プロローグ
2005年 7月24日
「コレ、持ってて。使い方は後で教えるから」
そういうと、目の前の少女は握りこぶしくらいの大きさの「物体」を俺に渡した。
「何コレ?」
あ、しまった。また、何か間抜けな質問をしたのだろうか。
少女は何とも言えない複雑な表情をしながら、とにかく持ってて、と言った。
蝉の異常なまでの鳴き声のせいもあるのか、それとも俺の彼女に対する感情がそうさせるのか、彼女の声はとても美しかった。
しばらくの間、彼女は俺に渡した「物体」と同じ様な「物体」を何やら真剣な表情で、だが慣れた手つきで操作していた。
ブルルル!
「うわっ!」
突然、俺の手の中にあった「物体」が震えだした。
何とか落とさずにすんだが、俺の手の平の上で、震え続ける「物体」、そして慌てる俺の様子を見つめる少女。
その表情が、さらに複雑な感情を帯びた様な気がする。
「何コレ?」
俺はもう一度、彼女に同じ質問をした。
「ケイテイデンワ」
と、少女は何やら楽しそうに、そして少し得意げに言った。
____________________________________
????年 11月3日
今、何時くらいだろうか。
周りが明るいように感じるが、室内灯のせいなのか、昼ごろだからなのか。
混濁する意識の中、母親が顔をクシャクシャにしながら泣いているのが見えた。
ただの一回の親孝行もせず、それどころか散々心配させられた挙句、自分よりも先に人生を終えようとする息子をどう思っているのだろうか。
その母を、いつも苦虫を潰した顔をしている父が目を真っ赤にして支えている。
あぁ、あなたには散々叱られたけれど、そうやって泣かれているだけの方がよほど辛い。
そして、今まさに息を引き取ろうとしている俺の手を、ずっと握ってくれている妻の姿がぼんやりと見えた。
泣き虫だという事を気にしていた彼女。
気にするだけあって、本当によく泣いた。
だが、俺が彼女を泣かせたのは、おそらくこれが初めてだろう。
穏やかな彼女と喧嘩する自分の姿が想像できず、よく笑う彼女を悲しませる自分の姿も想像できず、いつかは彼女を泣かせてしまうのだろうかとよく考えた。
その彼女と結婚したのが、ちょうど1年前。
いい加減な自分が、まさかこんな早くに結婚出来るとは思いもしなかった。
ましてや、誰かの父親になるなんて。
「加奈、お腹・・・、触らせて」
思うように出ない声を、引き絞りながら俺は妻に言った。
それを聞いた加奈は、弾けたように泣き出してしまった。
「加奈・・・」
俺はもう一度、彼女に呼びかけた。
彼女のお腹の中には、新しい生命が宿っている。
先日、産婦人科で診察してもらったら女の子だという話も聞いている。
泣きはらした目をしながら加奈は、うんうんと何度も頷きながら、自分の腹に俺の手を当ててくれた。
「女の子か。父親としては心配のかたまりだな。ふふ・・・」
それを聞いて、また泣き伏してしまった。
落ち着くのを待ってから、俺は彼女の頭に、そっと触れた。
「この子に・・・、名前を・・・・」
加奈から、子供が女の子と知らされた時から、ずっと考えていた名前。
いや、考えたのではなく、「彼女」に貰った名前か。
俺は、最後の力を振り絞って、未だ見ぬ娘の名前を呟いた。
そして、俺の意識は途絶えた。
最近なかなか忙しく、執筆に時間を割きにくいのですが、頑張って完結させようと思っていますので、長い目で付き合ってくださいませ。