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天狗憑き 一



 立花宗太はどちらかと言えば、他人と競い争うことを好まぬ性格であった。


 まして女性を巡り、恋の鞘当てを行うなど本人にしてみれば慮外の行為では無かろうか。

 最も、宗太の場合はまず恋をする相手を見つける事からはじめる必要がある現状において、とりあえず自身の問題を解決せねば恋人どころではないのもまた、事実である。

 問題とは即ち、己を祟る伝来の怨霊刀により引き寄せられる怪異、“難行”。

 刀の精、あるいは刀に憑く怨霊である妖艶な美女の怪異・サツキヒメとかつて立花家に仕えていた憑きもの筋“赤目”の血を引く少女、宗像瑞紀によって導かれるそれは、宗太の日常を塗りつぶしてゆく。


 ――そんな、春の気配も近い三月の朝。

 暖かな布団の中、立花宗太は心地よい微睡みを噛み閉めているといきなり玄関のドアがバキンと不吉な音を立てて開いた。

 勿論玄関ドアには鍵を掛けていたのだが、訪問者はそんな事もお構いなしに人外の膂力を発揮出来る人物であるらしい。

 当然そのような訪問者に、宗太には約一名思い当たる人物がいる。

 宗太はああ、またか、と夢現に考えながらも、非常識な訪問を繰り返す少女が土足で部屋に上がりこみ、自身を叩き起こすのだろうと覚悟を決めた。

 が、しかし。

 早朝の訪問者は不躾にいきなり玄関ドアを開いたまま、ただ無言の内にそこに立ち続けていたのである。

 すわ新しい嫌がらせでも思い付いたのか、と宗太は苛立ちながらも上体を起こした所で非常識な訪問者――宗像瑞紀は意外にも(今更、とも言えるが)、静かに玄関ドアを閉めて、楚々と靴を脱ぎ部屋に上がりこんできたのだった。


「う……宗像?」

「ふにゃ、そーた?」

「んあ、兄さん、そんなマニアックな……むにゃ」


 いまだ覚醒しきれぬまま戸惑う宗太と、そんな宗太と同じ布団の中何時の間に潜り込んだか、しがみつくようにして寝ていたサツキヒメ。

 そして、獣の姿で宗太の枕元でとぐろを巻くように寝ていたタヌ吉の寝言が、宗像瑞紀を出迎える。

 普段の宗像瑞紀にしてみれば攻撃のやり玉に挙げやすい状況であったが、しかし彼女は宗太の側まで来ると何も言わず、すとんと腰を降ろしたのだった。

 その日はいつもと違う、どこか様子のおかしい印象を抱かせる彼女であったが、宗太がそれに気付く事は無い。

 また、腰を降ろした宗像瑞紀もいつものように制服姿で、寒々しい短いスカートから伸びる白く長い脚を折りたたみ正座をしている姿はやはり凛として、いつも通りである。


「おはようございます、立花様」


 果たして宗像瑞紀の声はいつもよりも低く、どこか沈んでいるようだった。

 だから、であろうか。

 宗太は珍しい瑞紀の殊勝な態度にすっかり毒気を抜かれ、玄関ドアの鍵をドアノブごと破壊された怒りも一時忘れてしまった。


「なんだよ、らしくねぇな」

「……いえ」

「なんかあったのか?」

「その……」


 沈黙。

 彼女とて、年頃の少女である。

 悩みや失敗、あるいはやむにやまれぬ事情のようなものがあるのかもしれない。

 宗太はそんな事をボンヤリと考えながら、瑞紀の台詞の続きを待った。

 いくら年中言い争いをしている仲であるとはいえ、また玄関ドアを壊されてしまったとはいえ、思い悩む少女の言葉を待つ優しさ位は持ち合わせている宗太である。

 結局、宗像瑞紀は逡巡を幾つか重ねた後、意を決するようにして言葉を絞り出した。


「実は今日一杯でこのアパートを出て行かなければならない事になりまして」

「なぬ?!」

「一階の大家さんの所に色々と、苦情が寄せられていたようなんです。……申し訳ございません、もっと私が気を付けていれば……」


 そう言って、宗像瑞紀は三つ指をつき深々と頭を下げた。

 ――まぁ、そうなるわな。

 喉元まで出かけた台詞を宗太は飲み込みつつ、お、おうと曖昧な返事を返す。

 実の所、宗太自身もアパートの大家に幾度か苦情を寄せていた者の一人であったのだが、まさか彼女が立ち退きをする羽目になるとは思っても見なかった為、かける言葉がうまく出てこない。

 が、まだ日も昇らぬ早朝に玄関ドアを破壊して土足で上がりこんでくるような暴挙を繰り返された身にしてみれば、流石に罪悪感までは湧かず、とりあえずは当たり障りの無い言葉を探すのである。


「まぁ、でもさ。いくら宗像が俺の事を嫌いだからって、こんな朝早く……今はえっと」

「朝の四時、ですね。剣の鍛錬を行うならば丁度良い時間です」

「……四時か。四時から玄関ドアをぶっ壊して土足で上がりこむようなことをしてれば、そりゃ追い出されるよ」

「そんな……私が立花様のことを嫌うなんて……ああ、気持ち悪い」

「嫌ってるじゃねーか。何だよ、何かにつけて気持ち悪い、気持ち悪いって」

「これはその、照れ隠しみたいなものですよ」

「ウソだな」

「今のはウソじゃ無いですよ。面と向かって好きとは言えぬ乙女心の裏返しです」


 思いがけず、ドキリとしてしまう宗太。

 言葉は寝起きの宗太の思考を急速に覚醒させ、加速させて行く。

 コレまでの彼女との関係性を思うに、好きという単語は冗談以下の意味しか持ち得ぬと理解出来たが、宗像瑞紀ほどの美少女に言われたならば例えウソであってもそれなりに破壊力があるものなのだ。


「――っ、ウソだ」

「ウソです。何本気にしているのですか? 気持ち悪い。ですが、先程のはホント、照れ隠しです」

「……今の気持ち悪いは本気だな、流石にそれはわかる」

「はい。ですが、立花様を常時嫌悪しているわけではありませんからご安心を」

「……ありがとうよ」

「改めて申しますが、過去に多少の衝突はあれど今では再び立花家のお役に立てるようになったこの身、恨むなど滅相もありません。それに今日はちゃんと靴を脱いで居るじゃありませんか」

「玄関ドアはぶっ壊してんだろうが」

「それは……立花様が私の姿に化けたタヌ吉を使ってナニをしているのかと考えると、居ても立ってもいられなくなってしまいますもの、仕方ないでしょう」

「するか!」

「むにゃ、兄さん……やっぱり宗像のねーさんの姿の方が燃えるんじゃねーですかぁ、ぐふふ、たぁっぷりサービスしちゃいますぜ」


 絶妙なタイミングで胡乱な寝言を発したのはタヌ吉で、幸せそうにとぐろを巻き自慢のモフモフな尻尾に頭を埋めている。

 同時に、宗像瑞紀の目が赤く光り始め、剣術素人の宗太にすらわかる殺気が漏れはじめた。

 宗太は慌てて幸せそうに寝るタヌ吉の首の根を掴み上げ、少し乱暴に振るのである。


「……ヤってるじゃ無いですか」

「誤解だ! おい、このクソ狸! 起きろ!」

「ふみゅ。兄さん、こんな朝っぱらからなんですかい?」

「お前がくだらねぇ寝言を言うから、俺がへんな誤解を受けてんだよ!」

「う?……ああ、宗像のねーさん、おはようございます。今日もお綺麗で」

「みゅう、そーた、うるしゃい」

「こ、こら! サツキヒメ、お前また潜り込んで――わわ、んな所に腕を突っ込むな!」

「むふー、そーた、よいではないか、よいではないか」

「こっ、こら! やめ――おい!」

「……少し、席を外しましょうか? 立花様」

「いやいい! って、もう! サツキヒメ、タヌ吉でも抱いてろ! ――で? 宗像、どうしたんだよ、こんな朝早く! 嫌がらせがてら、引っ越しの挨拶をしにきたわけじゃないんだろ!」


 誰が悪いのか、場が混沌としてきた為宗太は手早くその原因を処理して話を前に進めようと努めた。

 そんな部屋の主の想いを瑞紀の方も汲み取ってか、先程のタヌ吉が口走った事を追求しようとはせず、赤く光る目を元に戻して姿勢を正す。

 それから咳払いを一つした後、本来の目的を思い出してか再び美しい柳眉を歪めて浮かない貌になり、再び宗太に頭を下げたのである。


「本当に申し訳ございません。立花様の“日常”を少しでも維持すべくこちらに越して来たというのに、ここを出て行かなくてはならない羽目になるなんて……」

「あ、ああ……。いや、気にするなよ。宗像もさ、髪を切ってまで難行避けのお守りを作ってくれたんだし」

「それは、立花様をサポートする上で当然の事をしたまでです」

「でも、な? 家のしきたりかなんだかは知らないけど、今時そこまでしてくれてたんだ、十分だよ」

「そんな……勿体ないお言葉です。……しかしながら、こちらとしましては十分と納得するわけにもいきません」


 珍しく、殊勝な宗像瑞紀の態度である。

 悪態をつかず、いつもの凛とした雰囲気はそのままにどこか影を背負うその姿は、見慣れたはずの宗太を大いに惑わした。

 柄に無く胸の高鳴りを宗太は感じ取って、居心地の悪さすら覚えてしまう。

 そんな宗太の戸惑いを余所に、宗像瑞紀は徐に制服のポケットから手帳を取り出して、なにやらメモを読み上げはじめたのだった。


「僭越ながら、“今日一杯でこの部屋を立ち退く立花様”の今後の身の振り方を計画しましたのでご確認下さい」

「なぬ?」


 聞き捨てならない台詞だった。

 青天の霹靂、とはまさにこの事であろう。

 少なくとも、見慣れた美少女の魅力を再発見し惚け続けるどころでは無い。


「む、宗像……今……なんつった?」

「まずタヌ吉ですがこちらは既に奉公先を見つけております。『百鬼夜行』のスポンサーなんですが、千早神社のおとね様という方に雇っていただけるよう、話をつけておきました。ああ、もちろん先方は信頼の置ける方で、タヌ吉の事も把握済みです。何より、お給金も出ますし福利厚生もしっかりしておりますからご安心下さい」

「いや、な? みずきたん?」

「この部屋の荷物は本日、業者によって立花家の方へ送りますのでご心配なく。引っ越し代の方はタヌ吉の奉公先から前借りしましたので、心配はいりませんよ」

「おい、コラ。話を聞けって。なあ? 無い。それは無いぞ、みずきたん。何で俺が追い出される事になってんだよ、コラ」

「今日まで黙っていて本当に申し訳ございません、立花様。私、大家さんから伝えておくよう言われていたのに、すっかり忘れていまして……」

「いや、おかしいだろ! なんで俺が出て行く事になってんの?!」

「えっ?」

「えっ? じゃねえ! 何でだよ! 普通に考えて、お前が追い出される方だろ!」

「どうしてですか?」

「どうしてって、わかんねぇのか?! 何度もこんな早朝に隣の部屋の玄関ドアをぶっ壊して土足で入って来るような隣人、追い出さて当たり前だろうが! それがなんで俺なんだよ!」

「ドアの修理費は私がちゃんと払ってましたし、壊れているのは毎度、立花様の部屋ですからねぇ……。一般の方が私がこの細腕で、ドアノブを破壊出来るとは思わないのでしょう」

「うぉおい! それ、俺のせいになってたって事か?!」

「多分。それに大家さんの認識では“この部屋の主”は早朝に玄関ドアを壊して騒ぐわ、女子高生を連れ込むわ、派手な和装の幼女を連れ込んでいかがわしい行為を行っているわ、挙げ句禁止されてるペットを飼っているわ、というものですけれど」

「誤解だ! それ、もの凄い誤解だ! 俺はみずきたんを連れ込んだ覚えは無い!」

「しかし、サツキヒメ様……それも幼女の姿のサツキヒメ様やタヌ吉は釈明のしようもないでしょう。実際、私を含め他の住人の方の苦情も大家さんに届いていましたし、大家さんにしてみれば誤解も何も事実であると受け取っても仕方無いのではないでしょうか。あ、私、これでも一応ずっとフォローしてたんですよ?」


 瑞紀の指摘に、宗太はむぐと罵倒を飲み込んでしまった。

 言いたい事や非難したい事、特に瑞紀もまた苦情を大家に上げていた下りなどを問い詰めたい事は多々あったが、彼女の指摘はもっともと言えばもっともでも、ある。

 お前、自分で苦情を上げといて何をどうフォローしていたのか、などとツッコミ所があれど、確かに宗像瑞紀の言う通りだ。

 少し冷静になって考えれば、端から見た場合宗太は部屋に女子高生を上げ、幼女を連れ込み、狸を飼っている大学生にしか見えないだろう。

 その上、時折早朝に騒ぎ立て、玄関ドアのノブを破壊するのである。

 やばい。

 犯罪の臭いしかしない。

 改めて思い返すと、宗太ですらそのような感想を抱く状況であった。


「とはいえ、ご安心を。立花様に立ち退きの件を伝え損ないはしたものの、その他は抜かりありません。立花様とサツキヒメ様におかれましては、剣の鍛錬を兼ねてしばらく私の実家にて生活をしていただきます。二度と“文車妖妃”程度に遅れをとらぬよう、鍛えて差し上げます。勿論私も帰省しますから」

「ええ?! お、お前んち?!」

「まぁ、気持ち悪い。何を想像したんですか、気持ち悪い」

「い、いや! それ、お前の親父さんも知ってるのか?! ってか、うちの親も!」

「知っているも何も、お父様の提案です。立花様のご両親にはすでに連絡済みで、ご了承も戴いております」

「ちょ、何がどうなって……ええっ?」

「さあ、キリキリと準備して下さい。これ以上、大家さんにご迷惑をおかけするわけにもまいりません。部屋から出て行きますよ。実はタクシーを二台、既に待たせていますので」

「おい! 今まで以上に強引じゃねぇか! なんだよ、これ!」

「“難行”に決まっているじゃないですか、立花様の」

「違う! これは断じて違う!」

「うみゅう、そーた、何を騒いでおる……もう少し、寝かせてくりゃれ」

「そうですよ、兄さ……あっふぅ、こっちはもう少しで二度寝できてたのに」


 宗像瑞紀が口を開く度、場の混沌は深まって行く。

 その電光石火でうつろう話に、宗太をはじめサツキヒメもタヌ吉もついてはいけず、あれよなすがまま、各々に荷物を纏めタクシーが待つアパートの駐車場に降り立つ運びとなってしまった。

 特に可哀想だったのはタヌ吉で、中年男性に変化をさせられてから一人別のタクシーに押し込まれたかと思えば、“某県、某村の千早神社まで”と宗像瑞紀が運転手に手早く伝えてドアを閉め、呆気なく宗太達と離ればなれになってしまったのである。

 その、去り際にまだ状況もろくに飲み込めていない体でタクシーの後部座席からこちらを寂しそうに見つめていたタヌ吉の表情は、実に寂しげで流石の宗太も同情を禁じ得なかった程であったのだが。

 一方で未だ暗い早朝の為か宗像瑞紀もまた浮かぬ表情を浮かべていた事を、宗太は気付かずにいたが為、後に宗太は大いに心惑う事になる。


 怨霊刀が呼び込んだか、はたまた宗像瑞紀が意図したものであるのか、こうして立花宗太と宗像瑞紀の転機となる“難行”は始まったのだった。



 宗太の混乱が収まる頃には彼も又、宗像家の客間に少ない手荷物を持って、案内された頃であった。


 時刻は同日、朝の七時四十分頃か。

 宗像瑞紀が通う高校はどうであるかはわからなかったが、宗太の通う大学の学部では既に春期休講に入っており、この日の予定を気にする必要はとりあえず無い。

 客間は宗像家に逗留する者を泊める部屋であるらしく、六畳ほどの広さで広大な屋敷の、奥まった場所に位置していた。

 だからか、宗太とサツキヒメは宗像家に到着した際に自室へと向かう瑞紀とは一旦別れ、お手伝いさんであるらしい家人の中年女性によって客間に案内されていたのである。

 そんな二人の元に瑞紀が再び現れたのは、お手伝いさんが支度した朝食を粗方平らげた後での事。

 宗像瑞紀はなぜか学校の制服姿から和服に着替えており、言葉も少くただ大事な話があるのでついてきて欲しいと伝えてきたのだった。

 久しぶりに見る彼女の和装は白百合のような清楚な美しさで、しかしその声と表情は先程までと変わらず暗く沈んでいる。

 その意味を宗太はアパートの立ち退きの件に起因しているのだとこの時は考えていたのだが、程なくそれは誤認であったのだと思い知る事となった。


「おぅ、瑞紀。遅かったな? あー、そいつが例の、立花とか言う?」


 それは瑞紀に案内され、見覚えのある部屋に宗太が足を踏み入れた際。

 見知らぬ青年が二人を出迎えて、宗像瑞紀に馴れ馴れしい口調で声をかけてきた時の台詞である。

 青年はでっぷりと太っていて、背丈は宗太よりもすこし高い位か。

 年の頃は宗像瑞紀と同年代であるらしく、先程のどこか嫌みたらしい口調といい、その態度といい、見る者にあまり良い印象は与えないだろう。

 部屋はいつか宗太が通された和室の応接間で、テーブルの上には五人分の湯飲みが並べられており、青年の隣りには瑞紀の父親が立っている。

 ――誰だろうか。

 面識が無いにも関わらず、同年代の者に名字を呼び捨てにされる覚えはない宗太は、戸惑いながらも宗像瑞紀の親戚か何かであろうかと考えて、曖昧に頭を下げた。

 そんな宗太を置いて宗像瑞紀はついと青年の隣りに移動し、俯いてしまう。


「おはよう、宗太君。朝から瑞紀が粗相をしたようで、申し訳ない」

「え、あ! お、おはようございます。いや、ご無沙汰しております。その、瑞紀さんにはいつもお世話になっていまして、とんでもない、です」

「へぇ。瑞紀がねぇ。珍しいもんだ」


 答えたのは瑞紀の父親、宗像敏夫ではなく傍らの青年。

 その言葉の端々にはなぜか嘲るような敵意が混じり、宗太を不快にした。

 否、それだけではない。

 やたら宗像瑞紀に馴れ馴れしい物言いは、宗太の胸のあたりをざわつかせ、暗く濁らせる。


「あの……」

「ああ、すまないね、宗太君。今、紹介しよう。彼は大上蔵人おおがみ・くらんど君といってね、瑞紀のその……」

「許嫁だ。なぁ、瑞紀?」

「は?」


 思わず、間抜けな声を上げてしまう宗太。

 そんな宗太の反応を楽しむように、大上蔵人はにたりと笑ってもう一度宣言するのである。

 隣りでどこか肩を小さくして俯く、宗像瑞紀の肩をすこし大げさに抱きながら。


「い・い・な・ず・け」

「許嫁、って……宗か……、いや、瑞紀さん?」

「あら? 瑞紀、話して無かったのか? おじさん?」

「蔵人くん、今代の“立花様”は宗像家の事情には少し疎くてね。一度に説明すると瑞紀の“お役目”に支障が出る事も考えられるので、詳しくは説明してないのだよ」

「えぇ?! 勘弁して下さいよ。そこの立花とかいう奴の事情はおじさんから話を聞いてしってるけど、それにしても俺の婚約者を預けるとかちょっと無防備じゃないですか?」

「蔵人様……、その、こちらにも事情がありますので」


 身動ぎし、肩を抱く蔵人の手を振りほどきながら宗像瑞紀は父に代わり抗議に応えた。

 いつもの彼女ならばそのような気安く無礼な態度に毅然として対応するのだろうが、許嫁が相手だからか、らしくない瑞紀の態度に宗太は目を白黒とさせてしまう。

 同時に、胸の奥底で濁るように広がっていた黒いものが一気に頭へと登り、宗太をムッとさせるのである。

 ――その感情は嫉妬に近い。

 立花宗太にとって宗像瑞紀とは、気になる異性でも恋愛の対象として憧れる存在でもない、はずであった。

 容姿端麗、文武に秀でた高嶺の花。

 お嬢様校に通う自身とは別世界の住人であり、本人は気にしていないとは言っても互いの価値観の違いから過去には確執もあった存在。

 自身にふりかかる“難行”という怪異が収まれば、当然の如く手の届かぬ世界に帰って行くであろう少女。

 宗太にとっての宗像瑞紀とはそのような認識であるのだが、しかし、彼女の様な美少女が目の前の不快な青年のモノなのだと見せつけられたならば、男女の区別無く不快な嫉妬を抱かせるには十分である。

 あるいは、宗太自身も気付かぬ間に少女への慕情が育っているのかも知れなかったが、それを認めるには二人ともあまりに互いを理解しては居なかった。

 ともあれ、そのようにして宗太は悶々としたものを抱え、ある種のショックを受けていたのだが、そんな彼を意外な人物が慰撫する事となる。


「蔵人くん。その、瑞紀との婚約の件なのだが……」

「ん? 何? おじさん、祝言は来年だけど結納とかの日取りを決めるんでしょうか?」

「いや。そうではなくて……。瑞紀に相談をされてね。私は反対したのだが……宗像の当主としての、瑞紀の決定でね。君と瑞紀の婚約を解消したいんだ」

「え?」

「へっ?」

「すまない、蔵人君。今日呼んだのは、その辺りの説明と詫びを入れる為なんだ。本来は君のご実家にこちらが足を運ぶべきなのだが、既に君のご両親や大上家の方々には“事情”を内々に話はしてあってね」

「ちょ、まってくれよ!」

「如意宝珠による君の“神降ろし”の件は心配しないで欲しい。それはこちらでキチンと執り行うから」

「はぁあああ?! み、瑞紀! なんでだよ! って、正気か?!」


 突然婚約解消を告げたのは宗像敏夫だった。

 どうやらなんらかの“事情”により、二人の婚約は既に破棄されることが決まっているらしい。

 これにはそれまでの態度とは打って変わり、大上蔵人は取り乱し声を荒げてしまう。

 当然であろう。

 瑞紀ほどの美少女を妻にするという優越感等はさておいても、ある日突然婚約の破棄を告げられるという事は彼で無くとも余程の事態である。

 蔵人は宗像敏夫ではなく、傍らの瑞紀の両肩を掴んで食って掛かったが、瑞紀は抗うでも無く、消え入るような声で謝罪の言葉を繰り出したのだった。


「申し訳ございません、蔵人様」

「いや、だからなんでだよ!」

「……本当に、申し訳ございません」

「そんな、婚約を解消って……もしかして、そこの立花とか言う奴に惚れたからとか? 馬鹿な! 俺達“憑きもの筋”が一般人と結婚できるはずはないだろ!」

「いえ、そうではなくて……元々“赤目”は立花家の物。主君筋にあたる立花様が現れたならば、許可をいただかず勝手に婚姻を結ぶことは許されぬ行為なので……」

「だからって! ――ッ、何時の時代の話だよ! 大体、瑞紀! お前はそれでいいのか?!」

「いいもなにも、立花様の“難行”は既に始まっております。その助けとなる事こそ、宗像の存在意義。何を怖れ――」

「死ぬんだぞ!」


 思いがけぬ台詞に、宗太はぎょっとしてしまう。

 宗像瑞紀の婚約を初めて知った次の瞬間、その解消を知りどこかほっとした心地ではあったが、その場合だれかが死ぬと聞かされては安堵には程遠い。

 死ぬとはどういう事か。

 大上蔵人ではなく、宗像瑞紀に問い正したい衝動に駆られながらも、宗太は無言のまま成り行きを見守る事にした。


「瑞紀、お前が一番良くわかっている筈だ」

「……ええ、よく存じております。母がギリギリで私を産み、“間に合いません”でしたから」

「だったら! いや、憑きもの筋の中でも婚姻が難しい“赤目”だからこそ、お前は――」


 しかし、台詞は続かない。

 瑞紀が言葉を遮るべく、蔵人の眼前に手の平を指しだしたからだ。

 そして“赤目”の少女は、父親でも元婚約者でもない、立花宗太の顔を見据えて言ったのだ。

 婚約解消によって自ら定めた、宗像瑞紀の運命を。


「それでも、宗像家は立花家にお仕えするのです。全てを捨て“天狗”に挑み……例え生き残っても、二十歳までに子を成さねば死ぬ運命だとしても」









拍手による感想をありがとうございます

すごく難産となったとっかかり。

修正するかもしれません。

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