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三島由紀夫論  作者: 加祷成蹊
本文
8/13

金閣寺

 この時美が遅参したのは、目の前の娘が彼にふさわしくない(!)ことを彼に告げ知らせるためであった。外部にきびしく屹立していた金閣が《わずかのあいだ私の疎外を取消し、》すなわち美からの無言の照会を差止めて、それどころか《その構造の内部に私の位置を許していた。》すなわち美にて下宿の娘を照会する体験を溝口に得させさえしたのだ。美の座は溝口に《人生への渇望の虚しさ》《永遠に化身した瞬間は、われわれを酔わせるが、それはこのときの金閣のように、瞬間に化身した永遠の姿に比べれば、物の数でもないこと》《生がわれわれに垣間見せる瞬間的な美は、こうした毒の前にはひとたまりもない》ことを懇々とおしえる――

 これは筋がわるい。たぎった肉慾をぶつけさすのを制止したのは、彼自身の要らぬ矜恃すなわち《私のような独自性、あるいは独自の使命を担っているという意識》ではなく、金閣のほうだという留保をつけている。あたかも自分の外がわから手がのびてきて遂情を妨げられたのであって、矜恃が邪魔をしたのだとは言わない。

 ひとたび美の座から諸々の事どもを瞰下ろした溝口は妙なことを覚える。

 ある颱風の近づいてこようという日、夜に入って、彼は金閣を宿直するために究竟頂にのぼる。《私が金閣であり、金閣が私であるような状態》に達した時、にわかに強い風がつのって《私もろとも金閣を倒壊させる兆候のように思われたのである。私の心は金閣の裡にもあり、同時に風の上にもあった。》溝口は美の座にある瞰下ろす目と共に美の座を襲う風の意志をも同時にわがものとしはじめる。《風、私の兇悪な意志は、いつか金閣をゆるがし、目ざめさせ、倒壊の瞬間に金閣の倨傲な存在の意味を奪い去るにちがいない。》溝口がおぼえた妙なこととは美の座を簒奪する意志である。

 所変って免責の美の座を、溝口はまた別の方法で疑似体験するが、こちらの方は彼の気に入らなかった。それは詩作である(作中では音楽となっている)。自らが賦した詩の調べに彼はやすやすと化身した。肉慾に彼がさながら化身しようとすると、金閣が彼をおし包んで行為を妨げてしまうのに、なぜ詩作にかぎって金閣が酩酊と忘我とを彼に許すのかを訝しんでいる。《金閣が黙認している以上、詩作(音楽)はいかに生に似通って見えても贋物の架空の生でしかなく、たとえそれに私が化身しようと、その化身はかりそめのものでしかなかった》のである。

 それだけ彼は余分に美の座の簒奪にのりだす動機を得るであろう。

 美から照会されないためには肉慾に化身するか、詩に化身するしか今のところはない。しかし詩は生ではなかった。肉慾に化身しようにも、凡庸な女との遂情は美によって妨げられ、美しい女とのそれは、おくれてやってくるとは言え、美からの照会をもっとも強くうける場に倏忽(しゅっこつ)として化し、化身どころではなくなった。

 美は平時に猖獗するものであり、個別具体的には反復しえないが、その照会する力によっていたるところに遍在している。一方、人間の凡庸な生は、滅ぶために生れてくるかのようだ。凡庸な生の純粋な持続のために滅び、それが幾代にもわたって虹のようにかかると、あたかもただ一つの凡庸な生が今猶生きられているかのように思われる。反復によって保たれてきた同一性を、優に五百五十年ものあいだ、金閣は単独で保ってきた。鏡湖池畔にひっそりと佇み、度重なる兵燹(へいせん)をふしぎとまぬかれてきた不可侵の――まるで溝口だけが燃やすことのできる――このお化けじみた美の大樹のような金閣は、遍在しているものの根に見える。女がかりそめに美しくあるのも、金閣がその美のいくらかを分有させているからのように見える。

 一つの代を滅ぼしたとしても、一つの凡庸な生が幾世紀に亙って生きられているかのようにみえることにかわりはないので、全体のおもむきはイモータルな色彩を帯びるにいたる。絶えず滅びゆくので不滅にみえる。金閣は当代を今も昔も立通(たてとお)して、持続というよりそこだけ時間が止まっているかのような()()()()()()おもむきであるが、ひとたび疑いの目にさらされるや、厳密な一回性は取りも直さず反復不可能な死へとひっくり返るのだった。人間の凡庸な生を根絶やしにすることはかなわないが、ところきらわず咲く花の遠いみなもとたる美の根、《金閣のように不滅なものは消滅させることができるのだ。…私の独創性は疑うべくもなかった。》

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