“立花家”に助けを求めてこなかったんだよ」

「立花様とは何代も前、伝来の怨霊刀の継承――即ち、難行を行われなくなった際に、交流が途絶えたと伝えられておりました。流石に、一般人となったかも知れない恩あるお家に、“憑きもの筋”が助けを求めるわけにもいきませんし、以前とは違い“他に方法”がありましたから」


 そう言いながら、瑞紀はチラリと隣の大上蔵人に視線を送る。

 “他の方法”とは、彼――というよりも大上家との婚約を指すのだろう。

 宗太は不意に、初めて瑞紀と会った時のことを思い出した。

 ――彼女が感情も露わに激高していたのは、後にも先にもあの時だけである。

 その理由は既に聞いているものの、今“赤目憑き”が抱える問題を改めて聞かされる宗太は、瑞紀の怒りを初めて理解出来る気がした。

 そして宗像瑞紀は僅かに言葉を切った後、いよいよ核心に触れて行く。


「“赤目”の血が宿主を滅ぼすのに、二十年程とされております。大きくなりすぎた妖魔の血に人の体が耐えきれず、肉体を滅ぼすのです。しかしそれまでに子を成せば、濃い血が別たれ、母体は助かる事がわかってもいました」

「それで婚約してた、って事なのか」

「はい。残念ながら私の母は間に合わず、私を産んで直ぐに無くなりましたが……」


 沈黙。

 宗像父娘は亡くなった妻と母を偲び、宗太は瑞紀が選んだ運命に愕然とした為だ。


「あっ、でも――さ。今ならサツキヒメが居るだろ? アイツに頼めばいいじゃないか」

「それは無理です。確かにサツキヒメ様ならばかつてのように“赤目憑き”の力を削げるでしょうが、それは立花様が“難行”を終え、本来の力を行使出来るようになってからでしょう。まして、今のサツキヒメ様は相当弱っておいでになっております」

「……今すぐでなくても、俺が“難行”を終えれば」

「“難行”はあくまでサツキヒメ様――立花家の怨霊刀を持つに相応しいか、証を立てる行為です。憑きもの筋の血を薄めるほどの力を使いこなせるようになるには、そこからさらに十年単位での研鑽が必要になる、と当家には伝えられております」

「そんな……」


 言葉が出てこない。

 何か、何か他に良い方法がある、ある筈だと根拠も無く確信していても、何も出てこない。

 確信は単に宗太が無意識に“そう思いたい”だけなのでそれも当然なのだが、その事実に気付きたくない宗太はただ焦るばかりだ。

 そんな宗太の状態を見抜いてか、瑞紀はほんの少し表情と声色を和らげさせて、宥めるように言った。


「そも、歴代の“立花様”は幼い頃より厳しい修行を課され、一族の中から特に才を持つ者が選ばれていたはずです。そんな方々でさえ、“難行”を終えサツキヒメ様の力を引き出せるようになるまでに、最低でも十年。ついこの間まで何も知らなかった立花様では“難行”ですら、無事に終える事は難しいと言えましょう」

「で、も! お前、命が掛かってんだぞ!?」

「二十歳まで生きられるかどうかといいましても、あと数年は大丈夫とも言えます。しかし立花様の場合、こちらから挑まねば降りかかる“難行”は時と場所を選ばず、失敗すれば死に繋がります。それは今この瞬間でもあり得るのです」

「でも!」

「……どうか今は私などではなく、ご自分の身を案じて下さい」


 そう言って、宗像瑞紀は笑顔を浮かべた。

 彼女の笑顔は今日まで殆ど見る事の無かった宗太であったが、慈愛が混じるそれは不覚にも宗太の心を男として、激しく揺さぶる。

 だがそれは。

 何かを誤魔化そうとしているものだと流石の宗太にも不自然に感じ取れて、緩みそうになった口の端を絞るのであった。


 ――宗像瑞紀は、決して宗太を前にこのような笑みを浮かべたりはしない。

 好悪はさておいても、彼女は宗太に対して常に真摯であり、感情を隠すでも無く、距離を置き、辛辣なまでに歩み寄ろうとはしない。

 罵倒したいからする。

 嫌がらせをしたいからする。

 “宗像”として、立花の為に“難行”を補佐したいからする。

 彼女は決して怪異に憑かれた宗太が憐れで、側に居るのではない。

 宗太に異性として、特別な感情を持っているから側に居たのではない。

 確信は持てないが、“赤目憑き”として立花家に抱く使命感だけで側に居てくれるのでもないだろう。


 宗像瑞紀と立花宗太の関係は、そのようなものであるはずだ。

 決して、宗像瑞紀が宗太を前に、このような笑みを浮かべたりする関係ではないのである。

 故に、宗太は感じ取れた。

 それが彼女の苦手な、精一杯の誤魔化しなのだ、と。


 改めて、宗太は自身の前に座る和装の美少女を見つめる。

 凛とした佇まいもそのままに、細い首と肩は儚く、力強さは感じられない。

 かわりに悲壮な程強い覚悟を感じ取れるのは、彼女がこの先待ち受ける“死”を受け入れているからか。


 ――あんまりだ。

 そんな瑞紀を見て宗太は、そう叫びそうになった。

 これ程綺麗な娘が、なぜ二十歳を待たず死なねばならないのか。

 否、好きでも無い(と見える)男との間に子を成さねばならないとはいえ、死を回避する事はできる。

 なのに、なぜ彼女は死を選ぶ必要があるのか。

 それ程までに、大上蔵人との結婚が嫌だった?

 ちがう。

 自分が、他ならぬ自分自身が“難行”を持ち込んだからだ。

 今更ながらそう理解した瞬間、宗太は激しい後悔と嫌悪を覚え、視界が歪んで行く感覚に襲われた。


「ここからが本題となります」


 しかし宗像瑞紀はそんな宗太を余所に、淡々と話を前に進めてゆく。

 あたかも、眼前に待つ死などなんら問題にはならないと言いたげに。


「本題?」


 辛うじてオウム返しに口にした言葉は、宗太の本意では無い。

 彼は、瑞紀に辞めろと言いたかった。

 自分の事など放っといて、気に入らなくても隣の婚約者と結婚し、子供を成して生きろと言いたかった。


「今日、私の“元”婚約者の大上蔵人さんをお呼びしたには、理由があります」


 宗像瑞紀の、変わらぬ淡々とした口調。

 それを聞く自身の表情は、恐らく酷い物であろう。

 言わねば。

 もういい、俺の“難行”なんぞに関わるな、と。

 口を開き、やめろと言えば何時でも瑞紀の言葉を遮ることができる。


「一つは大上家と婚約を交わした際に交わした、彼が行わなければならない“神降ろし”を手伝う約束を果たす為」


 しかし、宗太は何も言えない。

 彼女の人生を奪おうとしている元凶が自分である事を自覚しているにも関わらず、瑞紀を止める事ができなかった。

 何故か。

 その理由にたどり着く前に、瑞紀の説明は終わりを迎える。

 唖然とした。

 彼女が、宗像瑞紀が何の為に自身の生をアッサリと捨てるようにして婚約を破棄したのか、聞かされたからだ。


「もう一つは、立花様に“神降ろし”に立ち会っていただき、“難行”の一貫としてこれに対峙して貰いたかったからです」





「ん……」


 四日後、宗像邸。

 春とはいえ、まだまだ寒い朝である。

 暖かな布団の中、立花宗太は今日も日増しに強くなる痛みに呻いて目を覚ました。

 いつもならば布団の中でゆっくりと体を伸ばし、心地よくまだ目覚めぬ筋肉をほぐして二度寝ないし脱力の快を味わうのだが、そうは行かぬ理由がある。

 宗太は二度寝も起床も拒否するかのように、寸分も体を動かさぬよう気を払う。


「あっ、いっ……痛ぅ……」


 とはいえ、一日が始まろうかという朝に身動ぎ一つしないという訳にもいかない。

 意を決し起き上がろうとした宗太であるが、体に纏わり付く痛みは思いの外強く、思わず呻いてしまった。

 痛みは主に筋肉痛と打撲の二種類。

 いずれもここの所行っている、宗像瑞紀との“鍛錬”の賜である。

 勿論、大上蔵人の為に行われるという“神降ろし”に向けたものだ。


「くそっ、てて……あーもう。俺は何をやってんだか」


 どこをどう酷使したのか、愚痴を吐いても筋肉痛が走る。

 先日対峙した“文車妖妃”という低位らしいの怪異にすら遅れをとってしまう宗太には、“神降ろし”は相当危険が伴うのだろう。

 時間的な制約もあるのだろうが、それを差し引いても瑞紀の鍛錬しごきは苛烈を極めていた。

 ――決して、自身の未来をも捨て去る覚悟と比べ、改めて実感したあまりに情けない宗太の実力に憤った結果、ではない。

 そう思いたい宗太であった。

 何より、誰よりも情けないと思っているのは宗太自身であろう。

 その証拠に、寝起きの思考の奥深く、心と呼ばれる領域には重苦しいしこりのようなものがあって、全身の痛みより強く宗太を苛み続ける。


「……本当に、何をやってんだか、俺」


 先日の事を思い出して、ため息を一つ。

 それから、意を決して体を起こす。

 ぐ、と声が漏れるほどの苦痛が伴ったが、沈みきった心を認識した為か既に気にはならなかった。

 行き場の無い、正体定かならぬ気持ちは四日前に宗像瑞紀が口にした台詞の為だろう。

 何故彼女がそこまでして自身の“難行”に付き合おうとしているのか、わからない。

 何が彼女にそこまでさせるのか、理解が遠く及ばない。

 しきたりだからか。

 自分が立花で、彼女が宗像だからか。

 彼女が自分に惚れており、許嫁と将来を捨て去ってでも助けになりたいと考えたから――は、まず無い。

 毎度毎度早朝から玄関ドアのドアノブを壊し、土足で部屋に上がり込んで来たり、彼我の実力差は小学生剣士と一般の部全国大会優勝者ほど開いていれど、一切の容赦も無く木剣を打ち込んでくるような行為は、ツンデレなどという言葉で済ませて甘い妄想に浸るには些か無理がある。

 或いは、宗太に被虐的な趣味があればツンデレに過ぎるとして受け入れていたのかも知れないが、今の宗太は肉体よりも心にこそそのような事を考える余裕は無かった。


「……死ぬんだぞ。何年かあとに……何考えてんだよアイツ」

「あふぅ……、宗太、うるしゃい」


 宗太の独白は声になるかならないか程のものであったが、隣りに布団を並べ寝ていたサツキヒメの耳には届いていたらしい。

 怨霊刀の現し身である彼女は幼女の姿、どこから用意したのか現代風の、可愛らしい子供用の寝巻姿でむくりと起きた。

 宗太にとって何を考えているのかわからないと言えば、彼女もそうだ。

 先の“赤目憑き”の話を瑞紀から聞かされた場には居なかったように、いつも彼女は居ないかと思えばフラリと現れ、そして何時の間にか居なくなるのである。

 サツキヒメ本人はそれなりに強力な怪異の類であるようなのは薄々感じ取っているが、どこか頼りなく感じるのは宗太が彼女を信頼していないからか。


「まったく、うじうじとだらしない奴じゃの。あの御方のように泰然とできんのかえ?」

「……だれだよ、あの御方って」

「うふ。かつて、わらわが唯一旦那様と呼んだ、宗太のご先祖様じゃ」


 そう言って、サツキヒメは片方の口の端を上げてニタリと笑った。

 幼くも整った顔立ちで笑うその表情は、しかし妖艶な色香が仄かに混じる。

 宗太は別に幼児性愛者ではなかったが、人外の艶やかな笑みに当てられたのか、プイと明後日の方をむいてしまう。


「しるか」

「こりゃ。それが悪いとゆうとろうに。大体の、宗太はもそっと妾の言葉に耳を傾けんか。宗像といい宗太といい、妾をないがしろにしすぎる」

「朝から説教はやめてくれ。ってか、今それどころじゃないし」

「宗太。妾は話を聞け、と申した」

「だから――」

「このままでは、宗太が“難行”を終える前に宗像は死ぬ」


 何処までも冷徹な言葉だった。

 今、最も宗太が目を逸らしたい現実をサツキヒメはあらゆる修飾を廃して突き付けてきたのだから、宗太がそう感じてしまったのも無理は無い。


「宗太、順番を間違うておらぬかや? まずは己の力不足を認めねば何も始まらぬ」

「……認めてるよ、痛いほどな」

「それが甘いとゆうておる。宗太、そなたに宗像を救う力は無い。“難行”すら、宗像に手伝ってもろうてもアレが死する時までに終えられるかどうかもわからぬ程弱い」

「わかってる、そんな事――は!」


 思わず声を荒げてしまいそうになり、宗太は一度言葉尻を飲み込んだ。

 知らず、両の手は白くなるほど拳を握りしめ、ギリと音を立てている。


「……わかってるんだ。でも」

「でも、なんじゃ」

「……どうすりゃいいのかなんて、わかんねぇんだよ」

「だから、宗太は甘い。宗太は本当に宗像を救いたいのかや? 本当にそのように気落ちする程、アレの身を案じておるのかや?」

「当たり前だろ」

「ならば、何故もっと妾に相談せぬ。何故妾に縋り、助けてくれと言わぬ。何故宗像に考え直せと何度も掛け合わぬ?」

「それ、は……」

「宗太。そのように思い悩み、漫然と現状を受け入れて事は良い方向に行くのかや? 宗太にとって宗像の生き死には、そのような生ぬるい選択でしかないのかや?」


 ぐうの音も出ない、サツキヒメの指摘であった。

 確かに、立花宗太は瑞紀の説明に一応の納得を示し、とりあえずは目先の“神降ろし”とやらの為に鍛錬に励んではいた。

 が、それは表面的なものでしか無く、今も悩んでいたように、瑞紀の選択に納得が行かないのは明白な事実だ。

 そこを放置して、聞き分けも良く現状を受け入れる事が本当に良い事なのであろうか。

 そうせざるを得ない事も確かにあろうが、それは出来る事をすべてやり尽くし、足掻きに足掻いた後での苦渋の決断である筈だ。

 果たして、自分は出口の無い悩みを抱えられるほど足掻ききっていただろうか?

 目先の“難行”を理由に、問題を直視せず先送りにしていなかっただろうか。

 ――自問に対する答えは、既に出ている。


「……いや。そんなもんじゃない。サツキヒメの言う通りだ」

「そうであろ? だからゆうたのじゃ、“宗太は甘い”と。大体のぅ、どうしたらよいのか、ではなく宗太はどうしたいのかや?」

「そりゃ勿論、宗像には死んで欲しくはない」

「それだけかや? 死んで欲しくはないから、あのアホ面をした糞餓鬼の嫁になって、さっさと子種を仕込んで貰えと説得したいのかや?」


 想像して、否、想像しようとして宗太は嫌悪に顔を歪めた。

 慕情はないとしても、あれ程の美少女があのような人物に肌を許す光景は、男として納得できそうにない。

 浅からぬ知り合いであれば尚のことだ。

 もし、自分が“難行”を持ち込まねば、彼女はあの大上蔵人と若くして結婚していただろう。

 死ぬであろう未来を選択することも無く。

 それは立花宗太にとって宗像瑞紀への引け目となっていたのだが、そうであっても無意識に考えないようにしていたらしい。

 例えようも無い苦い物が胸の内側で渦巻き、宗太は一つサツキヒメに首を振った。


「あ、いや。……それも、すっげぇなんか、ムカつく、かな。でも、一応聞くけどさ。サツキヒメ、お前だって“難行”が終わらせないと、“赤目”の血をどうにか出来ないんだろ?」

「まあのぅ。滅するのは簡単であろうが、加減をするとなると中々に難しい。じゃが、宗像を助ける事などは簡単な話であろ」

「簡単――って! 方法があるのか?!」


 全身の痛みなど忘れ、宗太は思わず布団から飛び出しサツキヒメに詰め寄る。

 そんな宗太にサツキヒメは口の端をつり上げ、したり顔で不敵な笑みを浮かべた。


「んふ、やっと何時もの調子に戻ってきたか。まったく、最初から妾を見て、言葉に耳を傾け、素直に相談なり弱音なりを吐き出しておれば、もっと早くこの妙案を教えてやったものを」

「教えてくれ! サツキヒメ!」

「むー、どうしようかのぅ」

「頼む!」

「んー、妾は都合の良い女になどなるつもりは無いし、のぅ」

「これからはちゃんと、サツキヒメの言葉にも耳を貸すから!」


 宗太はガシとサツキヒメの小さな肩をつかみ、必死に頼み込んだ。

 一方でサツキヒメはそれ以上は返答もせず、しばし沈黙を守る。

 宗太にふざけて意地悪をしようと思い、口をつぐんでいるわけではない。

 その証拠に、まるで何かを見定めようとする視線は容赦無く宗太の双眸に刺さり、宗太もまたサツキヒメの大きな黒瞳に視線をぶつけた。

 やがて、二人の無言の会話は低く落ち着いた宗太の懇願により終わりを迎える。


「頼む」


 瞬間、サツキヒメは一瞬だけ驚いたような表情を作り、ばっと宗太から顔を背けてしまう。

 宗太には知る由はないが、頼むと口にした時の宗太の表情に、その声色に、何かを重ねてしまったらしい。

 それはサツキヒメにとって不覚であったようで、彼女は照れ隠しをするように、ぺちゃと宗太の鼻先を紅葉のようなちいさな手ではたき、振りほどいたのだった。


「あでっ?!」

「……ええい、あの女の為にこれ以上そのような貌をするでない! まったく、仕方の無い奴じゃぁのぅ。ほれ、耳を貸しや」

「あ、ああ……」

「もそっとじゃ、もそっと近う」

「こうか? ――うひゃあ!」


 にゅるり、とした感触と音が耳奥に届く。

 サツキヒメの小さな舌が、無防備だった宗太の耳の穴に侵入してきた音だ。

 不意打ちにチロリと耳を舐められただけであったが、宗太は妙な声を挙げてしまう。

 先程の“頼む”に対して、サツキヒメからのささやかな意趣返しであった。

 勿論、自覚などない宗太にしてみれば、空気を読まないおふざけでしかない。


「んふ、中々愛らしい声をあげるのぅ、宗太」

「ちょ、お前! ふざけるな!」

「ほほ、怒るな怒るな。ここの所放置されておったしの、その意趣返しじゃ。どれ、今度こそ宗像を助ける方法を教えてやるから、機嫌をなおしや」

「……早く言えよ」

「うむ。では、では。先も申したが、実の所話は簡単なのじゃ」


 二人が何時もの調子となり、やっと場が整ったとばかりにサツキヒメは一度鷹揚に頷いてから、ついと姿勢を正し宗太に向き直った。

 宗太もまた、緊張した面持ちでサツキヒメの言葉を待つ。

 彼女が提示してくる答えが合理的で、しかし宗像瑞紀の心情など一顧だにしない、思いも寄らぬものであるとも知らずに。


「つまり宗太、他の男で無くそなたが宗像を孕ませれば良い」


 その瞬間、確かに立花宗太の時は止まった。









拍手感想をありがとうございます。

幕間的な話も混じっている為、上中下では収まらず一~四として改題。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ