1.
フェリシアはその後呆然とするディランを放置し、イリスをおんぶして王宮で与えられている客室まで戻ってきた。
道中、自分とほぼ同じくらいの背丈のイリスを背負える自分はディランの言う通り脳筋ゴリラなのかもしれないと少し落ち込みはしたが、先程の怒りを思い出して、考えること自体をやめた。
***
「――様……姉様、――て」
「んん、」
囁くように優しい声が身体と鼓膜を揺する。しかしフェリシアは昨日それなりにアルコールを摂取していたせいもあり、中々起きようとは思えなかった。
「姉様、朝ですよー。ね、え、さ、まーー!!」
「うう゛!?」
最初は優しかった声音も、眠って相手をしてくれる気配のないフェリシアに段々と飽きてきたのか口調が強くなり、最後には弾丸の様に何かがフェリシアの仰向けで寝ている身体に突っ込んで来た。
「イリス……?」
「はい!」
目を開けてみると、そこには見覚えのある金の柔らかそうな頭がフェリシアの胸にすり寄るように近づけられていた。どうやら昨日同じ部屋に運んで、『姉妹だし、まあいいか』というテキトーな思考回路で同じベッドに寝かせておいたイリスはお酒が入っていなかった分、フェリシアよりも早く目覚めたようだ。
そこまで認識して、脳が覚醒すると同時に昨日の事を少しづつ思い出していく。
そしてディランに自分が発言したことを思い出したと同時にフェリシアは頭を抱えた。とんでもない発言をしてしまった……。冷静になった思考は昨日の言動を既に後悔し始めていた。
(……どうしよう)
起こしてくれたイリスの頭をいつもの癖で撫でて、後悔に沈む。なにせ怒りからとは言え、好意を抱いている人間に対して自分の貰い手――結婚相手を見つけると宣言してしまったのだ。ディランは昔からどれだけ酒を飲んでも、絶対に飲まれないタイプだった。だから確実に昨日の事も憶えているだろう。
そしてフェリシアの性格上、発言したことを”出来ない”などと言って、負けを認める事など出来なかった。なにせ昔から彼女は途轍もなく意地っ張りであった。一度決めたり、言葉に出したことは曲げられない。しかも今回は馬鹿にされているのだから、尚更だ。
しかしそれと同時に考えてしまう。結局女として見てもらえもせず、一生ただの幼馴染として過ごすくらいならば、この恋はもう捨ててしまったほうが良いのではないか、と――。
ディランは辺境伯の嫡子だ。今までは何故か婚約者がいなかったが、今後はそれに近い女性が確実に出来るだろう。その時、この叶わない恋心を抱えたままで彼の隣に立つ女性を見るなんて……考えただけでフェリシアの心は悲鳴を上げる。
この女扱いされることのない幼馴染という関係性を捨てる勇気もないくせに、恋心を抱えたままで幼馴染が別の女性と結ばれるのを手放しで喜んで見守ることも出来ない。
それにフェリシアとて貴族だ。ずっとこのまま結婚しないというわけにもいかないのである。将来はアーゼンベルクの家をフェリシアかイリスが継いで、血筋を残していかなければならない。だから元々、ずっとこのままディランへの恋心を抱え続けるだなんて生産性のない事を続けるというわけには行かなかったのだ。
これはある意味必然だったのかもしれない。彼を諦めるための必然的な事象――。
だからこれからフェリシアは自分の宣言通り、きちんと恋心に諦めをつけて結婚相手を見つけなければならないのだ。
「姉様?先程からずっと考え事ですか?なんだかお顔が暗いような――」
「いいえ、大丈夫よ……ちょっとお腹が空いちゃっただけ。食堂に行きましょうか」
「……そう、ですね」
イリスは昔からフェリシアとずっといるだけに姉である彼女の心の機微に敏感である。だから敢えて心配の言葉を遮って、何でもない風を装った。これすらもきっと妹にはバレているのだろうが、彼女は言及しない事を選んでくれたようだった。
そんなイリスに微笑み、感謝しながら、二人は連れ立って朝食を摂りに行った。