封印世界 ~目覚めの女神~
その世界には魔法にも似た力が存在した。
特殊な道具と呪文を使い、大地に眠る神々の封印に干渉し、その力を一時的に世界に再現するこの術は敵対関係にある魔族の脅威に対して人間が自衛のために編み出したものだった。
これを封術といい、それを操るものを封術士と呼ぶ。
しかし、本来人間であれば誰でも使えた封術は魔族が絶対封印されたことからそのあり方を変えていった。
世界は混迷の時を迎えた。
護るために編み出された力は同じ世界で暮すものたちを傷つける道具に堕ちた。
神の力を借り、人は人を狩り続けた。
幾千幾万の屍が大地を埋め尽くし、無為に流された血が大河を紅に染め上げた。
叫びが怨嗟の声が嘆きが悲しみが憂いが憎しみが怒りが無為に死んでいく者の末期の声が世界を包み込み、それは永遠に続くはずだった神の眠りの一端を綻ばせてしまった。
まどろみの中にいた神の一柱を目覚めさせたのだ。
その神の名は伝わっていない。
日の光そのもののような金の髪と鮮やかな銀朱の瞳を持った名もなき女神は世界のありようを見て嘆いた。
「なんと愚かで悲しいこと・・・・」
女神が知っていた美しく穏やかな世界はもう無かった。
そこに在ったのはまさに生き地獄のような光景。女神は………その銀朱の瞳から生まれて初めて涙を零した。
一つ、二つと零れた涙は大地の屍を清め、血に染まった大河を清らかな水へと戻した。
女神の純粋なる思いが世界を包んでいた不浄なる気を優しく純化させていった。それらはまさに神の奇跡だった。
だが、世界を清浄な状態に戻すために女神はその力のほとんどを失った。
「知らぬこととはいえ世界をここまで荒廃させたのは間違いなく我らの力。この世界に一度生じた力を消すことはわらわには出来ない。だが枷をつけることなら出来よう」
最期の刻。残った力を使い女神は封術という人には強大過ぎる力に枷をつけた。
神々の封印への干渉を大幅に制限し、封術という力そのものを弱くした。それと同時にそれまで人間が当たり前のように持っていた第六感とも言うべき不可思議な能力を女神は奪った。
この時から人間と世界との繋がりが恐ろしく希薄なものとなり、世界に満ちるマナも神秘に触れることも容易には出来なくなってしまった。
一部を除いて人間は世界を感じる術を失ったのだ。
神々が封じられしその世界を封印世界と呼ぶ。
草木も眠る丑三つ時。誰もが夢の扉を潜り安らかな静寂に包まれたこの町一番の商人(ついでに町一番の強欲)の屋敷の庭で人目を避けるようにこそこそと動く大小三つの影があった。
あちらこちらに警備の人間が立っていたがそれらを器用に避けながら影は進んでいく。
影は屋敷を囲む壁の一角に近づく。一番大柄な影が荷物からフック付きのロープを取り出した。
器用にフックを壁の淵に引っ掛ける。ぐいぐいと安全を確かめた上でまず一行のなかで一番小柄な影がロープをスルスルと次に大柄な影が楽々と最後の一人はよほど鈍臭いのか何度もロープからずり落ちかけ、悲鳴を挙げかけては他の二人に(小声で)叱咤されながらもかなりの時間をかけ登った。
最後の一人が地面に無事着地(転がって)すると誰ともなく安堵の溜息をはいた。
「どうやらばれずに抜け出せたみてぇだな」
一番大柄な影―この屋敷の警備兵がロープをリュックに収めながら一安心とばかりに頷く。それに答えるように幼い、しかし凛とした声が客観的な意見を述べる。
「そうね。ひとまずは成功だけど………朝になればわたくしやそこのメイドが居ない事はすぐに知られるはずよ。そうなればあのお父様のことお金に糸目をつけずに盛大に追っ手を雇って放つに違いないわ。やっぱりさっさとこの町を離れるに越したことはないわね。………お金なら余裕があるから関所の役人に鼻薬でもかかせれば通れるかしら………でもこれからのことを考えると節約に撤して他の方法の方がいいのかしら?」
そう言って警備兵に意見を求める小柄な影―この屋敷の主の一人娘にして御歳十二歳になったばかりの御嬢様は歳と可憐な外見を見事なまでに裏切り物騒このうえない事柄(関所破りや法に触れるようなもの)を平気で口にしてしかもそれらを実行する気満々であった。
警備兵の方も何を考えているのか御嬢様を止めるでもなくむしろ彼女の知らないような抜け道(いうまでもないが違法)を提案したりしている。そんな二人の足元からなにやら啜り泣きのようなものが聞こえてくるが警備兵も御嬢様も見事なまでに無視し、手早く今後の対策を立てている。
「えぐえぐ・・・さようならわたしの平和な日々。こんにちは波乱万丈の日々と追っ手の皆々様・・・・。えぐえぐ・・・」
最後に残った鈍臭い影―この屋敷でメイドをしていた少女は地面に転がったまま滂沱の涙で頬を濡らしながら今までの日々に別れを告げていた。
《なんじゃ。往生儀の悪いことじゃのう》
突然聞こえてきた四番目の声にメイドはもちろん傭兵や御嬢様も驚きはしない。
メイドが恨みがましそうに顔をあげると妙に古風な服を見に纏った半透明な女性が面白そうに彼女を見下ろしていた。ただし、宙に浮んだ状態で。
どう見ても人間ではないのだが誰も違和感など感じてはいない。
メイドが恨めしそうに宙に浮ぶ女性を睨む。
「他人事みたいに言わないでください!」
怒りに涙さえ浮かべながら叫ぶメイドの口に話し合いを終えた御嬢様が容赦なく丸めたハンカチを詰め込む。当然「むごむごっ!!」と抗議するが御嬢様は強かった。
にこやかなだけど絶対零度の冷たさを秘めた微笑でただ一言
「だまりなさい」
周囲の温度が冗談抜きで下がる。
何を感じたのかメイドは素直に黙った。
そしてその黙ったメイドの身体がなんの前触れもなくふわりと浮いた。
「ふごっ!」
「あらまぁ」
《おやおや》
女性三人の視線がメンバー唯一の男性に集まる。軽々とメイドを抱き上げる警備兵。
「こっちの方が早いだろ?」
やけに嬉しそうな警備兵の腕の中で対照的にすこぶる嫌そうなメイドが暴れるが警備兵は彼女を降ろすつもりはないらしい男は喜々として歩き出す。
彼は隣の小さな雇い主を見る。
「さぁ。いきますか?」
「ええ。私は私の意思に反した未来は全力を持って排除しますわ。絶対に負けない」
強い決意のこもった言葉。しかし警備兵もメイドも眉をひそめ複雑そうな表情で主人である少女を見おろす。
「さぁ。夜明けまで時間がないわよ。さっさと動く動く!」
堂々と先頭を歩く御嬢様の後をメイドを抱えた警備兵が続く。
メイドに警備兵、御嬢様おまけに半透明の明らかに人間外の女性・・・屋敷を抜け出す組み合わせとしては奇妙この上ない組み合わせである。
なぜ彼らがこんな脱走を企てるに至るのか・・・それを説明するには少し時間を遡る必要がある。
そう、始まりは噂話から・・・・。
ソルトがその噂を聞いたのはメイドたちが休憩する詰め所で遅めの昼食を食べていた時だった。
「御嬢様に結婚話?そんな馬鹿な。御嬢様はこの前十二歳になったばかりですよ。幾らなんでも早すぎませんか?」
この時代女子の結婚は早婚だがいくらなんでも十二歳で結婚は異常である。
のほほんとサンドイッチをぱくつくソルトに同僚は彼女の茶色い瞳を覗き込むように身を乗り出した。
「本当だって!!メイド頭が話していたのをあたし聞いちゃったのよ」
いわくメイド頭が旦那さまと御嬢様の興し入れの日付について話しているのをこの同僚のメイドは偶然聞いてしまったらしい。
「なんでも相手は貴族だって!!」
「貴族、ですか・・・」
相手が貴族だというのならこの結婚話の狙いどころは・・・・。
「利害の一致ですかね・・・」
ソルトの呟きに同僚が「どういうこと?」と聞き返してくる。あくまで自分の想像だから事実と違うかもしれないとうことを前置きした上でソルトは自分の考えを述べた。
「えっとですね・・・今の貴族階級はあまり裕福でないことを知っていますか?」
「えっ!貴族って皆お金持ちじゃあないの?」
驚いたように叫ぶ同僚に頷きながら話を進める。
「はい。今の王様が即位された時に貴族はその爵位に応じて税を納めなければいけないという法を定められたんです。それだけでなくそれぞれの所有する土地・財産にも厳しい税が掛けられました。元々貴族の方は王家から賜る俸禄で生活をされていたんですけどそれだけでは定められた税を払えなくなっていったんです。さすがに大貴族の方はそれで家が傾くなんてことはなかったんですが・・・。問題は・・・」
「中級や下級の貴族様?」
「はい。もらえる俸禄より払わなければいけない税のほうが多かったんです。これで貴族が裕福ではないことは理解していただけましたか?」
同僚が頷く。ソルトはわからなかったら遠慮なく質問するように前置きすると続きを喋り始めた。いつのまにか他のメイド達までこちらに聞き耳を立てている。
「ここで出てくるのがご主人様のような商人・・・豪商です。さてここで問題です。商人が持っていて貴族が持っていないもの。貴族が持っていて商人が欲しいものはなんですか?」
突然の質問に同僚は眉を潜めた。
「商人が持っていて貴族が持ってないもの。貴族が持っていて商人が欲しいもの・・・・。何よその質問は!!もう!えーっと・・・」
じっくり考えてお手上げといわんばかりに手を挙げた。
「半分だけ答えがわかったわ。商人が持っていて貴族が持っていないもの。それはお金。財産」
同僚の答えにソルトはにっこりと頷く。
「はい、正解です。貴族が持っていて商人が欲しいもの・・・答えを言いましょうか?」
お願いという同僚にソルトが口を開く。
「答えは、貴族の身分。男爵や伯爵といった階級ですよ。商人はお金があるけど身分は所詮平民です。逆に貴族は身分はあるけどお金がない。両者の利害、欲しいものが一致していますね」
そこで一拍おく。
「これ、御嬢様の結婚話にも合うような気がしませんか?こんな背景でもないとプライドの高い貴族が商人のしかも十二歳の女の子相手に結婚話を持ってこないでしょう」
そう締めくくるとカップに口をつけ眉をしかめた。奮発して買ったジリル産の葉っぱで入れた紅茶は長話のせいですっかり冷めてしまっていた。
(う~。コーヒーは熱めが紅茶は少し冷ましてからが一番おいしいとはいうけど、これは冷めすぎだよ~)
大奮発したお茶の葉だったのに~!と嘆きながらもしっかり飲んでいるソルトは同僚が興味深そうに自分を眺めているのに気付き、怪訝気に見返した。同僚は冷めたカップを手で回しながら独り言のように呟いた。
「いやね、あんたって鈍くさくて天然ボケのお人よしだと思っていたけど・・・」
「そんなこと、思っていたんですか?」
目を細め睨みつけるソルトを華麗に無視して同僚は感心したように言葉を続けた。
「でも、結構色んなことを知っているのね。あたし貴族の生活が苦しいなんて知らなかったわ。どこでそんなこと覚えたの?」
その質問にお茶を飲むソルトの手が一瞬止まる。
探るような同僚の視線にいけないと思いつつ目線が泳ぐ。非常によろしくない。
(あ~。どうすればいいの!)
どこで誰に教えを受けていたのかは迂闊には話せない事柄であったし、それについて話すとなると彼女自身としてはゴミ袋に入れて捨ててしまいたいような記憶まで話さなければならないわけで、この質問自体ソルトは答えることが出来ないのであって。
「あの、ですね。昔、お世話になっていたところにとても勉強熱心な方がいらして………それでわたしにも色々と教えていただいたことがあって………ただそれだけです」
悩みに悩んだ結果、大雑把な「嘘ではないが真実ではない」説明をするにとどまった。
真実「教えて」はもらった。それはもう懇切丁寧に手取り足取り思わず逃げ出したくなるぐらいに念入りに。
一年に満たない時間ではあったが教えてもらっていた時期はソルトの中で暗黒の歴史に連なっていた。
《珍しいのぉ。おぬしが他人に偽りを申すとは》
妙齢の古風な言い方をする女性の声が何処からともなく響いたが不思議なことにその場にいる誰も反応を示さない。
唯一人を除いては。
だが、その人物は冷や汗を流しつつも無視している。
何の返答もしないでいるのをいいことに声はべらべらと喋り続ける。
《おやおや?無視かえ?はぁ~赤子の頃より夜泣きをすればあやし、おしめまでかえてやった養い親同然のわらわを無視かえ?よよよっ》
「また、わざとらしく・・・・大体おしめをかえてもらった覚えなんてありませんし貴女、ものに触れられないじゃないですか」
「うん?なんか言った」
「いえ、なんでも」
にこやかに首を振るソルト。その頬を汗が伝う。
《ちゃんと聞こえておるではないか。ならば返事をせい。礼儀に欠けるぞ》
「礼儀と常識の欠けたトラブルメーカーが礼儀を説かないでください。時と場を考えてくださいよ」
「ソルト?」
「気になさらないで下さい」
《時と場合?選んでおるではないか。おぬしが仕事をしておる最中は邪魔をせんよう配慮しておるし今は休憩じぁろ?わらわが出て来てなんの不都合があるのじゃ?》
頭を抱えてテーブルに顔を伏せるソルトに同僚がギョッとして身を引く。
「あ~~~~~。わかってないし・・・・・」
「ほんとうにどうしたのよ。さっきからぶつぶつ訳のわかんないことを・・・・」
「持病の独り言です。もう一人のわたしが定期的に話しかけてくるので対処に困るんです」
「そ、そうなの。大変ね」
えらくハッキリと言い切るソルトに持病の独り言ってなによという至極もっともな疑問は胸に納める同僚。一人でぶつぶつと喋り続けるソルトに生暖かい目を向けた。
休憩時間も終わりに近づこうとしていた。
「ハァー」
庭の草むしりをしながら知らずに溜息が出た。原因は昼間に聞いた御嬢様の結婚話である。
「十二歳で結婚か・・・」
その話聞いてから何故だか苛立ちにも似た感情が胸の中で燻っている。ソルトはこのお屋敷の御嬢様―アリエル=エールバル嬢のことを考えた。
今年で十二歳になるアリエル嬢は亡くなられた母上譲りの見事な蜜色の髪に鳶色の瞳の大変可愛らしい外見の持ち主だが彼女は年に似合わず口が達者で頭の回転も速い。
物の考え方やその行動には目を見張るものがあるし、記憶力も洞察力も抜群に良い。
周りの人間は彼女を子供らしくないと思っているようだがそれは間違いだ、とソルトは思う。
彼女はいつだってただ、自分が思ったことを口にしたり行動に移したりしているだけであって自分を大人びて見せようとかそうゆう考えは一切ないのだ。だが彼女の考えや行動が普通の子供とは掛け離れているために彼女は誤解される。
彼女はいつだって自分を偽らない。子供らしく自分の思うがまま行動している。
そんな彼女が今回のこの話を聞いてどんな感情を抱いたのか………それを思うとソルトは何となく落ち着かなかった。
「………結婚か。政略結婚、して欲しくないけどわたしに何が出来るって訳でもないし………」
第一自分の身を守り養っていくのがやっとの人間に他人のことをどうにかする権利はない。
………まして彼女には決して人に知られたくはない秘密がある。知られれば自分の一生に面倒な思惑が絡みついてくるのは目に見ているから彼女は必死になってそのことを隠している。そうそうバレはしないだろうがその危険を避ける努力は怠るべきではない。ない、のだが………。
「やっぱり、気持ちのない政略結婚は悲しいですよ。ましては十二歳!でも、わたしに口出す権利なんてないし………でもでも!!」
思考が空回りしていた
ついでに庭の草むしりは全然進んでいない。
このままではメイド頭の大目玉を食らうのは確実なのだが幸か不幸かソルトはそこまで気が回っていない。
「子供が不幸になるのは嫌です・・・」
彼女は子供が好きだった。昔、弟を喪った過去があるせいか、生来の性格のよさも手伝って泣いている子供がいるとついつい足ととめてしまう。
子供の涙に滅法弱く、ドジなくせにやたらと人の世話を焼きたがる性格からトラブルにも巻き込まれるが彼女は決して子供を見捨てない。
そんな彼女が十二歳の子供が政略の道具にされよとしているのに何も感じないことなど有り得ないことだと言えた。
だが、哀しいかな彼女は雇われのメイド。主人に何か意見できるはずもなく、たとえ出来たとしてもお屋敷を追い出されるのが関の山である。
すぐ近くで、手の届く範囲で子供が一人大人の都合で自分の選択肢を奪われようとしている。―それを止められない自分に一番腹が立った。自分の両手を見る。土に汚れた小さく………あまりに無力な両手。グッと手を握り込む。
いつだって………わたしのこの手は誰の手も掴めない。わたしは余りにも無力で、弱いから。
顔を歪めながらそっと呟く。
「なんで………わたしはこうも無力なのでしょうか………」
「そりゃこんな細い体をしていたら力なんて出ねぇって」
耳元で渋く落ち着いた声が囁く。
完全な独り言に答えを返されて驚き、振り向こうとするソルトの年頃の娘とは思えないぐらいにガリガリな身体を背後から逞しい腕が抱きしめる。
「相変わらずガリガリだな。肉を食え肉を」
聞き覚えのある声に知らず知らずの内にソルトの顔が引きつる。気のせいか肩が小刻みに震えているようにも見えた。
そんな彼女に気付かず男はソルトの髪を見て盛大に嘆いた。
「あ~あっ。髪も無造作に一くぐりかよ。こう、髪飾りの一つでも飾って化粧でもしてみろよ。お前もとがいいんだから絶対綺麗になるぜ?あと、この前髪!顔を隠すのはやめろって何度も言ってんだろが」
無雑作に束ねていた髪紐を無雑作に取り払われ、腰まである茶色の髪が風にたなびく。
その瞬間、ソルトの怒りのリミッターも限界値を超えた。
力いっぱい相手の手を跳ね除ける。急いで距離を取ると盛一杯自分が怖いと思う睨みを利かせて思いっきり息を吸い込み大声で相手の名を呼んだ。
「ガーガさん!!」
ガーガと呼ばれた男は器用に片眉だけを上げたがすぐに楽しそうな笑みを口元に浮かべた。
年は十七歳のソルトより五歳上の二十二歳。黒い短髪に青い瞳をもち、胸には革の銅当て腰には中剣を差している。いつもどこか人を喰ったような表情を浮べているこの屋敷の警備兵は何故だがいつもソルトにちょっかいを出してくる。
彼女を見つける度に抱きついてきたり、そうでなかったら肩に手を回したりと、とにかくやたら過剰なまでにソルトに触れてくる。
他のメイドには指一本触れないくせに、である。
そこまで構われる理由をソルトは知らない。ソルトとガーガはほぼ同時期に雇われており、初対面からからかわれていたような気がする。
しかも顔をあわせれば先ほどのような「ふくよかになれ」「身なりを整えろ」とうるさいことこの上ない。実際に髪飾りやら化粧道具やら饅頭やらを手土産に現れることも少なくないのだからこの男が本気で自分の身なりを整えさせたいのがわかるだけにソルトは対応に困る。
現に今回も手に何かもっているのに気付きソルトはウンザリとした視線でそれを見た。
そんな彼女の視線に気付いたのかガーガは手にした袋から小さな包みを取り出すと無雑作にソルトに放った。
「わっ!」
地面に落ちる前に慌ててそれを両手で受け止める。そのときにざらっという音がした。
音と袋越しに感じる感触にソルトの顔色が変わる。
「さっき市で買ったんだ。やるよ」
にこにことこちらを楽しそうに見ているガーガは無視してソルトは袋を縛っている青いリボンを解き、中身を手のひらにのせると色とりどりの星の欠片が転がり出てきた。
しかもそれらは仄かに甘い香りを漂わせている。知らず知らずの内に頬が緩んだ。
「金平糖!」
「好物だろ、それ。いつもなら俺が何かやる度に露骨に嫌そうな顔するくせに金平糖やった時だけ顔が全然違ったからわかり易かったぞ」
極さり気無くソルトの側に近づくと子供のようにはしゃいでいる少女に優しい眼差しを向けた。
「ほんと、好きなんだな。それ」
その言葉にいつもなら嫌そうに答える少女は珍しく彼に満面の笑顔を向けてくれた。
「はい!むかしお父さんが街に行った時に買って来てくれて弟と一緒に食べたんです。甘いものなんてそれまでろくに食べたことなかったからこの世にはこんなおいしいものがあるのかと………って、何を言わすんですか!こ、金平糖をもらったぐらいで喜ぶほど子供じゃあありません!いつも言っているじゃありませんか理由もなく、大して親しくもないのにプレゼントなんて貰えないって!」
途中で我に返ったソルトが慌てていつものようにそっけない態度に戻ろうとするがガーガが行動を起こす方が早かった。
「ふーん。じゃあ、これ、いらなかったか?」
魔法のように手の中の金平糖の入った袋をヒョイと取り上げられてソルトが「あっ!」と思わず手を伸ばし、それを取り返そうと身を乗り出す。と、そこで悪戯が成功した悪ガキのような顔のガーガと目があった。
「あれ?金平糖もらったぐらいで喜ぶような子供じゃないんじゃなかった?」
「なっ!」
絶句するソルトにガーガが畳み掛ける。
「これ、欲しい?」
にっこりと微笑む姿は一見の価値があるが生憎ソルトには小憎たらしい悪魔の姿にしか見えなかった。グッと歯を食いしばって答えないソルトにガーガは追い討ちをかける。
「うーん?ソルトが貰ってくれないんなら自分で食べるしかないかなぁー今、この場で全部」
今にも本気で金平糖を食べてしまいそうな雰囲気にパシッ!とガーガの袖を両手で掴んだのは恐ろしいことにほぼ無意識の行為だった。掴んでからハタッと気付き恐る恐る顔を上げる。
案の定ガーガは子憎たらしいほどの笑顔で金平糖の入った袋を持つ手を振りながらもう一度同じ質問を繰り返す。
「これ、欲しい?」
どうあっても自分に「下さい」の一言を言わせたいらしい。ソルトは金平糖への執着と己のプライドを天秤にかけて穴が開きそうなほどガーガの手の中にある袋を凝視する。
「・・・・・・・・・・・・さい」
「聞こえないなぁ」
「金平糖・・・・・く、くだ、・・・い」
く、屈辱だ・・・・・・・!
顔は真っ赤で表情など本当に悔しそうである。そんな姿にガーガの笑みがますます深まる。とてつもなく楽しそうな警備兵。
「もっとハッキリ言ってくれないとこれ食べちまうぞ?」
「金平糖、わたしの好物なんでください!ええ、そうですよ!わたしは金平糖が大好きですよ!どうせお子様です!金平糖で喜ぶお子様ですよ!」
悔しさのためか顔が茹蛸のように赤い。ぜいぜいと息をつきながらガーガを見る。お世辞にも上品とはいえない笑い声が響いたのはその直後だった。
「わ、わらうことないんじゃないですか!」
憤慨するソルトに腹を抱えてその場に座りこんでいた青年は目じりにたまった涙を拭きながら幾分笑いを堪えた摩訶不思議な表情で金平糖を渡してきた。
ソルトは無言でそれを受け取るときびす返して歩き出したが十歩ほど歩くとまたこっちを振り向いた。その顔は酷く複雑そうであった。
「・・・・・金平糖のお礼は今度します」
あまりにも以外な申し出にガーガは鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。だが、すぐにニヤリとした笑みを浮べ、わざと茶化したように言った。
「へぇー。珍しい。じゃあ今度の休みにデートでもしてもらおうかな?」
何気ないそのセリフにソルトはしばし絶句。やがて真っ赤な顔で叫んだ。………あまりにも何気ない口調だったので咄嗟に意味がわからなかったらしい。
「物には物で返します!デートなんて絶対にしませんから!」
早口でそう答えるのが精一杯でそれ以上の言葉なんて出てこない。真っ赤になった顔をガーガの視線から隠すように勢いよく逸らすとソルトは足を速めた。
「じゃあ、お礼じゃなくて今度一緒に出かけような!」
冗談じゃない!
戯言をほざくガーガを無視するソルトの耳にガーガのくくっという笑い声が届く。
(やっぱりからかわれていた!)
絶対に後ろは振り向かない。金輪際係わり合いにならない!!口を利かない!!
固い決意をソルトは胸に誓った。
「あら、ソルト。やっと小言が終わったのね」
同僚の同情したような口調に自室に帰ってきたばかりのソルトは答える気力すらなく、ベットの上で伸びていた。
ガーガと別れたあと、ソルトはバッタリとメイド頭であるメイヤーと出会ってしまい、仕事が終わっていなかったのにもかかわらず理由も無しに持ち場を離れたことに対して今の今まで説教を受けていたのである。その時間は・・・・・思い出したくはない。
延々とループしていく説教に耐えるのに気力体力根性を根こそぎ使い切らなければならず、開放されると皆今のソルトのようにぐたぁーとなってしまうのである。
「ソルト夕飯まだでしょう?賄いのほうには言っておいたから食べておいでよ」
同僚の暖かい気遣いにソルトはその手をガッシと掴むと感謝を込めてその手を大きく上下に振った。
「ありがとうございます!!わたし、今日はもう何も食べれないかと・・・・」
本気で涙汲むソルト。そんな彼女を呆れた様子で見ていた同僚が話を先に進める。
「まったく!そんな大袈裟な感謝はいらないからさっさと食堂にいって食べてきなさい。ああ、時間帯的に今は・・ってこら!お腹空いているのはわかるけど人の話は最後まで聞きなさいよ!!せめて服は着替えなさい!!」
そう叫んでは見たが全力で走っていった相手に届いていないことは明白である。
仕方が無いなぁと言わんばかりに溜息をつくと同僚は窓の外を見る。ちらほらと星が出始めている空が窓の外に広がっていた。
頬に手を添えて伝えられなかった言葉を紡いだ。
「今の時間帯は警備兵たちが食堂に溜まっている時間だってことあの子覚えているのかな?」
忘れていた。
空腹で重大な見落としを自分がしていたことにソルトは気付かされた。
賄い方から手渡された食事が入った盆を無意識に受け取りながらソルトは後悔の念に駆られていた。
(そうだった。この時間は深夜の夜警に出る警備兵の人が食堂に集まるんだった)
そう、この屋敷には食堂使用に関する暗黙のルールが存在する。メイドや執事などの屋敷の維持・世話を仕事するものは食事時の時間帯に警備兵等の護衛はそれより後の時間帯とそれぞれ区分させているのだ。
特に夜に見回りなどがある者は食堂で遅い夕飯や時間を潰すことが多い。
そんな中、若いメイド姿のソルトはとことん目立つ。
どこか隅のほうのテーブルで食べたいところだが生憎とどこも埋っている。空いているのはどれも中央寄りのテーブルばかりである。頭の中で重々しいコメントが述べられる。
《まさに晒し者席じゃな》
(そこ、うるさいですよ!!)
一応の突っ込みを心の中ですると声は(おお、怖っ!)と気配を消した。
………どうせ、しっかりと聞き耳は立てているだろうが。
さて、どうしたものかと辺りを見渡すソルトの目に思いっきり見慣れた姿が目に入ってきたのは次の瞬間だった。
「よーソルト。今頃夕飯か?」
食事をしながらにこにこ手招きするガーガの姿を認識した途端、ほかほかとおいしそうな湯気を出すお盆を手にしたままソルトは顔を引きつらせた。誓い早くも破れそうな予感。
「ガ、ガーガさん………」
かすれたような声が出る。お盆を持つ手が微かに震えていた。
おいでおいでと手招きしているのは………やはり自分をあのテーブルに座らせるためだろうか?
彼と向かい合って食事をする?この好奇の視線の中で?
「却下です」
取りあえずガーガのことは見なかったことにして別のとにかく目立たない席を探そうとしたソルトだがいかせん相手が悪かった。
にやにや笑いを浮かべつつ頬杖をつくガーガ。
「もし、そのまま違う席に座るということは俺に襲われたいということだと受け取っても………」
その言葉の言い終わらぬうちにテーブルに荒々しく盆が置かれる。
「………ここの席、空いて………ますか?」
血を吐くようなセリフにガーガはフッと笑みを浮かべた。ソルトの背に只ならぬ悪寒が走り抜けていく。
「や、やっぱりやめ………」
「もちろん。お嬢さん。どうぞ」
有無を言わさぬガーガ。
彼はわざわざ席を立つと優雅に椅子を引く。腰に下げた剣も戦士の姿でも全然気にならない妙に様になっている動作だった。
そんな淑女のような扱いをされたことないソルトは困惑し、一歩下がる。
これがそこらにいる男がやったのならサムイだけだがガーガがやると身にまとう空気が違うのかかなり絵になる光景であった。
「いいから座れって。ほれ」
硬直したソルトを座らせると自分も席に着く。そうすると二人は自然と向かい合う破目になる。………向かい側にうれしげに座られると妙に居心地が悪い。そう、思った。
「食べないのか?」
「いただきます」
こうなればもう開き直るしかない。周りの好奇の視線も目の前の男のことも全部頭の外に出す!!
そう決めるとソルトはホークを手に取ると猛然と目の前の皿に突き刺した。
「おおっ!いい食べっぷりだねぇ」
無視
「でも、そんなに急ぐと身体に悪いぞ?」
無視、無視。
「喉渇くだろう?これでもどうぞ」
取りあえず喉は渇いたから飲み物だけはもらって・・・・って!!
危うく飲みかけた液体を慌てて突き返す。
これって・・・これって・・・・。
「お酒じゃあないですか!!」
しかも、かなり度数の高い。
「うん。そうだけど?」
「わたしはまだ、未成年です!!」
普通酒は二十歳から飲むのが一般的でそれまでは飲むことはあまり歓迎されてはいない。
「危うく飲んじゃうところだったじゃないですか!!」
怒鳴るソルトにガーガは横を向いて心底残念そうに舌打ちをする。
「ちっ!!」
それをみてものすごく嫌な感じをソルトは受けた。
「なに舌打ちしているんですか!お酒を飲ませて何する気だったんですか!!」
胸倉を掴まんばかりに乗り出すソルト。ガーガはつまらんと言わんばかりに麦酒をチビチビと飲んでいる。反省の色は何処をどう探しても見つからない。
ソルトの額に青筋が浮ぶ。
あーそう。そういう態度にでるんですか。
「ガーガさん!!」
「べ~つ~に。特に意味は無いけどぉ?」
「うわっ!その言い方、腹が立ちます!!」
咄嗟に手を振り上げたソルトだったがあっさりと押さえ込まれる。どんなに力を込めても手を振り払うことができない。
自分よりずっと大きく骨ばった手に何故だがソルトの鼓動が早くなる。
「は、離してください!!」
動揺の余り、声が上擦る。俯き真っ直ぐに自分を見れなくなっているソルトの手をガーガが引っ張りその耳元に口を寄せる。耳元に彼の吐息を感じソルトが短く悲鳴を挙げた。
逃げようにも手を掴まれてしまっていてはそれも難しい。
「まぁ。俺は全く気にはしないけど今の俺達って痴話げんかの真っ最中って感じかな?側から見ると」
「・・・・・・へ?」
言われて初めて回りを見渡してみる。好奇心と野次馬根性逞しい人々の視線とかち合う。
見ていることに気付いたのか
「おー。メイドのねぇちゃん!!負けんじぁねぇぞ~。」
「ガーガ、一人前に女と痴話げんかかおい!!」
「俺はメイドのねぇちゃんが勝つのに銀貨一枚賭けてんだ。負けてくれるなよ!!」
「わしはガーガに今夜の酒代!!」
「お、おれにも一口乗せろよ」
様々な野次を飛ばしてきた。
「あ、あははははははは」
なんだかもう、乾いた笑いしか出てこない。
「そんな格好でいるから目立つんだよ」
「今、目立っているのは絶対にこの服の所為じゃないですよねぇ!」
涙目で睨みつけてやるが相手はまったく意に介さず余裕を崩さない。
「まぁ、そのメイド姿も中々いいけど俺としてはもっと違う服が見たいなとも思うぞ。うん」
何かを期待されている?
「思えばさ、俺、お前の私服姿って見たことねぇんだよな・・・・・。見たいなぁ・・・」
じっと何かを期待するような目で見られ、訳もわからずソルトは椅子の上で身を引いた。
何故だろう。今、全力でこの場から逃げ出したい。ものすごく!!
「え、えっと・・・あのですね・・・・そうだ!今日のスープは美味しいですね!」
「え、ああ。そうだな」
勢いこんでスープを口にするソルトに気圧されたようにガーガも食事を再開する。周りからは「なんだもう終わりか?」の声が上がったが無視した。
異界だ・・・・気分はもう、私の知らない世界である。
「ごちそうさまでした」
からになった食器の前で手を合わせる。ちらっとガーガの方を見ると彼もまたちゃんと手を合わせていた。すこし・・・感心した。
「意外とちゃんとした人だったんですねぇ~」
無意識に出たかなり失礼な発言は相手の気にさわったらしい。にこやかな笑みでソルトの両頬を引っ張る。
「い、いひゃい!!」
「意外ってどういう意味かな?それって聞きようによってはお前の中の俺のイメージが全然ちゃんとしてない人間のように思えるんだかなぁ?うん?」
「ひょめんなひゃい!!」
涙目で謝るとガーガは真顔で「変な顔」と呟く。一体誰のせいでだと言いたかったが更なる報復が怖くて言えない。顔を引っ張られたまま泣いたり怒ったりと忙しいソルトは見ていて飽きない。
そして、その飽きなさがガーガに付きまとわれる原因の一端だということには彼女は気付いていない。
ひとしきりソルトをからかって満足したのかガーガが席を立つ。それを赤くなった頬を擦りながらソルトが恨めしげに見上げた。
「俺はこれから見回りに行くからお前もさっさと部屋に帰れよ」
「あのですね・・・・。貴方にさえおちょくられなかったらお望みどおりわたしはさっさと帰っていましたよ!!」
そうなのだ。ガーガさえからかわなかったら、自分はさっさと食事を済ませて自室に帰れたのだ。窓の外がどっぷりと暗くなるまで食堂に居ることは絶対になかったのだ!!
「それは無理だな。だってお前からかうと面白いからなぁ」
爽やか笑顔でサラリとひどいこと言うな!
「そんな理由で・・・人の食事を邪魔していたんですか・・・・」
ガックリと肩を落とすソルト。本当にこの人はわたしを何だと思っているんだろうか。
ささやかでいいから無駄に気力や体力を使うことのない生活が欲しい・・・・。
そう、思うのはいけない事だろうか?どこか遠い目でソルトは思った。
風が出てきたなぁ。
食堂を出て廊下を歩き出したソルトは意外なほど強く吹きつける風に目を細めた。
風が遠い昔の記憶を揺さぶる。
こんな夜は決まって手を繋いで眠った。
お互いの手の温もりでようやく安心できたから。風が強く窓を鳴らしても二人なら怖くない。頭から布団を被り風の音に驚きながらも二人でいろんな話をして・・・いつの間にか眠りこけていた。
それは余りにも当たり前で・・・でも、いま思えばとても大切で奇跡のような幸せだった。
すべてがもう、過去のことだと認めるのが怖くなるぐらいに。
「ばかだな。わたしは」
自嘲めいた微笑みが浮ぶ。それはいつもの彼女を知っている者が見たことのないぐらいに寂しげで、己への罪悪感に満ちたものだった。
風が吹く。隣にはもう、誰もいない。
風が吹く。この手を握る優しい手はもうない。
「それでも・・・・」
できることなら。許されるのなら。
もう一度、あの時繋げなかった手を
「繋ぎたいよ」
呟いたソルトに不可思議な感覚が襲いかかる。
「・・・っ!!」
電流でも走ったかのような痛みに思わず蹲るソルト。不可視の攻撃はしかし、彼女にとっては馴染み深いものでもあった。
彼女の目に見えざる力の姿がはっきりと写る。それは自分の中へと入り込み、変質させるもの。認識した途端ソルトの中の理性がかたをはずす。そう簡単に操られてたまるものですか!!
ソルトの中へと入り込もうとした力はしかし、彼女自身が張った防御壁によって敢え無く弾き飛ばされた。
精霊を使役した精神攻撃である。咄嗟に防御したが何もせずにいたら良くて二・三日床から起き上がれず、悪くすれば死に至る可能性もある。
「やって・・・くれますね・・・」
ふらつく体をどうにか立たせながらもソルトの目が普段の彼女からは信じられないぐらいに険しさを増していく。
「わたしだったから咄嗟に防御できましたけど、これが素人さんだったら大問題ですよ!!何考えているんですか!!」
瞬間的に沸き起こった怒りに理性はあっさりと場所を譲り渡す。本来なら気にかけるべきことがらを彼女は頭からすっぽりと抜き去っていた。
叫ぶと同時にソルトの体が淡い銀朱の光に包まれる。その光に包まれるや否や彼女の容姿も大きく変化していく。
蜜編みにされた髪は解け見る見る太陽の光をそのまま紡いだかのような金髪へと変化し空に舞う。怒りを湛えた瞳は茶から色鮮やかな紅へと。そうなるともう、いつものおどおどとして地味で大人しいなんて印象は綺麗に消え去り、代わりに怒り狂った迫力満点の美少女が現われた。
女は化けるというが・・・すさましいまでの変化であった。
生まれのせいでこういった技術に関しては(望んでないのだか)得意分野である。万事抜かりなく掴んでおいた力の一端から逆にこちらから遡っていく。数秒としない内に手ごたいを感じた。ソルトの口元から酷薄な笑みがこぼれる。
それは力ある者のみが浮かべられる超越者の表情。気高く力に満ちたその姿にはいつものドジで泣き虫なメイドの姿はなかった。
「お仕置きです」
繋がった道のこちら側からわざと力を逆流させてやる。当然相手は防ぐ。だが、その防いだ瞬間を狙ってソルトは第二段(しかもさっきより倍の威力)を直接相手に転移させる。相手は慌てて精霊を召喚し、防御壁を展開しようとするがソルトは相手の召喚した精霊を自らの支配下へと即座に治めるという荒業をやってのけた。
繋いだ道から相手にしっかりと届いたことを確認すると満足気にうなずくといとも容易く繋がった道を塞ぐ。
その途端、彼女を包んでいた銀朱の光も消え、髪も瞳も普段通りに戻った。
そこにいるのは冴えないメイドただ一人だけ。先ほどの光景が嘘のようである。
「ふう~。」
一息ついたソルトが何気なく上を向くと二階の窓から驚愕の色を浮かべてこちらを見下ろしている鳶色の瞳と目があった。
時が冗談抜きで止まったような気がした。
「「・・・・・・・・・・・・・・・」」
両者言葉を発することができない。
(見られた?見られたの?見られてたのですかぁぁぁぁぁっぁぁ!!)
もう、ソルトの頭の中はこの単語で一杯である。
迂闊であった。
油断もあった。
でも、よりにもよって・・・・・。
(雇い主のお嬢さんに見られるなんてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!)
人生の中で必死になって隠しとおしてきた秘密その一を見られてソルトは常にない動揺を覚えていた。
驚きと動揺から先に立直ったのはこの屋敷の主人の一人娘 アリエルの方だった。
「あなた・・・」
声には有り得ない光景を見た動揺はなく。意外としっかりしていてそれが彼女の冷静さを逆に感じさせた。駄目だ。ソルトは絶望のまま呻いた。
目の錯覚などの口先三寸で誤魔化せそうにない。
「あ、あのですね」
口の中がカラカラに渇いているのが分かる。予想外の展開に頭が沸いている。
しつこく言い訳を考えていたソルトを追い詰めるかのようにアリエルが身をのり出しソルトを見る。その瞳には興味はあるがソルトが恐れていた嫌悪や我欲は感じられない。だが、だからといって安心できる状況でもない。
「貴女・・・」
その瞬間すべてがスローモーションにソルトには見えた。ゆっくりとアリエルが言葉を紡ぎ出すために唇を動かそうとする。額に嫌な汗が大量に流れ落ちていた。
こんな時に限って自分の身体に居候を決め込んでいる精神は本気で眠ってしまったのか反応が全くない。
(あの・・・グータラ女!!)
こ~ゆう時こそ出番だろうに!!
ありとあらゆる悪口・雑言を心の中で並び立てるが相手が起きる気配は一向に感じられない。そうこうするうちについにアリエルが口を開く。
「いまのは・・・・」
ぎゅっ!と強く眼を閉じる。ザザッと夜風が梢を鳴らしていた。
「失礼します!!」
その言葉を最後まで聞くことなくソルトは大声で遮ると一礼を残して全力疾走でその場を後にした。
その余りにも突然の行動に口を開いたまま走り去るメイドに呆気に取られたアリエルはしばし、その後ろ姿を見送ると、その鳶色の瞳を興味深そうに細める。
窓枠に器用に座ると年に似合わぬ不敵な笑みを浮かべた。
「ふ~ん。訳ありのメイドか・・・」
蘇るのは先ほど目の前で起きた光景。
溢れ出した力や目が奪われるほどのあの存在感を思い出してアリエルはもう一度、笑う。
「・・・面白いことになりそうね」
天井に張られた見事なステンドグラスには鮮やかな赤の色硝子で作られた竜が描かれている。その精緻さ見事さはこれが名人からの手によるものだと無言で見る者に訴えかけていた。
「綺麗だよねぇ」
声に振り向くとドアに寄りかかるように見知った少年が立っていた。
「なにか用か」
素っ気無く答える男に少年は気にさわった風でもなくごく自然に隣に立つ。
「例のお屋敷の件だけどさ、介入に失敗したらしいよ」
一瞬、男の目が鋭く少年に向けられる。
少年は動じずにその目を正面からしっかりと見据えた。
「どうやら意識に介入しょうとしたメイドがただのメイドじゃなく結構そっち方面の腕に覚えがあったみたいでねぇ。逆に返り討ちにあった」
調べた限りじゃあそんな特殊技能の持ち主いないはずなのにねぇ。と笑う少年に男の額に青筋が浮ぶが、今は怒鳴り散らすより、必要な情報を求めるのが最優先である。恐らくはその辺も計算にいれているらしい少年をいまいましそうに睨みつける。せめてもの抵抗である。
「被害は」
そっけない質問に打てば響くように少年が答える。
「精霊術士が一名寝込んだだけだよ。相手が甘くて助かった」
「相手の力量は?」
「かなりのものだね。なにせこちらが召喚した上位精霊をあっさりと自分の支配下に置いてみせたらしい」
「………そうとうの使い手とみるべきだな」
「だね」
しかし、そうするとそこまでの力量の持ち主が何ゆえメイドなどをしているのかが疑問である。それにあの屋敷の住人については一通り調査をしていたのだがその段階では精霊術に通じた人物はいなかったはずである。もし、わかっていれば返り討ちにあった術士も慎重に行動したはずだ。
そこまで考えて男は手で額を押さえる。
「最初から精霊術士でなく封術士の方を使えとあれほど進言したというのに・・・」
眉間に皺を寄せる男に少年が何を今更と肩を竦める。
ちなみに精霊術士とはその名の通り精霊に助力を求め、力となす者たちのことである。だが精霊それ自体が神に従属していた存在なので神の封印に関与し、その力を具現化する封術士に比べると威力も術の規模も見劣りするのである。
男は確実性を取って封術士での介入を主に進言したのだが何を考えているのかそれらの意見はことごとく却下されてしまったのである。
その時のことを思い出すと結構、かなり、怒りが湧き起こる。
彼の主は輝くような美貌に満面の笑みを浮かべながら膝を折り、進言する自分に向かってこう言うのだ。
「うざい」
あれは堪える。臣下として男として否、意思ある一個人としての自分を容赦なく全否定されるようなものである。
それに何とか耐えて、ではせめて自分に采配を任せて欲しいと言えばやはり一言
「い・や」
そこまでくるともう彼の忍耐の緒もぶち切れかける。だがそういう時は必ずと言っていいほど主が持つ扇子がパチリと音を立てるため理性を取り戻される。
忌々しい限りである。
主とは長い付き合いであったため彼が男の意見を問答無用で却下するなどそれこそ何百回とあったが今度ばかり失敗するわけにはいかないのだ。
いかないのだが、どこか真剣味が足りない態度の主を見るとはらわたが煮えくり返るほど苛だってしまう。
「俺が出向くのが一番早くて確実なのだが」
紛れもない本気の本音に少年は心底嫌そうな声を返してくる。
「え~。そりゃ無理だよ。だってあんたが居なくなったら誰が“あいつ”の面度やら暴走の尻拭いやら厄介事の後始末をつけるんだよ!!」
握りこぶしで力説するのは男にとって耐え難い事実ばかりでいささか男の心をくじけさせてくれる。
「お前というやつは・・・。少しは自分があの人の相手をしようとは思わんのか?」
思いもよらない質問だったのか少年はキョトンとこちらを見返すと何を馬鹿なことを言ってんだよ?こいつは?という顔をあからさまにした。
「ぜ~んぜん。あんなのに付き合っていたら命がいくつあっても足りない上に近くにあれの暴走をうまく和らげることのできる奴がいるからね。そんな考えすら浮ばない」
あまりと言ったらあんまりないい草に男の眉間のしわが深くなる。
「ああ、そうそう。あんたとぼくに部屋にくるように“あいつ”が呼んでいたよ」
のん気とさえいえる少年のことばに男は再度の溜息を要求された。
「そういうことはもっと早くに言ってくれ」
「あはは!ごめん。忘れていた」
全く持って誠意の感じられない謝罪に男はガックリと肩を落とす。
「もういい。それより、そのメイドの・・・」
「調べさせているよ」
とぼけているかと思えばやることはキッチリとやっている少年に男が「侮れん奴」と思ったのかは本人のみが知ることである。
(何もない………?)
不気味なことにあれから三日何の変化もソルトの身には起きてはいない。
「おかしいです。おかしすぎます。一体何がどうなっているんですかぁぁぁぁ!」
「あたしとしては寝間着で天井を見上げつつも手を組んで叫んでいるソルトの方がおかしいと思うけど」
同室の同僚の突っ込みに対してもソルトは動じない。
「だってだって、おかしいんですよぉぉぉぉぉぉぉ!!」
必死の形相で詰め寄ってくるソルトにやや気圧されつつも同僚は「どうどう」とその肩を叩いて落ち着かす。
「だ~か~ら。一体何があったのよ。相談に乗ってあげるから説明してみなさい」
同僚の諭すような言葉にソルトはぴたりと黙りこくり俯く。この三日間嫌というほど繰り返し見た反応に同僚は諦めたような顔でソルトの顔を覗きこむ。
「言いたくないの?」
「………言えません」
消え入るような声。すまないと、ごめんなさいと思っているのが良くわかるがそれでも話せないのだと無言で訴えかける態度に同僚も深くは追求できなかった。
「あんたって意思薄弱のように見えて意外と頑固なんだからねぇ。いいわ、何も聞かないからさっさと身支度を整えなさいな。朝ごはんを食べはぐれるわよ」
彼女のその言葉にあからさまにホッとしたらしくぺこぺこと頭を下げると急いで服を着替え始めた。
そんなソルトの態度に自分の身支度を整えながら同僚はそっと溜息をついた。
アリエルが何の行動も起こしていないことは不可解であったがソルトの方もそうそうそればかりに気を囚われているわけにもいかなかった。
なぜならお屋敷の一人娘であるアリエルの結婚が正式に屋敷の人間に発表され、その準備に屋敷中の人間が劇的に忙しくなったためである。
ソルトもお屋敷をあっちこっち駆け、外へもお使いに何度も行ったりしている。
廊下を早足に歩きながらソルトは指を折りながら自分のやるべきことを列挙していく。
「え~っと。お部屋の掃除は終わったしお花の手配はもう済ましました。あとは……わあっ!」
突然現われた壁にぶつかり尻餅をつくソルト。結構痛かった。
「い、いたたたたっ」
「大丈夫か?」
「はい、どうもすいません・・・・」
そう言って差し出された手を取りかけてソルトの手が何かに気付いたように止まる。
だが、相手はそれには頓着せずその手を掴み立ち上がらせる。
ソルトの身体が軽々と引っ張られ相手の腕の中にスッポリと納まった。悪戯っ子のような瞳が面白そうに自分を見下ろしているのを感じ、ソルトの顔があからさまに引きつる。
「ガーガさん」
呻くようにその名を呟くと相手はにこやかな笑みのままソルトの頭を拳でグリグリと撫ぜた。
「いたい、いたい、いたい!!」
「ソルトなんだその顔は?まるで化け物にでも遭ったかのように引きっていたぞ。」
ソルトは涙目で頭を押さえる。
「大して変わらないじゃないですか・・・いっ!!」
本当に小さな声だったのにどうゆう耳をしているのかしっかり聞き咎めたガーガがソルトの頬を引っ張る。
「ひゃいひゃい!!ひょめんひゃさい!!」
いたい、いたい。ごめんなさい。と言ったつもりが頬を引っ張られたせいで謎の言語と化す。
「う~ひどいじゃないですか!!」
ヒリヒリする頬を擦りながら睨みつけるが相手はどこ吹く風である。
「馬耳東風という言葉をガーガさんに送りますよ」
「失敬な俺は馬並みか?」
「余計なことをしない分馬のほうがましですよ。全く」
ぶつくさと愚痴るソルトの見えないところでガーガが優しい眼差しで彼女を見守っていた。
その顔はなんというかとても穏やかで優しいものだったのだが頬を擦ることに夢中のソルトはまったく気付いていない。
「前からずっと聞きたかったんですけど」
「うん?」
見下ろしてくるガーガを下から精一杯睨み付けるとソルトはビシッとその鼻先に指を突きつけた。
「どうして私にばかりいぢわるするんですか?」
ガーガの動きが止まる。じっと見詰められソルトの方が居心地が悪くなっていく。
「あ、あの・・・」
「ふ~ん。気になる?なんで俺がお前をいじめるのか」
ただならない空気に足が勝手に後ろに下がる。違う。いつもと同じ声、態度なのに頭の片隅で「違う」と警鐘が止まない。わからないまま身体は勝手に彼から距離を置こうとする。
だが、下がれば下がるだけガーガは近寄ってくる。
気が付いたときにはソルトは壁際に追い詰められていた。
走り出そうとしたソルトを逃さないようにガーガの両手が音を立てて壁を突く。
囲うように手を壁についたガーガに青ざめて何も言えなかった。
ガーガが身体を縮めソルトの顔を覗きこんでくる。フワリとガーガの身につけている防具の匂いがソルトの鼻を掠めた。
「本当に・・・わからないのか?」
「な、なにがですか………」
「俺がお前に構うわけ」
静かな声。今はそれが逆に怖かった。
ぎゅっと目を瞑り俯いているとそっと顎に手を掛けられ上を向かされた。
目を開けると意外なほど近くにガーガの顔があった。
彼の吐息が唇にかかる。
「どうしてお前、そんなに鈍いわけ?」
呆れたような拗ねたようなガーガの声。
「………教えて、やろうか?」
ガーガの手がそっと頬に添えられるのを感じた。自分のそれとは違い大きく骨ばった手には幾つもの剣だこがあった。
目を開けて真っ直ぐに自分を見つめている少女にガーガは苦笑混じりに囁く。
「いいから。目、閉じろ」
「え、あ………?閉じる?」
何で?と目で問いかけてくるソルトにガーガはますます口元の苦笑いを深める破目になった。
(こいつは……本当に……)
こつんと軽く額を合わせて視線を合わせてくすりと悪戯を思いついたように笑ってみせた。その瞳は少しだけ残念そうな光が宿っていたが。
「ば~~~か。教えてやるかよ」
「なっ!ガーガさん!!」
拳を振り上げ怒るソルト。また、からかわれた!!
ぽかぽかと叩くがどれもこれもガーガにアッサリと避けられてしまいソルトは盛大に拗ねた。
「な、なんで当たらないんですか」
むっ~~と脹れ面をするソルトの頭を片手で撫でるとカーガはじゃあなとその場を立ち去る。その後ろ姿に「べぇ~~」と舌を出しつつソルトは見送った。
「結局、なんだったんでしょうか」
ぼさぼさにされた髪を手櫛で直しながらソルトは首を捻るが考えてもしょうがないと仕事に戻った。
(やれやれ・・・ほんに鈍い娘に育ったものじゃ・・・)
どこからともなくそんな呆れ果てたよううな声が聞こえたがソルトは気付かなかった。