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ねた的な小説  作者:
5/28

水に浮かぶ月 

 同じ顔。同じ声。

 この手も足も髪も全て分け合って生まれてきた。

 この世に一人の半身。

 同じはずだったのにどうして、わたしたちはこうも違ってしまったの?

 空に浮ぶ月と水に映る月のようにそっくりなのに違う。

 本物と偽者。実像と虚像。

 わたしは静かに思考を閉ざす。

 だけど閉ざす一瞬を狙ったように疑問が浮かび上がってくる。

 おんなじはずだったのに心はどうしてこんなに違ってしまったんだろうか・・・・・。


 「おねぇちゃん!」


 明るい声と共に廊下を歩いていたわたしに勢いよく飛びついてきた妹をよろけながらも何とか受け止めると腰の辺りにある淡い栗色の頭を軽く叩いて彼女の名前を呼んだ。


 「ミナト・・・・」


 「えへへへっ!」


 双子の妹であるミナトはわたしと全く同じ顔でわたしが決して浮かべることのできない影のない明るい笑顔で笑った。

 わたしはその笑顔が真っ直ぐ見れずに誤魔化すように飛びつかれた衝撃でずれた眼鏡の位置を指で直した。

 わたしとミナトは双子・・・・それも一卵双生児なので顔はそっくりな上に身長も体格もほぼ一緒。同じ格好をして黙っていれば家族でも間違えるほどそっくりだ。

 もっとも学校でわたしとミナトを間違える人はそうはいないだろうが。

 明るく人気者のミナトに対してわたしは人付き合いが苦手で口下手だ。

 浮かべる表情からして全く違う。

 ミナトが朗らかな笑顔を絶やさないのとは反対にわたしはいつも無表情だ。

 別に自分からそんな陰気な顔をしているわけではなく昔から感情を顔に出すのが苦手なのだ。

 似ているのは外見だけ。

 中身は全然似ていない。

 似ていないから外見もわたしはわざとミナトと区別がつくようにした。

 別に目は悪くないのに眼鏡をかけて、ミナトと同じで耳でそろえていた髪を伸ばして今では軽くみつ編みにして背中に流している。

 嫌になるぐらいそっくりで全く違うことが胸に痛い。

 胸に抱く複雑な思いを全部飲み込んでわたしはミナトをわたしから引き離した。

 名残惜しそうに手を伸ばすミナトの手を仕方なしに握りながら彼女の用事を聞いてやる。


 「ミナト・・・どうしたの?」


 「ミノリ!一生のお願い!英語の課題見せて!」


 突然手を合わせて拝み倒してくる妹にわたしは動揺して辺りを見渡した。

 廊下を歩いていた数人がくすくすとわたしたちを見て笑っている。


 「ミナト・・・恥ずかしいからやめて」


 ミナトは別に気にしないのだろうけどわたしは注目されるのが嫌いだ。特にミナトと一緒にいると誰も彼もがわたしとミナトを比べているような被害妄想を浮かべてしまいそうになるので特に嫌だ。

 なのにいい意味でも悪い意味でも目立つ妹はいつもわたしを巻き込んでくれる。

 わたしは慌てて丁度手にもっていた英語のノートを取り出し彼女に差し出した。


 「はい」


 途端にミナトの顔がぱぁと晴れやかなものに変わる。・・・我が妹ながらその変化の露骨さに現金だと思わずにはいられない。


 「わぁ~~~!これこれ!ありがとう!おねぇちゃん大好き!」


 英語のノートを額に押し抱いたかと思えばすぐさま抱きついてくるのでわたしは再び転ばないようにミナトを抱きとめる破目になった。

 じゃ~ねぇ~~と凄い勢いで廊下を爆走していく妹にわたしは我知らず溜息を零していた。

 本当にわたしとは全然違う。

 明るくて。

 素直で。

 可愛くて。

 誰からも愛されるような女の子。

 

 『同じ顔なのに妹とは全然違うだろ?妹は可愛いけど姉の方は堅物じゃん。同じ顔でもさすがにちょっとな』

 

 思い出したくも無い言葉が蘇る。

 胸に走った痛みはもう昔のものなのにどうしても和らいでくれない。

 わたしは

 暗くて。

 不器用で。

 全然可愛くなくて・・・・。

 付き合いづらいと思われるような人間。

 当たり前の真実を言われただけ。

 言った当人だって別に他意があったわけではないだろう。

 誰もが思うことだ。彼に罪はない。

 それなのに傷ついていつまでも引きずっている自分が一番嫌だ。


 「・・・・・・・・・・・」


 とぼとぼと歩いている足取りが自分でも分かるぐらい重い。

 次は移動教室だから早く行かないといけないのに・・・嫌な過去を思い出してしまったせいか気持ちがどん底に落ち込んでいる。


 「はぁ・・・・」


 溜息は自然と重くなる。

 早く行かないと。

 そう思えば思うほど足が重くなる。

 なんでだろう。どうしてわたしここまで落ち込んでいるんだろう。

 大概根暗であの時のことを思い出すと気分が沈むけどここまで落ち込んでいたっけ?

 疑問に思うけどその疑問さえも暗い気持ちに飲み込まれていく。

 頭の中をぐるぐるとあの時のセリフが駆け巡る。

 暗く暗く気持ちが落ち込んでいく。

 進んでいたはずの足がだんだんと遅くなりついにはぴたりと止まる。

 どんどんどんどん穴に落ちるように暗い気持ちがわたしを寝食していく。

 どうしようもなく惨めだった。

 俯いたわたしの視界には学校の廊下がある。

 前を向けば人気のない廊下が延々と続いている。

 動きたくない。

 不意にそう思った。

 もう、動きたくない。立ち止まりたい。

 蹲って顔を埋めてしまいたい衝動に駆られた。


 『願って』


 どっぶりと泥に足を取られたように動けない。


 『ねぇ、願ってよ』


 心が悲鳴を上げている。


 『たった一言でいいんだよ?さぁ、願って』


 何かに急かされるようにわたしはその一言を口にした。

 それが、自分の運命を大きく変える一言だと自覚もないままにわたしは交わるはずのない運命の扉を開いた。


 「ミナトのいない場所にいきたい」


 遠のく意識の中で楽しそうな子供の笑い声が聞こえた気がした。





 姉の声が聞こえた気がしてミナトは必死になって写していたノートから顔を上げた。


 「・・・・・おねぇちゃん?」


 もちろんクラスの違う姉がミナトのクラスにいるはずはない。

 喧騒に満ちた教室。いつもの光景。


 でも何か違う。

 何か足りない。

 不可思議な喪失を感じてミナトは胸が騒いできゅっと胸を押さえた。


 「ミノリ?」


 ぷっつりと何かが断ち切られたような感覚の理由を彼女が悟るのは姉が学校から忽然と姿を消したと知らされることになった時だった。

 

 

 

 手の中に堕ちて来たのは一人の少女。

 彼にしてみれば可愛らしすぎる「闇」を抱え、だがその闇を否定しきれず受け入れることも出来ずに持て余している少女の姿は滑稽で哀れで退屈に倦んでいる彼からしてみればその少女の有り方は格好の暇つぶしであった。


 見つけたのは偶然。

 そしてかの少女を彼が選んだのは必然。


 歪み嫉みそして自己否定。


 なんと美しさから掛け離れた感情だろう。

 清らかとはとても言えない心。だが邪悪ともいえない。

 光と闇・美と醜を抱えるその心の有り様こそが彼を惹き付ける。

 だが人は己の内の闇を認めない。

 穢れよりも潔癖を。

 黒より白を。

 闇より光を。

 人は求める。

 だが人の心とは本来この少女のように闇を抱えている。

 清らかで潔白な心根の人間なんてこの世には存在しない。

 欲と闇を理性という名の檻に閉じ込めて人は生きるもの。

 この少女のように己の醜い部分に怯え嫌悪しそれでもなお抱いて生きて足掻いていくのが人である。


 「ねぇ?きみが望んだんだよ?」


 さらりと掬った黒髪がさらりと彼の指先から零れ落ちていく。

 彼は飽きることなく少女の髪を弄ぶ。


 「きみの望みは叶えたよ。ここは誰もきみを知らない世界。いちいち双子の妹と比較されないきみの劣等感を刺激するものなどない世界。きみが知らない。きみを知らない世界」


 だからと彼は口元に歪んだ笑みを浮かべ眠り続ける少女にそっと囁いた。


 「僕を楽しませてよね」


 邪気の無い笑み。なのにそれはどこまでも歪んだ笑みでほの暗い印象を与えた。



 

 目が覚めると視界がずれていた。


 「あ・・れ・・・?」


 夕焼けに被っているのがずれた眼鏡のフレームだと気が付いてわたしは自分が地面に仰向けに倒れているのに気が付いた。

 眼鏡を直しながら起き上がったわたしは気を失う前とは一変した景色に忙しなく目を瞬く破目になった。


 「ここ、どこ?」


 必死に思い出す記憶は学校の廊下でぶつりと盛大に途切れていた。

 今、わたしが座り込んでいるのはフローリングの廊下ではなく剥き出しの土。頭上に広がるのはどこまでも高い青空。

 どこからともなく吹く風が深い森の梢を揺らしていた。


 「な、なんで?どうして?森?」


 疑問符ばかりが頭に浮いてくる。

 一体、何が起きているの?

 あまりの事態に呆然と座りこんだままわたしは思わず頬をつねってしまった。


 「いたっ!」


 痛覚がある・・・・ということはこれ、現実?

 でもどうして教室から行き成りこんな鬱葱とした森の中に倒れるなんて事態になるの?


 「どうしよう・・・・・」


 自分の身になにが起きたのもわからないままこれからの行動を決めかねていたわたしだったが背後の茂みから聞こえてきた音にびくりと肩を震わせた。

 な、なに・・・・。

 恐る恐る振り返る。がさ、がさ、とゆれる茂みはだんだんとわたしが居る方に近づいている。

 それと同時に生臭い匂いと荒い獣の息使いが聞こえてきてわたしの体が硬直する。


 「あ、あ・・・・・」


 意味を成さない声がわたしの口から零れた。

 逃げないと。

 どう考えたって茂みの中にいるのはわたしにとっていいものじゃない。わかっているのに恐怖のあまり足が動いてくれない!


 「こ、ない・・・で・・・・」


 擦れた声は自分でも嫌になるほど小さく弱弱しい。

 がくがくと信じられないほど体が震えて目を逸らしてしまいたいのに視線は縫いとめられたように揺れる茂みを見詰め続けていた。

 茂みが一層大きく動くのが見えた。


 「いや・・・・・・!」


 わたしは喉が張り裂けんばかりに叫んで這い蹲るようにその場を逃げるのと茂みから何かが飛び出すのとはほぼ同時だった。

 風を切るような音と続いて襲い掛かった衝撃にわたしはなす術もなくぶっ飛ばされた。


 「っう!」


 横倒しになったわたしは顔に感じた土の感触と右腕に焼けるような痛み感じて、一瞬意識を飛ばしかけた。

 だけど体の方は勝手に動いていたようで気が付くと腕の傷を押さえながら立ち上がっていた。

 ずきずきと痛む右腕を見ればするどい爪で制服が切り裂かれており露出した肌からは盛大に血が流れていた。

 それを見てまた意識を飛ばしそうになるけどどうにか踏ん張る。

 いま、意識を無くしたら確実に殺される!

 生存本能が意識を必死に繋ぎとめる。

 荒い息でどうにか襲ってきた何かを確認しようとしたわたしはそこにいた見たこともない生物に短く悲鳴を上げた。


 なに、あれ?


 全体的に猫課の動物に見える。だけど鋭く尖った爪も牙も凶悪すぎる上にその姿は物語に出てくる魔物を思わせるほど醜悪であった。

 頭が重いのは失血のせいか有り得ない展開に頭がついていけていないのか。

 逃げ出そうにも魔物はじっとわたしから視線を外さすにこちらの隙を窺っている。

 今、背中を見せれば襲われることぐらいわたしにも分かった。

 わたしの足じゃ、逃げてもすぐに追いつかれる。それにあの魔物が視線を逸らしてくれない限り動くことすらできない。

 じわりと握り締めた手にいやな汗をかく。

 どうする。

 どうすればいい。

 右腕を襲う激痛と今すぐにでも逃げ出そうとする恐怖心を無理矢理押さえ込みながらわたしは生き残る術を必死に探していた。

 どくどくと自分の心臓が煩い。

 視力も聴力も五感全てがこの事態を打開すべくフル活動していた。

 生まれてから十六年間。ここまで必死に自分に与えられた体の能力を使おうとしたことはない。

 これほどまでに死にたくないと思ったこともない。

 今が瀬戸際。 

 ここで行動の選択を一つでも間違えれば。

 変化を一つでも見誤れば。


 わたしは死ぬ。


 その考えに至った瞬間いやな悪寒が体中を巡った。

 どくんどくんと早くなる鼓動を落ち着かせながらわたしは一つの選択をしようとしていた。

 思いついたのはいたってシンプルなこと。

 ポケットの中に入っていた「もの」を使って魔物を怯ませている間に逃げる。

 そっとポケットに手を入れて「それ」をぎゅっと握り締めて、キャップを外す。

 たったそれだけの作業が極度の緊張を伴う。

 視線は相変らず目の前の魔物に固定されている。

 相手もこちらの隙を窺うように低く唸りながらも襲ってはこない。


 嫌な硬直状態。


 微かに息を吐くとわたしは覚悟を決めて魔物に向かって走り出す

 逃げるならともかくまさか向かってくるとは思わなかったのだろう。どれほど相手に知性があるのか知らないが一瞬、戸惑ったように動きを止めた魔物の顔面にわたしはポケットから取り出したパウダースプレーを思い切り吹きかけた。

 パウダースプレーの注意書き。


 同じ箇所に三秒以上の噴射はおやめ下さい。凍傷の恐れがあります。


 本当に聞くかどうかなんてわからない。凍傷なんてするのかも知らない。だけど思いついたのはこれだったのだ。賭けるしかない。

 一、二、三・・・・・。

 心の中でカウントする声がやけに遅く感じる。

 四.五、六、七、八、九、十!

 最初に決めていた十秒を切った時点でわたしは迷わず魔物の顔にパウダースプレーを全力で投げ付けその横を走りぬける。


 「ぎゃぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 耳を塞ぎたくなるような魔物の絶叫が辺りに響く。それに体が竦みそうになるのを必死に叱咤しながらわたしはそのまま茂みに飛び込みがむしゃらに走り続ける。

 少しでも遠くへ。

 あの魔物が見つけられないぐらい遠くへ逃げる。

 遠くから怒りに満ちた獣の声が聞こえてきてその度に死に物狂いで足を前へ前へと走らせた。

 何度も後ろを振り向きそうになるのを必死に堪えてついでに泣き崩れそうになるのも堪えてただからだを走らせることだけに集中した。

 走って走ってようやくあの魔物が追いかけてきていないと思えたらわたしはへなへなとその場に崩れ落ちた。

 ぜーはーと荒い息しか出てこず、喉は走りすぎてヒリヒリするし信じられない量の汗が顎から滴り落ちているのを手で無操作に拭うとわたしは近くにある木の幹に背中を預けた。

 しばらくはわたしの息を整える音だけが聴こえた。

 ぼんやりと梢の間から見上げた空の色はわたしの知っているそれと同じはずなのに・・・・どうしてか見慣れない。


 ここは、どこ?

 あの化け物はなに?


 ぐるぐると色んな疑問が浮んでは答えを無くして消えていく。

 体の辛さと現実の訳の分からなさで頭の中がパンク寸前だ。


 「水、飲みたい・・・・・」


 からからと乾きすぎて喉がくっ付いているような感じ。

 唾を飲んでも乾きは癒せない。

 水が飲みたい。

 この状況になって喉が渇いたらすぐ水が飲める環境にいた自分がどれだけ恵まれていたのかいやというほど実感した。

 お金があれば自販機やお店で飲み物が買えるし、無かったらなくて蛇口を捻れば水が出てくる。

 当たり前だったはずのことが本当は凄く恵まれていた。

 そう思ったらジワリと涙が滲んだ。

 水だけじゃない。わたしが今まで暮らしてきた世界はなんて便利で恵まれた場所だったのだろうか。

 少なくとも衣食住は十分すぎるほど整えられ、安全面でもあんな化け物に襲われる心配なんてない。

 ごくりと喉がなる。

 喉が渇くことは空腹を我慢するよりも辛い気がする。

 どうしようもない辛さを耐えているわたしの耳に微かに聞こえてきた水音。

 最初は乾きのあまり幻聴が聴こえてきたのかと思った。

 だけど水音は消えず、わたしはのろのろと体を起こした。


 「・・・か、わ・・・?」


 川か・・・泉か・・・・兎に角水が流れている場所がある。

 ふらふらする体をどうにか起こす。

 そういえば右腕も怪我をしていたんだっけ、血は止まったようだけど痛みは麻痺してしまったのかあまり感じない。

 水音が聴こえる方へ行こう。

 水があれば乾きを癒せるし傷を洗うことも出来る。

 そうだ、手当てもしないと。

 聴こえてきた水音はわたしに少しだけ元気を取り戻させてくれた。

 だから少しだけ先のことが考えられるようになったわたしは自分でも不安になるほどのおぼつかなさで歩く。

 なんども蹴つまづいたりよろけたりしながらも何とか水音がはっきりと聴こえる範囲までやってこられた。

 わたしは右腕を庇いながら茂みを進んでそして唐突にひらけた視界の先にあったのは。

 地面からコンコンと湧き出る澄んだ水をたたえる泉と


 「おや、久方ぶりに人が迷い込んだと思うたら小娘かえ」


 泉の中央に浮ぶ人とは思えない美しさを讃えた青い髪の女性の妖艶な笑みとその足元に広がる水に沈む無数の骸骨の残骸だった。




 それはまるで現実感のない光景だった。

 水の上に苦もなく浮ぶ女性は幻想的でまるで水の妖精のように美しく侵し難い空気があった。

 一枚の絵画のように完成された美。なのに視線を落とせば水の中にある無数の人の骸骨がその美を壮絶なものに変える。

 ただ美しいだけではない恐ろしさを秘めた美。

 それでも目を奪われずにはいられない。

 現実とは思えない光景にわたしはそれまで感じていた渇きも腕の痛みも忘れただ呆然とその場に立ち尽くしていた。

 動くことはもとより声を出すことすら許されない気がしてわたしは一切の自発的行動を封じられていた。

 ただただ目の前に広がる光景に圧倒されてしまった。

 水に浮ぶ女性がそんなわたしを笑う。

 ころころとまるで鈴を転がすように響いた笑い声は耳に心地よく涼やかだ。


 「阿呆のようにわらわを見ておるがこの顔はそんなに珍しいかえ?」


 その言葉と共に女性の足元に波紋が広がる。

 最初は小さなそれは時を待たずものすごい勢いで動きを早めていく。


 「なっ・・・・!」

 

 わたしが異変に気付いて次の行動に移るよりも早く、泉の水がまるで生き物のようにわたしの身体に巻きつきそのまま高く抱え上げてしまう。

 優に家の二階分の高さは上げられてしまったわたしはその高さに思わずぞっとする。


 なに、これ!


 常識を無視した水の動きに驚愕するわたしを他所に水は更に強くわたしを拘束してくる。その強さにわたしは息ができず思わず苦悶の声を洩らしてしまう。


 「っ・・・あっ・・・・」


 息が出来ない苦しさに顔を歪めるわたしの目の前にあの泉の中央に浮んでいた女性がわたしと同じ目線まで浮んでくる。

 真っ青な髪が微かに風に吹かれわたしの頬に触れて離れた。

 女性が楽しそうに苦しむわたしの顔を覗きこむ。


 「わらわの棲みかに迷い込んだがお主の運の無さ。最近はめっきり人が訪れなかったので暇しておったのだ」


 だから遊んでおくれと細い指がわたしの頬をなぞる。その冷たい指先がどうしようもなくわたしの不安を煽る。優しく笑ってもその「遊び」がわたしにとって安全であるだなんてこの状況で信じれるほどわたしは能天気ではない。

 ざぁーと血の気が一気に引いていくのが自分でも分かった。

 彼女の言う「遊び」がわたしに何をもたらすのか曖昧でも感じ取ったからだ。

 顔面蒼白なるわたしの頬をゆっくりとなぞりながら女性はまるで夢のような美しさでわたしに残酷な運命を運んでこようとしていた。


 「ふふっ・・・怖いのかえ?」

 

 こちらの恐怖を見透かしているだろうにあえてこの女性は気付かない振りをしてそんなことをわたしに問いかけてくる。

 だけどわたしは答えるほど余裕がない。ただただ目を見開いて目の前の美しい女性を見詰めることしか出来ない。

 不思議なことに恐怖を感じておるというのにわたしは目の前にいる女性から目を逸らすことができないでいた。

 恐怖からではなく彼女のその美しさゆえに目が逸らせない。

 見惚れていた。

 わたしは恐怖を感じながらも確かに目の前の女性に見惚れていたのだ。

 青い瞳がまるで見透かすように細められ、口元が軽く緩んだ。

 

 「面白い小娘じゃ・・・・この期に及んでなお瞳に恐怖以外の感情を浮かべられるとは。のお、お主の願いを一つだけ叶えてやろう」


 突然、女性が訳のわからないことを言い出した。

 願いを叶える?

 目で訴えかけると女性がふふと楽しそうに笑う。

 

 「ほれ、言うてみい。おぬしがいま一番望むことはなんじゃ?」

 

 わたしは女性のその言葉に促されるようにされた質問について考える。

 今、一番望む・・・・こと・・・・・。

 考えて真っ先に出たことといえば・・・・・。


 「のど・・・・渇いた・・・・」


 素直にその言葉が口をついた。

 だけどわたしの言葉はかなり女性の予想外だったらしく彼女は先ほどまでの余裕の態度が嘘のように呆然唖然と動きを一瞬止めた。

 そしてまじまじとわたしを見るとなぜか恐る恐る聞き返してきた。

 まるで自分が聞き間違えをしたかのような顔でもう一度わたしの言葉を繰り返す。


 「のどが、渇いたじゃと?」


 頷く。今、わたし一番叶えて欲しい願いは・・・・。


 「水が飲みたい、です・・・・」


 本気で願いを叶えてくれるなら水を飲ませて欲しい!

 わたしは心からそう思って答えたのになぜだか女性は絶句し、続いて俯いたかと思うと肩を振るわせ始めた。

 どうしたんだろうと思っていると女性が勢いよく顔を上げてそして優美で優雅で華麗で・・・・・とにかくわたしの語彙録では表現しきれないぐらい綺麗で整った顔で盛大に噴出した。


 「ア~~~~~~~~~~ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 今まで纏っていた神秘性を全てかなぐり捨てるような馬鹿笑いが辺りに盛大にわたしの鼓膜を直撃した。

 耳を塞ぎたくとも今だに水(なのかなこれ?泉から出てきたけど服も濡れない)に拘束されている身ではそれも叶わず耳が思い切りきーんとして目を白黒させているわたしの前で目じりに涙さえ浮かべながら女性が腹を抱えて笑いこけていた。

 一体何がそこまで彼女の笑いのツボにはまったのか皆目検討もつかないわたしはただただ事態を見守るしかできない。

 

 ゆうに二分以上は笑い続けた女性は目じりに浮んだ涙を指で拭いながら再びわたしを見た。だけどその顔も雰囲気も先ほどとは違いどこか親しみが篭もったようにわたしには感じられた。

 女性がふっとその白い手を挙げるとわたしを拘束していた水が緩やかに下降していきわたしが地面に足をつけると同時にぱっと散水して泉に還っていく。

 ・・・どうでもいいが一気にどばっと出てきたのなら帰る時も同じように帰って欲しい・・・・スライムみたいに小分けににしてうごうごと地面を這いずりながら帰る必要性はどこにあるの?

 少々釈然としないものを感じてしまう。

 後に残ったのはのろのろと顔を上げたわたしといつの間にか地面に降りてきていた女性だけだった。

 女性はわたしを上から下までじっくりと見る。その視線が居心地悪くてわたしは微かに身じろぎした。

 気が済むまで見ると何か納得したのか女性は「ふむ」とひとつ頷く。

 なに?一体なんなの?

 あれこれと相手の意味不明な行動にわたしが右往左往していると女性がずずっと顔を寄せてくる。綺麗すぎる顔で視界一杯になりわたしはドキマギさせられる。


 「あ、あの・・・・?」


 「お主・・・・ずたぼろじゃのぉ」


 魔物に襲われて右腕の服は制服はおろか下のブラウスまで破れているしオマケに血がアッチコッチに飛び散っている上に闇雲に逃げていたため木の枝やら草であっちこっち切り傷だらけ。

 砂や葉っぱもついているだろうし確かにずたぼろと言われても反論のしようもない。

 思わず俯いてしまったわたしだったが女性の放った一言に再び顔を上げる破目になった。


 「まずは怪我の手当てとその小汚い格好をどうにかせねばな。飲み物はその後じゃ、我慢せい」


 へっ?と顔を上げたわたしに女性がニッコリと笑いかける。

 正直、綺麗だけど有無を言わさない何かを感じさせる笑顔だった。


 えっと・・・・あの・・・・・、先ほどまでなにやら「遊ぶ」と言われていませんでしたか?


 などとは口が裂けても言えない。

 藪をつついて蛇は出したくない。


 「では、傷から治すか」


 気が付くと女性の手がわたしの右腕に伸びていた。


 「っう!」


 不遠慮に傷に触れられて走った痛みに思わず呻き声が出てしまうわたしに構わず女性はわたしの右腕に手を動かす。

 再び走る痛みにわたしはじっと耐えていたが不意に痛みが和らいできて驚いて視線を右腕に向ける。

 それはまるで魔法を見ているようだった。

 女性の手が傷に触れるたびに傷は薄くなっていき一分とたたない内にわたしの右腕にあった傷は跡形もなく治ってしまったのである。


 「うそ・・・・」


 自分の目で見て自分に起こったことなのに信じられなくてわたしは思わずそう呟いていた。

 痛みもない。血はこびりついているけどその下の肌には傷なんてもうなかった。

 そこに傷があったなんて服の破れと血の後がなければ自分のことながら到底信じられないぐらい完璧に治っている。


 「ほれ、いつまで呆けておるのじゃ。さっさと服を脱がぬか」


 「・・・・・はい?」


 いま、なにをおっしゃったのでしょうかこの女性は?

 言われた意味を理解できないでいたわたしに気が長くないらしい女性が苛立ったように再び手を挙げる。

 その光景に先ほどの悪夢が脳裏を過ぎる。

 ま、まさか。

 さーと血の気が引いた。


 「ちょ・・・・」


 ちょっと待ってくださいという言葉を言い終えるよりも早く女性が物騒なセリフを投げ付けてきた。


 「面倒じゃ、その服ごと洗濯してくれる」


 その言葉と共に泉からそそり立った大量の水がわたしの頭上めかけて降り注いだ。

 正直いってありえなさ過ぎる。

 逃げる暇も心構えもできていないわたしは当然のようにその水を被る破目になってしまい水が引いた後に残ったのは全身ぬれねずみになって震えるわたしの姿だった。



 

 くっしゅんとクシャミをするわたしに女性がどこからともなく取り出した大きな布がふわりと被さってくる。


 「わっ!」


 視界を覆われわたわたするわたしに構わず女性はどんどんものを取り出す。


 「さっさとその服を脱いでしまえ、あとは・・・・代えの服じゃ」


 ぽんぽんと本当にどこからともなく取り出された服が一式わたしの前に並べられる。


 え、え~~~っと?


 どうにか布を頭から取り払ったわたしを女性が腰に手を当てて叱り付けて来る。


 「ほれ、さっさと身体を拭いて服を着替えぬか!わらわと違ってお主は病気になるのじゃろ」


 「は、はい!」


 野外で・・・しかも同性とはいえ人の目の前で着替えるのに抵抗は感じたけどこれ以上待たせたらこの人、怒りそうだからわたしはあたふたと服を抜いて水滴を拭い用意された服に着替えた。

 服はボタンがなくて紐で大きさを調整するみたいだったのでサイズ的に少し大きかったけどどうにかわたしに合わせることができた。


 「ふむ。着替え終わったか」


 「は、はい」


 動き易い服はどうみても男性の服だったけどこの際文句は言うまい。

 きぐしゃくと向き合うわたしとは対照的に女性はじろじろと遠慮なくわたしの姿を上から下までみて何か納得したように頷いた。


 「そこらに残っていた服を適当に見繕ったのじゃがまぁまぁじゃな。女物があれば良かったのじゃが着られるほど状態の良いものがなくてのぉ~~」


 女性のセリフに口元が引きつる。


 もしかして・・・・この、服って・・・・・。


 脳裏に浮ぶのはすくそこで静かに沈んでいる骸骨。

 そして女性が最初に口にした「遊ぶ」という言葉。

 つつぅと背筋に嫌に冷たい汗が流れた気がした。

 ぶんぶんと頭を振って頭に浮んだ考えを追い出す。

 ダメだダメだ。深く考えると怖いことになる。


 「ふむ?どうしたのじゃ?」


 「べ、別に何でもありません・・・・あ、あの・・・」


 「うん?」


 「ありがとうございます・・・傷を治していただいた上に服まで・・・・」


 この服の出所は・・・・と聞きたくなるのをぐっと堪えながらわたしは頭を下げた。

 怪我を一瞬で治したり水を操ったり物騒発言やら証拠の多いすこぶる怪しい人?だが彼女がわたしにしてくれた親切は確かだからわたしは素直に頭を下げて感謝を伝えた。

 あれ?おかしい。なんの反応もない。

 そろそろと視線だけ上げると何故だか絶句している女性と目があった。

 なんで・・・・そんなに驚いているんだろう?

 女性はものすごく驚いているように見えた。

 目を見開いてわたしを見ている。

 反応に困ってまごついていると女性が顔を手で覆って深い溜息をついた。

 なんなんですか、その反応は。

 何となく面白くないわたしが眉を潜めるのに気付いた女性が苦笑いを浮かべた。


 「いや、別にお主をバカにしたわけではないのじゃ。ただ、まさか礼を言われるとは思ってもみなんだもんでな・・・・」


 「えっと・・・普通はお礼、言うと思いますけど・・・・?」


 「わらわのような魔物に礼を言うなどとおぬしは変わり者じゃな」


 「まも・・・の?」


 わたしの反応に女性は満足そうに頷いた。


 「気付いておらんようだから改めて言おう。わらわは水の大妖 ウィンディー。人からは魔物と呼ばれる存在じゃ」


 水の大妖?魔物?え?何?何のこと?

 女性の言うことはわたしには全くちんぷんかんぷんで、多分表情から分かったんだろう女性も不審気な顔で首を傾げてわたしを見ていた。


 「おぬし・・・本気でわからぬのか?」


 問われてわたしは頷く。


 「あ、あの・・・魔物って・・・一体なんのことですか?」


 恐る恐るそういえば女性が目を丸くして信じられないものを見つけたような顔した。


 「魔物を知らない!?おぬし一体どんな暮らしをして・・・いや待て」


 なにやら叫びかけて途中で何かに気付いたように女性は言葉を切った。そしてじっとわたしの顔を見る。青い瞳は吸い込まれそうなぐらい深く綺麗。

 その瞳に映るわたしは酷く不安気な顔をしていた。

 じっと何も言わない女性・・・ウィンディーさんにわたしは居心地が悪いながらもじっとしていた。

 ささっーと風が泉に波紋を広げる。

 ウィンディーさんは真剣な目で何が楽しいのかわたしの顔を見続ける。

 み、身動きしたら怒られそうだ。というか迂闊に邪魔したら泉の下の骸骨に仲間入りさせられそうで怖い!

 だらだらと汗をかくわたしに気付かずにウィンディーさんがわたしを見たままぽつりと「やはり」と呟いた。


 「おぬし、この世界の者ではないな」


 「・・・・・・・はい?」


 今、なんとおっしゃいましたか?この人(本日二回目の疑問)


 「あ、あははは。何をおっしゃって・・・・」


 「なんじゃ、自覚なしか?まぁ、無理もないか・・・」


 あの、もしもし?勝手に納得されてもこちらとしてはその、全く事態が把握できないので出来れば詳細な説明などをしていただければ嬉しいのですけど?

 なんてことを言う度胸もないまま黙っているしかないわたし。


 「どうすれば納得できるかのぉ・・・・」


 ウィンディーさんはしばらく顎に手をやって考え込んでいた。


 「ここはお主のいた世界とは違う世界。それで納得せい」


 物凄く簡略にされた上にかなり投げた感じがしたのはわたしの気のせいでしょうか?

 実は結構大雑把で短気な性格?


 「納得せぬなら面倒なのであっちじゃ」


 本当に面倒そうに指差された「あっち」とは泉(の素敵な骸骨のオブジェ付き)


 「納得しました!」


 背筋を伸ばして新米海兵隊員のように敬礼しつつ返事をするわたしにウィンディーさんは「よし!」となぜか得意げに胸を張った。


 「ところで、お主の名はなんじゃ?」


 「あ、あのすいません!えっと・・・・ミノリ、です」


 「ふむ、ミノリ、か不思議な響きじゃのぉ・・・」


 「そう、ですか?」


 「ミノリ、お主本当になぜ自分がこの世界に来たのか覚えがないのか?」

 

 言われてわたしは考える。覚えって言われても廊下を歩いていたら急に意識が遠のいて気付いたらここにいたって感じだったもんな・・・・何が起きて異世界?にくることになったのかわたしの方が知りたい。

 

 「わかりません」

 

 わたしは緩く頭を横に振った。


 「ふむ。お主から神気がするので神が関係するのは確かなのじゃろうが・・・」


 「神気?」


 「そうじゃ、お主から微かにじゃが神気が感じられる。ゆえにお主に起こった一連の事に神が関わっているはずなのじゃ」


 問題はなぜ、神さまなんぞがわたしに干渉したかということである。

 問題が山積みの上に事態の把握は容易ではないときた。

 本当に頭が痛くてわたしは少しよろけた。


 何だかんだ言ってわたしは自分が異世界に飛ばされたということを受け入れていた。

 まぁ、わたしの常識では有り得ない動物に襲われ、人間とは思えない人?に逢ったりで認めざるを得なかったというか・・・・。

 はぁ・・・と溜息が自然と零れる。

 見慣れない森の中をとりあえず歩く。


 「よいしょ・・っと」


 背中に背負った荷物を背負い直す、と腰にさげていた細身の剣がかちゃりと鳴って存在を主張する。その音にわたしは慣れない腰の剣、これを貰った経緯を思い出していた。



 「取り合えず、街にいくがいいぞ」

 色々なことがあり過ぎて何にも考えられなくなっていたわたしにウィンディーさんはそう言ってどさどさーと色々なものを取り出したかと思うと手ごろなリュックに詰め込み始める。


 「え、あ、あの・・・・?」


 「手ごろなものを詰め込んでおくから持っていけ、どうせ使う者ももうおらんから文句はどこからも

出んぞ」


 この人の言葉は本当に一々物騒な空気が漂うな・・・・ってそうじゃなくて!


 「ま、街に行けって・・・うぁ!」


 わたしの言いかけた言葉はウィンディーさんに押し付けられたリュックサックによって遮られた。

 わたふたと受け取るうちにウィンディーさんは何故だか泉に帰っていく。

 うぁ~~滑るように水面歩いている・・・じゃない!


 「う、ウィンディーさん~~~」


 どんなに物騒で怖い人でも一人ぼっちで投げ出されるのは幾らなんでも怖い。

 自然と心細い声で彼女の名前を呼んでしまった。

 だけどウィンディーさんは全くわたしを顧みようとはせずに泉の中央まで来ると歩みを止めて手を水面に掲げた。

 一体何をするのだろうか?

 と、不意に風が吹いた。


 「うぁ・・・・」


 驚いて目を瞑りかけたわたしだったけど水面の変化に気付いて必死に目を凝らした。


 「水が光っている」


 まるで幻のように淡い青光が泉全体から発せられていた。


 「な、にこれ・・・」


 光がまるで意思があるようにウィンディーさんの立つ中央へ・・・正確には彼女が水面につけた手の元に集まっていく。


 とくん。


 その光景に何故だか心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

 ざわざわと空気が騒いでいる。

 何かが、何かが普通とは違う。

 ウィンディーさんの手元が一際大きな光を発する。

 ぶわっと目もくらむような光の中からウィンディーさんが何かを引き抜いたのが辛うじて確かめられた。

 ばんっ!と水柱がたちそれが一気に散開した。


 「きゃっ!」


 水圧と水で思わずよろける。

 水がまるで狂ったかのように泉の周囲で暴れまわる。

 不意に飛んできた水の塊がへたりこんだわたしのすぐ側の地面を抉って消えたのを見てわたしは血の気をなくした。


 「ウィンディーさん~~~~~~~~~~~~!」


 先ほどよりもよほど切羽詰まった声で名前を呼ぶと泉の中央にいた彼女がようやくわたしの方を見てくれた。

 情けなく座り込むわたしを見て実にいい笑顔で笑われて思わず唇を尖らせてしまう。

 そんなに笑わなくてもいいのに・・・・。

 釈然としない気持ちのまま立ち上がるとフワリとウィンディーさんが再びわたしの前に現れる。

 相変らず体重を感じさせない動きをするウィンディーさんの手には先程まではなかった一振りの青い剣。

 彼女はまるで我が子でも抱くような手つきで剣を鞘から抜き放った。

 鮮やかな青い刀身から零れた光がわたしの瞳にうつり込み、目を奪った。


 「これは魔剣じゃ」


 「まけん?」


 「大妖たるわらわが生み出した水の魔剣」


 ウィンディーさんの言葉に反応するように青い刀身に水のような波紋が広がる。

 これが普通の剣じゃないことぐらい何も知らないわたしでも分かった。

 雰囲気というかそういう「力」を無条件で感じられた。

 とくんと心臓の鼓動が耳を打つ。

 それはわたしの鼓動でありわたしのもではない鼓動。

 違うはずの鼓動はだけど同じタイミングで打つ。

 水のイメージがわたしの中に広がる。

 青い青い深い色。

 凪いだ水面を思わせる刀身にわたしが映った。


 「名を」


 「名?」


 全身青尽くめのウィンディーさんの唯一赤い唇が三日月の形になる。


 「そう、名前じゃ。この刀には名がない。生まれたばかりの文字通り赤子じゃ。そしてそれゆえに名が必要」


 名をと再度催促される。

 青い色が思考を染め上げていく。

 

 ―――――なまえ・・・・。


 幼い、少女のような声がわたしの耳に微かに届いた。


 ―――――――あたしの、なまえ・・・なぁに?


 舌足らずな幼子の声に導かれるようにわたしは手を伸ばしてウィンディーさんから剣を受け取った。

 ウィンディーさんは何も言わずにわたしに剣を手渡してくれた。

 予想以上に軽い剣を両手で持ってその青い刀身を見詰める。


 ――――――――つけて?あたしの、なまえ、おしえて?


 とくんと心臓の鼓動がまた、聴こえてわたしは目を瞑りそして悟る。

 重なっている鼓動はこの剣の鼓動だ。

 いま、誰よりもなによりもわたしとこの剣は繋がっている。


 「あなたの、名前は・・・・」


 ――――――なまえは?


 わくわくとまるでプレゼントを貰う前の子供のような声と待ちきれない気持ちがわたしにまで伝わってきて思わず口元が綻んだ。

 それは不思議なほどすんなりわたしの口から零れた。

 まるで最初から紡がれることを待っていたかのように水の雫が落ちてくるようにわたしの中にあった。


 「アクア」


 わたしの口がその名を口にした途端わたしを中心に青い光の魔方陣が現れる。

 それと同時に空気が震え、再び盛大に水柱が上がった。


 「な、なに!」


 ―――――――アクア!あたしはアクア!名前、もらった!


 腕の中の剣から直接叩き込まれた声なき声にわたしは目を剥くがそんなのはお構いなしに剣から聴こえてくる歓喜の声にあわせて盛大に水柱は立つは魔方陣は光を増していくはで事態ははっちゃかめっちゃかな方向へと突き進んでいる。


 「な、な、な・・・・・・」


 周囲を舞う水は一滴たりともわたしを濡らさす、光はよく見ると魔法陣に描かれている文字のようなものがそのまま浮びあがっておりそれらはくるくるとわたしの周囲を回っていた。

 呆然唖然驚愕のわたしの腕の中からふわりと剣が浮かび上がる。

 座り込んだわたしの目線に浮んだ剣に幼い少女の姿が重なる。

 年は十歳前後の青い髪に瞳のどこか巫女を思わせる服をきた少女はわたしの顔をみるなり嬉しそうに顔をほころばせ腕を伸ばしてきた。


 ―――――――――主!貴女はあたしの主!


 ふわりと抱きついてくる少女の腕がわたしの首に回る。

 反射的に抱きとめようと上げたわたしの腕はだけど何も掴むことが出来ないまま宙を抱きしめた。

 まるで幻だったかのようにわたしに抱きついてきた少女の姿が消える。

 同時に光も魔方陣も水柱も綺麗に消え去る。

 残ったのはへたりこんだわたしと目の前に落ちている一振りの剣。


 「選ばれたようじゃな」


 顔を上げるといつの間にかウィンディーさんがいた。

 のろのろと剣を拾い上げる。なんだか・・・何が起きたなんて理解できないけどこのままこの子をここに転がしておくのはなんだが忍びなくて再び抱きかかえる。

 腕の中の剣が微かに光って震えたように感じたけどきっと気のせいだ。

 思い出したら何だか余計に腰の剣が重く感じられてわたしは足を止めて剣に恐る恐る触れる。

 硬質な感触と一緒に冷たさを感じてびっくりして手をすぐに引っ込めた。

 あの後、ウィンディーさんはわたしに荷物とこの剣を押しつけるとほぼ無理矢理わたしを追い立てたのだ。


 「ちょっと!」


 と振り向いた時には泉もウィンディーさんも居なくて、そこにはただただ深い茂みが広がっているだけだったのでわたしはあっけにとられてしまった。

 まるで魔法のように消えてしまったけど剣と荷物だけはしっかりと手に持っていてこれまでのことが夢ではないとわたしに教えてくれた。

 見渡せば鬱葱と広がる深い森。

 どんな獣が潜んでいるのかも分からずしかも獣どころか魔物までいる。


 「どうしろって・・・言うのよ・・・・」


 剣と荷物を抱えたままわたしが途方に暮れたとしても仕方がないと思う。

 先行きが不安すぎて泣く気にすらならない。

 人間想像も絶する状態に陥ると混乱を通り越して何も考えられなくなるんだぁ・・・・。


 妙な納得をしかけていたわたしだったけど遠くの茂みがかさりと鳴った音に肩をびくつかせた。


 な、なに・・・。


 茂みにはものすごく嫌な心理的外傷がある。まだかさぶたどころか真新しすぎる傷に反射的にわたしは荷物と剣を抱えなおし一目散にその場を駆け出した。

 途中でスッ転んだりその際散らばった荷物の中から剣を腰に下げる帯みたいなものが見つかってそれをつけたり再び物音で全力で逃げたたりして今に至る。

 歩けども歩けども途切れない森、現れない人、あっちこっちから聞こえる物音に一々反応して精神的にも肉体的にもかなり消耗していく。


 ううっ・・・なんで・・・どうしてわたしがこんな目に?


 ほんの数時間前までは普通に高校生だったはずなのに・・・・。

 とぼとぼと歩くわたしはもう時間間隔もなければ自分がどれだけの距離を歩いているのかさえも把握できていない。

 じんわりと涙が滲んでくる。

 知らない。

 こんな場所知らない。

 どうして、どうしてわたしがこんな場所にいるの?


 「なんで・・・・」


 考えはじめると後は坂を転がるように思考が暗い方向へと転がり落ちていく。

 自分が巻き込まれた理不尽さにどうしようもないぐらい苛立って今すぐでもいいから戻りたいと思った。

 こんなわけのわからない世界じゃなくて自分の世界に戻りたかった。


 「なんで!」


 わたしの激昂した声が森に響く。


 「なんでわたしがこんな目に遭わないといけないのよ!!」


 もう頭の中がぐちゃぐちゃして心が物凄く荒れていた。


 「もう嫌!」


 叫んでもだだを捏ねても森は相変らず鬱葱としていて人の気配ない。

 それが余計わたしの癇に障っていく。


 「ウッ・・・・うぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 座り込んでわたしは大声で泣いた。

 そんな大声で泣いて危険な生き物が近寄ってくるとかそんなこと考えている余裕なんてない。

 癇癪を起こした子供のようにその場に座り込んでわーわーと泣いた。

 まるで泣けば誰かが助けてくれる、元の世界に帰れるそう思い込んだみたいに泣いていた。

 現実なんてそんなに甘くない。

 誰も手を差し伸べてなんてくれない。

 わたしがどんなに泣いて助けを求めても現実は見知らぬ世界の見知らぬ森の中で一人ぼっち。

 泣いて、泣いて。だけど誰かに引っ張り上げて貰うのではなく自分の足で歩き出さないといけない。

 わたしがそう悟るのはもう少しだけ、先のこと。

 今はただ、泣いていたかった。

 助けてもらえるって信じたかったのだ。

 たとえそれが儚い願望でも、わたしは信じたかった。

 誰も助けてなんてくれないって心のどこかで悟っていたけど。




 くくっと想像以上の展開に彼は面白くて笑いがこみ上げてくるの止めることができなかった。


 「まさか、魔剣の主になるなんてね・・・」


 予想外もいいところだ。

 大抵のことはやってのける力をもつ彼でさえも予測できない事態を引き寄せて見せた少女は実はものすごい運の持ち主ではなかろうか。

 上に「強」がつくか「凶」がつくかそれは知らないが。


 「さあて、泣いている場合じゃないよ。ミノリ」


 魔物が生み出す魔剣。

 精霊が生み出す聖剣。


 聖剣の持ち主は精霊の加護を受けし世の平定を導く者。

 魔剣の主は力に溺れ、世に災いを招く争乱の担い手。


 このままではミノリが人から迫害され、やがては狩られるのは明白だ。

 だが、彼はそれでも笑っていた。

 彼は彼に科せられた事情でミノリを選んだ。

 その心に抱え込んだ闇が面白そうという理由で選んだミノリはしょっぱなからこちらを裏切るような予想外の出来事をぽんぽんと呼び込み続けている。

 水の大妖に遭遇しておきながら五体満足でいるだけではなく彼女から魔剣まで持たされた。

 ここまでの展開、彼にとっては本当に予想外だ。


 「最初の魔物に襲われた時点で死ぬかと思ったけど・・・・」


 その危機を彼女はどうにか回避してみせた。己の知恵ともっていた道具と度胸だけで。

 彼がほんの短い間の玩具だと思っていた少女に彼が少しばかり違う感情を抱き始めた瞬間だった。


 「今までの人間とは少し違うということかな。さて、君はどう足掻く?」


 足掻く様すら面白いと彼は笑う。

 その声も眼差しもミノリには届かない。

 彼とミノリは視線も声も届かない絶対的な距離にいた。その眼差しが交わることは無い。




 泣いて泣いてとことんまで泣いたらなんだかものすごくスッキリした。

 目の端に引っかかっていた涙を拳で拭うとわたしは気合を入れるように頬を両手で叩いた。


 「よし!」


 散々泣き続けたせいか頭上の太陽はもう西に傾いている。

 頭が大分、現実を見詰め始めていた。

 そういえば・・・もうすぐ夜だ。


 「寝れる場所、探さないと」


 野宿なんてしたことないけどどうにかしなきゃ。


 「えっと・・・見晴らしが良くて、何か近づいてもすぐに分かって、出来るなら水が近くにある場所がいいかな?」


 ずらずらと思いついたままを口にだしながらわたしは野宿できそうな場所を探す。

 ついつい言葉を紡いでしまうのは黙っていると静けさが忍び寄ってきて怖いからだ。


 「つかれた・・・・」


 どうにかこうにか見つけた大木の根元に蹲る。

 辺りは真っ暗。空に浮ぶ星と月の灯だけが仄かに森を照らしていた。

 だけど、さすがに色々あり過ぎて夜空を見て綺麗だと思うほどの余裕がない。

 瞼が酷く重かった。

 眠い。

 思いっきり泣いたせいかそれとも駆けずり回ったせいか身体が物凄く疲れている。

 あ、そうだ・・・もらった荷物の中身全然確かめてない・・・・。

 のろのろと荷物を引き寄せて、だけど眠気には勝てずにそれを枕にしてしまう。


 「ねむ・・・・」


 すぅと眠りが訪れる。

 長い長い一日がようやく終わろうとしていたことすら気付かずわたしは夢さえ見ない眠りへと落ちていった。




 ざわざわと風が森の木々を揺らす音が耳に心地よい。

 ごつごつした木の感触。

 そして頬に触れてくる大きな温かい・・・・・・手?

 まどろみの中に感じた違和感にわたしは目を瞑ったままむっと眉を顰めて考える。

 手?なんで、手?

 だらだらと汗が背中を流れる。

 え?本当になんで手?というかなんで明らかに男の手がわたしの頬を撫でているの?

 予想外過ぎる事態に硬直しているわたしをいいことに手は頬を撫でそのまま顎まで下がり・・・唇をなぞって・・・・。

 って!ちょっと待って!

 素肌を撫でられる感触にぞわりと鳥肌が立った。

 さすがに手が露出した首を緩やかに撫でてさらに下に下がろうとした段階でわたしははっきりと意識を覚醒させて目を見開いて叫んだ。


 「なっ!なにするんですかぁぁぁぁぁ!!」


 今、まさに胸元を緩めようとした手を跳ね除けながらわたしは座ったまま後ろに距離を取った。

 服をかき集め涙目で睨みつけるわたしに寝起きを襲った変質者はにこりととても好青年に見える笑みで手招きした。これが普通の街中でしかも女の子ならついふらふらと寄っていきかねないオーラが出ていたが生憎とわたしは平常時にも見知らぬ人に手招きされてついて行くことはない上に今はその平常時ですらない。

 怪しすぎる変質者についてくほどわたしの頭はお目出度くはない。

 わたしはじりじりと距離を取りながら男を観察する。

 年の頃は二十歳前半だろうか。酷く整った顔をしており細めた目は綺麗な紫色で黒い髪を動物のしっぽのように後ろに結んでいる。

 美形・・・だけど変質者の時点で全ての外見的長所がチャラにされている。

 そして男はファンタジー映画にでも出てくるような戦士の格好をしていた。まぁ・・・別の世界だからそいう格好の人が出てきても可笑しくはないようね。うん。

しゃがみこんで手招きしている彼の腰にはばっちり剣がぶら下がっているのを見てしまったわたしは軽い目眩に襲われた。

 寝起きに剣を所持した変質者に遭遇するとは・・・わたしの運はとことん悪いようである・・・・。


 「あはは。そんなに怖がらなくてもいいじゃない。こっちにおいでよ」


 「い、行くわけないじゃないですか!ね、眠っている女にベタベタ触るような人に近寄りたくなんてありません!」


 わたしが捲くし立てると目の前の変質者はきょとんと目を見開いてまじまじとわたしを見た後意味ありげに口の端を上げた。


 「ふ~~ん。そっか。僕には近寄りたくないか」


 そうかそうかと妙に物分りのいいことを言う男にわたしは段々と不安になってきた。


 なに・・・この人・・・。


 理解が出来ない。

 いや、全然見知らぬ人だし変質者の心理なんて理解したくもないのだが・・・・それでも・・・なんというか・・・・。


 「でも、さ・・・」


 近くで聞こえた声にはっと視線を上げると信じられないぐらい近くにまで距離と縮められていた。


 「あっ・・・」


 逃げようとする腕を掴まれ無理やり男の方をむかされる。


 「残念ながら僕の方には近寄って欲しい訳があるんだよね」


 にっこりと笑う男。柔くてとても紳士的な笑顔であるのにわたしを捕まえる腕の力は痛いぐらいでその笑顔との落差にわたしはすっと胃の下辺りが冷えるのを感じた。

 紫色の綺麗な瞳が冷静にわたしを見下ろす。

 正確にはわたしの腕の中の剣を。


 「まさか、こんな所で魔剣の主に出会うなんて運がいいのかな?悪いのかな?」


 その言葉はわたしに向けられたものかそれとも彼自身に向けられたものなのか。

 くすくすと楽しそうに男は笑う。

 笑いながら彼はわたしの喉に銀の刃を押し付けていた。

 いつ抜いたのか全然分からなかった。

 押し付けられた刃の冷たさと首筋を流れる血の熱さにわたしは今、彼がわたしに明確な殺意を持ったことを知った。


 「ま、いっか。どうせ殺すことには変わりないもんね」


 紫色の目が楽しげに揺れてわたしを見る。

 くすくすと邪気のない笑顔。子供のようだと言ってもいいぐらい無邪気な笑顔で死神はわたしに笑顔を見せて、そして命を絶つ剣を動かした。


 「さよなら」


 朗らかなその言葉と銀の刃の冷えた輝きが酷く対照的でわたしの目に鮮やかに焼きつく。

 わたしの視線は迫り来る銀色の軌跡ではなくただ真っ直ぐにわたしを見る紫色の瞳だけに囚われていた。

 恐怖が一瞬消える。

 ただ見詰め続けるだけに意識が向かう。

 銀の軌跡がわたしに振り下ろされた。




 殺されると思った。

 確かに銀の軌跡はわたしの首を切り裂いたはずだ。

 なのに銀の刃はわたしを切り裂かずにわたしの頬を軽く切り裂いただけで止まっていた。

 呆然とわたしは冷たく細められた紫色の瞳を見上げた。

 アメジストのような綺麗さ。冷たくて体温を感じさせないその瞳に恐れを抱くのと同時に妙に引き付けられた。


 「どうして避けないの?」


 「なぜ、殺さないんですか?」


 言葉は同時に空気を震わせた。

 男がくいっと刃でわたしの顎を上げさせて視線を合わさせた。


 「質問していいとは言ってないよ」


 男が笑う。

 まるで人形のように整った作り物めいた笑顔。


 「殺されたいの?」


 黙って首を振ると「じゃ、黙って。僕の質問以外は答えないように」と釘を刺されたのでわたしは緩慢に首を振った。

 色々な感情が酷く鈍い。

 恐怖だけが酷く鮮やかなのにそれもどこか遠く感じる。


 「そう、いい子だね」


 にっと笑うと男は剣をわたしの顔のすぐ側の幹に剣をこれ見よがしに突き立ててわたしの顔を覗きこんだ。

 まるで甘く恋人に睦言を囁くように彼はわたしに囁いた。


 「君は、何者?」


 わたしはぼんやりと彼を見上げる。

 彼は何を言っているのだろうか?

 わたしが何者か?

 そう、聞いているの?

 それが頭に届くと同時に疑問が胸に浮ぶ。

 わたしは・・・別に何者でもない。

 そんな特異な存在ではない。

 ちっぽけで弱くて矮小な人間だ。


 「わたしは・・・・」


 口がかすかに動くがそれから先の言葉が出てこない。

 上手く、言えない。

 胸の中に蠢く感情だとか言葉とかが自尊心とかが邪魔をしてわたしは結局言葉をとめた。

 自分が矮小な人間だと分かっているのにそれをいざ口にしようとするのは嫌だった。

 本当にどこまでわたしは・・・。

 自己嫌悪だけが沸き起こってくる。


 「言えないの?」


 なら、殺すよ?と男が剣を持つ手に少し力を入れる。

 それでもいいような気がした。

 もう色々あり過ぎて抱えすぎて疲れた。

 これが一番楽になれる方法だと思ってわたしは全てを諦めた。


 「どうぞ」


 それだけ言ってわたしは瞳を閉じた。

 もういい。

 もういいのだ。

 身体中から力が抜けた。

 目を瞑って闇の中でわたしは終わりを望んだ。

 しばらく沈黙が続く。

 いつまでたっても訪れない終わりにわたしは再び瞳を開けた。


 「・・・・・・・・・・・・」


 開けると剣の柄に手をかけたままで男が非常に不機嫌そうな顔でわたしを睨んでいた。

 なんで?

 疑問が湧いてくる。

 疑問が湧くということは麻痺していた何かが正常に動き始めたってことだけどそれをわたしは理解できてはいなかった。

 ただ、少しだけ動き出した感情でわたしは男を見た。


 「面白くない」


 「・・・・はい?」


 ぽつりと呟いた男の言葉にわたしは思わず聞き返してしまった。

 いま、なんて言った?面白くない?


 (何が?)


 「面白くないなぁ・・・。そんなあっさり無抵抗になられたらさ僕がつまらないよ」


 だだをこねて拗ねる子供のような顔で男がわたしに文句を言ってくる。

 そんなことを言われてわたしは困る。

 ざざっと風が森の木々を揺らして走り去る。


 「つまらない?」


 「うん。つまらない」


 真面目な顔で頷かれた。

 本気で反応に困ってしまうのはわたしだけでしょうか?


 「つまんないなぁ~~~もっと抵抗しなよ」


 ぺしぺしと剣で頬を叩かれてそんなお願いをされてしまってますますわたしは困ってしまう。

 ごくりと唾を飲み込んでからわたしは意を決して口を開く。


 ・・・・質問に答える以外は口を開くなと言われていたがそれでも聞かずにはいられないことがあった。

 

 「も、もしも・・・」


 「うん?」


 男は不思議そうに首を傾げたけどそれだけで別に切りかかったりはしなかった。


 「もしも・・・わたしが抵抗したらどうしたんですか?」


 「え、それは勿論殺していたよ」


 あっさりキッパリ当たり前のように言い切られてわたしは抵抗しなくて良かったと心の底から安堵した。

 彼はやる。きっとやる。必ずやる。

 それを確信できるぐらいにはこの人は分かりやすい。


 「抵抗しない今はどうするんですか?」


 「う~~ん?どうしようかな?」


 悩む男は何故だがわたしにわたしの処遇について相談してくる。

 怖いと思えばとぼけたことを言う。

 全く目の前の男が理解できない。


 「殺さないんですか?」


 「殺して欲しいの?」


 ぶんぶんと勢いよく首を振って否定しておく。そうしておかないとあっさりと「じゃあ殺す」とかいって首を掻っ切られそうだ。


 「ねぇ」


 「はい!」


 「殺して欲しい?」


 「いいえ!ちっとも!」


 「そう・・・う~んどうしようかなぁ~~~抵抗されないのはつまらないしなぁ~~~君が抵抗してくれれば楽なんだけど・・」


 ちらりと横目で見られて引きつった笑みが浮ぶ。

 ものすごく抵抗することを期待さらえているがその先が自分の「死」ならわたしは全力をもって抵抗しない。


 「面白くない」


 不機嫌そうに口を尖らせ男は剣を幹から抜くとそれを慣れた動作で鞘に納めた。


 「君は面白くない・・・・」


 そう言って男は・・・。


 「ぐっ!」


 わたしの鳩尾に容赦なく拳を叩き込んだ。


 「なっ・・・」


 鈍い痛みが広がり意識が遠のく。


 「面白くないくせに、興味深いなんて生意気な子だね」


 そんな不機嫌なのかそうでないのか微妙な声で囁かれた言葉を最後にわたしは意識を閉じた。



 

 『おねぇちゃん!』


 いつからだろう。

 屈託なく笑う妹の笑顔が真っ直ぐに見れなくなったのは。

 明るい声が顔が喋り方全てを妹と比べて一人落ち込んでいたのはいつから?


 『なあに。みなと!』


 屈託なく伸ばされた手を繋げた時も確かにあったのはずなのにわたしはいつからその手を離してしまったの?

 疑問に答えはない。

 ただ今があるだけ。

 選んだ今は望んだものではなくだけど変えるだけの勇気はわたしにはなかった。

 何の邪気も劣等感もなく『大好き』と言えない自分が一番嫌い。



 


 見知らぬ石の天井を寝起きの頭でぼんやりと見上げる。


 ここ、どこ?


 疑問に思いベットから起き上がると腹部にかすかに痛みが走った。


 「・・・っ・・・」


 腹を押さえて辺りを見渡す。

 石造りの飾り気のない部屋。

 特に何かを言うべき箇所がないごくごく普通の部屋。


 「ここ、どこ?」


 寝起きで頭が上手く働かないがそれでもこの場所にわたしがいるのはおかしい。

 だって・・・わたしは意識を失う前まで森にたんだよ?それがなんで普通のベットの上?


 「・・・・・・・・・・・・・・・」


 そこまで考えて直前までの諸々が蘇ってきてわたしは固まった。


 「えっと・・・・」


 痛みの走る腹。

 いるはずのない部屋。

 これって・・・もしかして・・・・・もしかして・・・・・?


 「拉致監禁?」

 

 いやいや。監禁まではわからない・・・ってドア、開かないし窓も逃走できないように細工されている!

 がちゃがちゃと回らないノブに完璧に顔が引きつった。

 先ほどのセリフから?が完璧に消えた。いまのわたしの状況それは立派な「拉致監禁」だ。

 ど、どうする?どうするのが正しい?

 答えなんて出るわきゃない。

 普通の女子高生がこんな状況に追い込まれてそれで適切な行動がとれるわけがない。

 ノブに手をかけたままわたしは呆然としていた。

 事態に頭が付いていかない。

 

 「落ち着け。考えろ」

 

 ドアに額をくっつけてこの状況を打破すべく頭を働かせる。

 鍵が掛かって閉じ込められている。

 でもわたしは生きているということは相手はわたしを今のところは殺す気はない。それでもって逃げ出されるのも望んでいない。

 相手がどういうつもりなのかはわからないが取り合えずはわたしを生かすことに意味を見出していると考えてもいいと・・・思う。

 意識を失う寸前のあの男との会話を思い出すと心元なくなってくるけど。

 

 「どうする」


 相手の思惑がちっともわからない以上わたしに取れる対策は少なすぎた。


 「どうする。わたし」


 こつんとドアに後頭部を押し付けてわたしはそのままずるずると床に座り込んでそのまま膝に顔を埋めた。

 このままここに居るべきか、それとも逃げ出すべきなのか。


・・・なんかどちらも命が危ない気がするのはどうしだろう。


 脳裏に浮ぶのはここに閉じ込めただろう張本人の胡散臭すぎる笑顔。

 逃げ道なんてない気がした。

 ふぅと溜息が零しかけたわたしの耳にこつこつと近づいてくる足音が届いてびくりと反射的に立ち上がった。

 誰か、来る。

 ど、どうしよう。

 あわあわと挙動不審に辺りを見回してわたしは咄嗟にベットの下に隠れていた。

 別に隠れる必要はどこにもなく普通にベットの上に戻って寝た振りでもしてれば良かったと気付いたのは部屋のドアが開いたときだった。

 今更出て行くわけにもいかないわたしはじっとベットの下で息を潜める。

 部屋の中に入ってきた人物は迷うことなくわたしの隠れるベットに近寄ってくる。

 ブーツが見える。

 近くに来られてわたしは必死に息を殺す。

 気付くな。気付くなよ。気付かないで!


 「おや?」


 ベットの上にわたしがいないことに気付いたのか少し驚いたような声が響いた。

 というかこの声・・・。

 忘れもしないあの男の声だ!

 そう気付いた途端どくどくと心臓が馬鹿みたいに早鐘を打つ。


 「う~~ん?どこに行ったのかなぁ?」


 閉じ込めていた人間が消えた割りに男の声に焦りは感じられない。

 こつこつと男はベットから離れ、わたしが一先ずほっと息を吐きかけたその時、行き成り足を掴まれる。


 「ひゃっ!」


 そのまま容赦なくベットの下から引きずり出された。完璧に不意を疲れたわたしは抵抗することもできずに床で鼻を擦る破目になった。


 痛い。物凄く痛い!


 ひりひりする鼻を手で押さえるわたしだったが見覚えのある紫色の瞳に上から覗き込まれているのに気付いて血の気が引いた。

 恐る恐る顔を上げるわたしの腕を掴みながら男はにっこりと満面の笑顔を浮かべた。


 「おはよう。随分面白い寝相だね」


 嫌味以外の何者でもない言葉にわたしは乾いた笑いを返すしか出来なかった。

 にっこにっこと笑う男に確実に引きつり笑顔を浮かべているわたし。

 側から見たらさぞ滑稽な光景であろう。







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