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三島由紀夫論  作者: 加祷成蹊
本文
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金閣寺

 溝口は父から教えられた「金閣」を美として心にかくまうが、父に教えられる以前より、美というものは心にかくまわれていた。以後、美と金閣とは交換可能なものとなる。はじめて実在の金閣に接した時はとてもその名に若かないつまらないものに感じられたが、月が出て、二度目の金閣に接し、のちに故郷にかえってから溝口は実在の金閣の美に徐々に親炙してゆき、美としての金閣の実在感は日ましにまして行った。この美の実在感はたとえば女性のもつ美とは性質を異にした。有為子は美しかったが、死にうる美だった。金閣の美は()()()()()()で、死にえない美が実在しているという感覚が溝口を致命的に囲繞しはじめた。

 米国は反攻に転じ、本土空襲がはじまった昭和十九年、溝口はあることに気がつく。心象の金閣に劣らず、実在の金閣が美しいものに感じられたのである。溝口はここで微妙な嘘を吐く。彼は正直に「金閣を私と同じ高さにまで()()()、そういう仮定の下に、怖れげもなく金閣を愛することのできた時期である」と述べている。ところが滅びの余映をうけた金閣の美は以前にも()して極まっている、と述べる。美としては上昇している、と溝口は述べる。その実、心象の金閣は下降している。金閣は実は燃えやすい炭素の肉体をもっていた。()()()()()()()ということにまず溝口は軽侮の念をおぼえる。生きているものは悉くこれを殺しうる。すなわち美そのものを、死にえないものから、例外なく死にうるもの、殺しうるものとして確認し、規定し直している。

 美が今、戦時下における不必要性と火に対するその脆弱さを露わにして、溝口に許しうるものとして親しく臨み、それゆえ彼は金閣を怖れげもなく愛することができた。戦時下では、美もまた生であった。ところが戦争が終わるとともに、美は生でなくなってしまった。

 そもそも、もし金閣が終わりのない時間の下にふやけた弛緩した美として溝口を脅かさないのであるならば、焼く必要はない。もし金閣が美として上昇し、終戦とともに下降したのだとしたら、焼く必要はない。しかしその美は弛緩するどころか、平時に猖獗(しょうけつ)するものであり、由来、静的なものであった。またもし、かつて滅びに瀕したつかの間の美を観照する――再現する――お節介なことに美を上昇させることが目的であるならば、なぜ彼自身もまた――なぜなら滅びの余映を共にうけたればこそ美を許しうる愛すべきものに感じられたはずだから――その同じ滅びに瀕しようとしないのか――自分自身に死を擬して、美とともに上昇しようとしないのか。なぜなら美はその時その実下降しているからだ。

 なぜ焼かねばならなかったか。金閣は戦後ふたたび上昇に転じて自分を()()ろすようになったからにほかならない。

 溝口は平時の復権をおそれている。あまりにも平時は静的であり、彼自身の動かしようのない形姿を、美はその繊指でなぞるようにあからさまにして、嘲笑(あざわら)う。美からの無言の照会は、平時に於いては自明にそして頻繁におこなわれてしまう。

 戦時は一個人が静的に美しくないということを矮小化し、そんな審議にとどまらせる(いとま)を人に与えなかった。しかるに平時に於いては自分が美しくないということが強調される。人をその静的な姿如何で裁く平時の機制が、金閣に象徴されている。だから金閣は美のイデアでなければならない。しかも金閣は「平時の静的な美のイデア」である。

 焼き滅ぼされるべき金閣が、心象の金閣に劣らず美しいものになった、と述べる時、ここに溝口の欺瞞があって、むしろ金閣が美であるための「静的な」という部分が戦時の倥偬(あわただ)しさのなかでは存在論的に弱者であり、それゆえ「静的な美」が欠け落ちた金閣が自分と同じ位相に堕ちてきた、といったほうが適当ではないだろうか。

 すなわち実在の金閣は、滅びの余映をうけて上昇するのではなく、静的であることの不必要性を滅びの余映をうけて強調されて下降する。溝口の操作は、美の不必要性を強調するために死を導入する。ところで「宝石売買」に於ける片桐治隆は「僕は不必要の美しか認めない」と述べている。ところが実際は「美は不必要なものである」というのと同断である。溝口は美の不必要性を死によって強調することでしか自分の静的な存在に耐えられない、と言っているようなものではあるまいか。

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