【短編小説】うんどうかい
借り物競争
時は平成!世は好景気!
血湧き肉踊る、秋晴れの運動場は異様な熱気に包まれた。おれたち生徒は流れる汗もそのままに、校内を埋め尽くす応援席は飲食も忘れて観戦した。
徒競走、中距離リレー、パン食い競争、障害物などの競技を終えて、ついに昼メシ前に行われる最後の競技「借り物競走」が始まろうとしている。
おれたちは白線で区切られたスタートボックスの中に並び、思い思いに屈伸したり手首足首を回した。
ウォームアップと言うよりは落ち着く為の儀式みたいなものだ。
誰の目も爛々と輝き、心なしか呼吸は浅くなっている。
運動会ハイだ。
ゾーンに入っている奴もいる。かく言うおれも、視野狭窄気味の目頭を揉んで首を回した。
オーバルコースの中ほどで、係の生徒たちが四つ折りの紙を撒いているのが見えた。
借り物競走特有の、最大と言っていい特徴は「足が速ければ勝てる訳ではない」と言う点だ。
拾い上げた紙に指定された借り物と言う運、それに対する解釈と言う頭脳、咄嗟に見つける視野の広さ、それを借りる力量、ゴール地点でそれを的確に説明する言語化力と説得力のある喋り……実に総合的な、まさに学園生活がそのまま反映される競技と言っても過言では無い。
そんなことを意識してか、おれたち生徒は全身に力が入るほど緊張していた。それを煽るかの様に各クラスの応援が盛り上げ、応援団部員たちが太鼓を鳴らし声を張り上げる。
準備が整い、BGMがひときわ大きくなって注目を集めると一気に絞られる。入れ替わるようにアナウンスが入る。
「いちについて」
並んだおれたちは腰を落とした。
「よォーい」
足の指がグッと地面を掴む。
パァン!!
空砲が高らかに鳴り、おれたちは一斉に駆け出した。
全力疾走である。
何を借りるのか運だと言うのに、とにかく走った。コースの先しか見えない。歓声も何も聞こえない。
そこまで足の速くないおれは3番目くらいにオーバルトラックの中ほどに散らばった紙切れを拾い上げた。
急いで中を見ると「ぬくもり」と書いてあ。
……ぬくもり??
おれは乱れた呼吸を整える3回の間に脳みそをフル回転させた。
「ぬくもり」
……そうか!!
おれはメモを握りしめて家族の元に走った。これしか無いだろう。
「お母さん!!弁当貸して!!」
いままさに風呂敷を解こうとしていた母から弁当をひったくり、ゴールを目指して走った。
ゴール地点で係の生徒にメモと弁当を差し出す。
「ぬくもりと言えばおふくろの味でしょう!」
一等賞間違いなし。
おれは自信を持って言ったが、弁当のフタを開けた係の生徒が「残念!!全て冷凍食品なのでアウトです!!」と叫んだ。
振り向いて母親を見ると両手を合わせて謝っている。……え?普段のご飯もまさか冷凍??
そんな事を考えている場合じゃない。
周囲を見ると、他の生徒たちはまだ応援席で借り物の交渉をしていた。
ヤバいが、勝機は残っていそうだ。
おれはこの総合競技に勝って、やりたい事があるのだ。
係の生徒からメモと弁当を回収して再び家族の席に戻る。
「ごめんねぇ〜」
と言う母を「いまそう言うのいいから!」と制止して、今度は祖母の手を引いた。
「おばあちゃん、背中に乗って!」
まだ一位を狙えそうだった。
おれは祖母を背負うと再びゴール地点に戻る。
「ぬくもり、それは祖母と孫の関係性!どうですか!?」
おれは祖母を背負ったまま絶叫した。
係の生徒たちは審議中の札を上げると集まって相談を開始した。
そうこうしているうちに、続々と借り物を持った生徒たちがおれの後ろに並ぶ。
この審議如何ではおれの一等賞が無くなる。そうなるとおれは……。
審議中の札が下ろされると、学校全体がどよめくような声を上げた。
係の生徒がマイクを持って朝礼台に立った。
「ただいまの競技について説明します。指定された借り物”ぬくもり”に対して、血縁関係の無い祖母は無効ではないか?との物言いがつきましたが、協議の結果、例え血縁では無くともその関係性は本物であり、セーフと致します」
うおおお!!!と言う大歓声と応援団の太鼓やら鳴り物やらがおれの全身を叩きつけるように響いた。
やった!!勝った!!
背後に並んだ生徒たちもおれを祝福した。
「ありがとう!ありがとう!」
おれも両手を挙げて応える。
なんか気になることがあったけど。
「ごめんねぇ、お前が成人したら言うつもりだったんだけど……」
おばあちゃんがおれの背中越しに両手を合わせて謝る。
「いいんだよ、そう言うこともあるさ」
おれは係の生徒からマイクを借りた。
「ありがとうございます!!」
ひときわ大きな歓声が上がる。
「似てないと思ってたんです、お父さんにもお母さんにも。おばあちゃんとおじいちゃんにも似てないし。
だから冷凍食品のご飯だったなんて思っていません。それに冷凍食品だって詰め替えれば立派な愛情だと思います。だからさっきの判定には納得がいってません」
そこかしこから拍手が湧き、口笛が鳴らされた。先生たちも大きく頷いている。
おれは意を決してマイクを強く握った。
「おれ、この競技に勝ったらやりたい事があったんです」
一瞬だけ歓声が緩まった。
「この競技に勝ったら……その思いでどうにか勝つことができました。ありがとうございます。
えぇと……4組の桜井さん。いますか、いますよね。えぇと、桜井さんが好きです。付き合って下さい」
学校が爆発したかのような大歓声が上がる。
おれの膝は笑っていた。ぐるぐる回る視界の中で、ほかの女子生徒に突かれながら桜井さんが出てくるのが見えた。
応援団の太鼓が打ち鳴らされ、野次と歓声が濁流みたいなっておれと桜井さんを包む。
感じたことのないBPMで心臓はデタラメに踊り、全身は緊張でバラバラになるかと思うくらい震えている。
それをどうにか抑え込み、おれはありがとうと周囲に手を上げてから、桜井さんに向かって頭を下げて右手を伸ばした。
係の生徒が、伸ばしていない方のおれの手からマイクを取って桜井さんに渡す。
「あの……」
桜井さんの声が学校中に響く。
その瞬間、示し合わせたように全てが静まり返った。
「あの……わたし木村くんのこと……」
誰もが固唾を飲み込む。
「木村くん……?であってるよね?……のこと、よく知らないから……」
あぁ、と言うバラエティ番組で聞く効果音みたいな感嘆があちこちから聞こえた。
おれはまだ手を伸ばして頭を下げたままだった。
そうか、桜井さんはおれをあまり知らないんだった。
おれとは違う。
確かにおれは桜井さんをよく知っている。
野菜なら根菜が好きなことを、肉ならレバーやハツが好きなことを、お菓子はスナック菓子より和菓子が好きで、でも最近はチョコも気に入っていること。
まだある。
私服はほとんどお姉さんのお下がりだから本当は新しい服が欲しいのも、でも原付の免許を取って遠出したいからお金を貯めていることも、暗記科目が苦手で数学が得意なことも、バド部だけど本当は絵を描くのが好きで、それでも実は下手の横好きなのも。
八重歯を気にしてるのも吊り目なのも実は気にしてるのも、全部知ってる。
そうか。おれは桜井さんをよく知ってる。でも桜井さんはおれを……。
恥ずかしくなった。
恥ずかしくて恥ずかしくて、そのまま穴を掘って埋まろうと思ったその瞬間だった。
「でも、お友達からなら……」
桜井さんの細い声を掻き消すようにどかん!!と爆発的な大歓声があがり、その勢いにおれも思わず頭を上げた。
綺麗な桜井さんが顔を上気させておれを見ている。陽を受けて輝く桜井さんはとても美しかった。
もう全部が愛おしい。
汗で額に張り付いた髪の毛も、砂でちょっと汚れた体操着も、スポドリをこぼしたと思しきシミも。
「だから木村……くんでいいんだよね?木村くん、お友達からなら……」
桜井さんがそう言いながら、伸ばしたままのおれの手を取った。
桜井さんの手はおれの手に触れた。
それは事実だ。桜井さんの細長くて柔らかい指がおれの手に触れた。
その暖かさが、優しさが、柔らかさがおれの武者震いを歓喜の震えに変換したその瞬間だった。
「ちょっと待った!!!!」
全ての歓声を遮るような声量で叫ぶ声が聞こえた。そのせいで桜井さんがびっくりして手を引っ込めてしまった。
声の方を見ると、奇人で有名な保健室の先生が立っている。
男子生徒に評判の巨乳を押し込んだ白衣の下からはやけに筋肉質な足が伸びていて、黒いストッキングを穿いたその筋肉質な足はやたら高いピンヒールで完結していた。
そしてまるで校庭を突き刺すみたいにして先生は立っている。
「おい、血の繋がりがねぇババアと詰め替えの冷凍食品、そんでこのヌルい告白とその返事でぬくもりを達成したとか言う気じゃねぇだろうなぁ!!」
いつの間にかマイクを手にした保健室の先生がおれと桜井さんを指さした。
「こっちはなぁ〜、毎日毎日おまえらみてぇな浮かれポンチたちの恋愛相談で頭がどうにかなりそうなんだよ〜」
先生が全校を睥睨しながら真っ赤なネイルで生徒たちを指さす。
「まったくよゥ〜、てめぇらの年頃で好きだの嫌いだのってなぁヤりてぇとかヤらせてくれねぇ程度のもんだろうがよォ〜。恋と性欲の区別もロクにつかんやつらが……」
ここで体育の先生が止めに入ったが「うるせぇ!わたしでシコってん癖に邪魔だ!帰れ!」と一蹴されると、他の先生方も何かをバラされたくないのか黙り込んでしまった。
静まり返る学校の真ん中に、保健室の先生は立っていた。
全ての視線を受けても背筋は微動だにせず、まるで彫像みたいに見える。
しかし保健室の先生は柔らかく動き、筋の通った声でマイクを続けた。
「おう、木村っつったな。お前、その女が好きなのか」
どうなんだ?と先生がマイクを下ろす。おれに答えろと言うことだろう。
おれは桜井さんを見てから先生を見据えた。
「はい!おれは桜井さんが好きです!」
保健室の先生にしては濃いアイシャドウと多過ぎるラメ、そしてアイライナーで強調された目を見て言う。
その目を微動だにさせず、先生が形の良い鼻を鳴らした。
「言うじゃねぇか。でもな、さっきも言ったようにお前らの年頃が抱える恋心なんて性欲と同じだ。見てみろ、さっきの田中先生なんかあの歳でまだ恋と性欲の区別がついてねぇ。
それにいいか!
お前らの年頃でその感じだとセックスまでに最低でも一年はかかるだろ。
どうだ木村ァー!!わたしが今からヤらせてやるって言ったらどうする!?大人のぬくもりってのを教えてやんよ!!」
先生のマイクが終わると同時に大荒れの海みたいなどよめきと歓声が沸き起こった。
「き・む・ら!!き・む・ら!!」
謎の大木村コールが学内を席巻する。時折り「脱げ!」「抱け!」と言うのも聞こえる。
保健室の先生が胸を張ると、白衣のボタンが弾け飛んだ。オープンカップのブラとガーターベルト付きのオープンクロッチショーツが見える。
白衣が乳首の先端で辛うじて引っかかり、全ての露出をどうにか避けていた。
爆発的な歓声が沸き起こり、大木村コールはさらに盛り上がりを見せた。
保健室の先生が再びマイクを構えた。
「どうだ木村!!やんのか?やらんのか?
今しかないぞ!!木村!!
あたしは桜井の噛ませ犬じゃねぇ!!
それに今夜だけじゃねぇぞ、卒業するまでいつでもお前に付き合ってやる!!答えろ木村ァー!!」
もはや大木村コールと歓声は飽和して静寂にすら思えてきた。
さっきとは逆に、先生がおれを見据える。
その視線を跳ね返そうと見る先生の半裸が嫌でも目に入る。
両膝は再び笑い始め、陰茎に流れ込み始めた血をおれは気合いで逆流させた。
「うおおおおおおおおおおん!!!!」
両拳を握り、大地を踏ん張り、歯を食いしばって絶叫した。全身を叩きつける期待と歓声が痛い。
ボルテージを上げ切ったおれは桜井さんに向き直り、思い切ってその手を引いた。
そして力一杯に抱き寄せると、その勢いでキスをした。
がちん、と歯がぶつかる。
でもそれはおれと桜井さんにしか聞こえないだろう。
「先生!!これが……先生、答えですよ!!」
暴風雨が逆巻く夜の海みたいな歓声と木村コール、桜井コールが響く。
カンカンカンカン!!とゴングが打ち鳴らされ、「3分55秒 リップロックで二年5組木村 健太郎の勝利です」とアナウンスが聞こえた。
腕の中で桜井さんが小刻みに震えている。
手の中に桜井さんの鼓動を感じる。その汗も、体温も全てが愛おしい。
おれはいま、全身で桜井さんを感じている。
「お客さん!!どうですか!?」
ワァァァァ!!!!
おれは勝利を確信した。
肉欲に勝ったのだ。おれのプラトニックな愛が肉欲に勝った。
だが先生は不適な笑みを浮かべている。
「それはどうかな……なぁ、桜井?」
腕の中で桜井さんがビクッとした。
思わず桜井さんを見つめると、小刻みに揺れる両方の瞳から大粒の涙が溢れ落ちた。
「ごめんね木村くん……木村くんだよね……?ごめんね、木村くん……わたし実は……」
桜井さんがおれの手を取ると、おもむろに自分の陰部へと導いた。
「え?桜井さんちょっと……」
桜井さんがおれを見つめたまま手をやった先には勝手知ったる、だが自分のものではない膨らみがあった。
「え……?」
「ごめんね木村くん……木村くんで名前あってるよね?わたし、実は……」
そこまで言うと桜井さんはおれの手を離して目を伏せた。
見計らったように先生が「どうする木村ァー!!わたしならお前に本当の、本当の女のぬくもりを教えてやれるぞ!!」と叫ぶ。
おれは逡巡した。
桜井さんにはおちんちんが生えている。
どう見たって女の子なのに、おちんちんが生えている。そう言うものらしい。男の娘なのか、そう言う体質なのかは分からない。
つまり桜井さんとセックスするにしても……。
先生が両手を振り上げて観客を煽ると、観客たちは先生コールを始めた。
先生には穴がある。みんな欲しがる穴だ。
なんだったらそれはお金を払ってでも入れたい穴なのだ。なにも先生の穴に限った話じゃない。
その穴は、桜井さんに無い。
桜井さんにあるのは、おれにもある……。
頭の中で全裸の桜井さんと半裸の先生が高速でオクラホマミキサーを始めた。理性が脳みそとキンタマを反復横跳びしている。
「うおおおおおん!!!!」
おれは青春の握り拳で自分の下腹部をぶっ叩いた。
何度も叩いた。
気がつけば歓声は止み、全ての人たちがおれを黙って見ていた。
おれは先生を睨め付ける。
「先生……先生のお誘いはとても魅力的でした。全校男子生徒は誰しも先生とヤりたいでしょう。でもおれはそのお誘いを……ごめんなさい!!おれは!!!桜井さんと!!!ヤります!!!!」
どっと歓声が溢れ、その勢いにおれは思わずよろめいた。まるで洗濯機の中にでも放り込まれたみたいで、頭がぐわんぐわんとする。
おれがまっすぐに先生を見つめると、先生は不適な笑みをふと緩めて優しい笑顔になった。
「そうか、わかったよ。……大人になったんだな、お前も」
「えっ……?」
「わたしは……わたしはお前の本当の母」
先生が何か言いかけたところで、桜井さんがおれに抱きついた。
「木村くんありがとう!!」
おれは抱きしめた桜井さんの肩越しに、自らを母親と言った先生を見ていた。
いや、本当の母親を知っていると言いたかったのかも知れない。それが誰でもいいし、いまは問題じゃない。
仮に先生が本当の母親であっても良い。
それはまたいつか聞こう。おれにヤるか訊いたのは意味がわかんないけど、そう言う形の家族だってあるだろうし親子のぬくもりだってそれぞれだ。
おれは桜井さんの下半身が熱く、硬く膨らんでいくのを感じながら考えた。
これが、これこそが本当のぬくもりなんだろう。いや、おれたちを包みこむ万雷の拍手こそが人間のぬくもりなのかも知れない。
こうして運動会は幕を閉じた。
血の繋がりはないとしても家族だし、この日のために詰め替えた冷凍食品の弁当は最高の満漢全席だ。
祝福という名前の太陽はどこまでも優しく照りつけて、おばあちゃんとお母さん、保健室の先生と囲む弁当。
その中で、ぼくは桜井さんの張り詰めたブルマばかり見ていた。




