侯爵様ととりまきその十六
父が毎度、無理やり参加させる舞踏会で、今夜も私は黄色い歓声をあげた。
*** *** *** ***
十八年前、金持ちでも貧乏でもないリーヴィス伯爵家に、私は生まれた。
兄二人に姉二人、妹一人に弟一人、という大家族ゆえに、相続権ははるか縁遠く、さらに遅い時の子はかわいい、とされる末子でもないために、私は放置気味に育てられた。
いや、私自身、貴族の家系ではあるものの、現在の身分は平民だ。だから、結婚相手に恵まれるかを危惧した母は、私に貴族としてだけではなく、平民としての価値観をも教育し、父は舞踏会へ頻繁に参加させた。
けれど、主に目が向けられるのは長男長女や幼い妹弟であるから、私は一人で過ごすことも少なくなかった。
そんな時は、本を読んで過ごすことが多い。
もともと”本の虫”と呼ばれるくらいには本が好きで、種類は雑食並みになんでも読む。
学術本なら経済系が好きだし、物語ならば継母に蔑まれてきた少女が、王子に見初められて嫁ぐ――かと思いきや、迎えられた王宮で宮廷庭師と出逢い、できてしまって駆け落ち、そうして二人仲良く山村で畑を耕す恋愛ものが好きだ。
恋愛ものといえば、たとえば王様とか王子様が高慢な態度を主人公の前でとって、それを主人公が諌め、気に入られるとか、舞踏会で壁の花をしている主人公が常に女性に囲まれる貴公子の目にとまり、突如踊りに誘われるだとか、はたまた、女性が群がる美男子貴族に見向きもしない主人公を認めた彼が、突如踊りに誘う、といった展開が鉄板だろう。
だがしかし、私はそんな人生求めていない。
むしろ、舞踏会で靴擦れでもおこして医務室に向かい、そこでその貴族の家の主治医と恋に落ちるだとか、図書館に通う勤勉な学者見習いと本棚にある本をとろうとして手が重なって恋に落ちるだとか、そういうのを期待している。
権力などほしくはないのだ。
ということで――ならばならばな作戦を、私は常に舞踏会にて実行しているのである。
*** *** *** ***
光に満ちた舞踏会場に集うのは、華々しい格好の男女。妖艶な美女から可憐な少女、紳士的な美丈夫からまだ幼さ残る純粋そうな少年が集まるその場は、恋や愛やら権力者とのつながりを求めて、異様な熱気がこもる。
様々な香水の香りと運び込まれる料理のにおいとが混ざった悪臭に、内心眉宇を顰めつつ、私は女性群がるその男のとりまきその十六をしていた。
耳に届く噂話は、その男、ことヴィンセント・ジェラルド・メイフィールド侯爵が今回の舞踏会に寄付したために会場がさらに豪華になっただの、さすがは閣下だ、だの聞こえる。
まぁ確かに経済効果はあるだろうが、もっと別なところに寄付すればよかろうに、とも思わなくもない。その辺は、平民意識を植えつけられた私と、貴族意識を持つ彼との価値観の相違だろう。
「きゃぁぁぁっ」と言いつつ私は侯爵を値踏み……いやいや、観察した。
若くして侯爵に就任した彼は、乳製品を突っ込んだ紅茶の色の髪と、キャラメル色の瞳を持っている。切れ長の目もとは優しく、鼻もすらりと通っていて高すぎず、低すぎず、鷲鼻でもなく整っている。全体的に調和がとれているため、超絶美形か、といわれたらそうでもないものの、十人中八人は美形だよね、と称するくらいの顔立ちである。背も高すぎることはなく、踵の高い靴を女性が履いて並んでも問題のないくらいだから、ちょうどいい、というべきなのだろう。声は聞いていて苦痛ではない、つまりは低すぎて聞き取りづらいこともなければ、甲高くて耳が痛い声でもない感じだ。
噂では、同じ国ではあるものの、領地が遠い場所にいるらしい傾国の美形ともいわれるどぞこかの侯爵と親戚であるらしいから、顔立ちが整っているのはうなずける。
そんな美目麗しく、侯爵という地位もある彼に、多くの女性は群がった。
そして、私もメイフィールド侯爵のとりまきその十六である。
とりまきその十六として大切なのは、侯爵を中心に円形に群がるその一番外れで、目立たない程度に歓声をあげること。まぁ、私はそもそも茶羽ゴキブリ色の髪に大気汚染された空の色をした瞳だから、特別目を引く容姿でもない。埋没なら私にお任せ!と言っても過言ではないわけだ。とにかく、侯爵は私の理想からとめどなくかけ離れていることを主張したかった。
もしなんらかの天文学的確率の悪夢で、彼の視界に入り、遊び相手になることはごめんである。だから、考えて考えた結果――彼のとりまきその十六になることを決めた。無駄に目立たないように。
とりまきその三くらいの、露出度が高い華美な装いをした女性に侯爵が手を差し伸べた。
どうやら踊りに誘っているようだ。
女性は頷き彼の手をとると、さりげなくその他のとりまきに勝ち誇った視線を向けてきた。
会場に響く音楽にのって、体を無駄に密着させて踊る二人。
彼らを心中嘲笑しながら眺めていると、私の視界の端に、顔を歪めた清純派な女性がいた。
輝くような金の髪をなびかせて、彼女は踵を返し、独り、庭園へと向かう。
(女一人でそっち行ったら危ないのに)
まさに他人事。
なのに、気になった。
(今度の舞踏会で、彼女が強姦された、なんて聞いたら、私の胸糞悪いから……)
言い訳だと気づきながら、彼女の後を追った。
耳を澄ませば喘ぎ声が聞こえる。
……舞踏会場の庭園といえば、男女が隠れてにゃんにゃんすることも少なくない場所なのだ。
そんな中、蹲るように肩を震わせる女性。さっきの彼女だ。
「あの」
声をかければ、彼女はこちらを振り仰いだ。瞳に見え隠れする、期待した色。
(ああ、彼女が求めているのは、私ではなかったんだ)
察すると同時に、彼女は、先日の舞踏会で侯爵に踊りに誘われた女性だと思い出す。
前回彼に誘われたから、きっと今日の舞踏会はまさに針のむしろ状態の視線を女狐たちから送られただろう。そんな彼女のただ一つの救いであった侯爵は、彼女ではなく、別の女性を踊りに誘った。しかも、女狐の一人に。
どれだけ傷ついただろうか。
……そんな状態で、会場内にいられなくなったのだろう。
涙で潤む瞳に罪悪感を感じながら、レースの手巾を押し付ける。
「……あなた、彼のとりまきでしょう?」
まるで親の仇でも見るように、彼女は私を睨みつけてきた。
まぁ、彼女の言いたいことは理解できる。彼女をいびっていたのは、彼の側近あたりのとりまきたちだったのだろうから。
私は真実を言うつもりもないから、嘆息し、小馬鹿にするように見下ろした。
「私が虐めたと思われたら嫌なの。さっさと拭いてよ。侯爵様に誘われなかったからってなに? それとも、彼に追いかけてもらって、ここで泣き落としでもしようと思ってたの?」
言うと、彼女は私の手巾を地面に投げつけ、己の手で涙を拭った。
「――馬鹿にしないで!!」
叫んだ彼女が会場へ戻って行くのを見送り、呟く。
「……いったいあの男のどこがそんなにいいのかしらね?」
つくづくそう思う。
私は苦笑して手巾を拾い、会場へと向かった。
その姿を、まさか、踊りが終わって涼もうと庭園にいた、かの侯爵その人に見られているとはいざ知らず――。
*** *** *** ***
――翌日。
舞踏会で靴擦れをすることもなく、したがって舞踏会主催者の主治医との出逢いもなかった私は、新たな出逢いを求めて図書館へ行く。
経済分野の本がそろっている本棚周辺をうろちょろしつつ、学者見習いがこないものかと待ち伏せる。
けれど、なかなか来ないどころか、人自体来ないことに落胆し、暇つぶしに経済本に手を伸ばす。以前借りた本を、もう一度読み直そうと思ったのだ。
その時、声がかけられた。
「こんにちは」
私の気持ちはいっきに薔薇色に染まった。
――ついにきた! きましたよ!! 運命の出逢いが! 私の近い未来の恋人、学者見習いが!!
もちろん私ははりきって振り返った。
「……。…………」
おかしい。おかしすぎる。
なぜか私の目の前にいるのは、件の侯爵なのだ。
ああ、その美しい顔を輝かせなくて結構。背景にキラッキラしたものが見えるけれど、その演出も結構。
心底うんざりしていると、彼はサラリとした髪を揺らした。
「確か、よく舞踏会にいる娘だよね? 昨夜もいたはず」
なんだなんだなんなのだこの男の記憶力は。
私はとりまきその十六なのだ。まさかとりまき全員覚えているという恐るべき特殊能力でも有しているというのか!? そしてモテるのはその特殊能力ゆえで、というやつなのか!?
心の中でもんどりを打ちながら、ついでに問答した。
無言でいると、彼は屈んで私の顔をのぞきこんでくる。
見るな! こっち見るな!
目があうのを避けるように視線を逸らして、仕方なく頷いた。
「名前は?」
警戒心を解くような穏やかな口調だが、それがむしろ不愉快だ。口説き落とす術を見た気がしたのだ。
舌打ちしたい気持ちで口を開く。
「………………………………クローディア」
まさに蚊のなくような声で答えれば、彼は「姓は?」とさらに続けた。
「…………………………………………」
しつこっ!! この男、しつこすぎる!!
どれくらいしつこいかというと、うっかり甘くてくどいお菓子をたべてしまって、そのくどさに吐き出し、うがいをしたのに味が口に残るくらいのしつこさ。もしくは、真っ白な服についてしまった色の濃い果汁のようなしつこさ。
胃がキリッとした。
が、「ん?」と質問を取り消そうとはしない目の前の男。
歯をくいしばって答えることを決意する。
「……………………………………………………リーヴィス」
小虫の羽音程度の声で呟いた。
「そうか、リーヴィス伯爵のところのご令嬢か」
にっこり笑った男を私は凝視した。
(この男、耳がよすぎるっ!!)と思いながら。
*** *** ***
そうして気がつけば、共に茶をしていた。
侯爵はとめどなく押しが強い、といえばいいのか、こちらの言葉を丸め込むのがひたすらうまかったといえばいいのか……とにかく、断れなかったのだ。
――これも口説き技か、と頷く。
しかし、そこで交わされたのは、恋愛どうのといった話題ではなく、先ほど私が図書館で手を伸ばした本についてだった。
知っている本の内容について、侯爵は語る。
私は曖昧に相槌を打つ。……といっても、「へぇ」「わぁ」「おぉ」という、適当なもの。
さすがに空気を読んだのか、むしろもっと早く読めと言いたくもあるが、とにかくようやく察した侯爵は「つまらない?」と首を傾げた。
博識だと女性に知らせたいのかもしれない。媚びたい女性ならば、「そうなのですか、侯爵様の領民はきっと幸せですわね」とでも言うだろう。
そう思い至った私は、彼の鼻っ柱を折る作戦に出ることを決める。
「あの本はもう読んだので、内容は知っています」と答えた。
どうだ! これで(なに生意気言ってんのこの女? こういう時は男をたてるべきだろ?)とか思ったに違いない!
心の中でほくそ笑んだ私が視線をあげると――。
彼は笑っていた。
「女性とこんな話ができるのは初めてだ」
……。…………どうやら喜んでいるらしい。
――おかしい。この展開はおかしい。
悟った私は頭を抱えたくなった。
以来、なぜか図書館へ行く度に私は彼と遭遇するようになった。
いっそ経済分野の本棚には近寄らず、農学分野の本棚へ行くことにする。
そこにいた、学者見習っぽい、少し野暮ったいけれど勉強をがんばってます、という容貌の青年。
――待ってました! 私はあなたを待ってました!!
逸る気持ちを抑えながら、青年に歩みより、声をかけようとした瞬間。
腕をとられた。
「クローディア嬢、今日は農学の本をみていたんですね。ああ、確かに災害に備えて品種改良を検討しなければなりません」
そう言って神妙に頷いた彼、ことメイフィールド侯爵。
――わざとだろう。絶対わざと今邪魔しただろう。
心に殺気を宿しつつ、訝るように腕をとらえる男を見れば、彼の瞳に厄介な色が見え隠れしていることに気づく。
…………いや、見なかったことにしよう。
私はそう判じた。
*** *** *** ***
心身疲れて私が邸へ帰ると、父から呼び出された。
……いつだってろくでもないことを持ち込んでくれる父。嫌ってはいないが、面倒くさい。
それでも、父とはいえ伯爵。私は渋々従って父の部屋へと足を向けた。
扉を叩き、開けると、父は笑みを浮かべて迎えてくれた。
ああ、嫌な予感。
顔を顰めながら、執務机に肘をつく父に歩み寄る。
髭を蓄えた筋骨隆々な父は、常に無駄な圧力を与えてくれる。
「なんでしょう、お父様?」
嫌々問うと、父は執務机に一通の封筒を置いた。
「今日の夜、舞踏会がある。参加――」
「行きません。唐突すぎです。いつものことですが。どうやって毎回毎回舞踏会の開催場所を探してきてるんですか。探偵もびっくりですよ」
父の言葉を遮る。
そうして、口げんかになるのはいつものことである。
「行け!」
「行かない!」
「行け! お前はもう嫁き遅れなんだぞ!」
「行かないって言ってるでしょう! 私だって必死ぶっこいて出逢い求めて理想の男性を漁ってます!」
「舞踏会で漁ればいいといつも言っているだろう!」
「嫌だっていつも言っているでしょう! 私はお医者様と学者見習いが理想なんです!」
「ならば舞踏会で見つけろ!」
「いないでしょう!? 舞踏会には!」
「なんでそうまで舞踏会を嫌がる! 理由を言え!」
「だったらもし私が将来優良株の男性と出逢って周囲の女共に嫉妬されて殺されでもしたら、どうしてくれるんですか!」
「大丈夫だ! 骨は拾ってやる!」
……――結局、今日も私が敗北するのだ。
ああ、もし近頃侯爵と私が一緒にいるところをとりまきの女狐どもに見られていたら、私は抹殺されるでしょうね。
やけくそに笑いながら、(そうなったら加害者女性と侯爵とお父様を呪ってやる!!)と固く心に誓った。
*** *** *** ***
舞踏会場にいる自分。
ああ、煌びやかな世界が眩しい。目がつぶれそうだ。
前回参加した舞踏会場と張るように、豪華絢爛な会場に息がつまりそう。
とかなんとか思っているけれど、いたって健康な我が身が憎い!!
私は肩を落としながら、一口大の料理をつまむ。
けれど、小腹は満たせても、私の空腹の腹は満たせない。ああ、もっとがっつりしたもの置いておけと私は言いたい。飲んで食っての酒池肉林だ、へい!
……。…………ちょっと気分上々にしてみようと思ってみたが、自分の残念さに凹んだ。舞踏会に”酒池肉林”ってなんだよ私。”へい!”って、もともとノリの悪い私の口からそんな言葉は三十年に一度出るか出ないかだろう。無理してるのがバレバレすぎて困る。
自嘲し、いつもの私、こととりまきその十六の私を取り戻そうと、会場内を見渡した。
とりまきの女連中はちらほらいるが、まだ集っていない。つまり、侯爵がまだ会場にいない、ということだろう。
「身構えて損した……」
ほっと息を吐き、安堵する。
――私は、とりまきも怖いけど……侯爵の瞳の奥に見えた、なんらかの感情も怖いのだ。
どんな感情にしろ、向けられたくはない。無関心、放置でお願いします!
腕を組んでひとしきり頷いていると、肩を叩かれた。
……視界のとりまき連中がこっちに歩み寄ってくる。
…………嫌な予感がすんごくする不思議。
まるで油の足りない機械のように、ぎぎぎ……と首をめぐらせた。
「こんばんは、クローディア嬢」
ああ、やっぱり目がなにかを物語っている。気づきたくもないけれど。
私の肩に手を置く人物ことメイフィールド侯爵は、微笑んだ。
その手が平熱より熱く感じて、医者を呼んでやりたい衝動に駆られる。
それでも、彼は私の父よりも身分の高い侯爵様。無視することは、すなわち父の、ひいては領民をも危険にさらすこと。
ならば仕方ない、とばかりに愛想笑いで返す。
「侯爵様、こんばんは」
だがしかし、私はまだ死にたくない。
ゆえに、彼の返答を待たずしてこう言った。
「酔ったみたいなので、私は庭園に行きますね」
すると侯爵は目を瞬く。
「お酒を飲んだようには見受けられませんが」
なぜわかった。においか? においなのか!? いや、きっと違うと信じたい――自分のために。そうか、顔色で判断したんだな、そうしておこう。――あああ、もう、こっち見るな!
絶叫する心を必死に隠しながら、私は「く、空気にです」と苦し紛れの返答をした。
「ああ」と頷いた侯爵は私の背中に手をそえる。
……嫌な予感しかしませんが?
引き攣りそうになる顔で「あの、一人で大丈夫なので……侯爵様は皆様と楽しんでください」と呟けば、やつ――ではなく、侯爵は「一人では危険です。お供します」と困ったように笑んだ。
――むしろお前が怖いんだ。
ああ、言いたいのに言えない。あああああ!!
このもどかしさ、どうしたらいいだろうか。
粘り勝った侯爵に背を押され、私は不本意にも彼と庭園におりた。
もう、私は限界だった。
庭園へ向かう時に突き刺さったどころか貫通した、女性陣の殺気立った視線。まさに魔人だか悪魔と契約するだろう嫉妬に燃えた表情。
殺される! 私は殺される!! まだ理想の男性と出逢って交際も結婚も蜜月も出産も子育ても子どもの反抗期に悩んでも老後の余生を夫とのんびり過ごしてもいないのに!! 孫の顔だって見ていない!!
自分の理想の未来予想図を思い描けば描くほど、手段は選べないことを悟る。
ということで、私はくずおれるように芝生の生えた地面にしゃがみこんだ。
「クローディア!? 大丈夫ですか!?」
なにやら呼び捨てで呼ばれた気がするが、もはや気にしまい。
汚れることもいとわず、地面に膝をついて私を介抱する彼を認めると、勢いよく土下座した。
「……? クローディア?」
呼び捨てなのは、もはや気にしまい……っ。
両手をつき、地面に額がぶつかるほどの見事な土下座を披露し、私は懇願した。
「ごめんなさいすみません申し訳ありませんでしたぁぁぁ!!」
「……クローディア? どうしたんですか?」
「どうか私に関わらないでくださいっ、殺されます!」
「クローディ……」
「実は私、あなたの熱狂的な信者ではありません! 周囲に流されてみました! それだけです! そして私の好みはお医者様か学者見習いです! 平凡な平民人生を計画しています! むしろ今後も私に関わるとおっしゃるならば、どうか私に侯爵様の主治医殿をご紹介くださる方向でお願いします! 必ず幸せにします! 主治医殿を!!」
なにやら、空気が重たいような気がする。いや、きっと夜の暗闇のせいだろう。もしくは、土下座という体勢で頭に血が上ったために、頭含めた色々が重たく感じているのかもしれない。
「……紹、介?」
侯爵が小さな声で呟く。その声が妙に低く、不穏な気がしたが、気にしてはいけない。
「お願いします! もしご紹介は無理だとおっしゃるのなら、今後一切私に喋りかけない、見ない、触らない、の三原則でお願いします!!」
もはや涙声。土下座ゆえに涙が地面にぽたぽたと落ちる。
死に物狂いの懇願をしたというのに、侯爵からの反応は薄い。
怪訝に思い、私は顔をあげた。
……。なんか侯爵、無表情なんですけど。
言葉を失って見つめていると、彼は綺麗な顔を笑みに変えた。それはそれは慈悲深く、愛しむような天使の微笑。
形のいい唇が動き、たった一言、こう囁いた。
「嫌」
そうして、私と侯爵の攻防戦が始まったのである。